朝ヨガの練習が終わり、車でH1 ハイウェイを走るとそこには、ハイウェイの直ぐ上にレインボーが太く短くかかっていた。
七色の太いしっかりと光輝く虹に向かって私は、走らせている。
自分の心を観察してみるとそこには、サマディヒ(瞑想の時の恍惚感、幸福)が存在している。
そんな自分の心を認識する事に喜びを感じる自分がいた。
パリハイウェイに入る手前でも、再び同じ7色に輝くしっかりとした虹が視線の目の前に低くかかっていた。
まるで、私が行く場所全てに確かな光り輝く虹があるような錯覚を感じた。
そして頭の中幼い頃聞いた曲、オズの魔法使いの歌が幾度も繰り返し聞こえてくる。
somewhere over the rainbow Way up high
ANd the dreamsthat you dreamed of Once in a lullaby
Oh , somewhere over the rainbow Blue birds fly
And the dreams that you dreamed of Dreams really do come true, ooh- ooh
Someday I'll wish upon a star wake up where the clouds are far behid me
Where trouble mets like lemon drops
High above the chimney tops,
That's where
You'll find me
Oh somewhere over the rainbow Blue birds fly And the dream that you dare to Oh why Oh why can't I ?
Well, I see trees of green and Red roses too
I'll watch them bloom for
Me and you
And I think to myself
What a wonderful world .........
自分の潜在意識の中に常に存在していた夢の世界が今現実になっている。
私がアロマセラピー、ヨガ、瞑想、に出会ってから自分のビジョンが常に目の前の現実に虹の架け橋で繋がっているようだ。
ハワイで車を走らせながら不思議と自然に笑顔になりながら過ごしている自分が常にいるのは、その気づきからだ。
人間の脳は、何を信じるかで全ての観点が変わってくる。
キリスト教、仏教、。。。。。。。神様を信じている人がより幸福度が高いのは、信じる力が強いからだ。
つまり、自分が何を信じるか、考えるかが未来に反映していく行動を人間は、常に行う動物なのである。
現在の私は、無宗教であるが、何を信じるか自分次第なので自分を信じている。
そして、否定的な思考や信じる気持ちは、常にアロマセラピーの香りと共に瞑想をしてかき消していき
常に自分の肯定的な思考や信念の中で生きている。
若い頃は、自分を信じる事が出来ずに多くの周りの環境に惑わされていたが、何故か幸運な事に気が付く。
そして、人生の崖っぷちに立たされても何とか切り抜けてきたのは、心のどこかで自分を信じていたからだったと
気が付いた時の自分の強さに驚いた時もあった。
流石に人生58年目にもなると大抵の事では驚かなくなる。
ただ、子供の頃の自分をとても鮮明に記憶している。
辛いや悲しい事もそして楽しい事や喜ばしい事も覚えている。
その記憶が自分信じる糧になっている。
辛い事が起きても必ずそこを乗り越えてしまえば、そのつらい時は過ぎて行く。
また、同じ間違いを繰り返さないように考えてから行動をとる訓練をしてきた。
ただ、悲しい時は、思いっきり泣いて悲しい気持ちを無視せずにしっかりと心に記憶して
同じ状況に陥らない様に次回行動パターンや思考パターン
を変えて行く事を忘れないのが良い事だ。
悲しい気持ちや辛いストレスフルな気持ちを無視してしまうとその気持ちが身体に残り、病気の要因になる。
それには、自分の思考を自分でコントロールしなくては、ならない。
人間食べ過ぎたら、次の日食事を控えたりする当たり前の行動パターンである。
恐怖や苦手な事を克服する事にも挑戦して来た。
勿論、初めから飛び越えられない山には、挑戦しない。常に練習と努力を繰り返ししながら苦手な事を克服してきた。
勿論特異な事ではないので、私が苦手な事が特異な人達には、追いつかない。
ただ、それは他の人との関係なので自分の中での価値観とは異なる。
私は、幼い頃から走るのが苦手だった。
このコンプレックスから解放されるために30代の頃ジョギングクラブに入り、朝3キロ会社に行く前に家の周りを
走ってみた。そして2年後にフルマラソンに挑戦して、コンプレックスから解放された。
勿論、その後一度もフルマラソンやマラソンと言う協議には、参加していない。
走るのは、嫌いなので敢えて自分からは、体を動かす選択肢の中から解除している。
ただ、時たまハワイでもラニカイビーチの砂浜を朝走ったりする時もあるが毎日ではなく
気が向いた時だけだ。義理の姉がマラソンが大好きなので、サンフランシスコでセントパトリックスデーのマラソン競技に
参加したりもした。勿論次の日から3日間位、脚が全体が筋肉痛だらけだった。
ただ最近のトレンドと検証実験で筋肉痛の要因である乳酸は、脳の認知症の1つアルツハイマー病の原因アミロイドβタンパク質を分解するという結果がでている。やはり、年と共に、筋肉が衰え筋肉痛がなくなると、認知症にもなりやすくなるのだろう。
つまり、重たいものをもって買い物から帰ってきたり、常に階段を使用して筋肉を鍛えて
身体を動かし筋肉を維持し定期的に筋肉痛になるように週に1回は過度な運動をしていれば人間は、
通常認知症予防になるという事だ。
まー頭が良くなることは、なくてもも、身体を動かしていれば、ボケないという事でもある。
他人のお世話にならない為にも、そして自分という認識を維持しながら最期まで生きて行く為にも認知症にならない
最大限の努力をしたい。
ヨガの練習もお休みしていて、1日でも開けると筋肉痛になる。
また新しいポーズをとると何だか良くわからない筋肉が痛くなる。
乳酸が溜まって頭になるアミロイドβタンパク質が週に1回ヨガの練習をお休みするので、私は筋肉痛になる。
ふとそんな時、頭が少し軽くなるような爽快感が瞑想をしていると感じるのは、気のせいであろうか?
そうそう、ヨガを定期的1回のセッションが1時間以上、そして長期的に練習し続けると、
それだけで、炎症マーカーが低くなる検証結果がでているのを2022年3月発行のパブメッドで読んだ。
ただここでのヨガは、ポーズだけではなく、呼吸法、瞑想全て含めてのヨガの検証だ。
やはり、人間健康になる努力が大切である。
両親の死や友人達の死を通して、長生きするのもやはり健康で長生きしないと人生の幸福度が減ってしまう事を
実感してる。
さてさて、皆さんもありきたりなアドバイスは、理にかなっているのです。
毎日規則正しい生活をして、快眠、快便で、快適な幸せな人生への選択をしてみてください。
人間と色幸せの形はそれぞれなので、他人と比較せずに自分があー幸せだなーてふと感じるのが、
長年生きていて、本当の幸せだと感じます。
このブログを読んでる皆様が、虹の架け橋を渡って少しでも気持ちの転換が出来たら、私は、それも幸せです。
ハワイ、カイルアでアロマセラピー、ヨガセラピーなどを提供しています。
オアフ島で少し時間があったら是非ご予約ください。
ご予約は、E-mail info@argutha.com
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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2024年になり日本では、北陸大震災そして日本航空と海上自衛隊の飛行機の衝突事故で始まってしまった新年に
なり多くの人々ショックと悲しみの中で新年を迎えている切ない年明けでした。
人間の命、人生の大切さを痛切に後頭部からがーんとする感じで悲しい新年を迎えた日本だった。
悲しい時には、悲しみの原因を追究してその悲しみの原因を時はなさなくてはならない。
実際に、自分の人生が悲しいのでないのに環境や時代が悲しいとその影響を受けてしまうのが人間の感情であり
その悲しい感情が否定的な物事を自分の人生の選択になってしまう。
勿論、365人能天気に人生は過ごせないが、できるだけ日々自分らしい人生の選択をして自分の人生を生きて行くためには、
あまり否定的な出来事に影響されないようにしなくてはならない。
そこで、私の姪が自分がハワイに居て、日本の彼女の友人など安否を心配していたので、19歳の青春まただ中の彼女を励ます為にもリフレッシュするイベントを考えた。
そんな悲しい思いで新年を迎えては、青春が暗くなってしまうので我が家のティーンエイジャー2人、カリーナとアリーアを連れて、クオラオ ランチ にUTVラプチャーツアーに3人で参加しリフレッシュして新年を迎えてきました。
クオラオランチは、4000エーカーの広大な土地を200年近く自然を保全しながら映画のジェラシックパーク、ワールド
キングコングなどなどトロピカルの自然の中の映画の舞台になっている場所で、自然と映画好きなら大人でも楽しめるハワイの
アトラクションパークで有名な場所です。
クアロアとは、ハワイ語で背骨という意味があり、丁度山脈が動物の背骨になっている様に古代のハワイの人々考えて
命名された場所でもあります。
私は、ハワイに来てから何年もの間訪れなかった場所でしたが、日本からの友人に誘われてハリウッドムービーサイトツアーに参加
して素晴らしいハワイの天然の植物や動物を保全している事に力を入れている所から大好きになり、2回目は、カリーナとカリーナの幼馴染マックスとヨガ友4人でジップラインに行き、今回なんと3回目でした。
21歳以上免許保持者でないとジープが運転できないので2時間私がオフロードを運転して回る事になり、体力勝負だと考えて
朝のマイソールの後朝ごはんをしっかり食べて参加してきました。
そして、オフロードなので砂埃の中映画さながらにジープをブンブン運転して、泥水のストリームの中を走り抜けたり
素晴らしい海の形式を横目にジープをビュンビュン走らせて、カリーナが大喜びするジェットコースター
の様な下り坂やでこぼこ道を走って3人で大声をだしてキャーキャー叫びながらエキサイトした2時間を過ごしてきました。
可なり、ドーパミンとエピネフリンが脳から分泌された感があり、2時間のオフロードの運転でも疲労感無く
私は、運転しきった達成感で充実した2時間になった。
ただ、最後のウォーターフィューチャーの溝が少し深すぎて泥水がジープの中にそれもカリーナが座っている側に
ジャップーンと入って来て、水色の可愛いタンクトップとショーツ、飲み水の水筒が空いてたので泥水が中に入ってしまい、凄いモンクを言われてしまいました。
3人がツアーを終わらせて砂埃のゴーグルをとると、私の顔には、パンダの様に泥で後が付いていてるのを即座にカリーナが見つけると、面白がって、お父さんに見せるから写真撮らせてとか、言いながら3人で大笑いした年明けアトラクションでした。
今年の私の目標は、楽しい気持ちを大切にして自分の心身を保持して行く事!が一つである。
そして今年、58歳になる年齢で、自分の全てが変化している年齢でもあるので、
再度、何が楽しいかを自分で明確にして行く事も大切だと行く事が今年の自分発見の課題です。
ホルモンのバランスも10年前から可なり変化が起こり、今はとても平和な気持ちで幸せではあるけれど、
何か子供の時の様な興奮する事がないのが少し寂しい気持ちにもなっている事は確かです。
冷静な判断ができ、かつ子供の時の様なはしゃぎまくる気持ちの時間があれば人生最高に満たされて行くような気がする。
なんで、やっぱり若い人達と時を過ごすと何だか自分も一緒に楽しめる感覚を呼び戻せる気持ちになる。
これが、エピジェネティック的環境の影響なのだ。
私は、自然と植物と人間や動物が好き、つまりこれらの物とかかわる事で人生が豊かになって行く。
では、その機会を最低1週間に1回以上能動的に作って行く事にしたいのが今年の目標。
今は、あまり不透明な世の中なのでその世界に影響を受けないように瞑想をする。
そして最愛の母が亡くなり、一番気にかけていた母が居なくなり、その気持ちから解放された為か、悲しいというより、
何故か心に大きな空間を感じて生きています。
この空間は、母に変わる人はいないので埋められないのは、わかっている。
良く悲しみから癒されるのには、3年程かかると言うが、私にも3年程の時間が必要なのかもしれない。
そんな時は、余り具体的に目標を作る気にならない自分がいるのでその気持ちを大切にして今年は、
生きて行きます。
幸い、最愛の旦那様ジョンも私の生き方を尊重してくれているので、本当に素晴らしい旦那様だと毎日感謝しています。
日々、アロマセラピーで自分を癒し、瞑想をして、そして朝のマイソールをお休みせずに行く基本的な目標を立てた。
楽しい事を感じるとドーパミンが脳から分泌されて脳が活性されていきます。
なので、後は楽しいと感じられる時間を大切にして今を生きて行くのが今年の漠然として目標です。
嫌な事も勿論していくけど、最近嫌な感じの思いが余り感じられない自分がいるので気が進まない事はしない事にしています。
気が進まない事を継続していくとそれの思いが積み重なって嫌悪感に変わってしまうかもしれないからです。
後は、指名されてもいないのに使命感を感じて何故か自分が先頭切って行動してしまう時が私は、多々あるのでもそれも
しない事にしました。
そうそう、とはいっても先日義理の母の88歳の誕生日に私は、家族の中では新米なのに何故か使命感を感じて
義理の母の為に日本食を5時間かけて作り上げました。
何とアメリカ人は、最愛の母でも自分たちから率先経ってお誕生日をお祝いしてあげないのです。
私にとっては、不思議でした。
義理の姉も義理の母の誕生日の5日前にそれまでハワイに居たのにサンフランシスコに帰ってしまうし、
義理の兄もラナイ島の別荘にお誕生日当日まで滞在して、88歳の義理の母に空港に迎えに来てもらって疲れたから
誕生日に遅れて参加しますとの事、私は、そこで使命感と同情を感じ、義理の母が日本食をお誕生日に食べたいと言う
リクエストして来たので、それでは、長寿を祈りシンプルな京料理的な日本食のメニューを考えて作ったのです。
久しぶりに日本食のふろふき大根、茄子の焼ビタシ、水菜と人参の白和え、酢だことキュウリとわかめのサラダ、焼き鳥、レバーとニンニクの甘露煮的焼き鳥を作りました。ケーキも焼きたかったのですが、マーサの友人が可愛いマジパンのケーキを焼いてくれたのでケーキは焼かずにお誕生日パーティーを開催しました。
この使命感は、私に備わっている性格なので変えられないかもしれないのであまり、深く考えずにできる範囲の事だけを
する事にしました。
後は、頼まれたら使命感を感じても良いかな?とも考えてます。
頼まれてもないのに、私は、良く勝手に同情心と使命感を感じて率先経って物事を始めてしまうのでそれだけは、今年は
するのは、やめて行く事に決めました。なぜならば、大きなお世話の叔母さんになってしまうからです。
そして、心のどこかの片隅で、何だか感謝されてないのにしてしまったと自分を否定してまう気持ちが出てくるからです。
この行動パターンを今年からやめて行く事にしました。
皆さんは、何から喜びを感じますか?
喜びを感じた思い出や瞬間をビジュアライゼーション瞑想中にして、
瞑想の後にその出来事をノートに書き留めて、自分の幸せを高めて行ってみてください。
これを継続したら、あなたの人生は、必ず1年後には、より楽しい人生と喜びであふれて幸せな人生を1年前よりも過ごしている事でしょう。
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ハワイ、オアフ島カイルアでアロマセラピートリートメント、ヨガ、瞑想を提供しています。
ご予約は、E-mailで受け付けております。
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感謝祭の週からハワイは、毎日雨が降り続いている。
姪を車に乗せて朝学校に送りに行く車の中で、パリハイウェイの山道目の前が見えない程の大雨が降て、
ハイウェイの道にハワイ特有の水はけの悪い車道に大きな水たまりがそこら中にできていて、大きなトラックが
否応無しにその水たまりをスピードを出して私の車を追い抜かしながら、「びしゃー」と音を立てて水をかけて来た。
私は、慣れているので冷静に運転をしていると、姪が驚いて悲鳴を挙げて来た。
逆に渡しは、その声にびっくりしてしまったが、姪には、良くあるから焦らずに前を見てスピードを落として運転していれば大丈夫となだめた。
「唯一、気を付けなければ成らないのは、スピードを出しすぎてタイヤがスリップしてハンドルをとられる時だから、
それ以外は、大丈夫だから安心してね。」姪は、説明を聞いて気持ちを持ち直し多様にも見えたが、目は真剣に前を見ていた。
大雨のハワイは、毎年地球温暖化の影響で加速がついている様にもここ10年住んでいて感じる。
限りある資源と地球を大切に生きて行かないと、何時かこの地球は、人間が住めない環境になる事をひしひしと考えてしまう
2023年の年の瀬だった。
化学薬品ができて、人間だけが生きやすくなり、寿命が延びているが、多くの地球に生存しているその他の生物達は、その影響で生存の危機に迫られている。アマゾンのジャングルが人間の私欲の為に使われて、2100年には、消滅すると考えられている。
これは、他人ごとではないのだ。
COP28で真剣に討論し協力しているだけでは、実際に追いつかない事は確実である。
この世の中に自然意志が存在しないのであれば、世界中の皆が力を合わせて、地球保護をして行かなくてはならない。
シャンプーや毎日使用している石鹸に含有されている化学薬品なども全て、地球を汚染していく原因である。
人間は、自己の健康を気にして多くの努力をしているのは、この地球上で幸せな人生を生きて行くためである。
その地球が人間の生存の為に汚染されているのに気が付かないのは、やはり考えられない。
自分は、2100年まで生存しないから地球を汚染しても良いのだろうか?
恐らく、そのように生きていたら、地球は、2100年前に人間が心地よく住む環境にはならない。
実際に、日本の夏の暑さは、私が10代の頃の暑さとは比較にならない位の猛暑である。
今の子供達は、その夏を乗り越える為の機能がなく、多汗症やアトピーで苦しみ多くの薬を使用して生きている。
多くの現代人は、花粉症をはじめ何らかのアレルギーを抱えて生活をしている。
実際に、私も幼い頃ハウスダストアレルギーで砂壁や日本家屋の家に入ると目が痒くなり、鼻水が引きりになしに出て
目を真っ赤にして、鼻水だらけの顔になり、皆に笑われていた記憶がある。
ただ私の父が何故か、病院を経営しているのにも関わらず子供には、最小限の薬しか使わなかった。
薬には、必ず副作用があるから、食べ物や生活を変えて行くのから始める事を何度となく私達に解いていた。
癌にならないためには、シイタケを食べ。視力回復や眼精疲労には、ニンジンを食べる。など基本的な事だが、
幼い私は、夏休み母の実家で過ごす度に鼻水だらけの顔に必ず1週間程悩まされた日本家屋の田舎の家でじっと我慢し続けた。
そして、アレルギー性気管支炎にも悩まされていた。それでも、よほどの事がない限り薬を飲まなかった。
今、自分の健康な心身のきっかけにもなった父の助言に感謝したい。
特に抗コリン薬などは、多くの薬に含有されていて知らない間に脳内にアルツハイマーなどの要因であるアミロイドを蓄積させてしまう要因になると考えられている。(失禁薬、胃痛や腹痛用の薬、乗り物酔いの吐き留め、パーキンソン病薬、慢性気管支炎や喘息薬、抗ヒスタミン剤、抗うつ剤、睡眠薬などに含有されている。)この抗コリン薬の成分は、アセトコリンを抑制していく成分で、アセトコリンは脳内の学習機能、記憶機能を関連する成分で或る為、この成分が抑制されると記憶能力、学習能力が抑制されてしまう事になる。またベンゾダイアペンの成分は、ニューロトランスミッターのαアミノ酸ギャバ抑制し脳内の神経伝達を緩和し、不安を緩和しかつ睡眠を導入していく。
実際に10年ほど前にこの検証結果を私は、調べてワークショップなどでも薬の代用として、食事をかえたり、アロマセラピーを使用してゆっくりと自己の心身の健康のバランスをとるライフスタイルに変えて行く事を指導してきた。
そして、前回のブログでもお話した、ロバートスパロスキー博士の新しい本の中でも声を大にして
アルツハイマー病や認知症の要因になる、抗ヒスタミン剤の危険性を書いていたので、再度私も
皆さんに、気軽に薬を常用しない方が良いことを伝えていきたいと考えて書いて言います。
抗アレルギー剤を飲用するとボーと頭がしてくる経験をした人は、確信するであろう。
実際に私も、会社のストレスで急性重症蕁麻疹になり、皮膚科の先生に薬を飲まないと皮膚呼吸が出来ないから死んでしまうので
飲んでくださいと言われ飲んだ時に、その経験をしている。
現代人が何故早くにアルツハイマーや認知症になってしまうかの要因には、多くの薬物の副作用であるかもしれないと推定してしまう。
そこで、私は、再度、認知症またはアルツハイマーの要因になる薬を調べてみた。
ざっと見ても9種類でてきた。
1,筋肉なのどを弛緩する弛緩剤。
2,失禁剤
3,オピオイド系の鎮痛剤
4,抗癲癇剤
5,パーキンソン病用の薬
6,抗うつ剤
7,抗サイコティック剤
8,抗アレルギー剤 (抗ヒスタミン剤など)
9,乗り物酔い止め剤
これらの薬を常用しない様に心がけて、ライフスタイル、環境を整えて行かれるようにすると良いでしょう。
勿論処方されている薬は、急にやめると危険なので医師に相談しながら行う事が良いでしょう。
私は、57歳で薬を殆ど使用せずに生きて来たので、薬を万が一使用する時には、まず短期間で使用し、なるべく
量を最小にしてます。
勿論、使用しないとならない危険な場合は、使用しないとならないといけません。
私は、会社のストレスで病気になった時に、かなり悩んだ末、会社を辞めて自分で仕事を設立し環境を変えて行きました。
親の介護と家族関係の複雑な環境に疲労困憊し、重度に落ち込んでしまった時には、ハワイに移住を計画し、全ての環境を変えました。勿論、アロマセラピーを使用して心を平穏にしながら、真剣に全てをとらえて、前向きな考えの中で決断して
行動をとって常に自分の人生を幸せな方向に転換していけたのだと考えてます。
どんな苦難にも、平静な気持ちとポジティブな自分の心の声を聴き、体調が悪くなる前に何か前向きに変化をする事により、
一時的な薬の使用は、勿論大切ですが、長期的な使用を避けて行くのをお勧めします。
そして、それには、自分の自我や一時的な快楽にとらわれないように前頭葉をフルに活性出来る様に、アロマセラピーでヘッドマッサージをして聡明な脳の働きで自分の自我をコントロールしないとならない事は、とても大切です。
このコントロールを難なくできる人もいます。その人達は、デターミンの著書ないでは、そのような遺伝子を持ちうまれまたは、
幼児期の親の愛や環境に恵まれてきて育った人たちであると書いていありました。
可なり、ショックでした。私は、幼児期に姉からの果てしない虐待に耐え、かつ8歳の時に両親が離婚しています。
唯一恵まれていたのは、両親が仕事熱心だったので、金銭面では特に貧困ではなく裕福なほうだったと感じていました。
それ以外は、全て私の脳の発育期間中の環境は、最悪です。
ただ、母の愛はすごく感じて育った様に記憶し、かつ18歳で留学し家族から離れたので、そこから行き成り、脳が正常の状態に
発達したのかもと考えています。人間の脳は、26歳位まで発育していくので、本当に日本を離れて良かったと考えています。
そして、その経験が素晴らしかった事を脳が確実に記憶していて、46歳の時に再度日本を離れる決断(デターミネーション)を、したのです。何だか、全てが理にかなっている、私の幸せへの道の過程だと、ロバートスパルスキー博士の本を読みながら
納得しました。
これからは、この幸せな人生を少しでも長く楽しめる様に心身の健康を保持する努力を毎日こつこつとして
ハワイの家族と過ごしていくのが今の人生の目標です。
2024年も目の前に来ています。
アシュタンガヨガの練習も幸運なことに素晴らしいヨガ友と先生に恵まれて、週5−6日マイソールの練習をして
セカンドシリーズを60歳までに終わらせるのが夢だったのが、なんと57歳で3年も早くかなってしまいました。
私の夢は、確実に叶うと信じて毎日ポジティブに2023年も生きています。
小さな幸せの積み重ねが、大きな幸せへとつながらると考えている私は、今2024年の夢を考えながら
毎日平和に幸せに、パッションフルーツの花が今年も沢山実り、来年も実事を夢見て毎日目を閉じて
香りを聴きながら瞑想をして、脳をキラキラと光りに包みながら日々過ごしています。
あー、掃除機の音がカリーナの部屋からして来た。
一昨日、カリーナにお部屋の掃除手伝う?てきたら、自分でするからほっといてと言われて、ほっといたら、
あのカリーナがなんと今自分の部屋の掃除をしている。これも素晴らしい感動!
ゴミ箱みたいなカリーナの部屋が年末綺麗なお部屋になるなんてすばらしい夢がかなった感たっぷりです。
皆さんの小さな夢は、何ですか?
瞑想をして、自分を見つめて、苦しかったら、ハワイで一緒に瞑想しに来てください。
私のアロマセラピーリトリートは、ヨガ、瞑想、マッサージなどを提供しています。
ご予約は、Email:info@argutha.com まで
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2023年も残りわずかになって来ました。
今年のハワイの11月は、パンデミックも終わり、いつもの様に観光業がもどり、交通渋滞も戻り、何だか大変だけど
それなりの活気が戻ってきたハワイになってきている。
アラモアナを歩くとクリスマスデコレーションが艶やかにトロピカルフラワーと共に飾られている。
夏季節のクリスマスのデコレーションのミスマッチも今では、私の中のクリスマスになってきている。
人間は、順応しやすい動物なのだと確信する。
今年の半月板の損傷も毎日3−4回アロマセラピーのブレンドを塗布して、
3か月で何とかロータスを組んで今までとうりヨガの練習ができる様になり、
これからは、年齢と共に一番ケガをし易い膝や股関節を大切にしながら、ヨガの練習に励む事にした。
パープルヨガに来ている68歳の熟練アシュタンガヨギーの女性がいる。
彼女は、元ダンサーだけあって背中がびっくりするくらいしなやかで、カポターサナも自力で踵をとり美しい!
彼女を目指して、私も毎朝練習している。
今の生きがいは、朝練をしてラニカイビーチで浮かんびながら瞑想する事。
11月に入り少し寒くなってしまい、ラニカイビーチまで足が伸びてないのが現実です。
最近は、自宅のプールでのんびり浮かんで瞑想してます。
先月、何と待望の私が今ハワイに幸せに住んでいるきっかけを見つける思考回路を作った一つの要因の
スタンフォード大学のロバートスパロスキー先生の5年ぶりに本を出版した。
感激だったので、少しご紹介してみます。
彼の本は、奥深く説明しているので3回以上私の脳だと読まないと理解できないので、
まだ完全に理解していないが、素晴らしい本である。
タイトルは、「デターミネーション」(決断)この本の感想文を書くには、私では見たらないので、
思い気ままにこの本から幾つかの考えを書いてみたいと思いブログを書いています。
2017年に著書した「ビヘーブ」(行動)に書き足りなかった事をこの本に書き足しているようでもある。
まず、人間には、自由意志という事はあり得ないという事を証明する為にこの本を彼は、著書している。
人間に自由意志はないと行く事を証明されている本です。
全ての人間の行動には、環境、文化、時代、遺伝子などが要因になり人間の意志、行動、考えが働いてその人の生きる道が引かれて行く為、人間の行動は何らかの要因または、関連性があり行われている自由意志を元には、行動をとらないという事だ。
突発的に起こる行動は、前頭葉に何らかの損傷があるか、遺伝的な発育不全など、薬などの副作用という第三の原因があるといわれている。
この事を理解した2014年9月に父が他界した時、私は、全ての私の周りの環境を先ず変えなくては、私の幸せは、存在しないと即座に考えて日本から出て行く決断をしたのだった。
そして、私が生まれて来た環境は、今の私の遺伝子を活用して私が、幸せな人生を歩めないと瞑想をしながら答えがでたのだった。
彼は、瞑想または、ビジュアライゼーションをする事により脳の前頭前皮質が活性化されて自身のゴールに従って考えや行動を構成する事ができる様になるという研究結果が出ていると言っている。
そして、瞑想した結果、今の自分がここにあり、今の自分の人生は、過去の自分の人生よりも幸せ、充実した人生を過ごしていると
自分で感じて毎日過ごしている。
勿論、皆が皆、同じではないので幸せの人生の構成方法は個人により異なだろう。
きっと、その1人の人間が生きて来た人生のとらえ方であり、生まれる前または、遺伝子(ご先祖様)の持っている可能性
を活用して自己の幸せの人生を構成して行く事だ。つまり、誰一人、同じ遺伝子が存在しないのと同様に、幸せは、個々に違い、
それぞれの1人の個人が感じる事なのである。
あー残念、私は、良い遺伝子をもって生まれてこなかったと嘆いている人もいるかもしれないが、
ヘレンケラーをみてもわかるように、幸せは、遺伝子を超越しても存在する事を忘れてはならない。
勿論、生まれながらにして、美しい容姿や頭の良い遺伝子、運動神経の良い遺伝子を持って生まれてきている人もいる。
正し、それらの恵まれた遺伝子を持っていても幸せとは、限らないのが現実です。
美しく生まれて来ても、自殺をしたり、薬物中毒やアルコール依存症に悩まされて早期に亡くなる人もいる。
その遺伝子を超越して人生の幸せの選択をするのは、人間の成長する過程の最期に構成、活性される前頭葉である。
子供の頃は、前頭葉が発育過程にある為に判断力、決断力が弱く環境や時代に多大な影響を受けながら人生が経過していく。
大人になると(26歳過ぎ頃から)この前頭葉が発育されて、自分の決断力が強くなり、自分の人生を生きて行く事ができる。
大人になるまでの環境、時代、文化が前頭葉の発育に多くの影響を受けるので、やはり親や文化の影響が多くなる。
唯一、私が素晴らしい前頭葉発育過程の中での決断が17歳の時のカナダ留学だったと考えている。
まだ、脳が発育過程の中、カナダの大自然の中で見知らぬ家族の中に入り生活を4年間したのだった。
この時、自分は、とても自分らしく生きていたという経験をした。
カナダのホストファミリーのお母さんが、「みどりは、何事も自分を大切にして自分らしく生きて行きなさい。」
と教えてくれた一人だった。私の母も、同様の事を言ってくれたが、日本人なので、また意味合いが違ってくる。
異なる言語で言われるとまた異なる意味で脳に刻まれたのだった。
この経験をへて、私は、ハワイで自分の人生を切り開き、今までの人生の中で一番の自分を生きている。
朝、プルメリアの香りで目が覚めて、夜日が沈む頃散歩をするとトロピカルジェラニウムやホワイトサンダルウッドの香りに
包まれて歩く事が私は、幸せであっても、それを幸せと感じない人達も沢山いる。
一人でのんびり、好きな夕食を食べるのが好きな人もいれば、
沢山の家族と食事をしながら会話を楽しみながら夕食をとるのが幸せと感じる人もいる。
幸せの感じ方は、その人の育ってきた環境や文化でまた異なるのだ。
つまり、この事を考えても、人間は、自分の人生の選択を自由意志で決めていない事は、確実である。
この事を社会学でいうと「エージェンシー」(潜在能力をはっきする力とリソースを持つ個人の能力)と呼ばれる事になる。
となると、やはり環境や文化は、人間の人格や人生を決めて行くのに多大な影響を遺伝子よりも多くを占めて行く。
これからは、勿論自分の最期の人生の締めくくりを歩む時間になるが、若い人達の環境つくりに自然体で貢献していきたい。
ハワイの友人達も1世代下の人達が沢山いる。
私が中学生だったころ、学校の体躯の時間や部活でウサギ飛びをやらせれて太ももが千切れそうになったのを
思い出しながらダヌラーサナのヨガのポーズを新たに教えて貰った時に、うさぎ跳びなみの太ももの痛さと言っても
彼らは、うさぎ跳び事態をしらない。なんと1980年代にまでのうさぎ跳びで、うさぎ跳びは、実際に膝に負担があり
半月板などを損傷する原因であると立証されたため1990年代の子供達は、うさぎ跳びを禁止されて体躯の時間を過ごしている。
ジェネレーションギャップだ!時代の違いだった!
これは、良いことだ。
ヨガ練習も多くの身体的機能が理解されている現代、変わってきている。
全ては、進化していくのである。
私も進化しているように、脳をフルに活用して、進化していく。
それには、ストレスを最小限にして、健康的なバランスの取れた食事と睡眠が大切。
特に、要所にストレスを感じて生きて来た人達は、扁桃体が大きくストレスに弱く、感情をストレスを感じると平成に保持できないのだ。私は、17歳カナダに留学するまで虐待され続けたのでこれは、偏桃体が大きいのは、確実である。
なので、瞑想やアロマセラピーがこのストレスに対応するのに素晴らしく役立っているのだ。
勿論、人間には感情は必要不可欠な物だが、不安や恐怖も感情なのでこの気持ちに押しのめされると体が緊張して、
冷や汗や呼吸が乱れて自律神経を侵されてしまうのだ。
私が、アロマセラピーに出会ったのも、偶然ではなく、全ては、私の決断の積み重ねで見つけたセラピーだった。
ハワイも天然のアロマセラピーに満たされているので私は、今最高に感情の安定の中、素晴らしい家族に包まれて
幸福に人生を歩んでいく。
自分に合った決断をし続けながら生きて行く事で、不幸?悪い遺伝子、文化、環境で生まれて来ても
幸運、良い文化、環境の中で人生を終わらせることができる事は、素晴らしい!
この本を読んで、不幸な結果で死んでいくのは、自分の決断の結果だとも立証されている。
毎日、が幸せへの一歩であり、決断でもある。
残り1か月半の2023年今までを回想、瞑想してみてください。
本当の自分が見えてくるはずです。
遺伝子、文化、環境、時代を乗り越えて自分という人間の可能性を瞑想してみてください。
ホワイトサンダルウッドやローズ、シダーウッド、シスタス深い香りは、脳へ深く浸透していきます。
ハワイ、カイルアの素晴らしい景色をみながら、アロマセラピーリトリートをご提供してます。
マッサージやヨガ、瞑想ハワイにお越しの際は、ご予約ください。
ご予約は、Email:info@argutha.com で受け付けてます。
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ハワイは、雨季につま先を入れる時期に入りました。
朝晩の雨や曇りの日が多くなり辺りの植物達の新緑が深まる季節でもあります。
私の小さな箱庭のレモンの木も新芽を息吹きだしてペティグレンレモンのオイルを蒸留する季節でもあります。
10月5日からの週末、ソルトレイクで開催されたNAHAのアロマセラピーコンフェランスに4年ぶりに参加してきました。
多くの長年のアロマセラピーの仲間達と再会もとても楽しかったコンフェランスでした。
NAHAの会員はなんと7000人もいる恐らく世界でも人気のアロマセラピーの協会です。
勿論私も、その一人ですが、素晴らしいチームワークのあるNAHAの人達は、プロフェッショナルレベルから趣味のレベルまで
全ての範囲をカバーしているアロマセラピー協会です。
そして、パンデミック中にオンラインのセミナーも可なり充実してきているので自宅にてアロマセラピーを手軽にそして気軽に
学べる機関でもあります。
今回のテーマは、アロマセラピーを通じて地球温暖化を考え、地球保護を真剣に世界中で広めて行く事が宗旨でした。
また、サルバトーレ先生は、日々のライフスタイルを自然の中で過ごすことにより、より地球を見つめて行く気持ちが高まり、
その1つの方法として森林浴を奨励していました。身体の中にフィットンチットを森林の中を週に2−3回30分程歩くだけで
ストレスを低減しそして、心身の不安を解消して健康を保持する日本ならではの健康法は、1982年から林野超が修導した健康法である。実際には、都会でアロマセラピーが人気なのは、やはり身近に自然が少ない為に、ストレスが高いライフスタイルを
低減するために人気なのであろ。
ハワイでは、窓を何時も開けている生活の為、何時でも自然の木々や花々の香りが空気中を噴霧している。
恐らくワイキキやカカアコなどの高層ビルが立ち並ぶホノルル付近では、中々この天然のアロマセラピーを気軽に楽しめない。
私が、住むカイルアでは、窓を開けると柑橘系の木々を育てているので、レモン、オレンジ、ライムの葉の香りが空気中を
噴霧している事を感じる。そして勿論、フローラル系はプルメリアの花の香り、トロピカルジェラニウム、パッションフルーツ、ジャスミンサンバックそしてホワイトサンダルウッドの香りが夕方から風に乗って香ってくる。
そして、このコンフェランスで発表された内容の中で私は、スーザンカティー先生に20年ほど前に学んでいたので
余り驚かなかったが、妊婦さんに使用しては、禁忌だといわれているエッセンシャルオイルの実際の科学的リサーチが
行われて、クラリセージは、妊娠中安定期になれば使用可能な安全なエッセンシャルオイルであるという結果だった。
同様に、フランスのドクターぺノエルの教えで植物性の女性ホルモン様のオイルは、女性ホルモン系の癌の人に使用しても
安全であると2007年のクリニカルアロマセラピーで学んでいたので、このリサーチ結果は、勿論素晴らしいことであるが、
実際には、かつてから使用していた禁忌と言われていたオイルの使用方法は、抵抗なく今後も使用可能であるという事である。
実際に、ハワイで私の友人31歳の女性が、妊活を1年以上していてるのに妊娠できなかったので、
エッセンシャルオイルブレンドオイルを妊娠用に彼女のホルモンバランスを調整する為に作成し、彼女がブレンドをして使用から2か月目に妊娠
したケースを見てもエッセンシャルオイルは、女性ホルモンにのバランスには、とても効果を発揮するのである。
特に卵管や内膜症のない健康な女性で妊娠が不可能な人の場合は、女性ホルモンの調和が保たれてないケースが多々でとても
即効性がある。
その他、コロナに感染した人の後遺症などにもエッセンシャルオイルが効果があるという発表がされた。
これも、ワクチンやコロナ19ウィールスの特徴が研究されて4年が経過して多くのエッセンシャルオイルが
コロナ19ウィールスに効果があると結果でている。
私も感染したが、4日間後には回復したので、自分自身も証明した結果だ。
抗ウィールスの代表の、ウィンターセボリ、オレガノ、タイムリナロールやチモール、ローズマリーシネオールやバーべノンなどが
あげられる。
そして、植物の繁殖を応援してくれる蜂の生態についても学んだ。
20000種類いる蜂の中で9種類だけがミツバチだという事は、驚きとより蜂達の環境を守り多くの受粉を蜂にしてもらいたいと渇望したい。我が家のパッションフルーツは1日しか咲かず、パッションフルーツの花が大きいためカーペンターミツバチでないと受粉してくれず、この種の蜂は、残念ながら近辺に居ないようなので、
私がぺインドブラッシで受粉している。今年は、豊作で多くのパッションフルーツが実っている。
欄達は、ここ10年受粉を自然にしたのは1回だけである。ランを受粉する唯一の蜂は、melipona beeという蜂だけだそうだ。
バニラオーキッドを育てているので、咲いたらやはり、私が綿棒で受粉していくよていである。
沢山の花々を受粉しているミツバチ達の自然保護への貢献は、人間の想像を絶するほど偉大な貢献度である事は、間違いない。
ミツバチを保護するためには、除草剤や化学肥料などを使用するのを止める事である。植物を育ててない人達は、
どの様な貢献ができるかというと、有機栽培の植物を購入する努力を少しでもする事で、農家の人達が化学薬品を使用せずに
農業をする事を応援する事ができるのである。需要と供給のバランスは、とても大切であることは、間違いなであろう。
オーガニックの製品を購入する事で、自分の健康を守りかつ地球温暖化に貢献できる一石二鳥の素晴らしい支援方法である。
NAHAのコンフェランスの参加者の人々は、パンデミック後初のコンフェランスであったために規模で気には前回の3分の1であったが、内容はいつも道理とても濃いもので、参加者の人々皆が楽しみ交友して終わりました。
私も、アロ甘セラピーの知識をブラッシュアップして新鮮な気持ちで今後また活動してい行こうと心豊かな気持ちで
ソルトレイクシティーを旅経ちました。
ハワイ、オアフ島カイルアで隠れ家的な素晴らしい景色がみえるプールサイドでアロマセラピートリートメントをご提供していますので
皆さん、是非ご予約ください。
ご予約は、E-mailにて受け付けてます。
Email:info@argutha.com
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風が強い日が続いていて秋の予感を感じるハワイです。
今まで自分は、ケガをしないと信じていた自分がどこかに居たのは確かだった。
今までスキーで頭から転んだりして、人のスキーの板が飛んできて、その瞬間口を開けていて、唇の中を切ったことはあっても
ケガをしなかった。
唯一ケガをしたのは、小学生3年生の時に唯一得意だった体育の時間に張り切りすぎて跳び箱を飛び右の足首を捻挫した。
それも、懲りずに3回くらい捻挫したのだ。
後は、ケガというケガは、火傷位だった私だった。
ヨガでどんなに曲げても筋肉痛みたいな痛み?は短期的にあってもケガをしていなかったのを自負していた。
自分の限界を跳び箱のケガから学んだのかもしれない。
丁度2か月前に車の横で右の股関節が運転の後固くなっていたので車のドアを開けたままストレッチしていた私は、
無防備に膝の内側を車のドアの鋭い角に当ててしまった。
余りにも痛くて膝の当たった幹部がしびれていたくらいだった。
そして日曜日の朝ヨガをした。
日曜日は、私の週の初めのヨガの練習日のなので、プライマリーシリーズを練習した。じ
セカンドシリーズをなんと私は、完成していたので、セカンドを練習していたら今の私はいなかったかもしれないと
常に頭によぎるが、プライマリーシリーズは、座りながら色々な角度に膝を曲げて行きながら、ハムストリングや膝下半身をしなやかにして行きながらスタミナをつけるシリーズである。そして、私にとっては、余り挑戦するポーズはないので
気が緩んでいたのか、ジャルシアーサナCというポーズを座りながら膝をねじるようにして
踵を上げて足の指をマットにつけて前屈する。
ポーズをとった時、膝から何かクリックした音がした。痛くも何もなかったのだが、家に帰るころには、膝が腫れて来て
痛みが走って来た。自宅て足を高くして、氷で20分冷やし、膝関節のケガ様にブレンドを作りオイルを1時間おきに塗布した。
すると、可なり痛みがなくなった。
ヨガの練習を次の日お休みなくして、膝を打撲してしまい痛いのでセカンドシリーズだけしますと先生に伝えたのだが
ロータスが膝が固くて組めなかった。
まるで、ヨガを始めたときに膝が固くて組めなかった頃にもどったように組めなかった。
そして、その日も膝を20分間冷やしては、ブレンドオイルを塗布した。
朝には、可なり良くなっていたのでヨガの練習に行きセカンドシリーズを練習した。
セカンドシリーズは、膝に余り負担がなくバックベンドや股関節を開いて行くポーズがないのだが、
後半のセカンドシリーズでハーフロータスが出てくるので、それは、ロータスが出来ないの足を太ももに引っ掛ける様にして
ポーズをとった。
そんな風にして金曜日まで練習をしたが、中々良くならないのでヨガのパスも切れるタイミングで2週間半ヨガの朝練をお休みする事にした。
毎日、オイルを1日3時間から4時間おきに塗布して、普通に歩いたり、ハイキングをしたりするのは痛み無くできたが、
ロータスだけが組めなかった。
その内にしゃがむように膝そろえて曲げるパシャぁーサナというポーズをとると右の打撲した膝からクリックするような音がしてきた。その音は、丁度親指と中指を合わせてリズムをとる時に鳴らす音の様でもあった。
そして、中々良くならない。痛みは、オイルのおかげでないのだが、膝の固さだけが残った。
ラニカイビーチで泳いでみたら、波に足がさらわれるようになった時に初めて膝が痛かった。
主治医のお医者さんに看てもらうとやはり、膝の軽い捻挫だといわれた。
片足立ちもできるし、膝を普通に曲げてもいたくない。なんだ捻挫ならそのうち治ると考えていたが、
何と1か月半経過ても状態は、同じ状態が継続し、膝の完治が停滞している。
整形外科の専門医に今度は、見てもらうとなんと、半月板損傷と診断を下された。
レントゲンを撮って、骨には異常はないのだが、MRIをとらないと確かではないそうだが、6週間のフィジカルセラピーを受けないと保険でMRIがカバーされないというのだ。何だか、アメリカの健康保険は、高いだけで面倒な手順だった。
そこから、私は、半月板損傷の経過や症状などを調べた。
症状は、ケガをした時に、膝に負荷がかかりラクビーやサッカー、テニスなどで良く起こるらしい。
そして、負傷したときに膝からポッキと小さな音がして24時間後くらいに腫れて痛くなると書いてあった。
確かに晴れたが、私は、歩けたし痛みもそんなにひどくなかった。
膝がロックされたようになるのも半月板損傷の症状であった。
私は、びっこもひかずに歩けたし走る事も出来た。
唯一あってはまるのが、膝が腫れてしまい、正座や胡坐が膝が腫れてしまい組めなかった。
とりあえず、靭帯の捻挫用の消炎・鎮痛用オイルをブレンドし1日4−5回以上塗布して膝の周りをマッサージしている。
今では、正座はできる。ただやはり、ロータスが膝が固すぎて組みにくい。
半月板損傷の場合、自然に治癒する場合と手術する場合の経過は、ほぼ同じで唯一違う点が、手術をする場合
半月板の損傷している場所を切り取る場合、大腿骨と脛骨がクッションなしの状態になるためある程度時間が経つと
骨と骨が重なり合い衝撃により、骨に負担がかかり、リュウマチまたは、骨粗鬆症になる割合が60%程あるそうだ。
特に35歳以上の場合は、より可能性が高くなる。
人間の身体能力再生の能力が高いのは、35歳までなのである。どんなスポーツ選手でも35歳を過ぎると身体的に負傷が
重なり引退へと導かれて行く。
勿論、私は、スポーツ選手でもなく、若い頃スポーツをしたといえばスキー位で、それも冬と春の1か月位なので、身体的には、
何処の箇所もケガをしたことがない。
ヨガ歴が長いのが唯一の身体能力を高める私の術である。
ただヨガは、肉体だけではなく精神的にも働きかける秘儀なので、私にとってヨガは、ロータスを組む目的だけの為に膝の手術をする選択は選ばないが、ヨガをしている人たちにとって
ロータスを組めないのは、致命的な事としてとらえる人もいるので膝の半月板の手術をする人が大半だ。
又は半月板の膝の裏側損傷していると、膝を動かしている時に膝が動かかなくなりロックしてしまう場合も膝の手術が必要になる。
私の場合は、手術をする選択の条件のこれらのどちらも当てはまらないので、勿論自然治癒力で直していく。
私は、当の昔に35歳を過ぎている。ハワイのアウトレットショップロスでは、55歳以上は、シニアでシニア割引を
堂々と受けている身だ。そのため、完治するのには、恐らく半年近くかかるだろう。
完治すると考えられるだけ素晴らしいので、
ブレンドオイルをこまめに塗布してマッサージして、膝の周りの筋肉を鍛えて膝を守りながら
多くの行動をとれるように日々訓練して行く事に決めた。
膝を支えて行く筋肉の代表格が、大腿四頭筋そして大殿筋を鍛えなくてはならない。
膝が痛くならない程度にスクワットを15回から30回程毎日する。
そして、膝に負担がかからないようにドロップバックの時は、リジスタンスバンドを膝上につけて大腿四頭筋を活用して
起き上がれるように訓練する。これが一番の至難な業で、今まで膝に負担をかけてドロップバックの時に無理やり膝を曲げかつ蟹股で起き上がってきてしまっていた為、知らず知らずの間に膝の関節に負担がかかっていたのだ。
今、右ひざが負傷して上がろうとすると、膝の関節の力弱くて可なり難しいので、自力で膝を使わずに膝の上にリジスタンスバンドをして大腿四頭筋を左右に開くように負荷をかけてドロップバックする。そして、5回呼吸をして膝を開かず曲げずに大腿四頭筋の筋力を活用して起き上がれるようにしたい。勿論、まだできない。うーん、今まで身体に無理して起き上がって来ていた自分を
反省する。
実に思い返せば、私は、エックス脚なため、下半身の使い方が悪く、良くこけていた。
そして、ヨガをしてバランス感覚ができて転ばなくなったが、大腿四頭筋を使わずに関節がやら若い分多くの事をこなして
来ていて、ヨガをし始めの時大腿四頭筋を引き上げながらとりましょうと言われてきたのに、それをごまかして、身体の柔らかさに頼り、関節を守らずに、大腿四頭筋を使う事が疎かになっていた。
歳をとって、恐らく関節が弱くなり、今ショックだが、その長年の悪い身体の癖為恐らくケガに繋がっているのだろう。
前向きにここでとらえて、全ては、
思い立った吉日で、今から大腿四頭筋を鍛えて行くため日々リジスタンスバンドで大腿四頭筋を鍛えている。
*膝の関節を守る為の筋肉は、大腿四頭筋と大殿筋である。
つまり、やっぱり年のせいで膝が悪くなるのは、筋肉能力の低下だ。
ヨガのスタジオでも、やはり55歳を過ぎてる人は、膝を痛めている。
そして、最近久しぶりに会った友人達も55歳以上の人は、膝を50%以上の割合で痛めている。
あー来た。
シニアに突入した私を実感したです。
シニア割引だけ頂いて、喜んでいる場合では、なかったのだった。
末永く割引を頂く為にも筋肉を鍛えなくてはならなかった。(笑ってください。)
55歳の次は、65歳と言われているので、それまでにリジスタンストレーニングを取り入れながら
ヨガをしていく事に決めて、朝ヨガの後午後からダンベルやリジスタンスバンドで局部的筋肉をトレーニング30分から40分
して行こうと思う。
パワーヨガを週に五日間する事で骨密度を10%上げられるた結果が出ているので、これに筋トレをすれば、骨粗鬆症にならないようになるだろうか?と考えながら、日々努力していかなくては、また何か体に歳と共に支障がきてしまうのだろう。
年寄りになっている自分を自然に受け止めながら、日々ケガをしないように毎日過ごしたい。
実際に87歳の義理の母マーサもなんと、エックス脚で恐らくマラソンをしていたので、フォームが悪くて半月板の手術をして
リュウマチそして骨粗鬆症になっているのだった。
私が知っている限り、10年前から可なり、前向きなマーサなので痛みにはとても強く余り痛がらないが、恐らく痛いはずだ。歩き方は、足を棒の様に伸ばして膝をあまり曲げずに歩いているし、しゃがめないし、階段は上り下りができない。
カルシウムのサプリメントは、実際には、飲んでも実は骨が強くなる割合は、ほぼない。
実際には、カルシウムのサプリメントを摂取すると血管にゆっくりと沈殿していき血管を固くしていき、心臓病の要因になる確率が高いといわれている。カルシウムを吸収するためには、ビタミンK、カリウムなどが必要になるので
単体でカルシウムを長期的に接収する必要はないといわれている。
実際に、マーサも骨粗鬆症なのであるが為、カルシウムを摂取している為か、心臓病である。
ステロイド剤も同様に長期的に使用していくと骨粗鬆症なる副作用が付いてくる。
何が必要なのかは、自分で決めて行くのが一番である。
身体の言葉、サインを感じながら何が一番必要か評価して決めて行く。
私の母は、本当に何処も身体的に悪くなかったのに、泥酔して頭を強く打ち、一過性虚血症になってもお酒を飲み続けて
最期を遂げてしまった。
病気でも上手にマーサの様に前向きに人生を生きて行く事で長生きできる。
ただもしも前向きで病気でもなければ、恐らく人間は、もっと長生きできるのであろう。
確かに、100歳でも健康な人は、シンプルに前向きに生きている人たちだ。
そんなこんなで、シニア入りの57歳の身体になった事を実感しました。
ブレンドオイルは、イタリアンエバーラスティング、ジンジャー、クローブ、ラベンダースーパー、ブラックペッパー、ウィンターグリーン、ペパーミント、タラゴン、クルクマロンガ、ジャーマンカモマイルCO、アーニカCO2、カロフィルムイリウム、CBDオイルなどをブレンドして
1日4−5回以上マッサージするように使用しています。
陳津効果、消炎効果、細胞の活性などの効果の高いオイルです。
ご希望の方は、パーソナルブレンドのご予約受け付けております。
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ハワイオアフ島のカイルアにてパーソナルリトリート、アロマセラピー、アロマヨガなどをご提供しております。
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ある日目を覚ましたら、9月だった。
その位、今年は時が経つのが早く感じているは、年のせいか?
それとも、今まで母の介護で毎日母の事を心配しながら生きていたのが、
今何も心配する必要がなくなり、自分の事へと目を向けているから、今年からは、ヨガと植物の研究に再び
情熱を注ごうとしている私は、朝マイソールの練習をしてお昼からは、植物の研究やブレンドオイルの研究を続けている。
好きな事をしていると時が経つのが早いのは、確かだった。
ハワイで育つ植物達は、青い空と太陽のエネルギーを受けて元気いっぱいである。
初めに、皆さんご存じのターメリック(ウコン)の事を書いていきます。
ウコンは主にイラン、マレーシア、インド、中国、ポリネシア、タイなどに生息している植物です。
ショウガ科ウコン属の多年草で40−50センチの細長い葉からなり、根茎は多肉で太く鱗節があり中がオレンジに近い黄色い色をしている。薬効は、主に根に多く含有されているが、葉にも薬効がある。花は、8月から11月にかけて咲き、白い円柱のチューブの様な花から黄色い花びらを出すように咲く。花が枯れて、葉が黄色く枯れてくる12月から1月が根の収穫時になる。
ハワイ語で Olena オーリナと呼ばれている。
カフナと呼ばれている、メディスンマンがオーリナを海の水に煎じて、ティーリーフに浸して病気の女性の家、ベッド、全ての
環境を厄払いする時に使用されていた。東洋と同様にハワイでも全ての万物に神が宿り、病気の時には、悪魔が宿っていると考えられていた。オーリナは、この悪魔を阻止するパワーがあると考えられていた。
ターメリックには、それだけの効果効能がある事が古代のハワイの文化で理解されていたのだろう。
実際には、ターメリック(クルクマ ドメスティカ、またはロンガ)は、クルクミノイド、3種類のクルクミン(3%含有)、という成分が消炎作用が高いことが
検証されている。そして、皮膚の消炎作用、抗感染症、ストレスや鬱に主に効果があり、
がんやリュウマチ、アルツハイマーなどの予防になると検証されている。
しかし、最近の検証で、女性ホルモンのバランスを調整するため、男性が長期的に摂取すると男性ホルモンが弱まる
という検証も出ている。
その他、オーガニックの物でないと、有害な鉛が含有されている事が分かった。鉛は、殺虫剤などに使用されているためだ。
芳香成分(精油)は約5%であり、5%前後のポリフェノールが(クルミン)が含有されている。
精油の主な化学成分は、たーめろん(たん汁分泌促進)シネオール(たん汁、胃液の分泌促進)αー来る工面(コレステロールを溶解し高脂血症に有効、クルクモール(抗がん作用)β−エレメン(潰瘍予防の効果)カンファー(健胃、殺菌効果)テルペン類などが知られている。主に春ウコンから精油が蒸留されているのは、春ウコンが精油成分が一番高いからだ。
ターメリックの根を食材として使用する場合は、ミネラル特に鉄分などが微量元素や植物繊維、デンプン、カリウム、マグネシウム、銅、マンガン、ビタミンC,カロチンが豊富であるが、食物としての根の成分が一番高いのは、秋ウコンである。
食材としての効果河野は、心臓病、血糖値の安定に効果がある検証例がある。
マグネシウム、鉄分の成分が高いので、鬱病や貧血に効果がある。
精油の場合は、よりクルクミンの効果が必要な、アルツハイマーや脳やメタボ(肝機能の正常化)リュウマチ、骨粗鬆症に効果を発揮する。
食材としては、主に心臓病やうつ病、貧血、血糖値の安定に効果が高いと考えられる。
その他、クルミンの吸収を高めるのがブラックペパーの成分のぺパリンが高めるので、精油のブレンドの時にブラックペパーをブレンドする事が必要である。同様に食材の際にもブラックペパーを使用する。実際にカレーには、必ずブラックペパーが使用されている。その他に白コショウにもぺパリンは含有されている。
ぺパリンの効果は、鎮痛作用、抗痙攣、抗腫瘍、消炎作用があるので、ターメリックの効果効能に必要不可欠な効果であることは確かである。特に、リュウマチやがんまた膝や関節のケガの治癒には、クミンやブラックペッパーのブレンドは効果が高いと考えられる。
日本も可なり地球温暖化の為に暑い日が続いているので、是非ウコンを自分で育ててみてください。
毎日お水をあげて、後、卵の殻を乾かして砕いて土に混ぜて肥料にしたりして育ててるだけで可なりの量のターメリックが取れます。沢山収穫したら乾燥して粉末にしても良いし、お茶にしても良いです。
最近ハワイをはじめアメリカでブームになっているのが、ゴールデンミルク(ターメリックミルク)
でターメリック、ブラックペッパー、ジンジャー、シナモンなどを粉末にしたブレンドでこれをミルクと一緒に煎じてお好みでハニーや甘味料をいれて飲むスーパードリングである。
飲むと胃腸が温まり、ほっとします。そして、効果が歌われているのは、抗酸化作用、関節痛、記憶力強壮、脳の活性、気持ちの安定、心臓病などがいわれています。
私は、精油も食材も療法使用します。
自分の家でターメリックが収穫できる1月から4月くらいまでは、私は、ターメリック1かけ、ジンジャー1かけ、ブラックペッパー1グラムを目安に圧力なべで1−2分圧をかけて煎じて、朝ヨガの前と夜寝る前1時間位に250ml位を飲みます。
気持ちも安定して、胃が弱い私は、お肉などを食べた時の後、消化が良くなるのか凄く胃の調子が良くなります。
精油はとしては、義理の母のリュウマチのブレンドに必ずブレンドしていて、義理の母は、これを塗布すると
膝の動きが良くなると言ってくれてます。実際に、モンタナの旅行の時に使い切り、足りなくなり、サンフランシスコの義理の姉の家にUPSで58ドルかけて発送したくらい、必要不可欠なブレンドになっているほどです。
植物の恩恵に日々感謝して毎日健康に生きて行かれる事に感謝して生きて行くと、毎日も素晴らしい幸福に満ちてきます。
是非是非、できる所から植物療法初めて見てください。
まだまだ沢山あるハワイのプラントメディスン書いていきますのでお楽しみに。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
ハワイにお越しの際は、ハワイのプラントメディスンを使用したアロマセラピートリートメントを是非体験してください。
カイルアにお越しになれない場合は、ご滞在先のホテル出張も行ってます。
ヨガのプライベートレッスンも開催中です。
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サンフランシスコから家族9人勢揃いでモンタナのボーズマンに旅立った。
出発前から今年は、猛暑で30度越えの日が続いているといわれて、ハワイと同じような服装だけをスーツケースに入れていた私は、
義理の姉アナからモンタナは寒いからと言われて、長袖のジャケットと厚手のソックスを借りた。
サンフランシスコから2時間半弱でボーズマン空港に到着するとサンフランシスコより乾燥した涼しい風が肺の中に入ってきた。
岩石の壁にヤギや羊、バッファローのはく製や絵が飾ってあり、映画の設定の様にカントリーサイド風たっぷりの空港に
降り立つとそこには、アジア系は私とカリーナ2人だけ浮きだっていた。
大柄の白人達に混ざることなく私達は、空港から3台のSUVのレンタカーをしてボーズマン市内に借りた家に車で
飛ばした。義理の母は、ボーズマンの道の地図が頭にすっかり入っているようで、戦闘立って道案内をしてくれた。
何年も来ていない街なのに凄い記憶力だった。
かつては、義理の父の生まれ故郷だったので、毎年2−3週間夏の時期ボーズマンで過ごしたそうだ。
最高速度120キロのハイウェイを飛ばして20分程で市内に到着すると閑静な住宅地には大きな大邸宅が
立ち並んでいた。パンデミックでカルフォルニアから多くの人々ボーズマンに移り住み新しい家を建て、価格も4番ほどに
あっという間に上がったそうだ。パンデミックブームが発生したアメリカの郊外の都市や田舎の州が数えきれない程ある。
そんなボーズマンで6部屋のベッドルームがある家を借りるのは、安易な事だった。
価格は1泊18万円するが9人なのでそんなところだろうか。
到着してバークパークにお散歩に行くことになった。
何と義理の父のご両親がボーズマン市に寄贈したパークだった。
広さ5万200坪のパークは、ボーズマンのサンセットを見る最高の高台に位置していた。
パークに200種類の野生の植物が生息している。
パークを散歩すると底には、義理の父の両親が寄贈したベンチが設置されていた。
高台の一番高い位置に設置されていてボーズマン市を一望できる最高の場所に木造のベンチがおかれていた。
マーサがその椅子に座り、昔を思い出したのか遠くを見つめていた。
夏のバークパークには、一面の白銀のホワイトセージで覆われていた。
時折、赤紫のベリーが生っているサスカチェワンベリー(インディアンがかつてベリーを干して食材にしたりしていた。生のを試しに食べてみたが、可なり渋くて口の中がイガイガしてしまいました。おそらく干すことで渋みが抜けるのだろう。)
の林が目の前に現れる。
セージは、インディアン達が魂を清める為にタバコの様に束にして火をともしその煙で辺りを清めた。
恐らく燃やすことで香りが空気中に放ちその香りの微粒子が嗅覚に浸透し脳内に浸透し、ドーパミンの
分泌を促し脳を覚醒していたのである。
近年、セージのケトンの成分が認知症に効果があると研究が進められている。
正しスパニッシュセージでないとツージョンの毒性が強いので転換などの禁忌がある。
インディアン達がかつてホワイトセージの煙に包まれて脳が微妙に痙攣し見えない魂を
幻想したのかもしれないと想像してしまいます。
私は、スパニッシュセージと紅茶の混合で1日2−3杯飲んだりしたり、
また、シャンプーのコンディショナーやヘアーオイルにスパニッシュセージの精油を2−3%で混合して
使用するのをお勧めします。
(注意:勿論単独の精油使用は、基本的に長期的に使用しないようにしましょう。
アレルギーを引き起こすことがあります。)
マーサは、記念ベンチの周りに義理の父のお遺灰を大切にお別れを言いながら散骨しました。
私は、そっとその上にホワイトセージを敷き詰めて、今までのエドの優しさにお礼の意をこめました。
家族全員でベンチに座り記念撮影をして、広大な高台の敷地のバークパークを後にした。
次のウーセン滝のハイキングに朝食を食べて、出発した。
ボーズマン市内から15分ほど車を走らせると、美しい草原が広がる。
そして松や杉、もみの木森林が目の前に広がった。
一番初めに私の目についたのは、ミルクシッスル(オオアザミ)だ。
マゼンダカラーの花と棘の様な葉で収穫するには手袋がいる。
ミルクシッスルの種、花、根には、肝機能の解毒、調整効果があり、美肌効果もある。
一番効果があるのは、種である。種にシリマリン成分が含有されていて、これが抗酸化作用、肝臓の細胞の再生効果、肝機能、腎臓機能の免疫機能強化、抗ウィールス効果、抗真菌効果、抗バクテリア効果がる。素晴らしい薬草が一面に生息していた。
手袋とはさみを持たずにいた私は、ミルクシッスルの草原を横目にみながら、写真をとり、そして
次に広がる沢の横には、アンジェリカやヤローの白い可憐な花が咲いている。
アンジェリカの花には香りは、ないのだが種や根に方向成分がある。
流石に、根を収穫するのは、無理だったので八月の初め出来立ての、種を積んでみたら簡単に詰めた。
種を潰すと底からは、脳に浸透する甘苦い様なアンジェリカシードの香りに包まれた。
私は、標高に敏感なのかボーズマンの山道のドライブで車酔いに悩まされていたのが、アンジェリカシードの香りで
気持ち悪いのが緩和された。トートバックの中にできるだけアンジェリカシードを積んだ。
ヤローは、残念ながら収穫後すぐに蒸留しないと薬効成分がなくなってしまうので、あきらめて
今回は辺り一面に生息しているアンジェリカシードを収穫した。
アンジェリカシードには、消化機能調整(吐き気防止)、肝機能調整、ホルモンバランス(婦人科系ホルモンバランス)、鎮痛効果、浮腫の緩和の効果がある。
更年期の私には、素晴らしいハーブである。
道端の健康そうなタンポポの葉を見ながら、これもサラダにしたら良いさそうだと考えていたが、
ハイキングに犬を皆連れているので、地面まじかに生えているタンポポには、犬が必ずどこかでおしっこをしているかと
想像すると、収穫するのは、あきらめてしまった。勿論、尿は素晴らしい成分があり、植物の生息には良い肥料になるのだが
何故か少し、私は潔癖症な所があり、タンポポには、手が行かなかった。
ハイキングの途中には、ダグラスファーのもみの木が生息していて、素晴らしい香りで呼吸器系が標高が高い
山の中のハイキングでも深くできた。
30−40分マーサも一緒に歩くとウーセン滝が見えた。
素晴らしい気力のマーサは、ウォーキングストックを忘れてきてしまい、皆に手を引いてもらいながら
頑張って歩き切ったのだ。朝食のベーコンエッグが利いているのかもしれないパワーだった。
荘厳な滝を見下ろしながら、写真をとり、マーサが丁度ゆっくりと歩くので、
私は、アンジェリカシードを摘み取りながら歩く私だった。
大満足のウーセン滝ハイキングでした。
そして次のハイキングは、ビーハイブベイスンへのハイキングに挑戦した。
ミルクシッスルを収穫できるようにハサミを探したがなかったので既にあきらめてビーハイブベイソンのハイキングにいった。
山道のドライブが30分以上あり、私は途中また車酔いになり、後ろの座席から前の座席に移った。
アンジェリカシードを持ってくればよかったと後悔しながら、気持ち悪い自分がつらかった。
近くにあった丸太に横になり空を見上げると雲と雲間に虹がでていてあまりにも清々しく深呼吸をすると、気分が落ち着いた。
実に全ては、気持ち一つで回復が早まるのだった。
ビーハイブベースンは、標高が4572メートルの高さの為、ミルクシッスルはまだ固い蕾のままだった。
ハサミがなくて悔しい思いが立ち去り、草原の坂道を行くと、そこには、茶色いウェスタンコーンフラワー、、パープルネトルリーフジャイアントヒソップ、黄色いカナダゴールデンロッドやコーマンタンジー、赤いペイントブッシュフラワーが可憐に咲いている草原を歩いた。
流石に標高が高かったのと道が険しくなってきたので、マーサーは、沢の近くで私達を見送り、ジョンと二人で何とか近くの
石の上に腰をおろした。
そこからが、凄い鋭い坂道になっていたが、アンジェリカが既に素晴らしい種を付けて生息していたので、それを積みながら
アナやスティーブ皆について行くために、小走りで走りながら収穫した。
標高が高く、ダグラスファーの香りが手で軽くさするだけで鼻腔を通過して脳へそしてあっという間に身体全体を強壮してくれた。
山頂には、小さな池があり、冷たい空気が吹いていた。
標高が高いので水を飲みながら、酸欠にならないように皆それぞれ歩いた。
荘厳な岩肌の山の峰に囲まれている山頂には、人はまばらにいた。
私は、丁度良い岩を見つけて、ヘッドスタンドをして頭に血液を流し、山頂の岩のエネルギーをクラウンチャクラに
浸透させた。
健康の秘訣の一つは、血液であり、血液が栄養と酸素を体内に循環させているので、この血液の質と血の循環を円滑に
する事により健康を維持して行く事ができるのである。
全ての抗酸化作用は、血液が大半を占めているのである。
皮膚も全て血液が一番大切なので、どのようにこの機能を高めて行く事が大切で、バランスの整った食事、適度な運動そして
呼吸法(呼吸を深めると丁度パンプの役目で循環機能を高めるのである。)
標高が高い場所では,酸素が薄くなるので、H2Oの水を飲むと酸素を体内に循環させることを助けるので、水分を何時もより沢山飲むと良いのだが、そうでないと酸欠状態になり、頭痛から始まり、便秘や不眠になる。
私も実は、便秘症でないのだが、大人数の旅行という事と標高が高い場所に2週間ほど滞在した成果便秘になってしまったのだった。食事も何時もの私が食している食生活とは、少し異なり、ピザやハンバーグなどが続いたせいもあるのである。
アメリカ人は、お肉を消化する消化酵素が沢山あるのか、87歳のマーサーも毎日お肉を食べても胃もたれせずに元気いっぱいである。私は、レストランでは、魚を一人注文しているのに、皆バイソンステーキなどお肉を注文した。
遺伝子レベルで違う事は、間違いない。農耕民族の日本人ひとりスティールヘッドトラウト(ニジマス)を食べていた。
マディソン川とガラティン川が流れるボーズマンは、マスが連れて新鮮なマスは、とてもおいしかった。
この旅行で一番美味しいディナーの一品だった。
次に美味しかったのは、オーガニックファーマーズマーケットの人参だった。
自分がビーガンであったことを確信する。
今は、なんでもバランスよく食事をする事を心掛けているのでビーガンではないが、気が付くと野菜を食べている自分がいる。
お肉を食べる様になったが、ビーガンの時と体調に変化があるかというと、正直な話余りないかもしれない。
ただ、唯一いえるのが筋肉が付いた体系になっている。お肉を時折たべるからかもしれない。
皆さんも、自分の体調に合わせて、バランスの良い食生活をするのが健康には、一番大切です。
次回は、またハワイの植物のブログを書きますね。
それまでひと時お待ちください。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
ハワイでリトリート開催してますのでお気軽にアロマセラピートリートメント、ヨガなど
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または、info@argutha.com
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暑い夏を逃避行旅行にモンタナの草原へ家族へハワイからサンフランシスコへと向かったのは
常夏のハワイから8月の初め朝7時のフライトカイルアからH3のハイウェイをタクシーで飛ばして30分空港へ着くと5時45分だったのに大混雑の空港だったので、セキュリティー長蛇を町並びぎりぎりフライトに間に合った。
5時間ほどの便到着すると肌寒い乾いた空気が吹いていた。
気温は17度夏というより春の様な気候だった。
ハワイから到着した私は、コットンの薄手の繋ぎ姿の私だったので肌寒く感じた為、上に厚手のサマーセーターを着こんだ。
パンデミックで2019年の春以降、会えなかった友人に会う為に1日早めにサンフランシスコに
来る計画をしていたが、彼女の義理の父親の手術がボストンで或る為に到着の日にエアポートのハイアットで彼女のボストン
行のフライトの前で会う事にした。彼女も私もパンデミック中に母親が亡くなり、
深い悲しみを分かち合うように3時間があっという間に過ぎた。
二人とも会える時に会っておかなくては、という気持ちで次いつ会えるかわからないから
大切な時間、近況報告をしながら、10月に私がアロマセラピーのコンフェランスにサンフランシスコ経由で来るので
その時にもまた会う約束をした。
55歳を超えると時の過ぎる大切さを痛切に感じる。
そして、真実の自分を生きる事に重きを置きながら全ての選択をしていく。
両親や親友の死を通して、
最近の自分は、後何年生きられるのかな?
と常に頭によぎってくる。
人生の残された時間が後どれだけあるかわからないから、今一番大切なやりたい事を選択して時間を過ごしていく事を
自然とできるようになってきた。
サンフランシスコの友人も同じ思いで、今度10月にまた何が起こって会えないと悲しいから
会える時に会って、懐かし友人との楽しい時間の作って行こうという考えだった。
空港のグランドハイアットから車で20分の素敵なサンフランシスコの住宅街に住む義理の姉、アナの家に着くと
夕食の支度をしていた。
義理の姉は、マスクもせずに私達は、コロナ感染した友人に接触しているから、挨拶のハグは控えるからね。
と言ってきた。義理の母は、87歳だが、誰一人マスクをしていなかった。
メニューは、地中海料理のラディキオとカシューナッツのオルゾー(お米の形をしたパスタ)サラダとラム肉のミートボールオーブン焼き、そして義理の母の手作りのサワードーブレッドだった。
美味しいカルフォルニアの白ワインと一緒に明後日からのモンタナの家族旅行の話に盛り上がり、明日は、
ミッションのウォールアートを見に行くことにした。
次の朝目が覚めると、冷たい空気が肺の中に入ってきた。
そして、ハワイでなくサンフランシスコに来ている事を身体から感じた。
キッチンに行くと皆既に朝食を食べていた。
それぞれ、気兼ねなく皆がキッチンにある物を食べていた。
優しいジョンが私に暖かいラテを作って渡してくれた。
コーヒーカップからコーヒーの美味しい香りをかぐと自然と目が覚めてくる。
若い頃は、コーヒーよりも紅茶派だった私が、仕事を始めてシフト勤務になってから、
コーヒー派に変わった。今でも紅茶の味の方が好きではあるが、何故か朝の1杯はオーガニックミルクたっぷりの
ラテから一日が始まるのが日課だ。
家族で今日の予定は、家族全員アートが好きなのでミッションストリートのウォールアートを見ながら散歩に
行く事にした。小雨が降りだす肌寒い中車で5分程の所で義理の兄スティーブが私達を送ってくれた。
車から降りると、すこし古びたカラフルな街並みだった。
メキシコシティーみたいだつた。ラテン語の看板が立ち並ふ町並みは、天気が悪いせいか殆ど人が歩いてなかった。
87歳の義理の母マーサは、膝がリュウマチなのとバランス感覚が悪いので私達が交代で腕を組んで歩いた。
義理の父が亡くなってから1年と4か月が過ぎ、一人暮らしのマーサは機上で弱音を吐かずに常に前向きだった。
一人暮らしの為か最近は、少し物忘れが目立つが87歳だから普通以上に素晴らしい頭の回転でびっくりする事が沢山ある。
勿論、車の運転もする。彼女の母は、自分が19歳の時に甲状腺癌で亡くなった為、自分の健康管理は素晴らしくしっかり
として、若い時に甲状腺摘出手術を癌が発生しそうな時にしている。
運動もリュウマチになる前には、毎日走っていたそうだ。
多分体重が多めなのが原因で走り続けたから膝を悪くしたのかもしれない。
今でもふくよかな彼女だが、以前の写真を見ると今より15キロくらいおおいいのでは?という位だった。
今でもお料理大好きで、毎週巨大なサワードーブレッドを焼き、自分一人暮らしなのに平らげでしまう。
バナナが大好きで1日4本くらいは、義理の兄のガーデンから貰うと食べている。
マーサの家を訪れると、いつもキッチンに沢山の食材が散らばっている。
そして、クッキーやブレッドを何時も勧められるのだった。
私は、父が亡くなってから、好きなものを健康的に何でも残り少ない人生を楽しむために何でも食べる事にしたのだが、
流石にマーサ程の食欲は出なかった。とにかく1時間に1回くらい何か食べている。
お料理しながら味見をしたり、出来上がる前からパクパク食べている。
生きがいは、お料理と食べる事だから長生きなのかもしれないと考えてしまう。
勿論お酒も大好きだ。
私の母も好きだったが、母は食事をしないで一人で飲んでいたから良くなかったのかもしれない。
マーサは、いつもお友達や家族と飲んでいる。
勿論、バーボン、ウィスキー、ジントニック、ワインが大好きだ。
お酒は、楽しくのんでいれば百薬の長なのだとマーサの生き方が語っているようだった。
そんな、マーサの長女アナも同様に食べるのも飲むのも大好きだ。
この二人が、ミッションストリートで立ち寄ったのは、有名なDYNUMOドーナツ屋さん。
カリーナは、パッションフミルクチョコレートドーナツを選び、アナは、メープルベーコンアップルドーナッツ、マーサは、パンプキンチョコレートを買って食べていた。私とジョンは朝はからはドーナッツは、食べたくなくて、近所のメキシカンベーカリーで
日本のパン屋さんみたいなシンプルなロールパンを購入した。
途中道端のカフェでおトイレを義理の母が借りたので、メニューを見てたら「豆腐フレンチフライ丼」を見つけてカリーナとよくわからない気組み合わせだ。と感想を述べた。
私が考えるときっとご飯の代わりにポテトを食べるアメリカ人だからフレンチフライをごはん代わりにしたメニューなのかと?
それにしてもまずそうだった。
ランチを近所のカフェでする事になり、勿論メキシカンカフェに入った。
いまいち湿気ている私は、タコサラダを頼んでしまった。
マーサーは、こってりチーズのかかったエンチラーダをおいしそうに平らげた。
美しい街並みのサンフランシスコの住宅は、8月白いマグノリアやマゼンダのブーゲンビリアが咲き歩いているだけで
心が休まる。緑の美しいミッションのドーローレスパークで一休みして、アナの自宅までみんなで歩いて帰った。
なんと10キロほどの散歩を87歳のマーサーは、楽し気に歩いたのだ。
素晴らしい、体力と気力そして食欲だ。やっぱり、これでないと元気でずーといられない。
ふと私の叔母を思い出してしまった。父が2人姉がいるのだが、上の姉が90歳したの姉が95歳まで生きて、
凄い食欲だった。うーん、最近痩せて来た私は、死が近いのだろうか?とふと頭によぎる。
毎日ヨガをしている時だけ、痩せて良かったと思うなぜならば、体が以前より軽くて動かしやすいからだ。
邪魔な贅肉が落ちて、全てのアサナ(ポーズ)がとりやすい。
時差ボケもあり、家に戻ると、軽く横になってお昼寝を20分位した。
ここで、歩くのは結構大変だけど体が重たくて、でも脳の働きにはやはり食べる事がとても大切だと痛感したことを
皆さんにお伝えします。
マーサは、本当に好き嫌いなくなるべくホームメイドの添加物が入ってない食べ物を食べているのです。
ファーストフードやソーダを食べるのを見たことはなく。ほぼ手料理の物を食べています。
長生きの秘訣は、食ですね。皆さん。
勿論、マーサーは、夕方から膝が痛くなったので、私がブレンドしたリュウマチ用消炎軟膏を使用してマッサージしました。
次は、モンタナの薬草の事をかきます。
美しい高原に果てしなく茂るハーブ達に感動しました。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
P.S ハワイに既に戻ってきていますので、ハワイオアフ島にお越しの際は、アロマセラピーマッサージやヨガ
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ご予約は、Emailまたお電話で受け付けてます。
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ラナイ島での最後の日の朝、私達は、早めに支度をしていよいよ島の北に位置しているカエナポイントの手前にある
ガーデン オブ ガッドに向かいました。
ラナイ島の幾つもポイントが、神々が創造したことを信じたくなる位大自然の美しさが自然のまま残されていて、
実際の神の庭園がどうなっているのか心を躍らせて8時半にコテージをでた。
ラナイ市をでると直ぐに赤土の道になり、スピードを落とした。
山を登り島の東側の海岸線を見ながら、ジープを北に走らせた。
新緑の林の道を通りいくつか分かれ道があり、なんとGPSが途切れてしまい、後は、北の方向の道を選択しながら
ジープを走らせること15分、ガーデン オブ ガッズのサインがでてきたので、そのゲートを通り
また林の中を走る事10分位するとそこには、見渡す限り赤土の丘が開け、ランダムに無数の溶岩石が散らば目られて
100百年間風化されて用岩石が塔のようにそびえている所もあり、その絶妙なバランスに目を疑った。
コロラドのガーデン オブ ガッズにも訪れている私だが、ラナイ島の方が実際には、澄んだエネルギーが存在しているように
そのマナによりネガティブなエネルギーが浄化される気持ちがし、新たなエネルギーを充電するボアテックスの力ず良い
地球のエネルギーが存在していた。
古代のポリネシアンがこの情景を見たら、神々が創造した庭となずけてられた事に納得する。
ハワイ語でKeahiakawelo と言われている。
モロカイ島の神父ラニカラがラナイ島の住人達をお借りラナイ島に火を放ち、病を広めようと呪いを家畜や住民にかけた。
そこでラナイ島の神父自身がそれを妨害するために自分自身に火を放ち、その呪いをモロカイ島まで押し返したのだ。その
場所がそのラナイ島の神父の名前をKaweloをとりKe ahi(火)を合わせて、Keahikawelo、となずけられている。
神父たちが戦った神秘的な場所である事は、間違いない。
北側にオアフ島、東側にモロカイ島に面し海峡の向こうに島々が見える神秘的なエネルギーが充満している。
私の感じたエネルギーは、火のエネルギーで厄除けしてくれるエネルギー(マナ)を感じれる場所だった。
実際に、私たちが訪れていたい間、他の人間を一人も見ない澄んだエネルギーを感じらえる古来のポリネシアンの
伝説を信じられる場所の数少ない数百年まえと同じ光景を見れる地球上の場所だ。
私達は、そのエネルギー(マナ)を理屈なしで感じ、ジープを止めて
辺りにある火のエネルギーを感じながら辺りを走りながら探索した。
エネルギー吸収するためにヨガのポーズをしたりしてオアフ島に帰る前にエネルギーを充電した。
そしてまたKeahiakaweloに戻るのを楽しみにして、コテージにもどった。
実に不思議な感覚だが、初めての場所に地図を見ながら進むのとそこから戻るの間隔の違いが、倍の長さに感じる。
実に小さな島のラナイ島は、1時間もあれば、島の端々まで行かれる。
なのに、初めての目的地には、実際40分程度で到着しているのに、3−4時間3−4倍の時間の流れの様に感じるのだ。
コテージまでの道のりもあっという間についてしまい、実際には、最北端のビーチまで行く時間があったのだが、
レンターカーショップの人の説明で可なりラフな道だと聞いていたので、帰れなくなるとフライトに乗り遅れる考えてしまい
次回の楽しみにして帰途にジープを走らせた。
人生も同じ感覚で時が進むようになる。
31歳のクルミちゃんが私に、やっぱり時間が経過するの年齢と共に早く感じますか?
と聞かれて、私は、深くうなずきながら、考えてみたが、年齢と共に経験の数が増えていき、全てが早く進んで行くように
感じる事は間違いない。10代の時の1年と20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代と時の流れは
年々早くなる、だから老人は動きがゆっくりになるのかな?と自問してみたりする。
人生の中では、それぞれのステージがありそのステージに訪れたチャンスを上手くつかみ
恐れずにチャレンジにする事により、そのステージが段々と上がって行く事は、確かだ。
全てに挑戦しないで恐怖や心配の渦に包まれていたら人間は成長しないのである。
失敗しても前に進む勇気と活力が日々必要であり、私は、それを毎日のヨガの練習や植物療法のエネルギーを活用しながら
自分を見失わずに今の自分が存在し、過去を引きずらずに、未知の未来を恐れず、そして今の執着せず
英語でいうと、古いですが、やはりビートルズのLet it be!
の自然体で生きられる。
そしてこの瞬間を最高の幸せと感じられる自分がいる事に気づくのである。
モクレレエアーに乗り込み、オアフ島をそらから見ると多くの住宅が海に向かい立ち並ぶ大都会が見えてくる。
これも、面白い感覚だ。東京に長年住んでいた時は、ホノルルが長閑な街の様に感じられていたのだが、
実際ラナイ島からオアフ島に来るとウワーにぎやかな混沌としたエネルギーを感じるのである。
自分がぶれなけ得れば世界どこに居ても幸せであるかもしれないが、私は、
ヨガをしていても関節が柔らかい身体を象徴している精神の持ち主の成果、周りの環境に可なり影響を受けやすい事を熟知しているので環境を自然と自分で選択して人生のステージが変わる度に環境を変えてきた。
さて皆さんは、どのように生きていきますか?
皆さんが、今を幸せだと感じられながら生きている、または生きたいと考えられる少しでもこのブログを読んで
感じられたら、それは、私の一つの喜びになります。
LET IT BE !なるがままに生きる知恵を積み重ねて行くのが、年を重ねる楽しみですね。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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ラナイ島のロングウィークエンドの2日目は、マナレイベイのフォーシーズンホテル側のフィーシャーマントレイルのハイキングに
行く事にした。いつもヨガの練習の時は、早朝のマイソールクラスとシャバーサナ後ドーパミンとセラトニン放出の余韻に浸っている私達は、余り会話が必要ないので、この週末は、2時間のブレックファーストとゆっくりお互いの事を話しながら会話に花が咲き
コテージを出たのは、10時半を回っていた。まー何も急ぐ事のないのでのんびりとする気ままな日を大自然の中で過ごせるラナイ島の時は、オアフ島の3倍のんびりしていた。
ラナイ市内にある、以前私が家族と泊まって素敵だったのでSENSEI フォーシーズンホテルのガーデンを見てからハイキングを使用としたら、何と滞在客以外は、立ち入り禁止だったので、ホテルの前で写真を記念に取ってからハイキングに向かった。
ビーチにパーキングしてハイキングをし始めると、常夏の日差しに照らさている様々な南洋の植物の生息している岩肌を私達は、
歩いた。黄色い鮮やかなセンナは、解毒作用のある薬用の植物で海岸線を美しい艶やかなイエローの花で多い美しかった。
海岸線には、打ち寄せる波に削られた数億年前の溶岩石がタイプールをいくつも作り出していた。
その先には、果てしなく澄んでいる青い海が広大に広がり、そこを歩いているだけで気持ちが高揚してくる。
タイプールの合間には、トロピカルフィッシュやナマコなどが元気よく泳いでいる。
タイプールでハイキングで火照った体を冷やして天然のミネラル入浴をしたりして満喫した。
このトレイルも3時間位で切り上げて小腹もすいたのでまたコテージに帰り早めの夕食をコテージで美味しい
ナパバレーのロゼとシャルドネを開けてのんびりとまた3人で会話を楽しみながら夜を過ごした。
明日は、ジープを借りれる日なので島の反対側を走らせて大自然のだいご味を楽しめるね。と話しながら静かな島の夜と共に深い深い眠りについた。
ハワイの田舎は、カイルアもそうだが鶏の雄たけび「コケコッコー」があたりかしこからしてきて目が覚める。
ハワイには、野生化したニワトリがそこら中に居て、早朝から賑やかになる。
そして、ハワイの朝は、5時くらいから皆起きて仕事やサーフィン、ヨガに活動する。
その代わり、夜が早く終わる感じだ。
いよいよジープで島の東側にドライブがてらハイキングに行く朝が明けた。
なのに時間が何故かのんびり始まり、コテージを出たのは10時を回っていた。
テスラーからジープに乗り換えて、自動車保険は、支払いのカードでカバーという可なり大雑把なレンタカーショップなので
ドライバーは、ハワイ在住歴最長の私なので、もしもの時を考えてまいちゃんも運転できたが、万が一の事を何故か考えてしまう私は、私のカードを使用したので私が運転し続けた。勿論、運転は、苦手です。ただ今の所無事故46年間1回だけなので、変な自身があった。そして、ヨガ友は、なんとまだ生まれて30年間しかたってないから、どう考えても私の運転が良いかな?と判断していた私だった。何だか、自分でも不思議な思考回路だが、そんな感じだった。
いよいよ、ジープを運転して泥道を走らせると、意外に運転は難しかった。手ががたがた道なので震えてしまい、スピードも自足40キロそこそこでゆっくりと走っていた。
突然やはり、ターキーの群れが泥道を横切ったりしてここは、サファリパークか?と
思えるくらい、林の中を潜るようにして山道をジープで走った。ただ小さな島なので30分もすると
山の下に第二次世界大戦中1940年に座礁した大きな船が見渡せる壮大な景色の向こうには、アウアウチャンネルの海峡の向こうに右手にマウイ島左手にモロカイ島が見え、3つのエネルギーが交差すしている海峡は、エネルギーチャージのスポットでもある。
ジープを山の上で止めて、車から降りてその強い風に乗ってくるエネルギーを身体全体で受けると全てが浄化されたように爽快な気持ちになった。
赤土の泥道の泥煙を上げながらジープを走らせてビーチまで降りると、長閑な自然なビーチがあった。
強い海峡から吹き上げてくる風にさらされた草原の合間に飛び散るように用岩石が乱雑に広がり、そこには、
ハワイアンのペトログリフが描いてある岩がある。1800年代にインド経由でシカをハワイに持ちこんだペトログリフ(象形文字)が描かれていて、そのシカは、現在ラナイ島には8000頭ほどにも増えていて、実際畑や庭を荒らしてしまう奈良のシカに近い存在になっている。
道なき道をハイキングして巨大な座礁船が不気味な感じで横たわるビーチまでたどりつくとそこには、真っ白い砂のビーチが何処までも続いていた。
ジープの駐車している所まで戻るとそこには、ホヌ(ウミガメ)が10頭くらい海藻を食べているのを見て感動しながら、写真をとった。これだけのウミガメの大群を見るのは、私も10年ハワイに住んでいるが、初めてで、感動した。
ウミガメの大群に感動しながら今度は、島の海岸線を西に走らせてナハに向かってジープを走らせると、赤土の道の凸凹が酷く
まるでジェットコースターを運転しているようだった。私も4ウィールのジープの安定した車に任せて「Here we go
!」と言いながらジープを走らせた。少しするとモルモン教の18世紀からの古い教会がありその後日本人のお墓があった。かつて、1922年ドールのプランテーションで移民として働いていた日本人達のお墓があり、ラナイ島での日本人の痕跡を確認し、ナハにつくとローカルの家族がのんびりとピクニックしていたり、ローカルのサーファーがサーフィンしたりしていた。
私達も車を止めて海をみながらピクニックをした。シップレックビーチよりも風が弱く、トロピカルアーモンドの木の下に座ると
木陰の風が心地よく肌を冷やしてくれた。
まいちゃんは、今日の夕方のフライトでオアフ島に帰るので、少しやすんでからコテージに戻った。
まいちゃんを空港まで送ってからkamalapauハーバーで夕日を見に行き、かつてトム家族旅行で来た時に皆でスキンダイブしたことを説明した。夕方には、風も冷たく少し肌寒い感じだった。
水平線に落ちて行く太陽の陽だまりを感じながらラナイ島の南側の海岸線の雄大さを眺めた。
毎日太陽が昇りそして沈んでいく、それは生命が生まれて必ず死んでいくように自然の摂理にそって生きて行く事を
象徴している。時は、限られているからその瞬間が大切であり、大切であるからその瞬間に感嘆し、感謝して生きて行く。
生命は、限られている時間だけ存在しているから尊いのである。
長く生きていけば行く程、生命、人生の大切さを感じながら生きて行くんだ。と若いクルミちゃんと話して
コテージに戻った。
明日は、ロングウィークエンドの最終日なんで早起きしていよいよガーデン オブ ガッドに行く事にして、
また静かなラナイ島の夜と共に深い眠りについた。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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今日は、ラナイ島でのんびりと過ごした日を写真と一緒に書いていきます。
ハワイ州は、オアフ島以外にもマウイ、ビッグアイランド、モロカイ、カウアイ、そしてラナイ島と島々主な島があり、実際は、大小含めて137の島々からなるハワイ州です。
モクレレ エアーでホノルルからラナイ島まで実質30分ほどのフライト時間でラナイ島での
ロングウィークエンドを過ごした。
ホノルル国際空港ターミナル3にジョンが送ってくれた。午後1時20分なのに、時間に遅れてしまうのは、
犯罪と定義している彼は、私を12時15分にターミナルに送ってくれた。
ターミナル3は、モクレレエアー以外は、使用していない小さな素朴なプレハブ造りの様な建物に、バリケード沿いに
プロペラ機15人乗りの機材が1−2機見えた。
簡単にチェックインした後、ヨガとものクルミちゃんを待った。
何度かラナイ島を訪れていたが、大家族での旅行だったので観光するより、のんびりと静かに島の静かさを楽しみながら家族と時間を過ごす時間をラナイ島で過ごしていた。後、オアフ島が暑い夏にラナイ島に来ると市内は、表号が490mlの為軽井沢の様に
涼しくて過ごしやすいので、オアフ島のロコにも人気の避暑地です。
今回は、義理の兄のトムのコテージを借りてヨガ友達2人と過ごすラナイ島だった。
最長29キロの小さな島は、元オラクルCEOのラーリーエリソンが98%を2016年に購入した為、ラナイ島のエコロジかる
改革が始まり、信号一つない島では、人口3,367人の島でマウイカウンティーに属している。
テスラー2日間そしてジープ1日レンタカーをロコ割でした。島の75%が泥道の為テスラーでは、行かれる範囲が限られていて、ジープでないと島の隅々まで行く事が不可能な島だ。そこで、2日間は、マネレイベイでスノーケリングとハイキングを楽しみ、最後の1日でエクスカージョンしに島の最北最西端を回る計画を立てた。
マナレイベイでのスノーケリングは、恒例のラナイ島でのアクティビティーだ。
水の透明度が素晴らしくかつトロピカルフィッシュの大きさのだいご味と多種多様なカラフルな魚達と楽しく泳げる素晴らしいスポットだ。
到着した日は、くるみちゃんと二人で過ごした。
新婚のまいちゃんは、1日遅れで到着する。
ラナイ島の空港にくるみちゃんと到着するとウバーで行こうとしたら、何とウバーは島には無く、シャトルバスだけだった。
何時もフォーシーズンホテルの送迎か、義理の兄トムさんが迎えてくれるのですっかりリラックスしてしまってた。
大体、ウクレレエアーの乗客私達入れて3人しかいなかったので、納得した。
運よく島の住人の乗客の人がシャトルバスを予約していたので、私達は、それに便乗してラナイシティー内のトムのコテージに
向かった。空港から市内まで15分位なので背の高い松に囲まれた一本道を空港からラナイ市内まであっという間に
ついた。
行く途中、ターキーの親子の群れにあったりするのが恒例である。
初めて見たときは、物珍しく驚いていたのだが、人間慣れてしまうとあーまたいた。という感じになる。
やはり、若いと全てが新鮮で楽しい人生なのが納得である。
そんな、長閑なラナイ島は、昔ながらのハワイをまだ楽しめる島である事は、間違いない。
トムの家に着くと気さくなドライバーに、【ありがとう】と言って危なくただ乗りしそうになる位
長閑だった。
トムのコテージについて、家の周りを散歩して近くのマーケットリチャードでサラダやミルクを買って
その日は、ゆっくりとクルミちゃんと夕食をコテージで食べながらおしゃべりに花が咲きながら静かにベットに入った。
次の日、レンターカーショップまで歩いて行き、初めてテスラーを運転した。
車の扉の開け閉めや、スクリーンがハンドルの横についていて、そこで全てをコントロールするパネル
担っていて、コンピューターゲームの車の様だったが、未来感があり少しエキサイトした気分だった。
アクセルから足を外すと直ぐにブレーキがかかりなんだか、本当ゲームセンターの車みたいで、運転に
なれるのに焦ったが、ラナイ島は信号機もない長閑な小さな島だったので焦らずのんびりと空港まで
まいちゃんを迎えに車を走らせた。
時計は、10時半を挿していて、早めについたフライトでまいちゃんは、空港で少し待ったようだった。
テスラーを見て、彼女も少し未来的な車でエキサイトして荷物を置きにコテージまで戻り、
水着に着替えて、マナレーベイまで3人で向かった。
ラナイ市内からマナレーベイまでの道もほぼ一本道でベイに追いりる道の急カーブを何どもくねらせて水平線に
向かってテスラーを走らせる。あたり一面草原のラナイ島の景色の遠くにターキーの群れが忙しそうに走っている。
フォポオエビーチにつくと木陰に荷物を置き、まいちゃんは、魚とかを海で見るのが苦手なためクルミちゃんと二人でスノーケリングを満喫した。
1時間位してビーチにもどり、3人でベイの海沿いのPu’Upehe Islet sea bird Sanctuary に向かってハイキングをした。
ビーチ沿いを上り詰めないとスイートハートロックが見えないので、まいちゃんとクルミちゃんは、
昇り詰めると一望に見渡せる赤い岩肌の大きな岩が目の前に押し寄せる様にそびえたっているのを見て、びっくりして
写真を沢山とていた。私も、パンデミック依頼初めてのハイキングであー素晴らしい大自然の恵みだと一緒に感動した。
焼き付ける太陽の日差しと赤土のクレーの岩肌そしてエメラルドグリーンの海、真っ青な空のコントラストは、何度見ても
美しい自然が創造するアートであり、人間には到底作り出せない壮大な規模の美しさだった。
ハイキングを終えて、コテージに戻ると、常夏のビーチと異なって涼しい風が吹くラナイ市のコテージでその日は、のんびりと夕食をしながら3人で人生の事やヨガの話を沢山しながらラナイ島の静かな夜を
ゆっくりと過ごした。
続きは明日また書きますね。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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今を生きるを目標にして2023年が始まった。
私は、常に過去にとらわれてしまったり、嫌なことがあるの事を想像したりして
常に心ここにあらずの思考回路にとらわれていた。
特に、母の介護の事では、あの時こうしてあげればよかった。
と繰り返し考えてしまう事が昨年からとても強く頭の中でぐるぐるとしていた。
なので、そんな自分から解放されて、今を生きる自分で生きていくのが、今年の目標である。
勿論現在進行形であり、恐らく常にこの意識をしていないとならない。
香りを使用してマインドフルメディテーションをそして朝晩する事により、「今を生きる。」という自分でいられる。
毎朝目を覚ますとリフレッシュするベルガモット、ペティグレンフォーレスト、フランキンセンスなど新鮮な爽やかな香りでヘッドマッサージをして静かに座り
目を閉じて呼吸に意識を持っていく。
そしてそれから、全身をリラックスしていき、自分を内側から感じる。
身体で緊張している箇所があったら意識をその箇所に持って生き、呼吸を吐きながらリラックスさせていく。
自己の内側の確認が終わったら、意識を今の自分に近づけて行く。
これは、とても大切で、肌の上の気温や湿度、聞こえてくる音、ハワイだと風の音や朝の鳥のさえずりの音が聞こえてくる。
香ってくる香りを感じる。
今の全ての自己の五感を感じる。
そして、身体の全てが朝今日を始めるために再生されていくイメージで呼吸を深く24回ほどする。
人により呼吸の長さは、違うが私は、7−9数えてゆっくりと呼吸を吐いて、吸っていく。
そして、、新しい朝は、新しい自分の細胞と共に始まり、昨日まで自分を解放させていく。
そして寝る前にも同様に同じようにマインドフルメディテーションを落ち着いた深いサンダルウッド、ローズ、シダーウッドなどの香りで入浴後
ヘッドマッサージをして始める。
瞑想は、必ず寝てはいけないので意識を確かにして行わなくてはならない。
瞑想は、意識が迷う事から始まるので、いろいろと思考が出てきてしまったら、それはそれで受けてめてまた
呼吸に意識を深く持っていく。
朝の瞑想の様に深く呼吸をして行く。
そして、同様に自分の内側に意識を持っていき、全身をリラックスさせてより呼吸を深く長くしていく。
自分自身を内側感じる事により、自分を客観的に外側からも感じて行く事ができる。
そして、夜は、その日経験した事や感じたこと、楽しかったことや嫌な事全てを迷走していく。
人間が睡眠に入る時には、全ての器官が休憩ををしている時間帯なので、よりよい睡眠をする事により
素晴らしいエネルギーを蓄える事ができる。
休憩をしないと全てが消耗していく。
つまり、早く生命力が途絶えてしまう結果に陥るのだ。
勿論、太く短く生きるのも、細く長く生きるのもありだ。
しかしながら、太く長く生きられるのであれば、私は、それは理想的な人生かと考える。
歳を重ねれば重ねるほどそのことを強く願うし、そうできるように人生を歩んでいきたい。
私の両親は、太く短い人生だったようにとらえてしまう。
彼らは、戦後の貧困な日本で成長期をすごし、高度経済成長期にばんばん働いた日本人なので晩年の健康状態は、良くなかったが、彼ららしくそれなりに一生懸命生きた人だと思う。
私は、人生の反面教師の両親だったが、彼等達は、ある意味尊敬できる所は、ある。
60年代後半に生まれた私は、日本の良い時代の波にのって成長してきたように感じる。
今ハワイで一回り以上年下の日本人のヨガ友達と話をしていると、気持ちが可なり解放される。
彼ら達の親は、かなり自由で縛りの少ない教育を子供達にしているので、特にハワイに在住している
日本人のヨガ友達は、リラックスして自由気ままに生きている。
重箱の橋をつつく事がないので気楽だ。
そこで、本題に戻り、夜の瞑想の時は、気持ちを解放して1日の出来事を回想して
そして全てを宇宙に解き放し、ゆっくりと地球に包まれて冬眠していく動物の様に深く長く呼吸をする。
特に吐く息に意識を高める事により、副交感神経が働き、よりよい睡眠が得られる。
そして、最後の吐く息が吐き終わったら、ゆっくりと眠りに落ちていく。
眠ることは、毎晩死を経験しているような身体の状態である。
そして目覚める事は、毎朝生まれ変わる身体の状態である。
この状態を毎晩、毎朝繰り替えして生きる事により、常に今を生きる意識が高まり、そして心身の健康を維持していく
一つの大切な方法である。
思考は、身体をコントロールする事が可能であり、プラセボやパブロの法則がその全てを語ったいるといえる。
悪い、否定的な思考は、心身を蝕み、良い、肯定的な思考は、心身を活性して行く。
脳神経外科の実験で、30分間毎日腕の腕力を強めるイメージトレーニングをした結果、
イメージトレーニングする前よりも35%筋力が強まったという結果がでている。
苦手な事は、実際に自分の弱気な気持ちや否定的な思考が引き起こしている事である。
特異な事は、自分が楽しく、エンジョイしながらしているので、無理なく努力をする事ができる。
勿論、苦手な事をしたくなければしなくても良いのだが、実際には苦手でないかもしれない。
例えば、私は、両親と姉から私の知能は、3歳の時に受けたIQテストが普通よりも劣っているといわれて18年ほど成長期に言われ続けてきたが、昨年たまたま母の家をせいりしていたら、何とこのテストの結果の紙が出て来た。
そして3歳の時の私のIQは107で普通の範囲であった。目から鱗?のような眩暈を感じる衝撃だった。
私は、通常の知能を持って生きて来たのに、56歳の今普通の知能で生まれてきた事実を確認したのだ。
しかしながら、そんな事は、今は気にしない。
もしも、成長期にこの紙を見つけていたら、私は、もしかしたら違う人生を歩んでいたかもしれないが、それは
終わってしまった時で取り返しがつかないので、今通常の知能指数をもっている事を確認出来、今の自分を
自分らしく生きる方法の道を歩む事に意識を持っていく事にした。
こんな瞑想をしながら、毎日ハワイで私は、今の自分を生きていく。
皆さんは、どうでしょうか?
人生一回しかないから、毎日、今を生きながら未来につなげて行く日々をすごして見ませんか?
日本に帰国したらマインドフルアロマティックメディテーションのワークショップをしたいと考えて今日この頃です。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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5月6日 金曜日 曇り時々晴れ 気温25度 湿度65%
5月のゴールデンウィークにあっという間に突入して、ハワイでも日系の家族たちが揚げる鯉のぼりを見て微笑ましく見ながら
車を走らせて朝のマイソールに行く。
窓を開けると春先に満開になる花々のトロピカルフローラルの甘い香りがして心が軽くなる。
カイルアからホノルルに向かうお天気雨の中パリハイウェイの上に大きな虹がかかりその大きな虹を潜りながら車を走らせる。
ライマン フランク ボーム著書のオズの魔法使いの主人公のドロシーになった気分で大冒険に出かける気分で心が弾む。
ハイウェイ沿いに大きなマンゴの木が太陽に照らされて気持ちよさそうにわんさかとマンゴを実らせハワイの風になびいている。
ホワイト、黄色、クリーム色、レインボー色のカラフルなプルメリアが咲き、美しい香りを風が運んでくれる。
豊かなハワイの気候は、全てを包み込むようにハッピーにしてくれる。
ケーシーマスグレイブスのレインボーを口ずさみながら車を走らせる。
When it rains, it pours But you didn't evennotice itain't rainin'
It's hard to breathe when all you know
The struggle of stayin' above the rain ' water line ......
Well,the sky has finally opened THe rain and wind stopped blowin'
But you're stuck out in the same ol' storm again
You hold tight to your umbrella Well, darlin', I ' m just tryin' to tell ya
THat there 's always been a rainbow hangin' over your head .......
If you could see what I see, you'd be blinded by the clolrs Yellow, red and orange and green and at least a millionothers
So tie up the bow, take off your coat ,and take a look around
'Cause the sky has finally opened
THe rain and wind stopped blowin' BUt you're stuck out in the same ol'
storm again
You hold tight to your umbrella well darlin,I'm just trying to tell ya
that there 's always been rainbow hangin' over your head .......
カイルアから朝のラッシュを車で走らせるとヨガスタジオには、1時間弱かけて行くのもそんな景色を見ながらなので
あっという間に感じる。
I'm happier than ever before right now .
清々しい気持ちで朝のマイソールクラスを終わらせて帰宅途中に
ふと思いついて、海藻狩りに行く事にした。
以前から海藻のフェイスやボディーマスクに使用していた
マイケルのスキンケアーのラインでフェイスマスクにも混合されていたのだが、残念ながらマスクを作ってくれていた女性が引退してしまい
無くなってしまっていたのだった。
ホワイトクレーマスクとフレンチグリーンクレーマスクは、自分でブレンドして使用していたのだが、
ハーバルシーウィードマスクだけが、作ってなかった事を心の隅においていた。
そんな中、ビーチ沿い朝散歩に行くと海藻が流れ着いているをビーチで発見していた事が頭の中で結びつき、
海藻のエキストラクトをして、ブレンドしようと思い立った。
オンラインで海流を調べて、一番綺麗な海の岩場に行ってみるとなんとそこには、元気な海藻が岩肌にふわふわと生息していた。
その色は、透明の海の水の下に赤やピンク( limu manauea おごのり)、ミドリ(limu ele ele and limu palahalaha アオサ)、茶色(limu kala and limu lipoa 、limu huluhuluwaena :免疫力活性効果)と多くの種類の海藻が元気に生息していた。
とりわけ、ブラウンの海藻がアクアマリンの香りがしてびっくりするほど美しい海の香りがした。
ミドリ色のは、日本人になじみの深いノリの磯野香りがした。
ピンクや赤の海藻も同様に磯野香りがしたので、ミドリとピンク、赤の海藻を一緒にして良く洗い、天日ぼしして、
ブラウンの海藻(limufulufuluwaena)は、別に分けて洗い砂を取り、天日干しした。
皮膚のバイオロジー的にも海藻は、豊富なアミノ酸は皮膚の引き締め効果、皮膚のバリアを強化して保湿を高める効果があり、海藻に含有している多糖は、皮膚のコラーゲンを生成する力を高めるかつ健康にする。亜鉛やマグネシウム、ナイアシン、ビタミンB3は皮膚の色素沈着を抑制し、シミ防止効果がある。海藻の色素別的な効能にはミドリの海藻にはビタミンCが豊富で、ピンクの海藻には、ビタミンAカロチノイドが豊富であり、茶色の海藻にもなんと
老化して来た肌に必要なコラーゲンも沢山含有されているのである。そして、炎症を抑える効果もあり、蒸留するとその成分を
摘出する事ができるのである。その他、硫黄の成分で皮膚細胞の解毒効果を高め、免疫力も上げかつ皮膚の代謝を促進するアンチエイジングの素晴らしいスキンケアーになる。
すっかり、私は、海藻を使用するのを怠っていた。勿論、ノリやわかめは食べてはいるものの!57歳を目前にしている
私には、皮膚からの海藻エキスも必要だったのだ。
特に私は、更年期と介護で体重が落ちてしまい重力に負けて、皮膚がゆるゆるに感じている。
新陳代謝の循環器系を活性化するブレンドオイルとコーヒーアブソリュートやバニラ、チョコレートのアブソリュートオイルなどの
ボディーバターを一日2−3回塗布して何とか保っているが、ヨガの時にダウンドッグなどで膝の周りやおなかがよれよれ
になってくる。年齢にはかなわないのか、女性ホルモンとコラーゲンの劇的な更年期の減少により皮膚の感じが
55歳を超えたあたりから可なり変わってきたのを実感していた。
皮膚からの添加物をなるべく摂取しないためには、やはり専門家の私としては、自分で作り対応したいと常に考えていた。
そして、世界でも一番美しいといわれているラニカイビーチから3ブロック先に住んでいるのにすっかり
忘れてしまっていた?というよりやはり、子供や親の世話で気持ちに余裕がなかったのが正直な現実の要因だ。
そして4月、子供の卒業を目の前にしてふと、またまた鏡を見て日々老いていく自分を目の前にして何ができるか
頭に出てきたのが、海藻フェイスボディーパックであった。
作成方法は、朝8時半から一時間程ビーチで岩場の海藻狩りをして、
天日干しした海藻を再度、熱湯で殺菌して蒸留し、エキストラストした。
瓶に移して2週間ほどしたら私の海藻エキストラクトが完成する。
瓶詰め後、三日後に2週間待てずに1つの500mlのボトルをヨガの後、お風呂にフラゴニア、パチョリ、ジェラニウム、クラリーセージ、アニスシード、ペティグレンのエッセンシャルオイルのブレンドを入れて入浴した。天然の海藻エキスと香りで
極上の5つ星スパトリートメントを我が家で味わった。入浴後には、皮膚もしっとりしていてかつ素晴らしいリラックスで
気持ち最高に良く。鏡で自分を見ると皮膚が引き締まり目がすっきりして見えた。
全身に血行活性ブレンドオイルと肝臓の浄化オイルを塗布してマッサージして
フェイスもブルーロータス・オークモス・ジャスミン・トューベローズ、サンダルウッドなどのブレンドフェイスオイルで
念入りにマッサージして、午後8時にベットに入った。
朝起きると深い眠りから自然にすっきりと目が覚めて、よく眠った心地よさを感じた。
三日だけ寝かした、海藻エキスでこれだけの成果を実感したので、
2週間後の海藻エキスのフェイス&ボディーパックには、ピンククレーとハーブ、エッセンシャルオイルやキャリアオイル、ハイドロゾルを混合して素晴らしいアンチエイジングの
パックをブレンドするを楽しになった。
I’m HAPPY right here and now . The life is just so greatful as it is .
幸せは、内なる自分が感じる事である。
他の誰にもわからない幸せを見つける事を日々の気づきの中で見つけて行こう。
それには、しずなか気持ちで瞑想するのが一番の近道です。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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3月21日(春分の日)を過ぎるとハワイは、真夏の太陽が11時から照り付けてくる。
ハワイは、雨季から次第に乾季にからろうとしている。
ラニカイビーチの朝陽を浴び、モクルアの島(ツインアイランド)の向こうに太陽が登るの見ながらビーチを散歩をする。
今、私は幸せであると心から感じる。
幸せの見つけ方を皆さんは、知ってますか?
人それぞれの幸せの感じ方がある。
私の幸せは、大自然の中で深呼吸をして美しい植物に囲まれて家族や友人達と過ごす時間が長ければ長いほど幸せを深く感じる。
この事に気づくのに長ーい間時間をかけて数知れない経験を積み重ねて見つけた私の幸せである。
幸せの見つけ方ジャーニーでの経験は、数えきれない程繰り返してきた私である。
ファーストクラスで、ニューヨーク行き、5スターのホテルでスパトリートメントで心身のリラックスして
みたが、そこには、私の幸せは、なかった。
仕事も朝から晩までしてみたが、達成感を感じたが深い私の幸せは、そこには見つける事が出来なかった。
美しい洋服を着てパーティーに行ってみたが、鏡を見ながら微笑んでみて形だけの幸せの投影像を見ているようだった。
インドでヨガの修行をしたり、エクアドルのアマゾンのジャングルの秘境でシャーマンの儀式を受けても、異境の中の刺激に
感動したりしたが、私の幸せはそこには、存在しなかった。
とても大切な事は、幸せは、自分の心で感じる事なのです。
他人から見たら幸せな生活をしているように見えても自分がその幸せを感じなかったらそれは、幸せではないのです。
その逆に他人から見たら、不幸せに見えても、本人が不幸せと感じていなければ、それは、不幸せではないのです。
幸せの見つけ方は、自分がどんな人間かと理解する事です。
自分がどんな人間かとは、生まれてから死ぬまでの間の経験を何十年も積み重ねて見つけて行く事です。
多くの書籍を読んで知識が深くなるかもしれないが、真実の自分は、見つからないのです。
グーグルでしらべたりして多くの人達の幸せのシーンを見ても真実の自分は、見つからないのです。
真実の自分が何処にあるかは、
自分の心で感じるからです。
人生は、繰り返し途切れのない選択肢の螺旋階段を上るようだ。
そのスピードは、天性のものであろう、ゆっくりと確実に上る人もいれば、
素早くジェット機のスピードで上る人もいる。
DNAが螺旋階段を描いているのが納得いく点は、生きるためにはDNAが必要であり。
DNAの配列、遺伝子により体質や骨組み、目の色、髪の色、知能が決まってくる。
生まれ持ったDNAがある意味自分の人生を生きていくコンパスの様な位置をしている。
コンパスを見ながらどちらに進むかは、自分が選択して行くのである。
生まれ持って、美しく生まれた人々は、容易に注目を浴びる事ができる。
生まれ持って、知能が高い人々は、容易に学びそして良い学歴で高額の収入の職に就いて行く。
生まれ持って、運動能力が高い人も、容易に特異な運動能力を活用して注目を浴びて生きていく。
人生は、ただこれらの才能を如何に見つけて、才能を磨く努力をし活用して行く選択肢の繰り返しである。
自分の幸せを見つけるためには、繰り返し限りない、選択肢をしながら螺旋階段を上る。
螺旋階段を下り始めたらコンパスを見て方角を変えて階段を上る方向転換をしなくてはならない。
自分に何も才能がないと考えてしまう人もいるかもしれない。
人それぞれ才能がある事は、間違いない。
自分の才能に出会っていなかったら、興味がある事を3年ほど勉強してみると良い。
勉強でなくても興味がある事を3年してみると良い。
気が付くと新たな経験がそこに存在している。
そしてその経験を踏み台にして、次の階段を上る。
どんな天才でも、美しい人でも、必ず彼らなりに努力をしている。
努力が空回りしている時は、少し休んで瞑想をして方角を少し変えてみるのも良い。
私は、元来の楽天家なのかもしれないが、幼い頃からそれなりに苦労して育ってきた。
母子家庭であったし、姉から身体的精神的虐待を幼い頃から受け続けて来て、被害者意識も高まり生き続けて来たが、
コンパスを見て方向転回をしてカナダに留学してからは、人生が薔薇色に輝き続けて来た。
というか、コンパスを見て方向転換をする知恵を17歳の夏日本を離れて習得したようだ。
それから、何度となく不幸の渦に巻き込まれ空回りに回されても、コンパスを見て方向転換をして螺旋階段を上ってきた。
階段から落ちそうにならないように、自分なりに確実に上って来た。
空回りをしているサインは、直ぐに身体的、精神的に病んでくる。
これは、チャクラエネルギーの渦の原理にもある。
何の病気になるかで自分のコンパスの方角を変更していく。
同様に精神的にも、病んでくるので同じである。
病気になる前に空回りしているのを気が付き、コンパスを見ながら正しい方向に進み階段を上って行くのが一番良い。
このサインに気が付かないとあっという間に人生が終わってしまう。
努力しているのに中々成果が出ない場合は、努力の仕方を変えてみるのも良い。
幸せであるのに気が付くと努力するのを忘れてしまって、階段を知らない間に降りている事もあるので、
常に努力をして階段を上って、螺旋階段の一区切りにの所に来たら再度コンパスを確認して
方向が間違ってないかを見ながら登ります。
疲れたら休めば良いのです。
全ては、大人になったら自分の選択の結果で人生の幸せが決まって行くのです。
悩んで他人に相談する事は、良いですが、他人に決めてもらったり、他人の人生に左右されて生きていくと
最終的には、自分の幸せを失います。
自分の遺伝子は、世界に1つしか無く、貴重な天然記念物です。
家族とは似ていても、環境や時代がことなり、エビジェネティックで自分が世界で一つしかない遺伝子の生物になり
自分の幸せは、自分で感じそして世界に1つしか無い貴重なお金では買えない素晴らしい宝物です。
Let it be , Let it be , Let yourself to be in the true happiness.
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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ハワイのレイニーシーズンも後もう少しで終わりを告げる気配を感じる。
そんな2月は、
春一番が吹き、ユーカリシトロドーラの枝をバリバリバリと音を立てて風に引き裂かれて地面に落下する。
私は、風が強い日には、ユーカリシトロドーラの枝を拾いに散歩にでて行く。
頬と耳に風がビュンビュンと吹きかける中枝を広い、エコバックが一杯になる位拾い、ユーカリシトロドーラの蒸留をしてみるのが楽しみだ。
他にも蒸留できる植物は、そこら中に存在している。
ハワイに住む私が、楽園と考える一つの大切な時間である。
私が5年ほど育てているまだ、ホールフードのオーガニックレモンの種から育てた、レモン木は、まだ実をつけれないが、レモンの若い葉を蒸留してペティグレンレモンのオイルとハイドロゾルを蒸留する。
リフレッシュする香りが蒸留すると部屋中に注がれていくが、春先の風であっという間に風に流されて行く。
そんな風が良く吹く春先は、意外にも忙しい私である事に気づいて、微笑んだりする。
ハワイの春一番は、陽炎の様な虹を創作し、背の高い木々の枝を折り倒して、時にはパリハイウェイの渋滞を引き起こす。
朝のマイソールにパリハイウェイを車を走らせると、ビックアイランドのマウナケアから吹き降ろしてくる強風のかのようにハンドルを取られてしまい2005年型の中古のプリウスのハンドルがとられそうになり、真横を新車のテスラーがビューンと追い越していく。
テスラーにむかって、I let you in . (入れてあげますよ。)と呟いてみる。
典型的な日本人なら、After you. ( お先にどうぞ。)と自分で言っていたにちがいない。
このニュアンスは、謙譲語か丁寧語の違いに近いと日本語だと考える。
どちらが、どちらかというと、後の方が、謙譲語に近いかと考えられる。
ハワイという土地柄は、年齢、性別、人種を超えた個人の個性を尊重した自由社会が存在している。
全てが平等に存在している。
全ての人々が、平等に生き、個人の選択で人生を生き責任を持って生きている。
そんな文化の中で生きていく人生の意味を考えてみる。
何故、この世に生きているのか?
人生を生き抜く意味、趣旨、目的とは?
ハワイでは、年齢も性別も全てが平等に考える思想が存在している。
そして、今私はその世界に生きて再度自分の位置を見つめてみる。
自分とは?この世界に生まれて来た自分の意味とは、なんだろうと!
漠然と生きているより、ハワイで生きていく自分という個人を確立していく。
それには、自己の意識を確信し、前に進んでいく事が大切である。
チャクラでいうと、ルートチャクラである。
エッセンシャルオイルでは、植物の根や木の幹から抽出されたオイルであり、私の好きな香りの一つでもある。
べチバの深く魂に響きかける香りや、ジンジャーの魂を熱く温めてくれる香りミルラやパルサント、フランキンセンスの深い呼吸を導くかおり全てが自分を信じそして自分が誰であるかという事を常に揺るぎない物にしてくれる。
今、私は日本を出て、ハワイに生きて10年目になる。
母が亡くなり、日本での自分という凧の糸が切れ、風に吹かれるままに人生を生きていく自分を感じる。
何処までも、空高く自由に風に吹かれて生きていく人生が存在している。
何だか、パリハイウェイを飛ばして風にハンドルを取られないように自分でしっかりとハンドルを握りながら走る。
目的地は、自由に自分で選択して行く。
人生は、日々の人生のハンドルを握り自由な選択で幸せに向かって走りぬく。
勿論、停車して休む時も自由だし、目的地に向かって走るのも自由だ。
自然の時の流れに心身を任せて自由に人生を生きていく。
そして、人生は、自分を世界に表現し、伝達して行く事でもある。
その積み重ねが自分の個性になり、自分が感じる快適な人間関係と環境、そんな人生を他人から判断されるのではなく、自分で感じ、選択して歩む事である。なので、簡単に人に賛同してしまうと自分を井戸の中につき落としてしまう行動になる。
その結果、井戸の中で体力が続く限り、立ち泳ぎはできても、精魂尽きて溺れてしまう。
大きな声をだして誰かに助けを求めるか?
自力で這い上がるしか、一度落ちてしまった井戸から這い上がるのは困難な事である。
つまり、一言で生きるコツは、自分の心身を鍛え、多くの友人を作り、万が一落ちてしまったら、大声を出して助けてもらうか、自力で這い上がるしかないのであるが、初めに一番簡単なのは、自分と違う表現や意見、思考に賛同しない事である。
人生は、自然を大切に、自分を大切にして行く事で、自然の摂理にかなった幸福が存在してくる。
これらの本質に気づくには、父の死、母の死、親友の死を見てきたここ10年間の痛切な経験からの切実な思いからである。
人間が死んでいくのを明白に自分の目で目撃して続けて行く事ににより生命があると言う事が貴重な事だと考えられる。
それが、自分に近い人であれば、あるほどその気持ちは重んじられて生きて行く。
もしも自分が精一杯自分を大切にして生き抜いていたら、自分を大切にし、全てを尊重して生き、何時最後の息を引き取っても
幸せだと後悔のない人生になる。
此処で再度強調したい自分を大切にする意識が、尊重するのは、自分を曲げる事ではない。
自信を持ち、自分のパワーと力で自分を表現していく力を培う事が大切である。これが、自分を尊重して生きていく事方法の第一に来る。(ルートチャクラ)
それは、ルートチャクラ、自然の摂理(バイオロジー、遺伝子)を理解する事でもある。
しかしながら、これが強すぎると自己中心的な人間に周りに取り違われてしまいがちな、残念な日本文化である。
日本で毎日多忙に生きてしまうと見逃してしまうのがこの集団意識であり、気が付くと自分が何なかわからい迷宮小説の中に閉じ込められてしまう。
もしも、あなたが今幸せな人生を感じていないのであれば、自分を大切にする時間を1日15ー25分位朝目覚めたときに、
ルートチャクラの瞑想をしてみてください。
香りが必要であれば、使用しても良いし、香りなしでも勿論瞑想してみてください。
リラックスしてベットや布団の上で、目を閉じて自分を見つめて、ネガティブな思考や感情が出てきたら
呼吸と共に吐き出して、自分を大切にする光を感じて呼吸を吸ってみてください。
そして、瞑想の後自由な真実の自分というもの映像化してみたり、ジャーナルを書いてみてください。
古式豊かしき日本文化と日本人を消滅させない為にも、一個人を引き延ばして幸せな人生を歩むのが大切だと
痛恨しながらハワイで日本人として生きていく私です。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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2月1日 水曜日 気温24度 雨時々晴れ時折虹
ここの所ハワイは、雨季らしく雨がしとしと降ったりやんだりオアフ島のあちらこちらで降っている。
夏の雨は、シャワーで一気に雨が地面に目がけて振りかざしてた後10分から20分位で行き成り力ず良い夏の太陽が現れ、虹が目の前に艶やかに一瞬の間に映し出されて、毎回私は、その瞬間自然が創造する美に感動する。
冬の雨は、しとしとと雨が降り続けて、時折太陽が雲間から現れてきて、晴れ間が出たりして、ゆっくりとうっすら影絵のように山並みの間や海の波の間に虹がかかる。
一年を通じて暖かいので、日本の冬の雨とは、比較できないが、やはり雨が降り続くと気持ちが盛り上がらないが、心は、深まる熱帯雨林の深い緑や赤や黄色の南国の花場の色に雨しずくが降りかかり気持ちは、落ち着く。
雨がふると昼間でも、薄暗くなるのも冬の雨の特徴だ。
人生も天気も同調していると私は、考えてる。
その一つの大きな理由でハワイに住むことを選択した。
やはり、1年を通じて暖かくそして太陽の日差しが沢山あるハワイに住んでからは、私の人生への幸福感は、満ち足りている。
ハワイに、移住する前に、自分がどんな時が満たされているか?幸福感に満ちているか?自分の心に問いかけてみた。
ビーガン生活を10年し、ヨガを毎日したり、瞑想を日々して自分なりに全てを浄化し、解毒してみたが、
やはり、私は、ガンジーにはなれず、全てをなげうって、何かに奉仕するのは、不可能であった。
無条件的幸福感、愛は、残念ながら私には、存在しないと確信していた。
人間は、環境に大きな影響を受けて常に生き続けていく。
東京で生まれ、東京で育ち、ジェネレーションX世代の私の人生観を変えたのは、カナダでの4年間の留学期間だった。
ダストアレルギー体質で体重は重たいタイプの貧弱体質で、便秘と冷え性を抱え持つ子供だった私が、カナダでは、
1年を通じて空気が綺麗で乾燥している湿度の為アレルギーが知らない間に改善して、目のかゆみやくしゃみ系の上気呼吸器のアレルギー持ちだった時より、気持ちが軽くなり、全てに対して前向きに対応できるようになった。
勿論体重は、この時は、あっという間に
8キロくらい太ったのに、心は、軽かった。
日本に帰国した私は、アレルギーは改善していたが、あっという間に気持ちがどんよりストレスを感じる度に重たくなり冷え性、便秘が再来した
。
これは、東京の高温多湿の夏が私の心身へと影響していたようだった。
何をするにもストレスがあると何故か、ドーンと頭が重たくなるほど考えてしまい、体も一緒に冷たくなり便秘症になる生理痛にも悩まされた。
全てを心と脳そしてエネルギーに引きずり続けてしまう、義理と人情、絆、伝統の文化もこれに拍車をかける。
勿論、義理と人情、絆、伝統も素晴らしい人間の生きる知恵であるが、戦後世代の親に育てられた子供達(ゼネレーションX1965−1980年生まれ、かぎっ子世代、サイレントチィルドレン)には、
これらが重く身体にのしかかってくる。
新しい世代のはずなのに、戦後に生まれて来た苦労人、日本の高度経済成長期を担って働き続けて来た両親に育てられて来た世代の期待に添うように頑張ってみたり、古式ゆかしき伝統文化を大切に時には、重荷に感じて生きてしまう世代なのかもしれない。
そんな自分の体調に気づき、いろいろと心身の健康になるように努力し、自分に正直に常に生きていた。
そして、ある時、この或る時は、父が亡くなってから、自分の中で何かが変わった。
親の影を見て育ってきた私は、一生懸命毎日働くのが当たり前で、23歳から毎日働き続けた。
元来のんびり屋の私が、東京という大都市という環境と戦後育ちの両親の影を追いながら働き続けていた。
若い時は、自分が良く分からなかったので、親の影を追いながら生きていくのはある意味、簡単でもあったが、
歳を重ねていくと自分が確立されてきて、親の影を追う事につかれてしまった自分がいた。
父が亡くなり、自分の真実の自由な選択肢を選んで生きていく事へ気づき、
唯一変えられなかった、東京の環境をハワイの環境に変えてみた。
私が、今まで歩んできた人生には、まったく後悔がないと断言してしまえば、それは、偽りになるが、
ハワイに移住後、私の人生に大いに満足している。
カナダでの言葉では、表現しきれない幸福な自分を思い出し、スキーが大好きでカナダの学校で勉強する事を自分なりに選択し、
今ヨガが大好きで、ヨガを毎日できる様な暖かいハワイで再婚して家族と生きている私は、幸せである。
先月、母が亡くなった。
唯一、ハワイに居ても何時も、気がかりだった母の最期を看取った。
ハワイに居る私は、幸福ではあったが、自分だけこんなに幸福で良いのか?
母を一人にしてしまったという、不安な気持ちや、心配な気持ちで不安定になる時もあった。
ハワイに来てから初めて、心が解き放った気持ちを感じている。
今、私は、自分の心が自由で安定している。
香りと共に瞑想して感じる自由と安定が今現実になっている。
生まれて初めて、感じる自由だ。
これは、ハワイで生きているから特に感じるのだろう。
ハワイでは、ジョンも君が好きなことをして生きて!
と言ってくれる。アメリカの家族は、個人主義だから個人の選択を常に優先し、尊重してくれる。
選択肢の責任は、自分で勿論背負う。子供が好きなものを食べ続けて糖尿病になっても、自分の責任だからその内気が付くでしょ!と義理の姉や母は、言う。ジョンは、何も言わない。私だけ、なんだか心配でチョコチョコアドバイスをしてみる。
そして、何と最近子供の選択が変わってきた。
私が、作るスムージーを飲んだり、オートミールを食べたりしだした。
なるほど、と感心しているのは、私だけだろうか?
子供頃から個人が選択するのを尊重する我が家の家族の人生は、幸福である。
時には、つらい選択になってしまうかもしれないが、それも経験なんだなぁ!
アメリカの個人主義に振り回されないためにも、自分をしっかり持ってハワイでの楽園ライフを楽しむ事が
今の私!
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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元旦に初日の出を見に行こうとしたが、雨だった。
今年の元旦は、格別に静かに明けた。
大晦日は、母のお遺灰のあるお部屋でホワイトローズの香りと共に瞑想をした。
毎年恒例の義理の母や姉達の実家に何時もは挨拶に行きブラックアイピースープを皆で食べるのだが、
皆が何となく私が母を亡くしたばかりなので
気を使ってくれる為か、今年は、家で過ごすことにした。
ジョンは、優しく「行かなくてもよいからね。」と私に言ってくれてさっさと一人で出かけて行った。
勿論、17歳のカリーナは、友達の家にスリープオーバーニューイヤーパーティーでいない。
さりげない優しいジョンに今年は、2時間のアロマセラピーマッサージを元旦にプレゼントした。
痛風で膝と足の裏が痛いと言ったので、ジュニパーベリー、グレープフルーツ、ホーリーバジル、ヘリクリッサムイタリカム、ターメリックルート、ブラックペッパーなど12種類ほどのエッセンシャルオイルを配合して、腎臓のツボを活性して、マッサージをすると、2時間後には、痛みとむくみが緩和されて、次の日にはサーフィンに出かけて初波乗りを楽しんでいた。
気持ち的には、とっても平和な新年だった。
母が亡くなった事以外は、特に変わらずにいる幸せな自分だった。
2023年は、実際は色々と我が家に変化が存在する。
その第一が、カリーナが高校を卒業してメインランドの大学に行く事だった。
8歳の頃から一緒だったのだ。
2022年12月14日私の次女の役目が終わり、そして23年5月23日にカリーナのステップママ役が終わる。
自分なりに頑張ってやってきた役目が2つ終わり、そして終わる。
先をあまり意識せずに今年は、自分の今を見つめて生きて行く事にした。
そして、その余裕を与えてくれるジョンに感謝しながら、1月2日からパリハイウェイを飛ばして、ダイアモンドヘッド付近にある
パープルヨガのマイソールクラスに向かう。
カイルアから40分ほど気持ちよく風を感じながら朝焼けの中車を走らせる。
オアフ島の朝は、早く始まるのでいつもは、車が連なるパリハイウェイだったがお正月は、殆ど車を見ないで
カニオヘベイを見下ろし、熱帯雨林の深緑色のジャングルの合間のパリハイウェイのピークを飛ばした。
マイソールの時間は、今の自分を感じる貴重なひと時である。
自分の呼吸だけが耳元に鳴り響き続ける。
身体と呼吸がしなやかにシンクロナイズして心身が一体になって行く事を感じるひと時である。
そして、シャバーアサナが終わり静かに座禅して目を閉じると真実の今の自分を深く感じる。
ヨガは、BE PRESENT を感じる事ができる唯一の私の時間である。
この時間が存在する事で人生が豊かに感じる。
今を生きる = 幸になる
BE PRESENT = BE HAPPY
E noho mai = E ho'ohau'oli ( ハワイ語 )
今が重なって未来になり、過去になっていく。
今を正直に精一杯自分らしく、自分の心のままに生きる事で、良い経験になり未来に繋がる。
自分らしく今を生きないと、後悔と怒り悲しみの詰まった未来を引き寄せる。
今年は、自分を生きるシンプルな年にして行くのが目標。
そして、今の自分を意識しながら生きて行く。
LOVE&ALOHA,
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カイルアの12月は、雨季の真っ只中。
雨が一頻り降り続けている。12月は、雨風の音で日が昇る前に目が覚める。
ベルガモット、メリッサ、フランキンセンス、シスタスそしてホワイトローズの香りのオイルで瞑想をすると12月14日の最期の母の呼吸の瞬間にタイプラップする。
酸素マスクの下でか細い母の呼吸が真夜中午前2時前に人生最期の呼吸を終えた。
彼女は、その後の呼吸がない。
母が亡くなった瞬間だった。
やすらな最期だったかは、彼女以外は感じられない。
ただただ、私の中では死んでいく彼女を見つめて悲しみよりも平和な気持ちがゆっくりと心の中へ朝もやの様に漂寄ってくるのを感じた。彼女は、戦後の日本を彼女なりに精一杯生き抜いた素晴らしい日本女性であった。
岩手県宮古市で9人兄妹の下から2番目で誕生し、生後間もなく九州福岡へと母の妹が子供がいなかった為
幼女に出された。妹の花田とみ江さんに可愛がられて育ったが、戦火が厳しくなった福岡市からとみ江さんの配慮で
宮古の自分の家族に戻された。一人っ子として大切に育てられていた母は、一概に混乱した幼児期を過ごした。
大家族の中負けん気が強い母の性分は、田舎の生活に物足りなさを感じ、一人東京に上京し山野愛子美容学校へ通い
美容師になる夢と歌手になる夢を抱えて18歳の勝気な女性として東京の新宿で美容師の見習いをしながら
歌の勉強をしていた。そんな、母は、父と新宿のバーで出会い、結婚23歳でし、24歳で姉、26歳で私を生んだ。
夢を全て捨てて、母は、父と彼の総合病院を経営する家に人生をささげた。
元来のプレーボーイの父が浮気すると、人生をそれまで彼に捧げてきたのに裏切られてしまい、絶望の崖っぷちまで追い詰められたが、私達2人子供を育て上げるために、365日美容師とカラオケ喫茶バーを経営して働き2人の子供私立教育を与え、私には、
留学する教育を与えてくれた。もの後ごろ着いてからは、母と過ごす時間が殆どないくらい、母は毎日働きづめの日々を過ごしていた。そんな母は、離婚後いくつかの恋愛を繰り返したが、再婚はせずに、一人の女性として独立して生きていく道を選んだ。
日本のバブル時代が終わりを告げて、母が60歳になったのを皮切りに母は、お店を閉店して、アパート経営と年金暮らしの
優雅な隠居生活に入って、世界中を友人とスキューバーダイビングしたり、日本橋で小唄と三味線をして三越劇場の舞台に
立ち、若い頃の夢でもあった歌手を55歳を過ぎたあたりから謳歌していた自慢の母であった。
そんな母が、おかしくなったのは、大好きなお酒を飲みすぎて横転をし続けてしまっていた現実だった。
私は、その頃ヒーリングセンターを運営していて元気だった母の事を心配する事は、なかった。
お酒は、たしなみながら楽しく飲んでる内は、百薬の長だが、行き過ぎると特に高齢になった時には、命取りになる。
それでも、私とハワイ旅行を年の半分を楽しく過ごしていたが、パンデミックが世界を襲い、母も巻き込まれ
毎年夏と冬のハワイ旅行ができなくなり、母は、孤立し、そしてパンデミックが終息に近づいた2022年12月14日
午前2時前に最後の呼吸を終えた。
ありがとう。を母に毎日パンデミックだったため10分の面会時間に私は、母に伝えた。
そして、本当に心から感謝しています。
不思議と平和な心の中私の涙は、何度となく頬を蔦りながら一人母の家で過ごした。
母は、一人で全てを生き抜いてきた独立した立派な昭和の日本女性であった。
今ここにささやかながら追悼して、母への手紙を一人書いて、母のお別れ会の時に親戚に読もうと考えていたが
人前で泣けない性分の私は、その手紙を読まずに母のお位牌の木場箱に入れた。
母への手紙をこのブログに書いてみました。
亀岡美紀子さんへの感謝の気持ち]
令和4年12月17日土曜日
心から感謝しています。
みどりバークより愛をこめてこの手紙を最期に送ります。
ホノルル国際空港に母のお遺灰と共にハワイに戻り、今母のお遺灰は、母がハワイで過ごしてきた部屋の棚に祭っている。
そして、母の生前からの希望でカイルアの海に49日が過ぎた2月に自然葬する事にした。
LOVE&ALOHA,
MIDORI BURKE
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雨の音で10月に入ると目が覚めるカイルアの秋は、雨季に入り始めた事に気づく。
ハワイは、10月中旬から3月末くらいまで雨季になる。
地球温暖化の影響で毎年少しずつ午後の気温は、高まっているが、それでもカイルアは28度位なので余り気にならない。
そしてトレードウィンドが肌の上をなびいて行くとその暑さも心地よい感じに体が感じる。
雨が降っても暖かいので濡れても気にならないが、唯一雨季の時期トレードウィーンドが吹かない日は、
蚊が出始めるのがつらい感じである。
勿論、私はそんな時は、アロマセラピーのパルマローザやシトロネーラなどでスプレーを作成して予防したり、
気を抜いて刺されても直ぐに、ペパーミントを1−2滴つけるとあっという間にかゆみは飛びかつ、
ペパーミントのスーと爽快な感じが常夏のハワイでは、気持ち良い。
ブログを書かない日々が長かったので、書きたい事が沢山あるのだが、今はやはり
頭の中があんなに可愛かった子供が行き成り、ティーンエイジャーになり反抗期になってしまった事だ。
そして、私の子では無いので、頭が良すぎてかつ英語なので、言葉では負けてしまい、絶対にいう事を利かない。
私は、旦那様と結婚を決めたのも、彼と子供がとてもかわいかったからなのに?
旦那様の愛は、日々深まって行くのに、何故か子供は上手くかみ合って行かなくなってしまった。
自分にどうしてこうなってしまったか、何処で私は、間違えてしまったか、考えてみた。
そして、子供が異常な男女交際を求めるのは、愛が足りてなかったのか?
私が頭注から彼ら達の生活に割り込みして、子供が寂しい思いを補う為にそうなってしまったのかな?
ウーマンの香りを聴きながら深い瞑想をして、ふっと頭に浮かんできた。
そして、次の日から私のアロマセラピーの部屋に引きこもり、彼ら達だけで生活ができる1週間を過ごした。
すると凄い奇跡的な変化が起きた。
子供は、朝から晩までお付き合いをしている子の家に入り浸らなくなったのだ。
お父さんとアート教室に旦那様が連れて行く週末があったりした。
洞窟から出てきた仙人の様に10日後にリビングに私が出て、普通に時間を過ごしていたら、
子供が私のオンライン英語の教室を日本にいる姪に教えている、発音の手助けをしてくれたのだ。
「サンキュー 」と私が言うと、「難しい発音だから・・・・」バックアップして私への気づかいが見えてうれしかった。
そして日曜日の朝、ホノルルまで雨の降る中、パリハイウェイを飛ばしてマイソールクラスに行った。
マイソールクラスの後は、より深い瞑想と真実の自分が見えてくる。
雨上がりの虹がかかっている空を抜けて、帰り道家に帰ると、旦那様が
「ウェルカムホーム」と声をかけてくれた。
最近は、引きこもり仙人だったので2人の会話は、挨拶だけになっていた。
ただ、目を合わせると彼の目が、御免なさいと言っているのが分かった。
シャワーを浴びてから、彼に話をしに行った。
そして彼に「 最近子供の態度が変わったね。どうしたの?」
と聞いたら、「僕が朝から晩まで週末、交際相手の家に入りびたりしないと注意したんだ。」
私は、凄い私の瞑想パワーかしら?日本式の子育てに変えてくれたんだ。
今後の子供の成長を考えて嬉しかった。
そして私は、彼に「子供は、お父さんのいう事は聞くし、お父さんがあんまりかまってくれなくて寂しかったんだね。」
行った。
そして、彼に子供が大学に行く前に、後は家事を手伝う事を教えて行くのが大切だと伝えた。
彼は、目で頑張るよ。と言っているように頷いた。
人生は、ドラマの連続でそのドラマをどの様に乗り越えて行くかで、人間が幸せの人生を歩んで行かれるかが
別れていく、そんな時私は、いつも香りと共に瞑想をする。
勿論、情報収取もするも大切なのだが、自分の人生なので人に影響されたくない。
この気持ちは、すこし日本人的ではないのは、母が私が幼い時に、両親が離婚をしている母子家庭になった時、
「普通の家に生まれてきたかった。」と保護者の名前と学校の書類に母の名前を書いて、クラスメートに
間違ってるよ、そこはお父さんの名前だからと指摘された時、私は、消しゴムで父の名前を書いてからまた
消して、クラスメートに見えないように母の名前を記入した時に母に口こぼしたら、
母は、「自分が基本だから、自分がすることが普通なのよ。」ときっぱり私に助言した。
何だかこれが、心に残りそれから私は、人に影響されずに自分で人生を決めて歩みだした。
人生は、自分の所有している大切な宝の一つだ。
皆さん、その大切な物を失わないように生きていると、幸せな日々が存在してきます。
今の現実が幸せでなかったら、幸せになるように毎日自分らしく、気持ちよく生きる事ができるように
変えて行くのが幸せの一歩かな!
今日は、毎日最高のハワイの楽園生活中でも、キラキラ輝くほどの幸せな日でした。
あー明日は、もっと幸せになってるわ!
LOVE&ALOHA,
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皆さんも恐らくこの2年間のパンデミックでCOVID19に感染された方は、少なくないでしょう。
ハワイ人口の4人に1人が感染し、日本は6人に1人が感染しています。
多分実際には、この数によりも報告されていない指数を入れるとやや高いはずです。
実際に、私も先月COVID19に感染してしまいました。
ワクチン接種もブースターショットも摂取完了していた為か?2008年以降のエッセンシャルオイルの
内服ブレンドを活用して、なんと感染4日後には陰性になり、インフルエンザの時より可なり軽症でした。
ただ唯一、私のCOVID19の不思議な症状は、39度の発熱が初めの感染日に発熱した事です。
内服オイルを服用していたので、他の症状は出なかったのですが、内服を始めたタイミングが可なり遅く、
微熱37度発熱後にして直ぐに1ミリカプセルを3時間に一回摂取し続けていると12時間後には、平熱になり
4時間後に摂取間隔を伸ばして見た所、微熱がまた出てきたので、再度3時間に1回に変更した。
咳も出てこなくて、頭痛も、倦怠感もなく、熱だけが継続した。
3日後に咳が出てきて、ブレンドを咳止めに変更した。
検査のタイミングは、発熱後1日後ホームキットで検査したら陽性になり、4日後気分がかなり良かったので
再度検査してみたら、陰性になっていた。唯一、空咳だけが感染後3日後から2日程継続した。
後は、喉の奥に淡が落ちてくる感じで咳払いが2週間程継続したが、咳止めブレンドオイルを夜寝る前に
飲んでいたら、3週間以内に完治していた。
インフルエンザの時は、7日間ほど凄い咳がでて眠れない辛い日々が継続して喉がからからになったのを記憶していたので
COVID19は、流石に3回も予防接種を接種した成果か?可なり軽症であった。
それか、56歳を迎えた年齢が影響したのか?ウィールスに対応する免疫力ストームが提言してしまったのか
ロングホールと言われる症状は、まったくなかった。
医学的文献によると20歳から40歳の人が感染すると、感染後の症状、倦怠感・頭痛・息切れなど
ロングホールと言われる症状が何か月も継続する。
ただ、新しいウィールスの為、実際に感染後どうなるのかという不安は感染中あった。
4日後に陰性になって、ホットしたのと、本当にこれで完治したのか不安であったので、気を付けて
根気強くオイルを飲用し続けて、完全に症状がなくなるまで、規則正しい生活と睡眠をし続けた。
ハワイでの生活で可なり、食生活が臨機横柄?になっていたのを、ビーガン食に戻し、水分を1日1.5リットル
摂取した。咳が出ているときは、脱水症状になりやすいからだ。
夏が過ぎた秋のハワイは、完全に脱パンデミックだ。
学校でもインドアでもマスク着用要請がなくなった。
感染数は、毎日報告せず2週間の平均数である。
COVID19は、新インフルエンザ化したといっても過言ではないハワイの毎日を過ごす。
5月6月と毎日マイソールクラスに通った時もマスクをしなくても感染しなかった私が(⋈◍>◡<◍)。✧♡。
皆さん、私が何処で感染したか?わかりますか?
実は、9月に日本に帰国した際友人と強羅の温泉旅行から帰ってきた夜に発熱したのです。
そう、日本で感染しました。
ハワイでは、マスクせずに無感染でしたが、移動はいつも自家用車だし、常に暖かいハワイは喚起が
普通にできているのですが、日本は電車やバスを利用するので感染しやすいのかと考えてしまいました。
又は、第7波の真っ只中だったかのか?
私の気が緩み、抗ウィルスブレンドを持たずに人込みの中に入っていたのが要因か?
完成経路は不明です。なぜならば一緒に同行していた、同い年の友人は、無感染だったからです。
ブースターショット摂取後6か月後に感染した私は、ハイブリッド免疫力を持ち、ハワイに戻り、
ほぼ、マスクフリーの楽園生活をしています。
ティーンエイジゃーの反抗期は、時間と共に乗り越えて行かれるのは、確実に見えてきているので、余り深刻に
考えるのを辞めて、
香りと共に瞑想したり、ヨガをしたり、ハイキングに行ったりしてハワイアン楽園ライフをエンジョイしています。
ふと、子供のびっくりするような初恋経験がレイプで完結してしまうアメリカの子供達が可哀そうな気がして、
私の初恋は、竹内まりあの曲の様にレモンライムの青い風の様にドリーム オブ ユーだった。
その方が初々しい初恋を体験できて、初恋はレモンライムの青い風の様な経験で終わるのに!
残念だし、彼女が可哀そうに見えてきてしまいました。
人生で一度しか体験できない初恋なのに。彼女は、現代文化の被害者?担っているのに気が付かないのかも?
もう過ぎてしまったことなので、そして継母の立場は弱いので皆と同じように放置して子が強い大人に
成長していくのを待つしかないのかな?
ワークショップもしましたが、人生のパートナーを見つけるのは、仕事と同じかそれ以上に大切な事で、
恋愛は、人生の中で幸せになる道しるべなのだから、真剣に取り組まないとならない。
この情報社会では、勿論AIの先手を打つ生き方をしながらそして自分の人生の舵を真剣に取らないと
大切な真実の自分を失ってしまうのです。
AIに誘導されてまたは、親に世間に社会に誘導されて行く人生を歩んで行ってしまうのです。
1年、1日、1時間、1分、1秒と確実に過ぎ、過去の自分には戻れないのです。
そして世界中に自分は1人しかいないとても個性的生物であり、その自分を理解するためにも毎日を大切に
生きる後悔しない時間を過ごすの大切です。
話が長くなるので、この続きは、また書いていきます。
今年の後半からは、沢山ブログを心に思いついた事を皆さんにハワイの美しい自然の写真と一緒にお伝えしていきますね。
LOVE&ALOHA
MIDORI
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円安で世界は、日本の経済を心配している中、私は、反抗期の17歳の子供を心配している。
青い空、海が美しいハワイで育った子供のティーンエイジゃーは、勿論反抗する。
そして私は、継母の立場だから、私が何か言うとティーンエイジャーの子供は、
シンデレラのヒロイン気取りで泣きわめく日々が続く。
ため息をつきながら、私は、高校に子供を送りに行く。
事の始まりは、子供の男女交際問題だった。
そこで、アメリカと日本の大きな敷居の段差が出てきたので、私は、開いた口がふさがらなかった。
時は遡る事3年前、子供は14歳、初めてのボーイフレンドができた。
そして、お付き合いが始まったとたんに朝8時半から夜10時まで彼の家に入りびたりの週末、そして放課後も彼の家に
入りびたり、14歳なのに帰宅は、大人の様に9時半過ぎ、
たまに我が家に来たら、扉を開けたままにしてね2人の時は、のリクエストは拒否のまま時間が過ぎる。
時たま除きに行くと勿論、ベットの上ででモゾモゾと2人は動いている。
父親に報告しに行くと、父親はなんで除きに行くのか?と言わんがままに私を悪者扱いに!
そして、義理の母、姉はピルを飲んでいるのか?と聞いてきて、ピルさえ飲んでいれば、何をしても大丈夫
と示唆してきた。
「えー?????そんなんでよいのかしら?」と何時も私は、不安と心配をよぎる日々が続いた。
沢山のストーリを乗り越えた2年後、そしてある時いきなり、大好きだった彼と別れた。
と宣言そして、同時にその彼の親友が今度は、新しい彼に既になった。と言ってきた。
「あらー、そんなに早く?というか、きっと2股かけてたのかしら?」と疑ってしまう。
なぜならば、元カレの親友、幼馴染が新しい彼だからだ。元カレを通して知り合いになりそして、新しい彼になった。
恐らく、元カレも同じ考えだったようだ。なぜならば、なんと別れてから8か月後に行き成り、
家事をそろそろしないと、と17歳の子供に私が言ったとたんに、大泣きしてきた。
此処から、理由が分からない、情緒不安定なティーンエイジャーの大泣きが1週間に2−3回始まったのだった。
家事をしないと。。。。。
から何と私は、今年は、大変な辛い思いで過ごしている。
と始まった?え?「どうしたの?」と聞いてみると、元カレが、彼女と彼女と仲の良い友人を脅して、かつ殺してやると
メッセージを送って来て、怖くて大変だ。と言って大泣きしてきた。
これと、家事は180度違う課題だが、私は、あら、それは知らなったし、そうだとしたらポリースに通報しないと
と助言してみた。
何故だか、それを聞いた彼女は、鳴き声が高まった。
アメリカは、乱発事件が学校で起こる現実があるので、私も心配になった。
その矢先で、ハワイで29歳の子が高校から付き合っていた男子に殺された事件のニュースを見たからだ。
そして、その後旦那様に報告してみたら、そんな事を話さなくても言わんばかりに無言になった。
次の週、真夜中から鳴き声が高鳴るリビングで、旦那様と子供が話していた。
その鳴き声で、私も明け方まで眠れず、次の日、彼女にどうしたの?
ときたら、何と、元カレにレイプされた。と言ってきた。
え?恐喝からなんとレイプ?
もう日本人の私には、アメリカ文化の次元が違いすぎて、私は、眩暈で倒れそうになった気がした。
16歳でレイプされる率は、アメリカでは、低くない、それも家族またはお付き合いしている人からが主な
ケースが75%である事を私は、事後、調べて絶句してしまった。
だから、朝から夜遅くまで一緒にいるから危険な目に合う確率が高まるし、長い間いすぎると、愛着心が強くなるから
執着が強まり、人間は別れるときに同じ気持ちでないと大変苦労するのだ。
と脳に考えが浮かんだが、彼女には、「 だからあんまり長い間一緒に居ない方が、良いよって言ったでしょ!」
丁度彼女が、朝から晩まで彼と過ごしていた時に、私が結婚もしてないのに、そんなに長い間一緒に居ない方が良いのよ。
と助言してみたが、彼女は、結婚したくないけど、彼とずっーといたいの。と断言されてしまった。
旦那様に、そんなんで良いのか?大丈夫なのか?と聞いてみると、彼は、彼女の判断だから任せる。
ときっぱり言われた。当時16歳の判断に任せて良いのか?私はずーと不安であった。
彼女の彼も16歳であった。そして14歳からお付き合いをしている。2年越しのお付き合いだった。
私は、事は、一大事と警察に通報しないとね。と言ったら彼女は、通報しない事を選択した。
そして、それも彼女の判断で進行していく。まだ17歳になったばかりなのに。
今考えると、痣や傷も当時見当たらなかったから、証拠もないから訴えても無起訴になる可能性も高い。
旦那様は、流石にショックだったようだが、実際に何がレイプであるかの定義が定かでない、17歳の判断だ。
そして当時はまだ16歳の彼の危うい、完全犯罪に終わってしまったようだった。
私は、余りにもショックで2−3日沈黙していたが、義理の姉と母に相談してみた。
そしたら、二人とも、余り驚かずに、付き合ってたから何回かセックスをしていた中の1回の拒絶だったのでは?
とまるで、大人の話の様に私に説明してきた?
私は、彼女は、一晩中泣いていて、心も身体も傷心しているのに、それで彼女の判断に任せて良いのかと不安になった。
最低相手の保護者に話を着てみるとか?
え?何で?16歳の子供なのに?
判断力が確かにあるのか?
最低、相手の親または保護者と話し合わなくてよいのかしら?と考えたが・・・・
私の考えは、アメリカでは妥当な考えでは、なかった。
義理の母に私が、彼女が家事をしないと、以前相談したら、彼らたちは、子供はそうだから、長い目で見ていきましょう。
と私に説明してくれた。その16歳の子供達は、大人のような男女交際(好きであれば、性行為を何時でもする関係)
をしているのだ。
話がちぐはぐしてしまい、しまいには、義理の姉は、裸でコンピューターゲームをしても
セックスしたくない時は、ノーなのよ、アメリカは、と私に説明してきた。
えー、ティーンエイジャーは、そんな抑制できるのかな?ホルモン分泌が過剰なの時にそんな事できないから、こんな事件は
恐らく、多発しているのだ。
更年期超えてれば、抑制自然にできても、本能的無理なのに・・・・・
そして、アメリカの大人は、それを黙認している。
自分たちの責任だから、ほっときなさいと。利己的文化アメリカそのものだが、話が合わないのが理解できな
日本人な私だった。が彼らは、その内、自分で解決して大人になるからと放置した間隔で説明された。
えー、未成年なのに?
アメリカの子育ては、放任を通り越して、放置に近いのでは?
だからアメリカの子供達は、早熟で高校生でも20代の成人に見える子供達も沢山いるのだとも納得した。
日本のティーンエイジゃーの反抗期は、可愛い物とみてしまうかも?
それから、数日が経過しても
未だに、私は、理解できないが、後7か月で大学生になり、メインランドに行くから、
それまで、そっと放置しておくことしか出来ない、継母の私であった。
あー、どこまでも青い空、海、楽園のハワイは、大人の世界なのだ。
そんな環境で育つ、子供は早熟?なのかな?
何も、考えない、考えていても、何も変わらないから、全てを解き放つ香りを聞きながら、瞑想をして
全てを解き放ち、放置する事に専念した。
皆さんも、体験してきたかもしれないけど?
子育ては、人生の修行です。何も、話さないディパーサナ瞑想を後7か月私は、楽園のハワイで毎日
香りと共にしていきます。
LOVE&ALOHA
MIDORI
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5月中旬になるとカイルアは、日差しが厳しくなり、常夏といわれるハワイアン気候そのものになるカイルアだ。
湿度が高まり、外に午前10時以降でると直ぐに汗が出てくる程の日差しになる。
トレードウィンドが吹く日は、そんな常夏でも常夏の日差しを和らげてくれる。
今年も、そんな夏の訪れを知らせるかの様に、ホノホノオーキッド(デンドリアム アノスマム)が美しい香りと共に爛漫に咲き誇ってくれた。
ホノホノとは、ハワイ語でよい香りと言うその名の通り香りがとても良い欄の花でハワイでは、とても人気の高い欄の花だ。
年に1度4月から5月にかけて開花する。
5年前に私は、ジョンと一緒に行った、
オーキッドショウでホノホノの苗を3株購入に今年は、
素晴らしくそのホノホノの花付きが良く香りを1日中玄関先で解き放っている。
玄関に置いてあるホノホノは、家を出るときには、「いってらっしゃーい。」
帰宅すると、「お帰りなさい。」と迎えてくれているように心を温めてくれるようだ。
そして、この香りに包まれる為に、家に帰るのが楽しみになってくる。
家に居ることが、幸せになってくる。
かつて、東京に住んでいた時には、アロマセラピーで部屋中に幸せの香りを噴霧させていた私だが、
気候に恵まれているハワイに住むようになって、いつも香りのある花々が咲いているので家で
香りを使用する時は、入浴する為か、マッサージをする時になった。
リビングには、ラナイに育てているパッションフラワーが咲き乱れ穂香にパッションフラワーの可憐な
香りが流れている。
ダイニングテーブルに置いてある、パイナップル、マンゴ、パパイア、バナナなどのトロピカルフルーツ
が熟れてくると香りを放ち、「食べてくださーい。」と呼び込みが入るようだ。
ハワイアンライフは、多くの天然の香りが蔓延しているハッピーライフである。
パンデミックがほぼ終息しているアメリカ合衆国の方針で、ハワイでも健康であれば全てが自然の香りの様に
都会で感じる目に見える幸福度では無く、
自然界と密着しているハワイでは、自分の心で感じる幸福が、ホノホノの香りと
一緒に充満している。
実際、真実の幸せとは、自分の心で感じるのである。
今自分の幸せを感じる為には、自分の心を知る事が大切であり、真実の自己の心を知るには、
純真な心に回帰する事が大切である。
純真な心になるには、自分の過去のしがらみや否定的な心から解放されて、自然体の自分になる
瞑想をする毎日朝と晩にすることが大切だ。
天然の香りと共に瞑想をする事でより深い瞑想ができる。
皆さんも是非日々朝晩瞑想をする習慣をしてみてください。
LOVE&ALOHA
MIDORI
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パンデミックが既に終息しているかの様な4月のハワイは、霧雨のシャワー雨が一日を通して降り注ぐ日が日々続いた。
私の中の時間は、此のパンデミック2年間、時間だけが経過して毎日を過ごしていた。
自分の中の自分は、2年前とは違うはずなのに、心・身体が静止していたかのようだった。
目を閉じで、辺りを確認するとパームトリーがトレードウィンドに大きく揺れながらなびく音が「ビューイーン、ビューイーン、ビューイーン」
と鳴り響き、その音と風に乗ってくるマンゴの木になっている甘いフルーティーな香りに癒されながらブログを書いています。
何だか、白雪姫が魔女に毒リンゴをかじらされて、この二年間眠続け、長い眠りから目が覚めた様な気持ちでハワイに日本から到着した。
2月下旬に母が誤嚥性肺炎で入院した為に日本に5週間程滞在した。
恐らく母は、今最後の時を迎えている。
変わり果てた彼女にパンデミックの為会うこともできず、オンラインで週に2回10分間だけ面会ができた。
折れそうに細い母の手と腕を母は、しきりに私の顔が映っている画面に手をしきりに振ってくれた。
ケセラセラを私が歌うと息だけの声で一緒に歌ってくれた。
日本では、毎日家の外では、マスクをしてまるでマスク宗教の様にマスクさえ顔についていれば、コロナウィールスを防ぐ悪霊よけのお守りの様にマスクをして日々過ごしていた。
私は、パンデミック中は、ブログを書かなった。というより、書く気持ちになれなかったパンデミックは、不透明で深い深い底なし沼の様に私と母の心身を底なし沼のどん底に落とし入れたかの様だった。
認知症の彼女は、彼女なりにパンデミックを理解して自宅で孤立してしまい、衰弱への道をたどり、老衰が原因の誤嚥性肺炎になり、食べ物を食べる事が出来ずに、点滴そして静脈からのカテーテルで栄養を摂取している事になってしまった。
そんな、厳しい日本のパンデミックの環境の中、面会も出来ないので担当医も私のハワイへ戻る日を延期する事も
進めずに、安定している母の様態という事で、母への思いは日本に残しながら、何も母に今出来ないパンデミックの
絶望感を抱えながらハワイに予定とうり戻る事になった。
アジアは中国も含めてパンデミックを此処まで慎重にとらえている。
実際、日本含めてアジア地区以外の国々は、パンデミックは、終わっていたのだ。
陰性証明書とワクチンパスを羽田空港で見せ、昨年よりも乗客がいる空港内でホノルル行きのフライトを109ゲート付近で
まっている。全員が勿論マスクをしていた。
そして、私語を謹んでくださいと機内ではマスク着用以外にもアナウンスが入った。
冬場は、日本からホノルルはテールウィンドの為7時間半でホノルル空港に到着した。
到着すると機内は、アナウンスの指示に従いながらゆっくりと私語を謹んで機内から空港内へ移動した。
ゲートから出ると、ハワイのトロピカルな空気が私の心身を何時ものように、取り囲み全ての重く固いエネルギーが
その空気に溶け出して、お土産が沢山入ったスーツケースをもってカーブサイドに出た。
ジョンが、優しい笑顔で何時ものように迎えに来てくれたのだった。
母への思いがH3のハイウェーイのトンネルを抜けて、前方にカニオヘ湾を一望する爽やかなエメラルドグリーンの
ハワイの海と海岸線が視界にせまり、そして助手席の窓からは、迫る深く力強くそそり出ている山の谷あいの合間に、ライムカラーのマンゴの花々やアフリカンチューリップのオレンジ色の花が咲き乱れる息吹きが、私の日本での悲しみ、絶望感を全て
解放してくれた。
ハワイは、説明なしで全てを優しく受け入れて優しく爽やかなトレードウィンドで全てを解放、自由にさせてくれる
エネルギーが流れている。
そんな、ハワイに住んで私は、後1年で10年になるが、毎日が新鮮で全ての自分を自然体で生きられる環境である。
ライムやベルガモットストラス系の香りでメディテーション(瞑想)を
し、心身を新鮮にしてくれるブレンドを作成し、毎朝その香りと共に新たなフレーズのパンデミックに
突入しているハワイのビーチを散歩した。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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パンデミックの暗く長ーいトンネルの先にやっと光が見えてきた。
効果が高いワクチンがほぼ完成したニュースそして、新しいアメリカ大統領、ジョウ バイデン氏が当選した事。
アメリカの医療費は、余りにも高額なため、パンデミックで元々収入がない人達が貧困の窮地に立たされている為、
46代目のアメリカ大統領、バイデン氏は、副大統領アメリカ初女性、アジア系(インド人)と黒人の両親を持つ、スーパー
スターのカマラ ハリス女史が、来年この高額医療費を抜本的に改革して行くと演説した。
ニュースを見ているだけで、少しずつほっとする。
この4年間、アメリカ合衆国は、白人社会が牛耳る悪い夢を見続けていた。
そして、来年からこの夢から覚めて、明るい未来の在る夢が広がるアメリカになるのかな?
と期待してしまうだけで、肩の力が抜けていく自分がいる。
義理の父、エドの認知症が少しずつ悪化してきている。
最近、脳神経外科で何度も診断してもらいやっと、病名が解明された。
初めは、やはり、エドもアルツハイマー型認知症と診断されたのだった。
そして、彼の認知症は、ルイボディー型認知症(レビー小体型認知症)と言われる種類で、アルツハイマー型とパーキンソン症候群を特徴とする変性性認知症である。
ルイボディー型は、(覚えやすいので英語読みで書きます。)1912年にドイツの神経学者、フレデリック・レビー(ルイ)によって発見された認知症であり、レビー小体とは、パーキンソン病変の脳幹で発見され、名付けられた封入体である。1995年からアルツハイマー型と脳血管型と並び3大認知症と呼ばれている。症状は、進行性認知機能障害に加えて、幻視症状、レム睡眠行動障害とパーキンソン症候群を特徴とする。
エドは、例えば、食事をしてたりすると、中庭に誰かがいると幻覚を見る事が良くある。そして、目の前に妻のマーサーがいるのにもかかわらず。『僕の奥さんのマーサーを探してくれ?』と言ったりする。
マーサーは、初めのうちは、悲しみで一杯だったのだが、次第にこの症状が出てくると、他の部屋に入り、
携帯からエドに電話をして、『今からあなたの居る所に戻るから、待っててね。』と言って彼のいる部屋に戻って
マーサーを再確認する方法をとっている。
又、皆の前で同じ事が起こると、エド目をじっと見つめて、『貴方の他のマーサーは、すぐ戻ってくるわよ。』
とジョークで交わすようになった。
脳の病気なので、周囲の人々は、認知のそれぞれの症状をまじめに受け取ってしまうと、周りが振り回されてしまうので、
傷つけないように交わすのが、一番良いようだ。
私は、エドに、『優しい世話好きなマーサーが1人以上いるとは、エド凄く幸運だね。』
とエドに言うと、エドは、優しい目の奥に、喜びを溢れさせて、口元に人差し指を持ってきて、『シー、内緒だからね。』
とおどけて私にウィンクをしてみている。
今の所、エドの症状は、日常の生活に支障が出てくるほどでは、無いので自宅で過ごす事は、可能であり、
長年住んできた家で過ごすのが心の平穏にも繋がっている。
さて、私の母の場合は。長年のアルコール依存症から認知症に陥ってしまい、かつ何度も転倒している為、
一過血虚血脳血栓が多発したケースだと考えられる。
症状は、計画をしたり、書類など難しい分を理解する力困難になってくる。そして、短期的記憶力が著しく衰えてしまう。
そして、長年のアルコール摂取が、抹消神経を犯して脚や腕の動きが悪くし、また小脳を犯して、体の動きが鈍くなっていく。
そして、アルコールは、精神的にも障害を与え、鬱病、不安症、現実逃避などと言う症状が出てくる。
母は、今は飲酒はしていないのだが、自宅に籠った生活をパンデミック中したりして最近は、一人暮らしが
大変になってきている。
その一つに、漏便の時に、自分で紙パンツがしっかり上げられないので、洋服やベット、トイレを汚してしまうのだ。
私がいると、便秘にならない様に、アロマセラピーの座薬やカプセルで便通を改善するのと、
自宅で母のパンツ上げを補助しているので、これが避けられるのだが、
自分だけだと出来ないので、ヘルパーさん達が過酷な介護をしなくては、ならない。
これを、書いていても、ため息が出てきてしまう。
『はーぁー』
今で育ててくれたので、母を最期まで介護したいと考えてはいても、脳と身体の病気認知症になってしまうと
自分の精神、人生がバラバラになって行くのだ。
そこで、大切な家族が施設入所させるタイミングを考えてみた。
*先ず、自分で排便排尿の処置をできなくなったら、やはり、施設に入所をするのが良い。
一緒に住んでいる人が、いたとしても、やはり可なりのストレスになるからだ。
*1人にしておくと他人に、個人情報を与えてしまう。例えば、銀行の暗証番号を教えてしまう。
*1人にしておくと、危険な行動う。例えば、自宅から出て迷子になってしまったりする。
*または、介護人(家族)がストレスを抱えてしまい、鬱病や不安症になってしまう。自分の人生が介護が負担になり、柵で一杯になってしまった時。
これらの事が度々継続してしまったら、やはり施設に入所してもらった方が双方が安心して生活ができるのだ。
母の漏便は、少しずつ悪化してきたのだが、今年は、促進してしまっている。
母も自分で辛いようだった。
父の時を回顧してみると、父は、要介護4で、便が出てくるのが気になり、紙おむつの中に手を
入れてしまい、便を確認した手を壁や介護ベットに擦り付けてしまい、父の介護ベットの壁が便だらけになってしまっていた。
そして、爪の中にまで入ってしまい、これが中々取れずに、冬だったので、手袋したりしていたのだが、
病院でフィジオセラピーを受ける時に手袋を外すと爪の間のべ便が真っ黒になっているのを父が見て
私に、見せて『これは大変だから手袋したままでよいかな?』と言うので、
私は、『勿論、大丈夫だよ。お父さん』と言った事を思い出した。
介護は、正気の人達の心をとがった爪でゆっくりと引き裂いて行き、とてもヒリヒリした痛みが神経に流れ込み
そして、ゆっくりと介護人の心も病んで行ってしまう。
そこまで、行かない様に自分でしっかりと介護状況を客観的にみながら自己の人生を歩んで行かなければならない。
パンデミックで、介護状況が変わってしまい、苦しい状態になったら、やはり自分一人で抱え込まずに
家族や住んでいる区域の社会福祉課などに相談してどのようなサービスが受けられるか確認するのが一番だ。
そして、両親の人生から自分の人生を解放して行く瞑想をして、両親の最期の人生を
安全な環境にながら、自分の人生を歩む計画をする事が大切だと思う。
瞑想をするときには、私は、必ず香りを使う。
色々な思考が入ってこない様に、香りで脳をリラックス、覚醒して、ビビットな未来をサードアイを開きながら
全てのチャクラを調整しながら、深呼吸をより長くしていく。
この瞑想をすると、素晴らしいビジュアライゼーションができたり、直観が働き、今何を自分が一番しなくては
ならない事が閃いてくる。
瞑想の後、そのビジュアライゼーションやひらめき(アイディア)考えをジャーナルに書き留めて行く。
すると、次第に人生が幸せの方向へと道が開いて行くのだ。
香りは、状況に応じて変えて行く。
今回は、活きず待っている自分の思いを解放して、サードアイを開いて行く香りを作り、瞑想をしている。
(OPENING THE THIRD EYES & BLANCING THE NAVEL BLEND)
介護で不安や悩みがある人は、是非試してみて下さい。
ご注文は、12月末日に帰国予定なのでその際でしたら日本からご発送が可能です。
LOVE&ALOHA
MIDORI
info@argutha.com
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パンデミックに強い、アジア地区は、やはり協調性などが強いアジア文化の力かとつくづく感じながら、
ハワイから先月、サンフランシスコ経由で成田に一時帰国して強く感じました。
日本にいると日本人の思いやりや協調性の強さが分かりづらいのですが、ハワイ(アメリカ合衆国)や西洋に居ると
個人主義の権限と自由が強すぎて、パンデミックへの対応が強制的になりかつ、強制されない場合は、ほぼ皆が皆
自由勝手な行動をとってしまい。多くの人の命が失われている事は、確かです。
パンデミックは、国としてCOVID−19ウィールスとの戦争です。
そして、このウィールスは、弱い者から命を奪っていくのです。
日本社会は、世界でも有数の弱い人を守る意識が高い事は確実です。
そして、母はこのパンデミックの犠牲になり、外出が制限されてしまい、ハワイから帰国後、認知症が悪化してしまいました。
5週間滞在して、アロマセラピーマッサージや飲用アロマセラピーカプセル(2か月程切れていた?パンデミック中郵便がハワイからフライトもなかったのでエアメールが夏から止まってしまっていた為。)、食事制限や散歩などをして介護を懸命に行ったのですが
以前の母は、遠いどこかに消えてしまったようになっている状態の母がいました。
人間の最大限の力を出すには、強い精神力が必要ですが、中々元の母の強い差を引き出す事が出来なくなってしまいました。
もう少し時間があれば、何とかなるかな?と疑問に思いながらも
私のハワイでの生活もあるので後ろ髪をかなり、曳かれながら、玄関で母に
『元気で頑張ってね。年末にまた来るから!』 と肩をしっかりと抱きしめて、目に少し涙しながら玄関の扉を閉めた時の
自分が今でも、脳裏に焼き付いている自分が、ハワイの心地よいトレードウィンドを肌に感じながらいた。
病んでいる親が、単身でいるという子供の柵だ。
私は、毎日心を冷静にする為に香りと共に瞑想をし、母への介護を介護マネージャーさんととりながら遠距離で行ている。
多くの人が、今世界中で似たような状況で会いたくても会えなかったりして辛い時を過ごしているかと思うと
私は、まだ母が頑張って、デイサービスに通っているだけ、幸せかもしれない。
と前向きに考えてた。
そんな時、毎日電話に出ていた母が、出なくなっていたので介護マネージャーに連絡してみると、
便秘になり、漏便になってしまって、洋服やトイレなどが汚染されている事を聞いた。
そして、糖尿病予備群の高齢の母には、一日2食が健康に良いので、私がいる時から2食にして
元気になっていたのに、市販の低糖パンを買って食べてもらっているという事を聞いて、
母の気力が落ちている一つの要因を見つけたので、介護マネージャーさんに懇願して辞めてもらった。
糖尿病の人が、消化が早い柔らかいパンをいくら低糖でも食べると、血糖値が一気に上がり、頭がボーとしてくるのです。
糖尿病の人が高齢になると認知症になる要因は、この状態が継続して脳の、プラスティシティーが侵されて行くと、最近
の研究で判明して、巷では、糖分制限食がブームになっています。
その上、母は、パンデミックで運動は、ほぼせず、自宅に籠っている生活です。
また、ケトンダイエット(たんぱく質中心基本の食事)をする事で、脳を活性する事が分かってきています。
お酒も飲まない母が、何故認知症が悪化してしまった要因を観察してみると、朝から砂糖一杯の干しブドウ入りバターロール2個と甘い野菜ジュースと牛乳を食べてしまっていたのです。
特に朝から砂糖を摂取すると、一気に血糖値が騰がり、インシュリンが凄い勢いで分泌されこの状態が継続すると、次第に身体が
インシュリンに反応しなくなっていき、体内の血糖値が飽満状態が継続し、頭が常にボートしてしまうのです。
その状態を抑えるアロマセラピーの飲用カプセルもない状態で、朝から常に砂糖山盛の食事をしていた母は、
あっという間にもぬけの殻の母になってしまい。
5週間、節制してもまた同じ食事に戻せば、あっという間にもぬけの殻の母の脳になってしまうのです。
なんとか、介護マネージャーに懇願して、低糖菓子パンを母に与えるのを辞めてもらい。
アロマセラピーの飲用オイルは、3か月分作り置きしてあるので、母にはデイサービスで飲んでらって、
今日、朝電話したら、少し気力が出てきたかの用で、今デイサービスのお迎えを待ってると私との会話も
出来るようになった。
少しだけ、安心してこのブログを書く気持ちになって、
一人でも私のブログを読んで、パンデミックでめげてる人へメッセージになればと考えて、ブログをハワイカイルアから
書いてます。
パンデミックという世界戦争中、日本に住んでいること自体、幸福であるという事は、間違いないです。
高額医療費のアメリカでは、皆、症状があってもぎりぎりまで病院に行かずに、行った時には、手遅れだったります。
そう、アメリカのトランプ大統領は、14人の医師の元で難なく回復し、しかしながら一般の人々は、235,255人(11月5日現在)も死者が出ているのです。
アメリカ合衆国は、確実にアメリカ人が作り上げた法律に従って、生み出した大統領選挙で2016年に当選した、トランプ大統領
を選択した結果、このパンデミックの対戦の負け組に入ってしまいました。
ジョーバイデン氏が来年、何とか新しい大統領になるので、知識人、常識者のアメリカ人は、肩の荷を下ろしている所です。
日本で生まれ育った事に感謝して、私を育ててくれた母に感謝してパンデミック、アメリカ大統領選挙日から1日が
過ぎて、少しパンデミックの出口が見えきて、ため息をつきながら、
美しく普遍的なナチュラルパフュームの『普遍的意識を導く』香りと共に
ハワイの大地と一体になって、
『美しい希望は、いつか美しい現実に』・・・・・のマントラを唱えながら瞑想にふける日々です。
LOVE&ALOHA.
MIDORI
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日本から帰国して24日間目の金曜日は、日課の様に2月からしている、こまめなキッチンとリビング玄関、窓、電気のスイッチなどの掃除を朝一からして始まった。パンデミックで家がピカピカに綺麗になている。
これは、地球も同様だ人間が動かないと公害が低減されて空がきれいだ。
ハワイの海も観光客の日焼け止めから海の汚染がなくなり、海の色が一段と綺麗になっている。
ブログをリビングのコア(ハワイ原産のアカシアの木)のテーブルからブログを書きながら
壮大なる美しさのオロマノ山脈を眺めながら世界中がロックダウンがしている中この美しい地球に感謝をした。
ロックダウンをしてるタイミングで一番辛いのは、誰だろう?
医療現場に近い人、ファーストラインで働いている人達、郵便局や宅急便の配達人の人達、
日本では、中小企業で働いている人達は、ロックダウンでも通勤している人達、
ただ恐ら全世界の人類がパンデミックに何らかの影響を受けながら生存している事は確かだ。
それぞれに、自分で選択して生きてきたつもりの職業や人生が今パンデミックではっきりと線を引かれて
自分達の選択してきた結果の人生の状況に直視ている。
ここで、気づき方向転換する人達もいるだろう。
そして自分の人生が自分の幸せにつながっているかを大人達は直視し、子供達はその選択に左右されて生きている。
基礎体力の弱い人や持病がある人達が重症者になるという悲しいパンデミック。
弱い物から被害者になって行く。
また、感染源が今では不確かな感染者が急増しているなか、芸能界のたけしがコメントしていたが
ロシアンルーレットに当たる確率で感染してしまう。
ロシアンルーレットも引き金を引かなければ、弾は発射されない。
COVID-19は、日本でいわれている3つの密がこの引き金であり、不潔にしている隙間が引き金でもある。
今は、感染経路が定かではなく、無症状者でも感染源になると確信されている中、何時何処で感染するかは、気が気ではない。
そして、その自分のおかれた状況の中で最大限の努力で心身の健康を必要となるパンデミックだ。
戦争を知らない世代には、一番辛い経験であるとも言える。
それぞれの国独自の方針にのっとって目に見えない敵と戦っている。
日本の母と3月24日夕方分かれて母から握手の手を出されて、ウィールスが移ってしまうかもしれないけど
母と握手をして玄関の扉を閉めた。
何時もは、ありがたい事が、心に不安ともしかしたら感染してしまうかもと言う恐怖がよぎる。
そして母との毎日の電話の会話で母の無事を確認出来る事に感謝している。
病院に行くと感染する可能性が高いので、アロマセラピーで応急処置と感染防止をする事が出来る事に感謝する。
カリーナは、感染が怖くてロックダウン以降家を出ていない。
マーサとエドが先週イースターで我が家の敷地内のレモンユーカリの散歩道を皆で歩いた時以来だ。
その時私は、カリーナと冗談で指の突っつきっこゲームをしていたら、小さかったカリーナは、
今は私とほぼ同じ慎重で体重は、25キロ程多いいの出肩を両手で引っ張られた瞬間、バランスを崩してこけた時に
カリーナの左ひざが私の右のわき腹に当たり、レスリングを一時習っていた技が効いた様に私は、道端に倒れてしまった。
その後、右のあばらを骨折したかな?と思うくらい痛みが走ったが、昨年のニューヨークでのフライトで貧血で倒れてっ左の
肋骨を折った時の様な突き刺さる様な痛みではなかぅたで、打ち身鎮痛用の軟膏を作って1日4-5回塗布すると息が楽にできる様
になり、4日もすると重たいものも持てるほどに回復した。
カリーナの毎日は平日は、ホームスクールをして、友達とオンラインとゲームを4-5時間して可なりストレスを
解放しているようだった。ただ、ストレスで、首と太ももの内側に5年ぶりにアトピーが少し出てきてしまった。
私が作った、アロマセラピーのアトピー用のブレンドを久しぶりに作り塗布してあげて少しずつ改善されているが、ストレスが低減しない為、良くなっては、また発症するというのを今繰り返している。子供なのでストレスが強い中、食事を改善するのは、不可能に近い。唯一ビタミンC補給になる果物を何時も倍に食べてもらうのが、何とか頼める位だ。
唯一ファミリーで毎日N95のマスクをして出勤しているジョンは、ホノルル市内の高層ビル24階の快適だったダイアモンドヘッドを見渡せるはずのオフィスからの景色が
窓が開けられない罰ゲームの様に恐怖の中で働いている。
毎日アンチウィールスのブレンドを飲用して、免疫力強化ブレンドをシャワーを浴びた後に使用して、帰宅後アンチウィールスのディフューザーブレンドをディフューズして4-5回鼻から深呼吸して吸引して感染防止をしている。
COVID-19は、重症者、死者が男性が情勢の倍以上になっている中、ジョンが感染しない様に気を使わなければならない。
恐らく、これは女性ホルモンが免疫力を高めているのと、やはり男性の方が基礎疾患者が多いい可能性がある。
個人的に考えると、男性の手洗いが余り丁寧でない可能性もある。
インフルエンザでもそうだが、エッセンシャルオイルの使用は、感染後24時間以内に対応すると症状が酷くならずに
のどの痛み程度で収まる。ウィールスがホストを探して感染を進行させる前に殺ウィールス効果で進行を制御するからだ。
本土のアメリカでは、手洗いをして完全隔離生活をしている人達が次々に感染している。
この場合感染源は、ボランティアの食事の宅配便の配達者だ。
今普通に感染防止のガイドラインでは、感染防止を確実にするのは困難な状況である。
皆がそれぞれ、ガイドライン以外にプラスアルファーで感染防止対策をしている。
フランスのフィトセラピーの研究組織で、やっとエッセンシャルオイルのCOVID-19の殺ウィールス効果の検証が
発表され始めている。
サーズやマーズの時も時間と共にエッセンシャルオイルの殺COVID-19のウィールス効果の実験がされて検証が出てきたので
待っていましたと文献を速読して、私が使用しているオイル達が入っていたので、間違っていなかった!
とホッとした。
COVID−19は、アルコールや界面活性剤などで消毒可能なのでエッセンシャルオイルの効果が無いはずはない事は
確実だと推定して作ったブレンドだった。
恐らく、エッセンシャルオイルの効果効能を理解している世界中の人達は、これらのブレンドを直ぐ自作して防御している
私の友人もニューヨークのホットスポットクイーンズに住んでいるので直ぐにブレンドを郵送した。
彼女は、フライトアテンダントでもあるので第一線で働かざる得ない状況の中感染していない。
私も、週に1回の買い出しの日帰ってくると、喉が痛くなったりしていたので、アンチウィールスのディフューザーを
10回位鼻から直接吸引していた。先週からハワイでも皆がマスクをしだした成果、今週の買い出しでは喉は痛くならなかったが、
予防のためアンチウィールスの吸引をした。
ハワイは、今でも毎日本土から14日間の検疫隔離生活があっても100-150人到着していて
延べ2000人以上が本土から観光客として来ている。
恐らく本土の感染率から比べ物にならないハワイに避難してきているが、病院も少ないローカルの人達は、
恐怖の中暑いのに、マスクをしてスーパーなどに先週あたりから出てきている。
また、ニュースで隔離生活にあるはずの人達がホテルや別荘から出ているのを警察が逮捕して、罰金5000ドルと強制送還されたりしている。
現在ハワイでは553人の感染者がいて、その内オアフ島の感染者は380人で死者は9人である。
アメリカの本土からは比較できない程少ない。
ハワイに避難する人の気持ちもわからくないが、病院が少ないハワイ州の住民は可なり不安と恐怖の中で生活をしている
そして、ほぼ80%の観光業を休業して人命を救う事に専念している。
マーサは、戦争を経験している為か、屈強に強いのか、高齢なのに普通に銀行に行ったり散歩を率先してしている。
その為か、3日前に目が充血してしまった。流石に今病院には行かれないので、ベビーシャンプーで洗ってドクターに電話したらウィールス感染の可能性があるから、2-3日長引くようなら病院に来てくださいと言われたそうだ。
それを聞いたジョンが、慌てて私の作っているアロマティックハイドロゾルを持っていき洗浄してもらった。
次の日『 みどりのミラクル療法で充血は治った。』とショートメールが送られてきた。
私も、マーサが目の充血と来た時、かなり心配したが直ぐに改善されて、胸をなでおろした。
パンデミックは、何時終息するかが全世界の人達が考えている事だ。
色々な文献を読んでいると、6月に一旦終息しまた9月末辺りにインフルエンザ同様流行りだすと言われている。(1918年のスペイン風邪の例と同様だと考えられている。)
そして予防接種が開発される来年の夏まで続く可能性があると言われている。
恐らく6月終息した時に我慢していた人たちが動き出して、一旦経済がバブル化してまた秋から冬に抗体のない人達から、都市部や観光地から
エピデミックになり来年の6月まで続く可能性が高い。
予防接種が最短で今年9月末に始まり世界中の人達が予防接種をして今年の冬は、エピデミックは、インフルエンザ並みの流行になる。
今は、やはり1年位が我慢のしどころだ。
それまでは、一人一人の行動が人命を救う事になる。
例えば、仕事とはいえ、俳優の石田純一は、緊急事態中に飛行機に乗り東京から沖縄に行ってゴルフまでして発症している。
勿論その前から感染源になっているのだ。
緊急事態宣言の力が小さい日本でありがちなケースだ。
感染したのは石田純一さんの性でもない。が緊急事態だから電話やオンラインで事を済ませる事はやはり
しないと多くの人が感染して行く良い例であり、この失敗から日本の人達が少しでも感染を抑えられる
行動を選択してほしいと高齢者の母が日本で頑張っているので切実に願う。
今、世界中の人が家に居るだけで人命を救う事が可能なだ。
私のブログを読んでいる人達も切実に願っているはずなのだ。
私は、願いはかなうと信じている。
そこで、深い地球の香りがするルートチャクラ的な力強い PRAYER という香水を作成して瞑想をした。
オロマノ山脈の偉大なる数千年のエネルギーを感じながら、PRAYERの香水を聞きながら
静かに目を閉じて呼吸を地球と一体にして、パンデミックの一日でも早く終息するように願いながら瞑想をする。
PRAYING FOR THE WORLD PEACE
LOVE&PEACE,
MIDORI
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3月15日にホノルル空港から羽田空港に95%満席のハワイアン航空のフライトで母と日本に戻った私は、
母の自宅と羽田空港以外は、外出をするのは近所のスーパーや郵便局、草加市の派出所、銀行以外は出なかった。
日本滞在期間は、8日間という短さだった。
その間、母の介護マネージャー以外とは、密接、話はしていない。勿論、私と母は、N95のレスパトリー付きのマスクを
して、アンチウィールスのディフューザーブレンドを部屋に炊いて30分程の今後の母のサービスの打ち合わせだった。
母は、段々現状を理解して来て、少しづつ協力的になってきたが、N95のマスクは、はめるゴムが煩わしいので、
通常の花粉症対策レベルのマスクで2回ほど近所の散歩を30分から1時間程した程度で、ソーシャルディタンスもほぼ
完璧に保ちながら散歩をした。
この時期、日本は、新コロナウィールス事態に2月の終わりより可なり、注意が鈍くなってきているようだった。
天気も暖かくなり、桜の蕾もほころび、自宅で子供を閉じ込めておくのはもったいない状態だったからだろう。
旧日光街道の松林には、子供連れや高齢者が皆散歩をしていて、マスクも売れ切れ状態の事情の中
マスクをしないで散歩や桜の木の下で子供たちを連れてピクニック気分でランチをしているママ友達もいた。
私は、なんだか普通で少しほっとしながら、心の奥で海外の爆発的な感染状態をニュースで見ていると
凄く不安にもなってきた。私は、マスクの変えおきが20枚日本にあり、それ以外にオンラインで50枚購入していた。
日本滞在中に10枚程母と一緒に使用したので残るは、60枚、この60枚を母がデイサービスで使い切る60日間以内に
パンデミックが収まる事、または治まらない場合は、市販でマスクが購入出来る事を祈りながら母の自宅を
急遽、ハワイがロックダウン秒読みの3月24日に戻る事を決意した。
実際、26日からのハワイのロックダウンが決まったのが3月22日だったので、ハワイアン航空の予約課が週末お休みで、
ジョンがアメリカの予約課に電話したら4時間ホールドされて切られてしまい、途方に迷った私は、
以前勤めていたユナイテッド航空の先輩にラインで連絡をすると、直ぐに連絡が入り、涙ながらに先輩は、羽田空港のハワイアンの
カウンターまで行って問い合わせてくれたが、なんと私の予約はJLと共同運航便の為変更ができないと言われてしまった。
先輩は、ユナイテッド航空の最終便ハワイ行3月24日にスタンバイ最終的にするしかないかもと提案してくれた。
ユナイテッド航空は、3月25日以降の欧米行フライトを全て欠航としていた。
ハワイアンがどのようなスケジュールになるかは、サイトには何も書かれていなかったのでより不安が募った。
そして、私は、先輩の、心温まるありがたい言葉に感動しながら、不安な気持ちで週末をこし、月曜日の朝予約課があく
9時15分ぴったりに予約課に電話をすると、13分ホールドされて10分で予約の変更を無料で、待ち時間入れて23分で全ての変更手続きが完了した。
新しいフライトは、HA435便3月24日火曜日の夜9時20分発の到着朝9時50分の
フライトに変更ができた。流石日本人あっという間に手続きが完了。
しかし9時15分ぴったりに電話しても13分ホールドされるとは、何百人の人が、秒読み状態で一声に電話をかけたのか?驚嘆した。
実は、アメリカのハワイアンの予約課で前回予約を変更した時に4時間かかって差額と変更ができたのだった。
やっぱり、日本の素晴らしい所は、迅速にそして効率的に手続きが完了できる。
これは、海外に住んでいないとわからない、日本の素晴らしい所だ。
日本は、特別な国であると誇示して良いと思うのは、揺るがない真実である。
先輩には、お礼に先輩の高齢のお母様と一緒に使える。
免疫力強化用マッサージローションとアンチウィールスのディフューザーブレンドを2-3か月分用意して月曜日に郵送した。
母に私の出発は29日日曜日から24日火曜日に早まった事を伝えると、
母は、『良かったね。帰れて! ジョンとカリーナ、マーサとエドによろしくね。』と笑って言ってくれた。
私は、『わかった。伝えとくね。お母さんも、頑張ってね。』と母に言った。
火曜日の夕方、草加駅東口で羽田空港行のバスを待っていると、
其処には、2人の30代初めの女性友達と3人の60代後半の女性1人と男性2人が国内旅行の為バス停で待っていた。
なんと全員マスクなしで現れたが、私が、凄いマスクをして待っているのを見て、
若い女性2人は、ポケットから新しいマスクを取り出してマスクをした。
高齢者の3人組は、女性が黄ばんだ使い古しのマスクをポケットから取り出してマスクをしたが男性たちは持ってなかったのか
マスクはせずにそのまま待っていた。マスクが無いから仕方なくしないのかもしれないと私は、推定していると。
高齢の3人組は、感染したら死ねば良いから、と軽々しく3人で話していた。
そして、余りにも遅れるているので、京急バスに電話をすると、なんとバスは、予定より交通渋滞の為、30分または、それ以上遅れていると言われたので、草加駅から羽田空港までの交通状況を聞くと、高速道路は通常とうりだから7時過ぎには羽田空港に着くと推定してくれた。
可なり早く出たのに、これでは、ぎりぎりかもしれないと焦る気持ちを私は、深く深呼吸をし心を落ち着けてて待っている間。
皆が皆、こんな寒い中外で待たされてしまったら、コロナじゃなくても風邪をひいてしまうと言って。
交代で近くのスーパーの中でバスを待っていた。
本当に、日本人の協力的な思いやりは素晴らしいと感動して横目で見ていた。
私は、一人大きなスーツケースが2つもあり
スーパーまでは、バス停から50メートルはあるので、薄着の私を見て寒がっているのを見ると、若い女性が気遣ってくれて、
『荷物見てますから、少し頭って来てください。バス来たら呼びに行きます。』と言ってくれた。
私は、ハワイに行くし15分位外で待っても大丈夫かとパーカーとウールのタートルネック洋装でジャケットを敢えて着てなかった事に反省しながら薄着で体の芯から寒さが出てきたので、言葉に
甘えて寒空の中40分待った末、女性の言葉に甘えてスーパーの中に入った。
すると10分程して、バスがやっと来た。バスは、なんと予定より50分遅れて5時55分に来た。
平日の火曜日それも24日だから大丈夫だと推定したのが間違いで、ラッシュアワーの夕方5時代だからか
日本でも電車を避けて自家用車移動が広まっているのか、凄い交通渋滞だった。
携帯で渋滞状況を調べていると、都内が銀座付近が渋滞している。
羽田到着時間は推定8時となっている。
ハワイアンのフライトの搭乗時間が8時20分だから可なりぎりぎりだった。
ジョンにメールして間に合わなかったら、ハワイアンの次の便に変更してもらう事にすると連絡した。
バスの運転手さん流石に慣れていて、羽田空港の国際線ターミナル3に着いたのは、なんと午後7時13分
私は、余裕で間に合うとホッとしながらバスの運転手さんに、『ありがとうございました。』と言って下車すると
冷たい風が肌を刺すようだった。
カートをアルコールベースのウェットティッシュで吹いてから大きなスーツケース2つと手荷物用のスーツケースの荷物を積んだ。
国際線羽田空港のターミナルは、人が2-3人歩いているだけだった。
出発階へのエレベーターも私だけだったが、押しボタンをウェットティッシュで吹いてから出発階のボタン押して上がった。
出発階には、1階よりも7-8人の人がいて、皆マスクをしていた。
そして、勿論N95のマスクをしている人もまばらにみられた。
可なり、準備して国際線に乗る人達がそこにいた。
ハワイアン空港のカウンターの人は、全員マスクをして対応してくれた。
COVID−19の為、勿論プリチェックインはできず、カウンターでは、過去2週間以内に欧州、イラン、韓国、中国などへの渡航歴があるか聞かれた。
厳重なチェックインのシステムにほっとした。
席を指定してあったが、カウンターで、ソーシャルディタンスを保てる窓側をリクエストすると、
36Jの席で前後横誰も座っていない席をもらって、ホッとして、ゲートに向かう。
セキュリティーチェックもほぼ人はいない状態だった。
常にソーシャルディタンスを守れる状態でゲートまで行くと、途中にお土産屋さんとドラッグストアーの免税店を見つけた。
そこに、なんとマスクとアルコールベースのウェットティッシュが販売されていた。
マスクを母に送ろうかと思い7枚入り420円を3点手に取ると、張り紙に、一人1点と書かれた注意書を見て残念だけどこのご時世
仕方がない、手に1点づつだけ取り購入した。
ゲート145は、セキュリティーチェックポイントから10分程歩いた場所にあった。
ひとが殆ど以内空港内を歩き、ゲートにエスカレーターで降りると、そこには、搭乗者はほぼ100%
外国人、ハワイのローカルの人と恐らくホノルル経由でメインランドに乗り継ぎの人達がほぼ80%フェイスマスクをして
椅子に座って待っていた。何時もホノルル便は100%に近い搭乗率なのに見た限りでは、30%ほどの搭乗率だったのでほっとした。ホノルルからの便は、ほぼ満席で日本人が99%を占めていた。
搭乗すると、テーブル、スクリーン、窓、ひじ掛け、椅子の頭を持たれる個所を全てウェットティッシュで消毒してからアンチウィールスのスプレーで足元などウェットティッシュで消毒できない部分をミストしてから座った。
ホッとして、ジョンにフライトに無事間に合った事を告げて、窓を見て、離陸するとそこには、東京の美しい夜景が見えてきた。
一軒何も変わっていないのに、目に見えないウィールスと世界中が戦争をしていて、この戦いに世界中が足並みをそろえて
戦っていかなくてはならない世界に変わってしまったのだった。
そして、私は、ホッとしたと同時に急に眠気が出て来て目を閉じてしまった。
気が付くと、機内のアテンダントは、手袋とマスクを全員使用していた。
そして、機内サービスが終わっていた。
私は、売店で販売されていた水とアンチウィールスブレンドのカプセルと安眠用ブレンドのカプセルを飲み、また眠りについた。
飛行時間は、6時間55分追い風が強い冬は、あっという間にホノルルに着く。
気が付くと、ホノルルに後40分で到着のアナウンスがされていた。
飛行機の羽の下にビックアイランドが見えてきた。
『あーもう直ぐ、カイルアの家に帰れる。』と思い油断大敵、消毒キットをカバンの一番上に入れて、
他をキャリオンスーツケースにしまった。
小さい頃のOCD(脅迫感念症)が戻ってきてしまう様だった。
私の父もかなり、OCDで1999年に初めて香港に父と渡航した時に、中国は汚いからとホテルで変換した香港ドルを
コインと紙幣全て洗っていた。紙幣は、ミラーに張り付けて乾かしていたくらいだったのを脳裏に浮かべた。
私も9歳までOCDの毛があったのだが、母が可なり大雑把な人だったので、段々母の影響で気にしていても切りが無いと諦めて
OCDから急にい大雑把になってしまったのだった。
しかし、今回のCOVID−19の場合は、OCDでなくてはならない事情が存在する。
ホノルル空港に着くと、やはり50%の割合でマスクをしている。
8日前の空港は、20%の割合でマスクをしていた。この1週間で世界がどんどん変わって行っている事は確実である。
イミグレーションの人は、マスクをしていなかったので、自分がマスクをとるのを不安に思いながら、
仕方なく写真を撮る為にマスクを
外しては、手をアンチウィールスのスプレーで消毒した。
イミグレーションには、ほとんど人は並んでいない稀な状態であっという間に通関が終わった。
何だか、不思議な程スムーズに通関を済ませて、ジョンの車を待った。
ジョンが私を見つけると、手を振って挨拶をしあった。
スーツケースをアンチウィールスのスプレーで消毒してから車に乗せてた。
ジョンも可なり変わっていて、何時もは汚い車の中が綺麗になっていた。
私は、ずーとマスクをして、話をしながら、後2日でハワイに到着する全ての人の14日間のクオランティーン(自宅またはホテルで待機)が始まる事を説明された。ロックダウンだから、買い物には行かれるけど家族の1人だけが代表して行く事になっていると説明された。この指示に従わないと、5000$の罰金または禁錮刑1年だそうだ。ジョンは、弁護士なので
この指示に従わなくても良いが、必ず弁護士のIDを所持して行動しなくてはならない。
家から出ないのは、私は、かまわないけどと言うと、買い出しは私の役目だからと言われた。
今まで、日本とハワイを移動して対応になれているから、マスクして買い出しすれば良いよ。
と言われて、食材にこだわる私は、買い出しの役目を買って出た。
家に入る前に、全てのスーツケースを玄関の前に置き、今度は、アルコールベースウェットティッシュで消毒してから玄関に入れて、全てを消毒したら、直ぐにシャワーを浴びた。
シャーわーをユーカリとローズマリーのボディーソープで入り、免疫力強化用ローションを付けて、アンチウィールスのカプセルをジョンと一緒に飲んだ。、
そして、ジョンの入れた美味しいカプチーノを飲んでから、
私は、ホールフードに買い出しにN95のマスクをつけてから車を走らせた。
ホールフードでは、消毒用のウェットティッシュが品切れだったので、私は、自分のでカートを消毒して入ると。
8日前は、誰一人マスクをしていなかったのが、やはりローカルの人達働いている人含めての45%がマスクをしていた。
私は、すこし安心して買い物を始めると、やはりトイレットペーパーはなかった。
クリーニング用のアルコールベースのジェルもなく、ピーナッツバターやライスは完売私の好きなオーガニックアーモンドバターも完売だった。仕方なく、カシューバターが残っていたのでカシューバターを買った。
チップス類、パスタ、バター、豆腐もほぼ無かった。
新鮮な野菜と果物や肉類は、何時もの様に豊富にあったのでほっとした。
何だか、本当に世界が毎日変わって行く事に気がづいてく。
島に住んでいる人達は、不安が募る。
現在オアフ島の感染者は175人、8日前は、3−4人だった。検査をしていなかったからだ。
検査をしなければ、感染者の数は見えない。
私も検査したいが、検査は症状が無いとできない。または感染者と密接な関係がないとハワイではできないからだ。
日本とほぼ同じだ。
つまり、軽症者、または無症状の人達が感染源になって行く。
この人たちが、自宅に14日間待機してくれていれば、自然と感染は抑えられるが、実際に私も含めて
症状が無くて、移動を沢山していると不安が心の中に募る。
人と接触する時は、マスクをして感染するのを防ぐのと感染させるのを防ぐしか方法がない。
つまり、自由が14日間またはそれ以上、束縛されるのである。
今、日本とハワイを往復した私は、常にマスクをしている。
自宅でも自分のアロマセラピーの部屋で隔離状態である。
カリーナもジョンも私が感染していると不安な中今私ができる事は、自宅で自分を隔離する事しかない。
家24日の変えると、カリーナが私を『コロナ』と呼んだ。
こんなに気を付けているのに、やはり私が一番危ない人になってしまった悲しさが心にある。
実際、私は、2月1日にワイキキにお金を両外資に為替のレートも良かったので、一人で車で行った時に、
両外のカウンターで対応してくれた女性が、乾いた咳をずーとマスクなしにしていただった。
私は、無防備にもその時不安が頭によぎっていたので、車に戻り、車内にあった水で手を洗い、
唯一持っていたペパーミントのいるを舌禍に1−2滴たらした。
そして、帰宅して石鹸で手を洗い、うがいをティートリーのハイドゾルで行った。
そして2−3日後いきなり倦怠感が体中に走ったのだった。
その日から、アンチウィールスのオイルをブレンドしてカプセルに入れて1日3回飲用を始めた。
オイルを飲んで2−3時間は、倦怠感が少し良くなっていたがオイルの効能がきれるとまた倦怠感に襲われていた。
そして、6日目辺りから乾いた咳が少し出てきたので、2時間に一回飲んでいると1−2日経つと咳は全く出なくなった。
しかし、何故か倦怠感が抜けず、すこし息苦しさもしてきたので2月8日は朝からずーとオイルを飲む以外はベットで寝ていた。
この息苦しさは、アスペンのAベースンに行った時のスキーをして標高が高い中運動をしていると空気を吸っても吸っても
苦しいこの苦しさを思い出させるものがあった。今回は、運動も何もしていないのに寝ているだけ息苦しさがあったのだ。
9日の朝目を覚ますと、倦怠感がすっきりと抜けている事に気が付いた。
すこし、ヨガをしてみたりしたが、食欲もなかったので力が入らず15分もしないで止めた。
アンチウィールスのブレンドは、そのまま3−4時間に一度飲んでいた。
2月13日には、倦怠感も完全になくなっていたが、喉の奥からの鼻水の様な液体が鼻はつまらないが、流れて来ていた。
そしてこの粘液は、吐いても透明でサラサラしていた。ただ常に流れ落ちていた。
私は、この症状が丁度なくなったのが、3月13日だった。
これは、ドイツのリサーチの例に合っている。
感染してから完治するのに4−5週間平均してかかる検証例が出ている。
これを、ジョンに伝えたら、ほぼ信じてもらえなかった。
COVID−19のL型とS型どちらかにもしもこの時感染していたら、どちらかに抗体ができて居るか少し安心だと
冗談で言っていたくらいだ。
先ず検査ができないから何も証明できないが、この2月3−5日日本人の夫婦がワイキキに滞在していて帰国後
COVID−19の陽性が判明された。時期が時期なだけに、私は、不安だったが。
もしも、2月の時点で私が感染していたのがCOVID−19で合ったなら、この症状は気がつきにく、恐らく
普通の人は、普通に働いてそのまま、疲労が溜まってるのかな?と思ってしまうだろう。
私は、何時も健康には敏感なので、少しの変化に気づき対応してきた。
ハワイで倦怠感に襲われた事は、一回もないし、楽園生活なのでストレスは無いから倦怠感が出てくるはずがない。
高熱も出ないし、軽い風邪か?インフルエンザかなで終わってしまう。
但し、インフルエンザにハワイで感染した事があるが、インフルエンザの方が痰が絡み咳がでて凄く苦しかった。
今回の場合は、本当にそこまで酷い咳が出てこなかったし、直ぐに止まってしまった。
異様な倦怠感が出てきたのが特徴だった。
そして今、日本の草加にいる母と電話に出て、私がカリーナとジョンが私を疑ってるから自己隔離していると言ったら、
『みどりが一番初めから気を付けていたのに、おかしな話ね。でも仕方ないからお部屋でじっとしてるしかないわね。』
とびっくりするぐらい母の脳が働いているので安心した。
そして2月から私と母がソーシャルディスタンスを保ち、外食もせず頑張っていた結果がでていて、
母79歳は、ハワイの3か月の滞在移動を感染もせず元気に過ごしている。
今日から母もハワイから到着して14日間だったので通える。
私も14日間自宅のアロマセラピーの部屋で隔離生活を頑張るしかない。
しかし、何故か買い出しは、私が行かなくてはならないのが腑に落ちるけど。
こればっかりは、仕方ない。
ジョンとカリーナへの思いやりで、買い出しは私が行きます。
勿論、義理の両親の分も私が、買い出しに行くのです。
LIFE IS HARD BUT WE CAN DO IT !
日本の皆さんも頑張ってください。
世界中の人が頑張っています。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
P.S オイルのご注文は、当分ハワイからの空輸になりますのでご理解ください。
アンチウィールスディフューザーブレンド・免疫力強化用ブレンドローション・アンチウィールス内服用ブレンドのご注文も受け付けておりますが、これらのブレンドは、ウィルス防御用のブレンドなので感染後は、お医者様にご連絡下さい。
またタミフルなの副作用を緩和するブレンドなども検証例があるオイルがあるので作成可能です。
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世界中が不安と恐怖の新コロナウィールスへの対応を試行錯誤しながら対応をしている中
母79歳と共に9時間程のハワイホノルルイノウエデイヴィット空港から羽田国際空港へと飛び立った。
母は、認知症があるので世界情報を把握する認知力は、低くいので、全ての責任は私に課せられていた。
今後春休みに入り、ハワイは本土から多くの観光客が、感染源となりうるので母をハワイから避難させる事が
第一だった。
出発の日カイルアの気温は、26度湿度は68%曇りそして、凄い勢いのシャワーの雨の中の出発だった。
ハイウェイ3号線(H3)は、霧がかかりカイルアから新緑のジャングルの山並みからは、白い滝のラインがかかり
母が、【こんなに雨が降り続けるハワイは、初めてね。】と無邪気な子供の様に言ったことをジョンに言うと
ジョンが、【ハワイが、美紀子さんがハワイを離れてしまうのを悲しがって泣いているんだよ。】と優しく対応してくれた。
母にそれを、私が訳して伝えれると、嬉しそうに微笑んでいた。
デイビットイノウエトンネルの手前で、2車線が1車線に成っていた為に、スピードが落ちてH3では、稀な渋滞になっていた。
人混みの空港での待ち時間を最小にする為に、ぎりぎりに出てきた私達の心に一瞬不安の空気が流れた。
トンネルの中にゆっくりと入って行くと、ブルーのトラックが事故を起こしていた。
そして、それを見たいが為に、車がゆっくりと走行していたのだ。
事故のセクションを過ぎると渋滞せずに走行でき、不安は解消された。
トンネルを抜けると、雨脚は弱まり日差しが照り付けてきた。
そして、何時もよりスピードを出してジョンが空港へ向かうと、アロハスタジアムを右手にして空港へ向かう
緩やかなカーブに、ハワイアンマングースがいきなりハイウェイの道に走り出てきた。
今まで一度も、ハワイアンマングースをハイウェイで見たことが無い私は、唖然とした瞬間
ジョンがよけようと、ハンドルを少し切ったとたんに、ハワイアンマングースが車に気づき逆走した瞬間
『ドン』という鈍い音が、タイアの下でした。
ジョンが、初めて動物をハワイで弾いてしまったと苦虫を潰した様な顔をした。
私も、同様に可哀そうなハワイアンマングースが天国に行かれるように祈った。
それは、高齢の母がCOVID−19に感染する代わりにハワイアンマングースが命をサクリファイズしてくれたサインかも知れない。
空港に着くとジョンと別れを日本式にお互いにお辞儀をして惜しみ、N95のマスクをしてカウンターに歩いていった。
荷物も最小限にして母は、一番小さいスーツケースを引きながらゆっくり歩き、私は、2つの大きなスーツケースを引きながら
なるべくいろんな所に触らない様に歩いて行った。
母の底時からは、よくわからないがシルバーカーを使って歩くのがやっとの母は、キャリオンスーツケースを
引きずりながら、よたよたと進んでいる。
カウンターに先に行くと2−3人の人がチェックインしているガラントとしていた。
車いすのリクエストを係の人にお願いいしてから、アルコールで手を消毒し、母の所に急いでいき母の
荷物をとり、母の手を消毒してから手を取り二人でカウンターに行った。
日本行のハワイアン空港のカウンターの人達誰もフェイスマスクはしていなかった。
私達だけがN95のマスクをしているだけだった。
日本人の乗客の人達は殆どが若者で、暑いのでマスクを顎にしてたり鼻を出したりしていた。
私は、母の感染を最大限に制限する一方で恐らく、私達の異様なマスク姿は人々を不安にしたかもしれないが、
母の様な高齢者ほ、空港内の人口の1%に過ぎないので私は、仕方ないとして空港内のセキュリティーに入ると
やはり5%の割合の人が、布や通常のマスクをしているだけだった。
係の人達も誰もマスクはしていない。
ただし、空港内の25ml程に必ず消毒用のアルコールがアクセスできるようになっていた。
ハワイの空港は、待合室以外は、ほぼオープンエアーで風が吹きトロピカルフラワーの香りが漂う平和な環境だ。
係の人は、医療用の手袋をしているのは、通常のプロットコールなので特に変化はなかった。
私達は、羽田行のハワイアンは以外に混んでいるようで待合質は、混んでいたので人混みから離れた待合室の席で
搭乗手続きを待った。
母は、N95のマスクが普通のマスクでないので気に入らないみたいでとりたがった。
私が説明しても中々理解できないようだった。
車いすの母と私は、早めに登場し席に着くと、私はアルコールの消毒ペーパーでスクリーンと
座席のハンドルとテーブル、窓を消毒して母が触っても安全になるようにした。
そして、アンチウィールスブレンドのスプレーで母の手を消毒した。
機内は、ほぼ満席で90%の席が埋まっていた。
日本人が80%で10%が恐らく海外からの旅行者かまたは、日本に住んでいる外国人のようだった。
異様なほど機内は静かで、誰一人咳やくしゃみをし続ける人はいなかった。
母は、遠足の小学生の様に機内で大声で色々な事を私に聞くので、機内では母の声だけが聞こえているようだった。
トイレに近い母は、離陸すると直ぐにトイレに行きたいと言った。
私は、まだシートベルトのサインがついていて、母が足元もが定かでないからまだもう少し待ってと言った。
ここで、皆さんに一つのドイツのサイエンティストの実験結果をお伝えします。
感染経路を研究する為に、感染者の鼻と喉そして血液、リンパ液、尿、便からCOVID−19のRNAの
摘出検査をした。
鼻、喉、リンパ液からCOVID−19のRNAの検出が一番多かったのが、
感染後咳やくしゃみがでる凡そ6−8日間でこの期間が一番感染力が高く、
そして、この期間は、無症状から咳、くしゃみなどの軽症の期間である。
そして、感染者は凡そ37日間ウィールスが体内に存在しその間に抗体を体内で作られて行くので一旦陰性になって再発した場合は、RNAの感染力が無い事になっている。
そして、便、尿からはRNAは検出されていなかった。つまりトイレでの感染は、低減される。
勿論、トイレで咳やくしゃみの飛沫があれば、感染する可能性はある。
肺炎になると、RNAは肺の細胞に入って行くの感染力が低下するそうだ。
その為、軽症または無症状の人達が、感染を拡大しているという論文でだった。
ただこれは、ドイツでの検証結果で、他のRNAは検証していないの全てのRNAの検証が必要だと最後に記していた。
勿論、このは限られた検証例だが、多くの感染の拡大のまたは、感染者が症状が消えてからまた、再発する事に
説明がつく。
米国のサイエンティスト検証では、プラスティックスティールなどでCOVID−19のRNAが約36時間
存続するので、段ボール箱が24時間、その空気中では30分から3時間存続する可能性が高い為感染力が
サーズやスワインインフルエンザより可なり高いウィールスであると論文が出ている。
とにかく、消毒や手洗いをするのが一番の基本のプロットコールである。
機内サービスが始まると、添乗員は90%マスクと手袋をしてサービスをして、飲み物の容器は必ず新しい物を使用した。
母は、トイレが我慢できず、タービュランスが少し落ち着いてきたので、私は、母の手を取りトイレまで行った。
トイレ内をアンチウィールスのスプレーで消毒してから、母を入れて、一緒に母と石鹸で手をしっかり洗い、
また母の補助をしながら席に着き、母と私の手と靴をアンチウィールスのスプレーで消毒した。
機内のサービスが始まったので、N95のマスクを外し飲み物を飲んだ母は、サービスが終わっても
マスクをしていない他の人達を見るとマスクを大声を出して嫌がったので、私は仕方なく母が好きなようにした。
サービス後2−3人の日本人の乗客がマスクをしているのを見ると、母は、『マスクしないとね。』といって
N95のマスクをする事にした。
私にとっては、ほぼ90分事に母がトイレを行くのと、
母が大きな声で残りの飛行時間を20分おきに聞いて同じ質問をしてくる。
一睡も休むことができない9時間の私の拷問の時間がまるで、私の一生を示唆しているようだった。
母の認知症は、母の昔からの自分の独断の気質が増して、自分の意思を通す。
昔は、記憶力が高かったので、情報源と自分の感が辺り、母子家庭で社会的にも成功していたのだった。
ただし、今記憶力があったり無い状態でこの感がほぼ99%当たっていないが、独断の気質はそのまま継続している。
つまり、頑固な御婆さんのだ表なのだ。
全て、介護も命令口調で私には、通す。
次女の私は、常に日本の文化の目上の人のいう事を聞くに、従順してきた。
この、拷問の様な人生は、ハワイに住んでから解放されたのだった。
しかし、母と一緒の時間は、この拷問の様な時間がまた再回するのだった。
姉も良く私に、『お前は、私の奴隷だから、いう事を聞かないと罰を与えるから。』と言っていた。
私は、今はただ一人の人間としての義務を果たす為に、そして母が一人の人間として最期まで生きられる様に
義務を果たす行動をとるだけだ。勿論、母と娘の愛は、そこに普遍的に 一重存在する。
機体が羽田国際空港に午後7時35分に着陸した。
羽田空港に着陸すると、私達を含めて日本人の乗客は全てマスクを着装していた。
機内の通路を椅子をつかまりながらよたよたと母が下りると、母の車いすが待機していた。
車いすに乗り、母の手をアンチウィールスブレンドのスプレーで消毒した。
車いすでゆっくりと進んで行くと、ほぼ99%の人がマスクをしていた。
乗客や乗り継ぎの人々のマスクをしながら不安な顔をして歩いていた。
検疫の所は、イタリアの北部からとサンマリノマルタ地方の入国者の場合の別の通路が設けられていた。
それ以外は、ガラントした検疫と入国審査をほぼ並ぶ事無く通過していた。
預けた荷物のとりにカーセルに行くと、私はカートの手を消毒してから握った。
税関もパスポートを見せるだけでそのまま通過して、私達は、到着階に着いた。
がらんとした、到着階にいる人はまばらで、皆マスクをしていた。
そして、多くの外国人を乗せている羽田空港からのタクシーよりバスが安全ではないかとジョンと結論を出した私達は、
夜の羽田空港の冷たい風が肌を突き刺さるように感じながら、
バスに乗り自宅近くの草加駅東口行の京急バスに乗った。羽田から草加駅東口行のバスは、通勤に利用している人が
ほぼ80%を占めていた。
草加の駅に着くと、母は、高い階段を降りるのが難しかった為、私は、母を抱えて階段を下車する補助をした。
バスを下車すると、母にまたキャリオンのスーツケースをゆっくりでいいからタクシー乗り場まで歩いてとお願いすると、
母は、びっくりするぐらい正気になり『 頑張る。』と言って、よたよたとキャリオンスーツケースを引きずりながらタクシー乗り場まで歩いた。ここは、母の強い意志に感謝しながら、私は、急いでタクシー乗り場まで歩いて、母の所に戻り
母の手を取り、キャリオンスーツケースを引きながら2人でタクシー乗り場まで歩いた。
タクシー運転手は、ハワイから来た私達を不安な気持ちを自宅まで送ってくれた。
自宅に3か月振りに帰宅した母は、ホッとした用だったが、自宅の玄関で母に先ず
アンチウィールスのスプレーを頭の先から足の先まで吹き替えてから、オーバーを脱がせて、
自分にも同様にスプレーして、スーツケースにも吹きかけた。
母が寒いから、着替えを嫌がる中、ガスストーブのスイッチとガス湯沸かし器のスイッチを入れる間
母がコンセントなどを入れようと家じゅうを触る中、
手と洗顔、入れ歯の洗浄を石鹸でしてから、パジャマに着替えてもらって、アンチウィールスのカプセルを飲ませてから
母をベットで寝てもらった。
母がベットにテレビを見ながら横になっている間、私は、お風呂を洗ってからお風呂を入れて、
家中の母が触った場所を、アルコールで消毒してから、私は、ラベンダー、ティートリー、パチョウリ、パロサントのお風呂に入り、深い眠りについた。
次の日、私は、母に朝アンチウィールスのブレンドのカプセルを飲んでもらった。
母に、体調を聞くと、『大丈夫よ。』と言った。
帰国から一日が過ぎてとりあえず、今の所体調に異常がない高齢者の母である。
新コロナウィールスは、今後何時終息するかわからない不安な状況で、私は、
スワインインフルエンザとサーズで検証されてアンチウィールスの検証例があるエッセンシャルオイルのブレンド使用して
自宅待機しております。
今回の日本滞在は、政府また、WHOの指示とうり、外出を避けて可能な限り自宅待機いたします。
そして、米国の状況により郵送がハワイからになる事をご理解下さい。
日本にいる間にご連絡があり郵送が間に合う場合のみ日本からのご郵送料金になります。
エッセンシャルオイル等のブレンドまたは、コンサルティングなオンラインまたは、お電話でのお問い合わせになります。
アロマセラピートリートメントはCOVID-19の状況が終息するまで中止させていただきます。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
info@argutha.com
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日本に帰国するのを残念ながら延期しました。
石川県のフランスから帰国した男性が無症状で感染が陽性が出たニュースを読み。
この無症状の男性が感染源になっているかどうか未だに結果が出ていない。
中国でも同様に20歳の武漢省から帰ってきた女性は、無症状で家族全員が感染したが、この女性は無症状
のままである。というNYタイムスの記事も読んだ。
このウィールスに侵されない自己免疫能力を持っている人がウィールスを保持した場合、他の人にも感染させる疑惑がでている。
今実際に、どのように感染して行くが研究されている現在進行形のウィールスだ。
そしてそんな中、ハワイの家族が、高齢の母の事を心配しそして、トランプ大統領がイランと韓国からのアメリカ入国を
禁止したため、万が一日本の今の状態が変わってきたら、日本に渡航した人のアメリカ入国拒否をするのではないか?
と言う不安もあり、私がハワイに入国できない可能性が高まってきたからだ。
日本政府も日本国民も真剣に今の状況をとらえているので、今後は終息して行くと私は、楽観考していたようだっと
自己反省しながら、日本帰国の予定を変更した。
恐らく今回のCOVID−19は、世界的に新しいウィールスの研究結果が理解できない限り
トランプ大統領は、今が良ければ良い戦法で制作を大統領の勝手な権力を使って決めて行ってしまうかもしれない。
アメリカ本土でも、海外に渡航していない感染源が解らないオレゴン州在住の50歳の女性がCOVID−19で亡くなっている。
アメリカは、日本の様な健康保険制度が確立してないから、恐らく重症にならないと病院に行かない可能性ががる。
軽症の人が多くの人達に感染を広めて行く可能性が高い。
本当に、真剣に世界中がこのウィールスを撃退しなくてはならない。
P.S ハワイからオイルをご発送する事も可能なのでご注文される方は、
info@argutha.com までご連絡下さい。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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気持ちよい朝日と共に清々しく目覚める。
ベッドルームからの朝日に照らされたオロマノ山脈を見ながら瞑想をし、幸福な気持ちに感謝をする。
世界中がCOVID−19に怯えている中、母と2人でその真っただ中の日本に帰国する。
ハワイは、トロピカルな気候の為か、今の所日本から観光で来たご夫婦以外は、感染者がいない。
流石の、日本人は、ハワイでも風邪の症状が出た時には、マスクをしていたそうだ。
その為か、ハワイでは感染者がいないのか?
暑い日差しにCOVID−19は、殺菌されているのか?
ハワイでは、2月1-6日ハワイマウイ島とオアフ島に滞在していた日本人のご夫婦以外の感染者が出ていない、ありがたい状況だ。
母が79歳の高齢で糖尿病もあるので、念のため外食などは避けて、近所のカイルアビーチに
気持ちよい日差しを浴びながらトレードウィンドに吹かれながら散歩に行く位にしている。
現在そして、中国・香港からのフライトは、ハワイを含めてアメリカでは運行を中止されている。
そして、過去に中国に滞在したことがある人の入国が中止になっている。
今、世界は、パンデミックに入る真っただ中だ!
ハワイのドラッグストア―には、フェイスマスクが売り切れ状態で、日本と同じ状態だ。
そんな中、私は、N95マスクをオンラインで購入し日本帰国に備えた。
COVID−19ウィールスは、インフルエンザウィールスよりも小さい為
通常のマスクでは、このウィールスを防御するのは不可能である。(WHOのニュースから)
ただ意外にアルコールや石鹸などで手洗いで殺COVID-19だ。(WHOのニュースから)
意外に簡単に防御できるともいえる。
ご存知の通り、エッセンシャルオイルにもアルコール類が含有されている。
1997年からアロマセラピー、植物療法を勉強して来て、何度か風邪やインフルエンザに
感染したが、その度にエッセンシャルオイルを使用して1-7日間で完治してきた。
使用方法は、エッセンシャルオイルを空気中にエッセンシャルオイルを噴霧空気中の殺菌、殺ウィールスをしたり・経口経皮投与などで殺菌、殺ウィールス、身体の調子を敏感に感じ取り(悪寒、頭痛、喉の痛み違和感、鼻水、咳、倦怠感、節々の痛み、食欲がなくなる、下痢など)少しでも何か通常と違うなと気が付いて、その気が付いた時間から
エッセンシャルオイルを使用する間の時間が短ければ短い程、体内に菌、ウィールスが存在する時間が短くなる為に
早く完治する。そして、その時間が長ければ長いだけ完治に時間がかかるのを経験してきた。
それは、勿論私のクライアントの方々の例を見ても同じである。
インフルエンザやウィールスは、先ずホストを見つけてそのホストが弱ければ弱い程
繁殖して行くのである。
つまり、体内にウィールスが存在する時間が長いと、体内の細胞をホストとしてウィールスが
ぞくぞくと繁殖してしまうので、体内のウィールスの数が多ければ多いいほど殺ウィールスをする時間がかかるのだ。
一旦、インフルエンザを発症したら、温かい水分を良く摂取して固形物だと消化にエネルギーを
とられてウィールスに体力を失われて行くので、流動食(梅干がゆ、お味噌汁)や野菜や果物ジュースなど
消化に良い物を少量摂取する。
そして、安静にするのが一番だ。少し調子が良くなったからと言ってむやみに体を動かすとウィールスが
体内に循環し直ぐにまた悪化して行くのだ。
インフルエンザを甘く見てはいけない、毎年世界でインフルエンザA、B、C、Dの種類に5百万人が重症のインフルエンザに発症し、290,000人の
人が亡くなっている。(ウィキペディアから)
通常のインフルエンザは、人から人へと感染したものだ。
そして、2019年の11月に新たなウィールス、COVID−19、ニューコロナウィールスが中国武漢省で発症した。
この新たな、ウィールスは、動物から感染したといわれている。
その為、ウィールスの繁殖力と耐久力が尋常ではない為感染率が高まる。
SARS(鳥インフルエンザ)から比較すると、繁殖率は、咽喉呼吸器系からゆっくりと繁殖して行くので
初めの症状に気が付きにくい、気が付いた時には、肺に到達して肺炎を発症しているケースで重症になって行く。
喉の違和感、痛み、鼻水、悪寒の段階で直ぐにマスクをして他の人への感染率を防がなくてはならないが、
通常この段階では、人は普通に仕事をしている為に次々とインフルエンザよりミクロのウィールスは、感染して行く。
そして一般の健人は、風邪と同じような症状に強い倦怠感と空咳、節々の痛みが続く軽症の例が80%である。
しかし発症者の内14%重症になる率があり、ほぼ 49%の割合で死亡率が高まる危険なウィールスである。
ただし、健康な人は、この初期のインフルエンザの症状段階がインフルエンザよりも長い間継続していくケースが多い為、感染者が知らずに次から次へと感染を増やしていく。(香港大学疫学生物学研究所より)
多くの日本のニュースを読んでいると、発熱しないと先ず検査はしてくれない。
何故ならば、インフルエンザや風邪のシーズンにCOVID−19に似た症状で病院に駆け込む人は
何千人も毎日いるのから、高熱を発症している重症の人の命を救うために、重傷者の検査を優先する。
という事だ。
確かに、それは道理に合っている。
健康な人の発症後の経過をニュースで見ていると7-14日で完治している。
しかし、確実に完治しているんかが疑われるケースがいくつか出ている。
症状は、空咳、倦怠感、咽頭痛、節々の痛み、発熱といたってインフルエンザの症状と同じである。
ただし、現在世界中で発症しているケースは82000例内死亡者は、3000例(致死率3.65%)インフルエンザ同様に持病がる人が発症するとウィールスに弱い臓器が蝕まれて死亡してしまう率は、2−3.65
%。そして、不明で、新しい動物感染ウィールスだから不安と恐怖が一杯だ。
日本は、感染者(167例)が多いいが、死亡者(3人)である。(厚生労働省2月27日現在)
世界各国からみても、中国に近いアジアの国からで冬の乾燥と低温の気候という状況から考えると少ない例である。
中国とは、異なる大陸に位置するヨーロッパのイタリアなどは、650例で死亡者は17人である。
日本が何故、安全であるかがこの数を見ても理解できる。
先ず、何故鳥インフルエンザが消えて行ったかは、気温の上昇でウィールスが自然死滅して行ったのだ。
ハワイも、日本人の2人の観光客がCOOVID−19に感染して滞在しても、温暖な気温と毎日の太陽の日差しと、
時おり降るシャワーの様な豪雨が石鹸で手御洗をした様に殺ウィールスの環境をもたらしたのか、感染者は、0だ。
勿論、高温多湿のハワイの環境は、真菌やバクテリアが、繁殖しやすい。
私の白い服やカバンや靴などは、使用してないと1週間くらいでクローゼットの中で真っ白な菌が繁殖したり黄ばんでくる。
定期的に洗濯やカバンや靴を吹かないと大変な事になる。
日本帰国まで残る1週間を、母と2人で近所のカイルアビーチパークで1時間程散歩し、頻尿な母には
散歩中は、公共のトイレに石鹸が無いので紙パンツをはいてもらい、家までトイレをガマン!衛星が第一!
適度な運動と、昼寝や免疫力強化のライフスタイルで可なり心配なストレスもあるが帰国にチャレンジです。
さてさて、ここからが専門家の私が日本の方へのアンチウィールスエッセンシャルオイルのブレンドのご紹介です。
エッセンシャルオイルは、的確なエッセンシャルオイルの化学成分と効果効能によりブレンドする事で単一エッセンシャルオイルでの使用よりも相乗効果を発揮します。1997年からエッセンシャルオイルを勉強、研究、経験を経てブレンドしたブレンドになります。エッセンシャルオイルは、全てオーガニック純粋高品質な物のみを使用していっます。
一番のお勧めは、?の内服用ブレンドです。ニゲラサッティバCO2のオイルに希釈して作成し、殺ウィールス効果を最大限に引き出したブレンドです。少しでも不安な時に1カプセル、または、人混みに行く前に1カプセル、帰宅したら1カプセル飲用して、体内の微量なウィールス侵入を防いでいきながら、免疫力強壮を期待できるエッセンシャルオイルを混合をしたブレンドを作成しました。
楽園ハワイの生活から日本へ緊張感を持って帰国する前に、作成しました。
アロマセラピー(エッセンシャルオイル)で可能な限りアンチウィールスと免疫力強化ができるブレンドの
ご紹介。
(環境)
? 殺ウィールス用のディフューザーブレンド 10ml(約240滴)5500円(税込み)
使用方法:6畳の部屋の場合、スチームがでるディフューザーに10滴ほどたらして15-20分部屋を噴霧し部屋の殺ウィールス効果を期待できます。また、N95のマスクが無い場合は、マスクに1滴使用して外から侵入するウィールスに対応していきます。
(ティートリー、ユーカリグロブス、ベルガモットなど9種類配合)
? 免疫力を高めるマッサージオイル 4オンス 11000円(税込み)
使用方法:4−5mlを入浴後胸の上、肺の上と後ろ(上半身)腕、手などに朝シャワーの後などに刷り込みます。
(タラゴン、ユーカリラディアータ、メキシカンサイプレス、サイプレスリーフなど9種類ブレンド)
? 殺ウィールス用の飲用のオイル2オンス(約60回分)1mlカプセル60個付き 26000円(税込み)
(シナモンバーク、クローブ、サボり、タイムリナロールなど12種ブレンド) 【一番効果的な方法です。】
使用方法:1日3回食前に1カプセル(1ml)をグラス1杯の水で使用。また、人混みに行く前に1カプセル、人混みから戻ったら1カプセル使用して瀬戸際で予防。インフルエンザなどウィールス感染しったかなという症状がある場合は、2-3時間に1回使用または症状が出てきたらその都度使用して、温かい水分を1日1.5-2リットル摂取します。
また、持病などアレルギーがある方には、パーソナルブレンドで対応いたします。
ご希望の方は、E-mail info@argutha.com にてご連絡下さい。数に限りがございますのでご連絡は、お早めにお願いいたします。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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冷たく重たい東京の冬の空気が肩からそして脳から抜けて、目を覚ますと
鼻腔を心地よい温度の空気が甘いトロピカルフラワーの柔らかい
香りと共に入り、脳のリンビックシステム、扁桃核からストレスが解放されて行くに気が付く。
ベットルームの窓からは、オロマノ山脈が朝日にうっすらと照らされて、黄緑色に輝いているのが目に入る。
あー、ハワイカイルア帰れたんだ。
2019年も後8日で終わる。
そして、更年期も真っただ中の53歳から54歳になり、自分が巷の叔母さんの代表核になる。
気持ちは、何時でも36歳くらいなのに!と思いながら鏡をみるとうーんやっぱり叔母さんに近い。
いくらジョンが私がしわ皺になっても美しいと言われても、自分が若さを保ちたい!
何時までもこのままでいたいと心の声が聞こえてくる。
そして、二人で健康的に若々しく人生を楽しむために、自分の若さを保持していきたいなぁ!!
若さイコール健康の秘訣でもある。
ハワイに帰った朝一番の私の心に自分の声が聞こえてきた。
私の幸せの定義には、5か条がある。これがぶれない様に毎日の努力をする。幸せになる為には、漠然と考えてては、幸せには、ならない!自分の幸せを確実にする必須環境を書き出してみる。
1、温かい気候=ハワイの楽園生活
2、愛 = ジョンとジョンの家族、友達
3、健康= アロマセラピートリートメントとホールフードダイエット
4、美しさ= アロマセラピートリートメント
5、若さ = アロマセラピートリートメント&ヨガ
世界中の蒸留者から直接買い付けているエッセンシャルオイル達が集まるアロマセラピーの私の部屋に入り、
自分の心身の健康の為の12種類ブレンドをノートを広げながら考えだした。
多くの市販の製品は、自然派でも必ず保存剤や多くの化学薬品が混合されている。これを毎日使用して行くと
知らない間に何年もかけて体内の皮下組織から脂肪、内臓、神経叢などに沈殿して行き、何らかの外環境のストレスからアレルギー症状、癌、現代病の一つの免疫低下病や難病の引き金の要因になる。
その代表格が、パラペンだ!パラペンが乳がん細胞組織から摘出されている。
ガン細胞は、異変した細胞が悪性腫瘍として成長し、高齢になればなる程癌になる可能性が高くなる。
食べ物は勿論、皮膚に使用する物も体内に浸透して行くのだ!代謝しきれない不要な、添加物や化学薬品、公害など体内に長期的に蓄積されていき、細胞に異変が発祥されていく。
人口香料化学薬品の一つであり、この目に見えない小さな香りの微粒子が、
脳の嗅球から大脳辺縁系に浸透していき、脳をゆっくりと知らない間にダメージして行き、内部分泌腺や松果体などのバランスを崩して病気を引き出していく。
フランスの香水調香師は、90%以上の割合で何らかの癌を発生する。
長期的な健康の秘訣は、皮膚に使用する物、体内に浸透して行く物を完璧な天然成分で使用する事を心がける事が最も大切だ。
そして一番大切な事は、全てが体の中から出てくる!
今の自分のホルモンバランスを整える内服用のブレンドを先ず考えた。
? 今の私は、いきどうりとフラストレーションが心の底にたまり、胆嚢と腎臓機能が弱点となり、遺伝的に心臓の機能も弱いのでこの2点を整えるブレンドを合わせて更年期対策女性ホルモンのバランスを整えるブレンンドを考えてカプセルに詰める。
?白髪防止用ヘアケア―用のブルガリアローズ配合のヘアーワックスと髪の毛がやせて、抜け毛防止のブレンドをつくり植物性のオーガニック無香料のローズマリーバーベノンとメキシカンサイプレスの爽やかな香りのブレンドをシャンプーにとオリーブリーフハイドロゾルとタイムリナロール・マートルなど7−8種類のエッセンシャルオイルを香り浴コンディショナーに混合する。?&?
?&? フェイス用には、2種類のフェイシャルパック、一つは、アルパインラベンダーとフラゴニアなどを混合し爽やかな香りのクレーパックで皮膚の浄化用で皮膚の細胞を活性させるパックそして、2つ目は、ハワイのアロエとパパイヤシードを混合してフランス産のオリスルートとレモンを混合し美白用のパックを作る。
?&? 皮膚の弾力と張りを蘇らせてしわと二十顎、ほうれい線・目の下のたるみ・首のしわを防止する為のトューベローズやネロりのフローラル系のフェイシャルマッサージオイルとチャンパカ・ホワイトローズ・ネロりなどのハイドロゾルのブレンドを作る。
? フェイスクリームこれは、UV12の効果と皮膚を外環境から保護する抗酸化作用の高いブルガリアローズを贅沢にブレンドした栄養クリームを作る。
?、?、? ボディーは、歳をとって行くとタフタフとした皮膚になりそしてちりめん染めの布の様に細かい皺がひじや二の腕やひざの周りに太ももの出ないように、皮膚の張りといらない皮下脂肪を燃焼して行くカプサンシンCO2とシーフェンネルなどで刺激して行くボディークリームとピンクグレープフルーツとローレルの爽やかな香りのスクラブ・マダガスカル産のジェラニウムバーボンとパルマローザ、ユーカリシトロドーラのボディーソープを作る。
これを、3-4か月ごとに自分のホルモンバランスや体調などをチェックしてブレンドを少しづつ変えて行く。
通常細胞は、環境は状況に応じて変化して行くので、天然の細胞組織は、その状況に応じて少しづつ変えて行く。
植物を育て行くとその細胞の変化に敏感になって行く。
2020年の完璧12種類のブレンドセットをご希望の方は、Emailまたは、お電話でコンサルティングして
ブレンドを作成していきます。
天然成分で細胞の再生を活性化して、健康な1年を過ごしましょう!
健康になって行く自分は、2021年そして2022年、気が付くと自分が本当に健康であると感じそして自信が出てきます!
LOVE&ALOHA,
MIDORI
info@argtuha.com
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ハワイアン空港の飛行機のタイアが滑走路に降り立つ瞬間頭の後ろから野球のバッドで殴られて、ノックアウトの気持ちで羽田空港に着陸した私だった。
肌に突き刺さる様な寒さを感じて、母がショートスティー先から戻るのを待った。
母の難聴用に取り付けた音高いインターホンの音が脳をさすように高鳴り、ドアを開けると、母が車椅子に乗り車のバンの後ろから降りてきた母は、90歳になったかのように
歳をとって見えた。
私が母に【お母さん、歩けるでしょ。】と言って手を取ると母は、私の目を見て
不安そうにうなずき、車いすから危ない足取りで立ち上がっり、家の玄関に入った。
確かに、何時もの足取りより可なり弱弱しく歩いていた。
母は、お酒の飲み過ぎで2日間意識が戻らず2週間病院に入院したのであった。
ハワイから帰国後1か月ほどたった11月初め頃に、母の昔の悪友が、母に遊びに来て、多量にお酒を買ってきてしまったのだ。
母のお金をそしてくすねて、それっきりだ。
私は、ハワイでその知らせをケアーマネージャーから聞いて、涙が出るほど、悲しくてオロマの山脈の夕日を見ながら、
ジョンに帰国を早急に考えてるが、ジョンの家族と
の日本旅行からハワイに戻りまだ1週間も経過してなかったので、病院に電話してから決めると伝えた。
時差が19時間あるので次の日に、母の医師と話すと、
【数字的には、検査結果はどこも悪くなく健康なんです。認知症のテストをしたのですが、初期の認知症の症状がありますが、どこも特に悪い所がないので、お酒の解毒処置をすれば、1週間で退院できるでしょう。
ただし、今後一人暮らしが難しいので、施設に入る事をお勧めします。】
お医者様も命に別状が無いと言う事だったので、従妹に入院手続きをお願いして、既に飛行機のチケット購入していたので日にちができず、帰国を予定とうりにした。
現実、ハワイは、11月第三週の木曜日がサンクスギビングでジョンのお母様も84歳なのでお手伝いや、
ジョンのお父様のアルツハイマー型認知症が日本旅行中悪化し、そして義理の母のバーティゴと言う眩暈の発作がそのストレスの為、出てきてしまい、
病院に付き添ったり、義理の両親のケアーで毎日忙しく過ごしていた。
(このアルツハイマー型認知症の症状は、次回のブログで書いていきます。通常の母の様な認知症と異なる症状です。)
その後、母は、ショートスティーをしたのだが直ぐに発熱を起こしたので、また入院してしまった。
尿道炎と肺炎で微熱がでていた。
草加私立病院での処置が悪く、尿道炎になったのだ。
この私立病院は、電話の対応もとても不親切で母の治療が点滴が外れて余り無いので、
個室でないと対応できないと言われた。これは、完全に治療費稼ぎの理由でしかない。
その乱暴な看護婦さんの治療不慮の為、草加市立病院は、責任を認めたくないのか、母の入院を拒否し、違う病院に入院しそして、1週間後に退院した。
武南病院に電話すると、今度は看護婦さんが丁寧に母は、既に微熱も治まり、お食事も召し上がっているので、1週間ほどで退院ですと
説明を受けた。
高齢者の日本の病院の受け入れは、可なり厳しく、薬代と治療代がかからない場合は、受け入れを拒否する。
父が間質性肺炎の発作呼吸不全になった時、救急車を呼んで病院の受け入れ先を探すのに1時間も救急車の中で
待たされた。私は、その時東京の赤坂に住んでいて、周辺には多くの病院が存在しいたのに、結局日赤病院の
救急が入院しないのであれば、診ると言われてやっとの医師の診断を受けたくらいだった。
この時、私の精神状態は、可なり不安定だった。救急車の中で父の生命の危機を感じて涙が滝の様に流れてきた。
そして、父が他界後も、救急車のサイレンの音を聞くと、STD(トラウマ)で心臓高鳴りと呼吸が早くなり、酸欠状態になっていた。心を安定させる香りを持ち歩かないと外出できなかった。
この時から6年が経ち、私の心は楽園ハワイにナチュラルrな香りに癒され続けている。
母と2人で話すと、施設では歩くと危ないから、歩かせて貰えずに辛かったと言って、家では、また
衰えてしまった足腰を鍛えたいから、歩きたいと言って、近くのクリニックまで、以前よりも弱弱しげだが
確かな足取りで頑張って歩いて、介護通知を市役所に提出してくださいとお願いしに2人で言った。
12月の冬の空は、低くそして冷たい。
母に、16日からハワイだから、また頑張ってリハビリしようと励ますと、
ニッコリ笑い。【頑張るわ。】と言った。
そうはいっても、母の食事の量も、以前の3分の1で食欲も、体力も可なり低下してしまった。
鶏がらを買ってきて、圧力鍋でニンニクや玉ねぎ、生姜を入れて鶏がらスープを作り、牡蠣のスープを作って
少しでも栄養がつくようにした。
そしてその日からまた毎日、ヘッドマッサージをアロマセラピーの脳活性オイルで5分ほどして、
背中と脚のにも、循環器系が活性されるオイルで優しくリンドドレナージュのマッサージをした。
落ち込んだ母の気持ちを高揚し、脳を活性するアロマセラピーカプセルのブレンドを1日4回飲んでもらった。
このカプセルのブレンドのおかげで、10月5日に母の、身体検査をした時には、
HDL、中性脂肪のコレステロール値も血糖値も尿酸も全て正常値にもどり、アロマセラピーのエッセンシャルオイルは、成長ホルモンや女性ホルモンを活性させて骨粗鬆症にも効果的!
母は、2年前に左禅話を骨折したのですが、このブレンドで骨密度も正常です。
そしてかかりつけの高木医師にも健康になりました。と褒められて、自信をつけていた母だったのに・・・・
11月11日にスゴロクの振り出しにコロコロコロンとそして、締めくくりは、歩かせてもらえなかった3週間で
ガッガッガーンと投げ出されてしまったのだった。
私が、母に、【ハワイでまた2か月振り出しから始まりだね。】
と言うと、母は、意外にも、
【そうでもないわよ。まだ歩けるし、お酒も飲みたいと思わなくなったから!】
私は、母に
【それが一番良い。お酒のせいでこうなったからね。】
そして、病院の社会福祉の人に母の今後一人暮らしは、難しいと言われてしまい。
私自身が、母の今後一人暮らしが難しい事を知らせれた。
そこで、母の生まれ故郷の岩手県宮古の幾つかの施設を調べて、申込用紙を記入した。
電話で説明を受けた限り1年位は、待つとの事なので、申込用紙だけでも郵送しておけば直ぐにでも
ないので良いかと思い、母がまだ歩けるうちに入所した方が、入所も楽にできるので、良いかと考えた。
2014年に母が倒れた時も同じように考えて、母と2人で宮古に行ったが、母が自宅に戻りたい
と希望したので、頑張って一人暮らしが出来る様に母が頑張って、5年が過ぎた。
そして79歳を前に、常時飲み薬もない健康な状態になったはずだが、いたって一人暮らしの自信がなくなってしまった。
【田舎の施設に入っても良いかもね。】
と母は、言い出した。
私は、【まだ一杯だから、空きが出たらでは、施設に入ろうね。1年待ち位らしいから。】 と説明した。
私は、一人落ち込む心を癒すために、瞑想を心を安らげる香りの香水を作りした。
私の人生と、母の人生が一体にならない様に、大切な母だが、母の人生と私の人生は一体ではない事を
マントラの様に唱えて、自分の人生を自分らしく生きる為に香りと共にした。
父の介護の時に、介護生活にどっぷりと入り込み、自分と父が一体になるくらい頑張ってしまい。
うつ状態になってしまった自分がいた。
父が亡くなり、自分もこの世から亡くなりたいと何度となく心に感じてしまった自分がいた。
それではいけないと、心の声聞き、自分の幸せを見つける研究に没頭して、
【人間行動学のバイオロジー】を理解して、幸せになる為の香りと自分の一生涯の幸せを見つける方法を見つけたのだ。
そして、私は、今が53年間生きて生きて一番幸せだと心から感じている。
そんな自分の脚を引っ張る、昔の自分を打ち消すためにも、自分の幸せホルモンのブレンドの香水共に瞑想をした。
すると、3日もすると、母と私の人生が2つに分かれて、心の焦燥感が冬の寒さで落ちて行く落ち葉の様にすっかり
と落ちて行った。
アロマセラピーと瞑想は、自然体の自分に直ぐに気が付いてする事で自分を回帰してくれる。
ヒーリングは、気づきから始まる。
ゆっくりと心が落ち着き、そしてハワイカイルアに戻れば、また極上の楽園に心身がぴったりとはまって行く。
私の中学からの親友が、母の話をすると、50/80問題だ。
日本人の50代が抱える、人生の課題。
多くの人が、親の介護で自由を束縛されている。
親の介護は、やはり自分の自由が存在してないと、多大な後悔と心身の健康を失ってしまう。
親の介護にやりがいを見出しても、それは自分の人生ではなく、介護と言う親の人生に巻き込まれて行く人生になる。
そして、親が亡くなった時に、自分が腑抜けの様になり、鏡に映る自分の姿と親を重ねてしまう。
その後、幸せも求めて、10年前に手が届いていた幸せに手が届かなくなっている。
何時までも、若くなく今を生きるには、自分の人生を自分らしく生きて行かなくては、自分の精神が辛くなっていく。
高齢者社会の基本は、自分の人生を幸せに生きる事だ。
新たな、2020年に向かい、自己のホルモンのバランスを香りを通じて整えて行く瞑想をしましょう。
そして自己のホルモンのバランスを整えるカプセルを飲用して、自分の自然体の行動パターンに回帰していきましょう。
ご希望の方は、info@argutha.com までお待ちしております。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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母の2カ月間のハワイでのリハビリ3期目が9月の新月(ハワイ語でMUKU)の日に終了した。
昨晩は、新月(MUKU)だった。
大切に育てているオーキッド達の中でLADAY OF THE NIGHTの花がその夜咲いた。
純白の可憐な花びらが夜になると、ゆっくりと花びらを広げて開花し、魅惑的な香りを放つ。
夜にだけ香る為にその名を夜のレディーとつけられた魅惑的な蘭の香りだ。
その香りは、雨が時折降る、カイルアの新月の夜空を艶やかにした。
新月の新たな美しいエネルギーのサインの様に、開花した。
見た目は細長い優しく繊細の花弁で繊細な花だ。
ジョンと2人で、ニュームーンの夜のお花見を香りに包まれながら
明日日本発つ私は、
2人のお別れの夜の寂しい気持ちを和らげた。
2匹の黒猫のバクスターとメルメルが芝生の上で伸びをしているのを横に、
美しい夜を楽しんだ。
そして、大切な母のアロマセラピーのリハビリがどこまで効果があるか、
身体的に帰国後身体検査で確認するのを
期待しながら新月の夜、天然の香りに包まれながらまるで瞑想を永遠とする様に眠りについた。
母は、朝4時に目が覚めてしまい、私が出しておいた冬用の温かいパンツと
セーターを着てベッドに横になっていた。
私も5時には目が覚めて、うつろな気持ちで出発前に忘れ物をしないように
頭の中でスーツケースの中を確認していた。
ジョンが目を覚まし、朝のコーヒーを入れにキッチンに行く。
ジョンが入れるコーヒーは、本格的なカプチーノだ。
オーガニックのミルクをフォーミングして、23秒間だけエスプレッソのコーヒーを注ぎ
その辺のバリスタよりもパキパキ朝からコーヒーを入れてくれる。
そのコーヒーを飲みながら、キッチンの窓から見えるオロマの山脈にかかっている霧と
青空を見ながら、ほのぼのとした、幸せを感じる。
母が、ジョンに
【長い間、お世話になりました。何時も親切にしてくれてありがとうございました。】
と言ったのを私が、ジョンに訳すと、ジョンが母に、
【気兼ねなく又12月来て、一緒に新年を迎えましょう。】
と言ったのを、私が、母に訳した。そして母は、
【それまで、生きていたら、またお世話になりますのでよろしくお願いいたします。】
と言った。
3人で笑って、その空気を楽しんだ。
5年前には、こんな会話すらできなかった母が、今回会話がポンポンと出来る様になった。
思考回路が開発される、ヘッドマッサージを根気よくした成果が出てきた。
こんなに頭の会話機能が回復した母の最大のストレスは、日本語が通じる相手が私位しかいないからだ。
H3のハイウェイを車で走らせて左手にパリ峠に霧が荘厳とかかり、時折
アフリカン中リップの花が咲く新緑のジャングルが雨でより深くなっていた。
峠を越すとお天気雨のスタジアムの上に大きな完璧なレインボーがかかっていた。
運転をしながら、ジョンに私は、嬉しいながらにストレスになる母の脳の活性化が
を愚痴にした。
【4-5年前は、母は何も出来ず、会話も進まなかったのに、今では会話ができるようになったが、耳が遠いいから、大声で話さないとならないのと、全てを大声で説明しなくてはならないから、大変だ。】
と言って、2人で笑った。
空港に着き、車から降り、ジョンにサヨナラのキスをすると、母が
【イーナ!私は、誰もキスしてくれない。】といった。相変わらずの母のジョーダンだった。
車いすを頼んであるので、チェックインすると、
機内にあっという間に乗り込むと、いきなり日本人が一杯なので
母は、スイッチが入り、隣の人や搭乗員の人々と会話を楽しんでいた。
そんな母は、私がPCを開いてブログを書いていると、
【私は、コンピューターも何もできない人になってしまった。】
と言うので、私が母に、
【コンピューターは、出来なくても生きてられるから、自分の身の回りのことを
自分で自立してやれるようにしましょう。】
【本当に、そうね。】と言った。
脳の前頭葉が開花されているの確実に感じて、ホッとしながら成田行のフライトは成田に着陸した。
車いすをお願いいしたのでスムースにリムジンバスまで行き、
自宅の草加駅で降りるとそこから母は、キャリオンの小さなローラ付きのスーツケースを引っ張って
タクシー乗り場まで歩いてくれた。
此処まで歩ける用になったのもハワイのリハビリの成果だと目に見える母の回復を確認して
胸をなでおろした。
その人に会ったプログラムでリトリートを1人様から行っております。
ハワイカイルアの素晴らしい環境の中で、心身を整えたい方は、是非ご予約下さい。
詳細:http://www.argutha.com/
10月2日から16日青山1丁目レンタルサロンにて全身アロマセラピートリートメントまたは、パーソナルブレンド作成コンサルティングのご予約を受け付けております。
ご希望の方は、info@argutha.com までご連絡下さい。
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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9月に入ると朝晩の雨の長さが長引く日が続いた。
ハワイカイルアは、朝晩良く雨が降る。
9月の終わりにもなるとその雨の強さが強まる。
トロピカルウェザーのハワイでも季節感を感じられるのが9月の終わりからあー秋が来たと感じる。
それでも気温は、26度。
ハワイに住んで、かれこれ6年が過ぎても、我が家からのオロマノ山脈の美しさには、感動する。
特に雨雲と霧がオロマノ山脈にかかり、壮大な山並みにうつろな霧がかかりだす姿を見ていると
気持ちが優しくなり、落ち着いてくる。
そのエネルギーを感じてか、母の気持ちを少しづつ優しくなってきている。
母は、元々気性が激しい方なので、簡単に怒ったり大きな声で怒鳴ったりする。
認知症が発症してからこの気性が特に強くなってきた。
怒鳴り散らす母が当たり前だったので、認知症の症状と気が付かなった。
母の認知症が顕著に出てきたのは、2014年泥酔して転んで一過性虚血脳血栓になってからだが、
振り返ると元々好きだったお酒の深酒が酷くなっていた、2010年辺りから始まってきていた。
それから9年の時が過ぎ、母の状態はあ、最悪の14年から少しづつ回復して来ている。
身体的にも感情的にも精神的にも安定してきている。
12月に79歳に今年なる母の回復力には、限界があるにしても、薬を飲まずに
ハワイで今回3回目のリハビリ生活に風邪もひかず、寝込むことも無く2か月間過ごす事が出来た。
そして、今回は、缶ビール330mlを毎日4本から6本飲んでいたのが、炭酸水を飲んで済むようになり、
炭酸水も母は、もったいないからお水でよいと言う配慮が出てきたのだ。
前頭葉が確実に働いて来た証拠で自制が効くようになってきた。
赤ワインを寝る前に、150ml程飲んで寝る位になった。
この成果が今回のリハビリの素晴らしい成果だ。
散歩やプールでの歩行練習は、前回から行ってきて、体力的には改善しても
セルフケア―が自分で出来る様には中々ならず、ハワイでもノンアルコールのビールを飲み続けていた母だった。
それが、9月に入ると、運動量を少し増やした分、炭酸入りのミネラルウォーターにライムのエッセンシャルオイルを入れて
ビールと差し替えていった。
ビールには、依存性がありビールを飲むとカフェインと同様ドーパミンが脳から出て気持ち良くさせてくれる。
この反応がビールへの依存を作り出す。ビールはアルコール依存とビール依存でビールを飲まずにはいられない
依存症を発症する。
コーヒーやたばこもそうである。
依存症を改善するには、少しづつ量を減らして、最終的には使用しなくても良い日を1週間以上継続し、
身体的に害を及ばす場合は、そのまま使用を避け続ける。
79歳になる母にこれを説明しても、理解できず。
【どうせ短い一生好きな物を好きなだけ飲みたいわ。】と言う。
私は、【そうだね。でも、お母さんは104歳まで生きたお祖母ちゃんの子供だから飲んでも死ねないから、寝たきりだとハワイにも来れないし、最期まで自分の脚で歩いて、生き抜こうよ!お祖母ちゃんも毎日山まで歩いてたから、最期まで元気だったんだよ。】
というと、母は、【そうだね。実家から山まで、自分の子供立ちの家に立ち寄りながらの日課だったね。】
母の実家は、岩手県宮古市の地主で、実家から5キロ程離れたところに、山に山林と放牧をしていた。
跡継ぎがいなかったので、その後山は荒れ放題だったが、祖母はその山まで毎日歩くのを日課にしていた。
その実家も、2011年の3月11日の津波で流されてしまった。
時代は、変わる。
焦燥感に吹けるのも、オロマノ山脈にかかる霧がゆっくりと流れて行く景色を見ながら、
時の流れは、霧のようだ。
目に見えているようで、一瞬として同じ場所に存在せず、風に流されて行く、そして霧は、何処かに消えていく。
人間の人生も霧の様なものなのかもしれない。
母の人生は、母の自然体を整えて行きながら、生きて行く事で最期の母の人生が幸せだと母が感じて人生を生き抜いて行く。
この気持ちになれるように、ハワイの自然の中で母の自然体を整えて行く。
いつ人生の最期を終わらせても、後悔しない最期がくれば、それが人生であり、幸せなのだ。
母は、【人生でやりたい事は、全部やり遂げたから、今は自分の人生の余暇なの。】
と私に言った。ここまで、自分の人生を深く理解できるように母の思考能力が回復してきた。
今回のリハビリは、認知症になっても、脳の機能が回復する素晴らしい成果を確実に感じた。
毎日の軽い運動とバランスのとれた食生活、そして、内服用アロマセラピーブレンドカプセルの飲用と全身の母のヘッドマッサージと背骨と脚へのマッサージの成果だった。
この美しいハワイカイルアでリトリートをご提供しております。
ご興味がある方は、是非ご予約下さい。
詳細は、アーグッタのサイトにてご参照ください。
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是非この機会に、本当の全身アロマセラピートリートメントをご予約下さい。また、パーソナルブレンド(内服用ブレンド)の作成も受け付けております。ご予約は、Eメールにて受け付けております。
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ラニカイツインアイランドからの日の出は、目に焼き付く美しさが何度見てもある。
今朝は、6時16分に日の出だった。
カリーナをカリーナの友達ラニカイループの近所に住むマックスをPoo Poo ストリートに迎えに行き、
カイルア高校に送りに行った脚で
ジョンのご両親マーサとエドにヨガのレッスンを教えに寄るのが日課になってきたハワイの楽園生活。
ほのぼのと毎日ハワイの美しい自然に囲まれて生活をしていると自分が本当に誰であり、そして自分が何故
この人生を歩いているかが、自然体で受け入れられる。
5年前まで東京の殺伐とした人混みの中で生活をしていた自分が遠い昔の様に感じながら
パームツリーの生えるカイルアの町を清々しい風に吹かれながらハンドルを握り青い空と鱗雲を見ながら昔の自分を思う。
日本にい居ると何故か個人的事より、グループ・組織の中の一人を尊重してしまう。
勿論人間は、社会的組織を構成する一番高度な頭脳を物動物であり、集団の中で生きる事に自分の価値を見つける。
先週末のFINALのUS OPENでも感動した。
ロシア出身のダニール メドデフ世界代4位になった。USオープンのマンシングル準優勝に23歳の若さで輝いた彼のセリフや
カナダ出身のウーマンシングルテニスの優勝者のビアンカアンドリースクは、何度若干19歳の素晴らしいゲームの戦いの状況判断の鋭さだった。新人類共言える、冷静かつ鋭い状況判断そしてその、崩れない芯の強さの神髄は、ただ一つ2人共
決勝戦の後のインタビューでただ一つ彼ら達が行った私の心に響いた言葉は、
【最後まで、自分らしくゲームをし続けて、1球1球を返して行くしかない。】
ニューヨークのロングアイランドにある、アッシャーテニスコートで 1万4000人を収容するスタジアムで、
マジョリティーの観戦者達は、自分の応援団ではなく、テニス歴代のスターの観戦者達だった。
その状況の中で2人共堂々と自分のテニスを最期までし続け、インタビューで自分を良くやったと認めていた。
私の心は、予想をかけ離れたこの2人に感動の心が動いた。
日本の競技やスポーツ選手では、全く考えられない回答だ。
これは、日本で育った私にも言える。
人生1回しかないからこそ、1球1球(その瞬間、1秒1分たりとも逃さないで)自分らしく生きていくのだ。
これには、やはり自分を冷静に考える、観察して行く力が必要である。
人に言われたから、人に見られているから、親孝行もその一つ、自分の人生があってこそ
親の介護もできるのである。
自分の人生を精一杯生きて、自分らしく生きる事で、心から人の介護や優しさ、思いやりが存在する。
自分が自分らしく生きていないと、介護や優しさが心からできずに全てが負担になり、かつストレスになり、
気が付くと人生のどん底にいたりする。
肩の力を抜いて、長期の介護生活を楽しくするためにも、自分を自然体にして行く
生活習慣が必要なんだ。
それには、今のご時世、多くの介護方法を検索して一番自分に合っている方法を選択するのが一番だ。
ジョンのご両親は、84歳と85歳でまだまだ元気だが、エド(義父)がここ数年アルツハイマー型認知症になり、
マーサ(義母)が心配してハワイのケアーハウスを見学したりして将来2人がどのようにして
生活して行くかを検索している。
ジョンと私は、親愛なるジョンのご両親である為、出来るだけサーポートして行く事を伝えた。
余り早くに、ケアーハウス等に入ると認知症が進んでしまった例や、
私の叔父は入居日に、心臓発作で亡くなってしまったり、カナダのホストファイミリーの叔父さんは
入居した年にやはり、心臓発作で亡くなってしまった。
高齢になると、小さなストレスが実は生きる糧になっていたりする。
自立した生活を自分でして行くと言いう責任感が、自分の人生を生き抜いていく一番の糧である。
誰かに寄生したり、人に頼ってい生きて終うと何処かで健康のバランスが崩れていく。
自然の流れの様に、自分の人生を精神的・感情的・身体的に自立して自己確立を達成する事で生き甲斐が生じて来る。
この自己の確立をしない限り、心身のバランスが崩れて健康でかつ幸せな人生が確立できないのである。
それは、テニスのボール1球1球を返す事しかない様に、一日を大切に自分らしくどうやって生きていくか
を自問しながら、毎日、ぶれない自分を生きていく事である。
集団の中で生活していると、この事故の確率が難しくなり、寄生したり、集団に依存し過ぎたりして
生きていく事になり、気が付くと不幸せな自分の人生になっている。
ハワイのラニカイビーチの朝日を見ると、自分の新たな人生が毎日昇ってくるよう
毎日を新鮮な気持ちで生きられる。
日本で人生100年と考える生き方が、追求される中
遠い100年を考えて生きるより、毎日1日1日を自分らしく、自分を大切にして生きていく。
自分を大切にするヒーリングブレンドを作り、朝この香りと、ラニカイビーチから登る朝日のエネルギー
と一緒に、真っ白い砂浜に座り瞑想する。
【 自分とは、誰なのか? 】
【 自分が一番心地よい場所は、どこなのか?】
【 自分が一番幸せな時間は、何時なのか?】
【 自分が、大切にしたい人は誰なのか? 】
アロマセラピーのセリフヒーリングブレンドの香りは、脳のリンビックシステムへと伝達されて
深い瞑想の領域へと導いてくれる。
この香りをご希望の方は、info@argutha.com
までご連絡下さい。
10月2日から16日までアロマセラピートリートメントのご予約を東京青山1丁目のレンタルサロン受けたまっております。
パーソナルブレンドや内服オイルなどのコンサルティングも行っております。遠方の方は、お電話やEメールでも可能です。
ご予約お問い合わせは、E メール (info@argutha.com ) までご連絡下さい。
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8月30日 金曜日 気温25度 曇り時々晴れ
あっという間に1か月が過ぎようとしてる母のハワイでのリハビリは、
漏便で冷や汗だった1週間前が嘘の様に晴れやかな笑顔で母の蔓延の笑顔で過ぎようとしている。
母の便秘が悪化しないように、野菜を中心にケールやビーツとパイナップルのコールドプレスジュースや
献立に気を使いながら、毎日の簡単な運動そしてプラス3は、
? 寝る前の便を柔らかくするアロマセラピーサポジトリー(浣腸)
? 腹部の時計回りでアロマセラピー快便マッサージブレンド
? 寝る前夜用のリラックス副交感神経を活性する飲用カプセルブレンド
次の日起きてコーヒーを飲んで無糖グリークヨーグルトを食べてから
お昼カイルアから西に進む72号線へドライブにでた。
私のお気に入りのドライブコースは、気が向くと一人でも車を走らせて美しい海岸線見ながらドライブを楽しむ。
ローカルなワイマナロには、私の好きな蘭の花を販売する園芸店がある。
今日は、母がいるので園芸店を通り過ぎると、ワイマナロビーチを左手に広がりながら右手には、溶岩の流れ落ちた壮大な
山並みが海岸線に迫るように壁の様に聳え達、その山並みには、アフリカやアマゾンから来たアルビザンの木々や
今の時期、オクトパスツリーと言ってタコの脚の様に赤い花が咲いている木々が時折赤い華やかさを彩る。
オーシャンパークを右手に通り過ぎるとターコイズブルーの海にハワイ大学のマリンリサーチ場がひっそりとたてられている。
イースト72号線または、カラニアナオレハイウェイは、
ラビットアイランドが浮かぶ海岸線を横目にマカプーと呼ばれる灯台岬に続きそして、
溶岩石の茶色いダイナミックな岩肌が迫る曲がりくねるカーブと真っ青な海に挟まれた道を走らせると、
真っ白い砂浜のサンディービーチと真っ青な空にパームツリーが時折生えている美しいビーチを通り過ぎて、
ハワイに来ると誰もが行く潮吹き岩とハナウマベイに着く。
そして、右手に見えるのはドライな茶色い岩肌のココヘッドだ。
ハワイでは、お寿司は高級品だが母に喜んで貰うために、1か月頑張ったお岩にお寿司を食べに
ココマリーナにある日本食レストランによろうと車を止めると、お昼が何故がお休みにいつの間にかなっていた。
母に説明してギリシャレストランのグリークマリーナに二人で入り、母の好きなカラマリフライセット
私は、母が好きな、エビの串焼きのセットを頼み、二人で分けてランチを楽しんだ。
母に、エーゲ海クルーズに大昔2人で言った思い出話をしてみると、母はクルーズに行って楽しかったのは
覚えているが、細かい事は忘れてしまったわ。と言っていたが、私が話し出すと思い出すようにそうだったはね。
【サントリーニの島で食べたタイのグリルと白ワインがおいしかったわね。】
と驚くほどの記憶力を発揮してみたりもした母だった。
思いの他、グリークマリーナのシーフードは美味しく母もニコニコしてホッとした。
食後、母が【なんだか大きい方がでそうだわ。 】
私が、来た!母に昨日のオイルが効きだしたから、先ずはトイレに行こう。
母が【トイレに行くと出そうだけどまだ出ない。】
といった。
私が 【家まで3-40分だから、ゆったりした気持ちで家でトイレに行こう。】
と言うと、母は、
【そうね。 ここではまだ無理だから大丈夫。我慢してみる。】
帰り道、母が【美しい海岸線を見ながら、田舎のリアス式海岸を思い出すわね。】
私が、母に( 夏休みの田舎の思い出があったから、私は今ここでこうして生きてるんだ。お母さん、それ以外は
毎日、家で姉に虐待にあっていて、何度も死んでしまいたいと思ってたんだ。】
母が、私に【あの頃は、私も大変だったのよ。お父さんが浮気してて。】
私がそして母に、【でも、死ななくて本当に良かった。生きていると沢山美しい思い出が作れるし、良い事が沢山あるからね。
お母さんも長生きして生きてよ。】
といった。
母は、【そうね。私の母も104歳まで生きたから私も100歳まで生きたいね。生きていると良い事があるからね。】
とお互いに美しい景色を見ながら辛い悲しい思い出話をしながら家に着いた。
家に着くと、母がトイレに駆け込み、と言っても早く歩けないので、見た目は歩いてトイレに入ると、
頑張ってる声がした。
10分もしないで、母が【こんなに長いのがすっきりと出た。昨日のオイルが効いたわ。】
笑顔いっぱいで教えてくれた。
私も、 【良かった。お母さん、オイルが効いたんだね。また便秘にならないように今日も試そうね。】
母に言った。
母が
【そうね。毎日出ないとすっきりしないからね。】
先週の冷や汗が、今週はすっきり笑顔で終わった。
ハワイ アロマセラピー漏便大作戦は大成功で終わりました。
この続きは、また来週!
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ハワイでの夏を初めて母と2か月過ごして3週間が過ぎた。
青い空と青い海のラニカイビーチでのリハビリは、12月の時よりも母の回復度が良いので肩の力を抜いていた私だった。
オロマオ山脈の景色を楽しみながら我が家でのんびりと散歩とプールで歩く練習をしながら過ごしていたはずが、
丁度ハワイに来て2週間を過着た時に、母が・・・・
【出そうででないのよ。】
と私に言って来た。
嫌な予感!
そしてその予感が的中!
そして、冷や汗をかきながらトイレで母は、トイレで力んでいた。
高齢になると筋力や蠕動運動が弱くなり排便が難しくなっている母だった。
そして、その瞬間父が認知症になった時の悪夢が脳裏に蘇ってきた。
父が認知症になり要介護4まで進んでいた時、私のマンションで介護をしていた時に紙おむつを自分で脱いでしまい、
お尻の穴に指を入れてしまうのだった。そしてその便のついた指を壁に擦り付けるのだった。
私が仕事から帰り玄関を開けると凄いにおいで気分が悪くなるのと同様に初めて見た時の壁に擦りつけられていた便の後で
気が遠くなりそうだった。
慣れてくると、マスクとゴム手をしながら自分がその父の手と壁の便をふき取る日々続いたのだった。
その時父が便秘にならない様に使用していたアロマセラピーブレンドカプセルを使用して父がなるべく漏便しないように
がんばった。
認知症になると、汚いという事が余り理解できなくなる。
前頭葉が委縮して行く為に期待汚物に触ってはいけないという判断力が無くなり、排便がしにくいと
お尻の穴に指を入れて取り出そうとする。
漏便ともよばれ、筋力が衰え蠕動運動できずに便が溜まってしまう。
それが気になり指で出そうとしてしまうのだ。
母も同様に排便がしずらいようで指をいれてお尻の穴に傷をつけてしまい、そこから便がもれてくる。
母に紙パンツをはいてもらい、自分でお尻の穴に傷をつけてしまったのでお尻の穴が痛いと言ったので
私がブレンドした、痔用の軟膏を塗布してもらった。
母の場合は、まだ父ほど認知症が進んでいなかったので、私が父の様にならないように漏便になる前に
排便が出薬なるアロマセラピーのブレンドカプセルがあるからそれを飲んでもらった。
飲んでから1時間以内に
すると凄い多量の便が排泄されて母の冷や汗真っ青な顔から笑顔にもどり
【すっきりと出たわ。ありがとう。】
私もホッとした。
私は、母に便がもれるから2-3日軟膏をつけてもらい紙パンツを使用してもらった。
そして私が、母に
【でそうで出ないときはそうなる前に私に伝えてね。便が出やすいカプセルがあるからね。】
母は、【わかったわ。】
母も辛いが、私も辛い。
介護をする方は、悪臭と見た目に凄いショックでつらい、される方は、出そうで出ない感覚と力んでも力が無いから冷や汗がでてきて辛い。漏便特に、きくアロマセラピーカプセル。
腸の蠕動運動を助ける効果のオイルと便を柔らかくするオイルを混合しまた、気持ちをリラックスするオイルを混合して
排便を楽にできるブレンドを作る。飲むのが辛い場合は、このブレンドでサポジトリーを作成してお尻の穴に入れてもらう。
すると30-1時間後にすっきりとでてくる。
気を付けなくてはならないのは、この間便が漏れてくる可能性があるので必ず紙パンツなどを吐いていてもらう事です。
認知症のどあいと体力などで異なりますが、基本的に、本人も介護側もストレスを低減するためにこの対策が一番
良いです。
漏便でお困りの方は、ご連絡下さい。
腸の健康は、脳の健康にも繋がる。老廃物が体内に停滞していると全ての機能が衰えて行くのである。
そこで、今回かなり認知症が改善されている母に漏便の原因を説明し、
この漏便を機に腸の大掃除をするブレンドを作って漏便を防いで行く事にした。
【使用するオイル】
腸のマッサージブレンド+腸のお掃除飲用カプセル&サポジトリーを1週間程毎日1-2回使用して行く。
母の漏便は、今の所10-14日一回あるのでこの効果を10-14日後にブログに書いていきます。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
10月2日から16日まで東京南青山1丁目のレンタルサロンで全身アロマセラピートコンサルティング&リートメントのご予約を受付て終えります。ご希望の方は、Eメールにてご連絡下さい。
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8月8日木曜日 晴れ気温28度
朝目を覚ますと目の前にの山脈が見えるベットルームから幸せを感じる。
窓の向こうのプルメリアの甘いトロピカルの香りが鼻腔を伝わり脳に浸透するとハッピーデーのスイッチがオンになる。
ジョンが、自慢のカプチーノを毎朝入れてくれる。
この幸せの輪に、私を一所懸命育ててくれた母が入ってくれた。
私が8歳の時に父が私達家族を捨てて家を出て、母一人で私と姉を育ててくれた。
それも、二人とも中学校から私立の学校に入れてくれたのだ。
色々大変だった頃もあったが、それなりに育った私は、母の努力の結果でもある。
この母を私は、幸にしたいと思う。
東京に住んでいた頃の朝は、人の混みの中で肩をすくめて出勤していた日が遠い昔の様に感じた。
人混みの中、人口的な香水やほこりの匂いに交じって電車に乗り込みロボットの様に働いていた時それが当たり前だと感じていた。
人生は、自分で変えようと考えれば変えられる。
さてどうやって変えて行くかは、大人になってからは、自分次第だ。
自分が幸せになろうと感じるには、自分の幸せが何かをしっかり理解する事が初めの1歩だ。
私は、自分が健康であり家族が健康なのが、幸せの基本としている。
なので母の健康を考えて母の人生の幸せを構成して行く。
健康の基本は、一重に難しくなくシンプルである。
?規則正しい生活
?バランス食生活
?適当な運動
何だ!「 小学校の時に母に言われていた事が基本だ。」
と考える人は少ないはずこれができれば基本的に健康だ。
?人間は体内時計があるので、その時計に合わせて規則正しく生活すると自律神経が正常化して健康なバイオリズムを構成して行くのが生物学的に理解されている。夜10時から11時に眠りにつき、朝6時か7時には起床するのが基本だ。
?バランス食生活は、添加物を取らずに季節の果物と野菜を中心に腹八分で食べて行く事だ。
?適度な運動は、朝25分から60分ほど体を動かしてドーパミンを出して体と脳を活性させていく。
そしてより活性するには、全身のアロマセラピーマッサージそして皮膚に着けるものを天然素材の植物性にする。
皮膚は体の一番大きい臓器なので皮膚を見ればその人の健康状態・年齢が解るくらいだ。年齢と共に皮膚がたるんでくるのは臓器がたるんでいる(老化)しているサインである。
同様に髪の毛や爪もそうである。
ハワイでの母のリハビリは、この健康の基礎的基準に沿って毎日を過ごす。
前回と異なる母の点は、先ず自分が健康になり長生きしたいという意欲が出て来てる。
老人性うつ病が完治した。これは、エッセンシャルオイルブレンドカプセルで脳内のホルモンバランスが5年の月日を
かけて正常化してきたののだ。
そして、手や体の老人性震えがほぼ無く生活ができて居る。
また自己の健康管理を出来るように前頭葉が働き、アルコールやノンアルコールビールの過度の摂取が亡くなってきた。
今回ハワイでも1日2本330mlのノンアルコールビールを飲むくらいに収まっている。
食事も腹八分目で止めて、太りたくないからと言って健康な私の食事を美味しそうに食べている。
唯一、デイサービスで入浴の時洋服の脱衣を全てしてくれるので、ハワイに来ても初めは
母は、洋服が自分一人で着る事が困難であった。6日目あたりから私が、脱衣を手伝わないのを理解し自分で
脱衣をするようになり、パジャマにも一人で着替えて寝るようになってきた。
記憶力は1月より断然回復していて、全ての会話が成り立ちかつメモをしながら覚えようとがんばってきている。
まだまだ、動きが遅いがシルバカー無でも歩ける用に少しずつ距離を伸ばしている。
そして姿勢も正しく使用と背骨を伸ばすストレッチにも積極的に挑戦している。
今年の2月よりは、体力は落ちてしまっているが今回は、知力と意識がエッセンシャルオイル内服カプセルの継続で
持続しているので、9月30日までには、まだまだ頑張れそうだ。
ハワイでのリハビリの基本のプラス2は、
毎日3回のエッセンシャルオイル配合カプセル飲用
シャワーの後の全身アロマセラピートリートメント(ヘッドマッサージ2-3分・全身のマッサージ10分毎日・週に2回40分のマッサージ特に右下半身の麻痺と痛みを中心にした物そして左の腕を骨折しているのでストレッチしながらマッサージする技法を使用している。)
10月2日から16日まで東京青山1丁目徒歩3分のレンタルサロンでアロマセラピートリートメントのご予約を受付ております。
是非ご予約お待ちしております。
コースは、アロマセラピー全身ヒーリングアロマセラピーマッサージ(ヘッドマッサージ・背面・脚・腹部・腕・手・デコルテ・フェイスアロマ鍼灸・リフレクソロジー)90分 コンサルティング約30分
*マッサージの技術(指圧・ニューロマスキュラ―・スエディッシュ・筋膜マッサージ・スエディッシュ・リンパドレナージュ・アロマ鍼灸・レイキヒーリング・リフレクソロジー・アロマ鍼灸などをクライアントに合わせた技法です。
*コンサルティング後パーソナルブレンドを作成して全身のヒーリングアロマセラピートリートメントコース
アロマセラピーフェイシャル:フェイシャル(クレンジング・ハイドロゾルスチーム・スクラブ・フェイスマスク・フェイスデコルテヘッドマッサージ・フェイスマスク・冷たいハイドロゾルフェイススチーム・栄養抗酸化作用ローズセーラム使用)
腹部と腕・手・脚のリフレクソロジー付き 100分 コンサルティング付き
ご予約お待ちしております。
ご予約は、Email:info@argutha.com 携帯ショートメールにて 090−6526-6334
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日本の暑い夏を袖に引っ掛けた程度で7月の日本滞在でした。
猛暑を覚悟での予定が、7月11日成田空港を降りると涼しい空気が流れていて、嬉しいかった。
そしてなによりも、今回の喜びは母が2月から余り変わらずに元気に迎えてくれたことだ。
何時も、私がいないとアロマセラピーケアーができずに認知症が進むのが今回は、
ケアーマネージャーさん達の協力でデイサービスでもアロマセラピーの飲用カプセルを服用してもらった。
週5日間通っているデイサービスで必ず飲用してもらったお陰で母の知力が可なり回復していた。
耳が遠い母は、何時もは凄い音量でテレビを見ているのだが、今回は私を思いやりテレビの音を最小限にしてくれて
テレビをみてくれたり、一番驚いたのが、私が6月にフランスにアロマセラピーの勉強に行ったことを覚えていて
【フランス楽しかった?】と聞いてくれた。
私がフランスに行く話は、電話で5月に一度話ただけだ。
そして5月に亡くなった、母の兄のお葬式の話などして、凄く普通に会話が進むようでまるで
以前の母の様に日常会話ができるようになっていた。
健康診断に行くと、コレステロール・血糖値・血圧も安定し、かかりつけのお医者様が薬は出す程高くない正常値だから
この調子で体調を整えて下さいと言われるくらいに健康になった。
何時もは、コレステロールがスカイロケット的にアロマセラピーの服用をしないと高くなっていたのが
今回は、安定してギリギリ正常値を維持していた。
ケアーマネージャーさんとのミーティングでも私が2月にハワイに帰ると母がウィスキーを飲んで大変な事になってしまっている
月日が続いていたはずのなのだが、5月あたりから少しづつ自分で調整しながら飲めるようになり、お酒に
飲まれずに上手に飲んでいると言ってくれた。
そして入歯を新しくするために一人で歯科医にも通っている母の報告を受けた。
残り少ない人生なので私も、母が好きなお酒を完全に断つのはかわいそうなので
制限付きで健康な内は飲むことは容認していた。
母が認知症を発症した5年前からアロマセラピーケアーを初めて本当に今回は、
肩をなでおろしながら、飲用カプセルの効果効能を確実に感じた。
巷で認知症は、進行して行くだけ聞くお薬がないと言われている中、私が母の為にブレンドした飲用アロマセラピーカプセルは
母の認知症を確実に食い止めている事を5年経って実感したのが2019年の7月だった。
私が、ブレンドした精油達は、脳内のドーパミンとセロトニンのバランスを調節しそして循環機能を活性し
脳内のアミロイドを抑制して行く効果があると言われている精油を母様にバランスよくブレンドしたものだ。
私は、ここの中で本当、継続して来て本当に良かったと思った。
何時もは、残念ながら私が母といないと飲用カプセルは母は自分から進んで飲んでくれなかったのだが
デイサービスで服用してもらう事で服用の継続が可能になった。
ただ足腰がやはり少し弱くなってしまっているので、7月30日から母と2か月またまた
ハワイでリハビリ生活をするので、体を鍛えて行く計画を立てた。
実際に、母のめまいも減りふらふらと感じる関学が低減して来てもいる。
7月30日夜のユナイテッド航空と成田発の出発前の機内で母は、
【ハワイに行くのはこれが最後かもしれないわね。】
などと言っている位落ち着いていた。
そして以前一緒に働いていた先輩が、忙しい中挨拶に来てくれるとニコニコしながら手を取って
挨拶をし、しっかりと先輩の事を覚えていて、私のウエディングに来てた方ね。と
言ったので、私は、そうそう。と微笑みながら答え、
またまた私は、心の中で感動していた。
認知症を発症すると、近未来の記憶力が消えていくはずなのに母は2年前の私のウェディングを記憶している。
飛行時間6時間50分を経てハワイのホノルル空港に朝6時50分に到着した。
飛行機を降りると、間違いなくハワイのトロピカルの香りのする空気が流れている。
この感覚は、ハワイに来る人を虜にするぐらい素晴らしい感覚だ。
青い空とココナッツの木を見ながら空港のゲートからイミグレーションまでウィキウィキバスに乗り
通関を経て到着ロビーで荷物をとり、到着階でジョンに電話をすると。
【お帰りなさい。マイラブ今むかってるから!】とジョンが答えた。
母は、ジョンが迎えに来てくれているのをありがたいね。と私に言い。
ジョンの車にゆっくりとだが、一人で乗り込む。
H3のハイウェイの深いグリーンのジャングルをみながら、ジョンに
【草加の駅のバス停で
待っている間暑くて大変だった。ぎりぎりセイフで猛暑を抜け出てきたよ。】
ジョンは、ハワイも暑いけど暑さが違う事を説明し、H3の空港からのトンネルを抜けるとカニオヘベイの真っ青な海が白い海岸線の向こうに目の前に広がり美しい景色が目の前を横切る。
母が、【 うわーきれい。 】
と言って喜んでいた。
そしてまたまた、驚いた事に私達の住んでいるラニカイの家までの道をおぼ言えていたのだ。
カイルアビーチパークを横に車を走らせると昔は、(なんか見たことある場所だわ。)と言っていたのに、今回は、
【良く歩く練習した公園でしょ。】
ジョンも驚くくらい、母の記憶力が戻っていた。
さーこれから2か月9月30日まで母がどれくらい体力が戻るか?
2か月の規則正しい生活と運動、バランスダイエットそしてアロマセラピーマッサージとアロマセラピーサプリメントで
効果を期待するリハビリが始まりました。
この経過はブログにしっかりと書き留めて行きます。
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5週間のヨーロッパのアロマティックジャーニーから2日かけてハワイに戻ると
飛行機を降りたとたんに肩の力が抜ける。
適当に湿度のあるトロピカルプラント達の方向微粒子が一杯詰まった空気を吸う!
トレードウィンドが流れる空気は、そこに到着するだけで何かシフトするようにリラックスしていく。
脳梗塞は、ハワイでも勿論多くの人が発症するとても深刻な病気だ。
ハワイに戻り、一番の予約は、36歳の男性で頚動脈狭窄症の後遺症のケースでした。
命を取り留めても後遺症を放置してしまうとが一生この後遺症と生きて行かなくてはならない。
若年性脳梗塞も、情報社会とストレスが高まる現代社会で多くの若者が発症する。
23年アロマセラピストをし、脳梗塞の後遺症にアロマセラピーは、効果を発揮する。
トリートメントの効果が、素晴らしく発揮したケースをご紹介します。
(例)
ハワイ 在住の36歳の男性
高血圧症・ハイストレスな職業(コンピューターエンジニア)身長170cm・体重75キロ
健康には、毎日気を付けて野菜中心の食事を心がけていた。
3か月ほど仕事のストレスが高まり、座りっぱなしの時間が一日の大半を費やす。
2018年4月肩が凝るので自分で首をストレッチしていたら、突然妙な音が頸椎からした。
そして、その後気分が悪くなり、頭痛とめまいがして救急車に運ばれて、左の頸動脈狭窄症で手術と入院する事1か月。
頸動脈狭窄症で、脳に血液がいきわたらなくなり、脳こそくと同様の症状が発症する。手のしびれやまたは動きが鈍くなる、めまい、吐き気、足のしびれ、違和感、または感覚が鈍くなる。
退院後、3か月病院でフィジオセラピーを受ける。
その後、3カ月間自宅で過ごす。可なり動きは、良くなり、ゆっくりと歩行できるようになったが、右側の手脚の感覚が鈍く温度など感知する事ができない。めまいが時々ある。直射日光など強い光に敏感になる。(一人での外出は不可能。)半年後、ご両親が心配して、アロマセラピートリートメントを始めた。
この状態で、全身アロマセラピートリートメント(特にヘッドマッサージから頸椎・脊椎・仙骨)を中心に行い。2回目のトリートメント後、右側の感覚がもどってきた。
3回目のトリートメントでその後、ピリピリと痛みを感じる右半身の敏感症が緩和されて、一人で外出が可能になった。
使用するオイルは、ヘリクリッサムイタリカムを中心にした天然のエッセンシャルオイル12種類(モノテルペン系・オキサイド系・アルコール系・エーテル系・セスキテルペン系などブレンド)のオイルをブレンドして全身のトリートメントの相乗効果も伴い素晴らしい即効性で、クライアントの毎日の生活のクオリティーが向上し、アロマセラピーの香り以外の効果効能を実感してもらいました。
その他、56歳の男性脳梗塞を3年前に発症し、やはり右半身が不自由で杖を使用して歩いていたケースですが、アロマセラピートリートメントを3回ほど受けると杖を使用しないでも歩ける用になり、香り以外のアロマセラピーの効果効能を実感したケースです。
天然の高品質なエッセンシャルオイルの効果効能は、経験豊かなアロマセラピストにより素晴らしい効果をトリートメント(経穴点を刺激鎮静・ニューロマスキュラ―マッサージなど)を取り入れて生きている数万個の芳香微粒子を神経組織・血流に浸透させていくブレンドで効果効能を発揮していきます。
7月12日から29日まで東京青山一丁目のレンタルサロンにてこのアロマセラピートリートメントのご予約を承っております。
ご予約お待ちしております。
ご予約は、E-mailにて受け付けております。
info@argutha.com
LOVE&ALOHA,
MIDORI
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続き。。。。。( フランスから帰国後、時差ボケの明け方に起きて書いております。)
車を走らせること4時間、ドローム地方のライムストーンと松の木などの針葉樹などのアルプスの険しい景色から平野に入り、
乳牛やヤギ、馬の放牧がのどかにみられる景色に代わり視野が広がった。バレンス町の西にある町シエリアックに到着し、若手2代目の蒸留者のカップルを訪ねた。
フローレンとアンドレアは、親や叔父様が蒸留をしているのを見て育ち、有機農業とエンジニアを勉強して2年前から自分達で蒸留をし始めた32歳の若手の蒸留者だ。
月の満ち欠けに沿って農業と蒸留をする事により、より効果的にそしてエネルギーの高い植物達を育てて蒸留する。
彼の一番の熱を入れて蒸留するのが11月の新月の日から蒸留を初め、21回程何度も蒸留してαピネンの成分を高めてより効能の高いパインスコッチを蒸留して行く。またフランス特有の野生のローマンカモマイルの株を小分けにして栽培して、3年後に蒸留して行く。オーガニックの植物を蒸留して行くには、2-3年の月日をかけて植物を育てて蒸留して行く。そして水は、湧き水を濾過して使用している。素晴らしい南仏の自然のエネルギーが満ちたエッセンシャルオイルを種から作っている若者達に出会った。
私達が訪れた日は、森から野生のレモンバーべナを収穫して、蒸留した。
彼らの使用している蒸留器は、ドイツ産の最新の蒸留器で水蒸気が圧力と熱で上がってくる管が太くそして短い、これはいったん上がった蒸気が管が細いと植物に再度落ちてしまうのを避けるためだ。いったん植物に落ちた水分は再度蒸気として上がらないので、水蒸気をより能率よくコンデンサー(冷却器)に運び込む仕組みの為管を短くそして吸引されやすいラッパの様な形に作ってある。
そして、60キロ程のレモンバーべナの葉のついた枝を蒸留器に入れて2時間半程蒸留すると、産出量はなんと28ミリそして50リットルのハイドロゾルが抽出された。蒸留し始めて15分もする優しい爽やかな柑橘系の香りが嗅覚を刺激して、私達の心を癒しだした。レモンバーべナの可憐な優しが私の心を癒しそして、4月に亡くなった親友の悲しみにそっと手をさしだして包み込むように悲しい心が少しづつ癒されていくのを感じた。
そして若手の蒸留者達の情熱の溢れた彼らの、未来の夢に話を弾ませ、チーズとフランスパンを食べながら話に花が咲いた。
次の日、目を覚ますと雨が降っていた。今日は、グラース近くのローズセンチフォリアやジャスミンサンバック・バイオレットの花を有機栽培してキャンディーやシロップつくりをしている、ペイ ド オードリーを訪ねる。
グラースは、坂が多く、多くの場所が細い道でボルボのSUVがすれすれの所をGPSを頼りに到着したのは、75度くらいの急斜面の道を上がった場所だった。4代続くイタリア系の家系の子孫で、リタイアする為にグラースに戻り実家の有機栽培業を受けついだ気さくな叔父さんテリーが案内してくれた。おそらく、叔父さんと言っても私と同年代だ。
全て手作業で、オリーブ・フレンチローズ(ローズセンティフォリア)ジャスミンオフィシャナリスとグランディフォリア・バイオレット・モロカンミントを栽培して、砂糖菓子やシロップを作っている。私は、バイオレットの透き通る香りと甘さに感動して、シロップを購入した。
シロップは、ポークチョップやラム料理などのソースに使うと良く、花びらを砂糖で加工したの物は、シャンパンやカクテル・ケーキの彩を付ける。とてもエレガントな、生き方に感動!
その晩泊るB&Bは、カンヌとグラースの間のビーチ沿いにあるやはり高台の絶景の場所。細い坂道を幾つも走らせてつくと、そこには、オレンジ畑に囲まれたやはり、リタイアしたご夫婦が運営するB&Bだった。優しい笑顔で案内してくれると、プールが目の前の部屋に案内してくれた。
彼ら達も趣味で、蒸留をしていてペティグレンビガレードやネロりを蒸留している。
南仏では、エッセンシャルオイルの蒸留者の歴史が長い為、まるで日本の味噌づくりの様に引き継がれて行く文化がフランスにはある。そして、彼らのガーデンには、イチジクやザクロそしてキンカン・タンジェリン・バレンシアオレンジなど多くの植物達を栽培している。
フランスの地球と一体となったエレガントな夫婦2人で仲良く愛に溢れた生活を楽しみ、オーガニックなライフスタイルとガーデニングをしながらB&Bを経営して人生を2人で楽しむリタイアメントライフスタイルに感動した。
私は、長い旅の一日の疲れをとる為にそして、心をオイル達に癒してもらパーソナルホルモンバランスブレンドのカプセルを飲んで目を閉じて深い心地よい眠りについた。
朝目を覚ますと窓の外オレンジの木々の向こうににエーゲ海の海と大きなクルーズ船が海に浮かんで見えた。
今日は、いよいよ!ラートュールにある何時もプロバンスに来ると訪れる蒸留者のクリストファーの所のオープンハウスに参加する為、ペテイットデジャネ(朝食)を7時半にすまして、重たいスーツケースをボルボのSUVに乗せて、
GPSにアドレスをインプットしいざ発進!
プロバンスは、2-3時間かければ大腿どこでも車さえあれば行かれるのが素晴らしい!
そしてGPSの素晴らしさにも感動!
路に迷っても、私の大学時代カナダで学んだ片言のフランス語で道を尋ねるとフランス人は、日本人に優しく道を教えてくれる。
リビエラの高級リゾート地区からまたライムストーンの険しい山の中に2時間程車を走らせる。
険しい山道は、少しだけ母の故郷の岩手県のリアス式海岸を思い出す。
凄い勢いで、自転車の集団が険しい山道を登っている。そしてよく見ると可なりの高齢の人達の集団だった。
村の傍らにある、ディステイラリのサインを曲がると砂利道にはいり小さな小川を車でゆっくりと走らせて到着すると、既に
地元のフランス人の人たちが40人程集まっていた。
今日は、オープンハウスなので、ローズマリーオフィシャナリスCTシネオールの蒸留をクリストファーが説明しながら
ハイドロゾルの試飲などを交えながら進行していった。
野生のアロマティックプラントとオーガニック栽培のアロマティックプラント両方ここでも蒸留している。
ここでも、蒸留器が特別な物を使用していて、コンデンサーが蒸留器の周り小さな管がいくつも円状になりついている。
スチームが直ぐにクーラー(冷却器)に入り、生産性を高める仕組みになっているまた、蒸留器とクーラーが一体になっているので
場所を取らないのも特徴である。かつクーラーの管が通常螺旋状になっているのであるが、蒸留器の周りに直線的に整列しているので蒸留した後のクリーニングが完璧にできる。
ローズマリーは、葉が付いた枝ごと蒸留器に入れるので、隙間があかないようにお触れ出ているローズマリーの上を子供たちが
踏み込んで行く。おおよそ600キロの大きいな蒸留器に155キロのローズマリーを入れた後、しっかりと螺子で閉めた後火を入れる。
待っている間に、伝統的な南フランスの野生のアロマティックプラントの収穫方法を学んだ。10メートルほどのコットンの布を
二つ折りにして肩の部分をクロスして胸の部分で結び、大きな風呂敷を纏う様にして山の中を歩きながら収穫して行く。
やはり凄い重労働だ。
トラクターなどの入らない険しい山の中を歩きながら、野生のアロマティックプラントを収穫して行く手慣れた人でも
1日かけて平均20キロから30キロの収穫だ。クリストファーは、慣れているので50キロ―60キロ一日で
収穫する。アロマティックプラントは、厳しい環境の中で育てば育つほど、芳香分子を多く含有される。
何故ならば、方向性分は、植物の免疫力であり生存するために必要な自己生存を存続させ為の成分だからだ。
人間も同様な気がする。多くの経験をすればする積み重ねる程、より生存力が高まる。
戦後粗食で過ごしてきた、今の高齢者達がそうだ。
私達戦後の世代は、物に恵まれて育った分、多くの慢性の心身症を発生しながら生きている。
植物が私達の数億年の遺伝子レベルの祖先だったように、植物と私達動物は、同様に生存して行くと痛感した。
蒸留が終わる間、贅沢にも野生のアルパインラベンダーのハイドロゾル100%のお水でフットバスのサービスがあった。
足を入れると、冷たい水とラベンダーの甘い優しい香りとで足の疲れがスート抜けて行った。
ベジタリアンのルデジャネ(ランチ)は、 オーガニックバルーガ(フランスの大麦)のトマトサラダとキッシュそしてキャロットケーキにエスプレッソだった。
辺りは、ローズマリーの香りに包まれて食欲増進!
ローズマリーの蒸留が終わると、参加者の人々が持ち寄ったグラスの瓶にハイドロゾルが配られた。
155キロのローズマリーを2時間蒸留する事700ミリのエッセンシャルオイルが抽出された。
此処でやはりエッセンシャルオイルの貴重さを実感する。
野生のアルパインラベンダー(標高1800メートルに生息する)は、100キロのラベンダーから1キロのラベンダーが抽出される。
ローズセンチフォリアは、なんと5000キロから1リットルのエッセンシャルオイルが抽出される。
野生のアルパインラベンダーは、香りがとても柔らかく、素晴らしいくリラックス効果が高い。
【 標高1800mの南仏アルプスで生息しているラベンダーアンガスティフォリアエッセンシャルオイルのご案内 】
年間の産出量が少ない限定エッセンシャルオイルで希少価値ですので是非この機会にご注文下さい。
香りは、深く浸透するようなフローラルの香りで心身をヒーリングするバイブレーションも一際だちます。
効能:不眠症・消炎作用・抗痙攣作用・ストレス解消・鎮痛効果など
スピリィチャルメッセージ:心を温かく癒していく。優しいラベンダーは、人生の辛い時期を乗り越えるクッションの様に私達を支えてくれます。スピリチャルのレベルの高い、野生のラベンダーは全てのチャクラの合間をダンスするように香りを流しエネルギーを自然に流していきます。
価格:4ml 3800円(会員3040円) 10ml10800円(8640円)
30ml23620円(会員18896円)
アルパインラベンダーのフットバスの効果と夜用のホルモンバランスカプセルの相乗効果でこの日私は、ぐっすりとまたまた
快眠、ハワイを離れて3週間以上が過ぎてきているが、体調は好調です。
残り約2週間は、南仏のカステレンでのアドバンスクリニカルアロマセラピーセミナーのへの参加をします。
*7月12日から29日まで東京 青山一丁目のレンタルサロンにて 素晴らしいエネルギーの高いエッセンシャルオイル
を使用してパーソナルブレンドをコンサルティング後作成してアロマセラピーヒーリングトリートメント(90分)をご提供しております。(全身トリートメントは、ニューロマスキュラ・筋膜・指圧・リンパドレナージュ・アロマ鍼灸(針を使用しない鍼灸)・ロミロミマッサージ・レイキヒーリング・リフレクソロジーを取り入れた独自のトリートメントになります。)
是非この機会にご予約下さい。
ご予約は、info@argutha.com にて受け付けております。
ご連絡皆さまお待ちしております。
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南仏のアロマティックジャーニー 6月11日から26日
クロアチアのスピルトから90分程で南仏のニースへのフライトは、あっという間に到着した。到着した日は、生憎の曇り空で、南仏の爽やかな青空で迎えられなかった。5月の下旬位から日没は、8時過ぎで、エリザベスと私は、夕方のフライトで到着しても辺りは、まだ明るかった。
クロアチアのスピルトで実は、私は食中毒になってしまい。前の晩食べた焼き魚が、妙な味がしたので不安になりながら食べたら、食後5時間半後丁度真夜中12時半頃に急に気持ちが悪くなり、トイレに駆け込んだ。その後、水を少しずつ飲みながらトイレに行き嘔吐を繰り返した。夜中の2時間後少しずつ嘔吐が収まり、頭痛と発熱を催した。常用していた私のパーソナルブレンドの夜用のカプセルに、ふらつきながら5滴のオーガニックオレガノエッセンシャルオイルを5滴入れて、グラス一杯の水で飲みほした。30分位経過した辺りから、少し気分が悪いのが落ち着いてきて、うとうとと眠ると、4時半位に再度気持ち悪くて目が覚めた。そして、ベッドで気を失うかと思うほど気持ち悪く体から力が抜けて行った。ゆっくりと私は、体を起こし、枕元に合った、パーソナルブレンドの夜用のカプセルにゆっくりと手を伸ばし、再度オレガノオイルを5滴程足して、グラス一杯の水でカプセルを飲む事30分程すると嘔吐が収まった。発熱と頭痛はまだあったが、私用の夜用のブレンドカプセルにカモマイルローマンやメリッサオフィシャナリス、野生のアルパインラベンダーなど鎮静効果が高いオイルが含有されているので、気持ちも落ち着きうとうと眠りに入った。しかし、食中毒の毒素は、再度3時間後7時半ぐらいに体内で暴れだし気分が悪くなり、目を覚まし、今度は3滴オレガノオイルを足して飲むと、20分もしない内に嘔吐が収まり、水分を補給できるようになった。その日、エリザベスは念願のゲーム オブ スローンのプライベートツアーに予約していたので、早起きして私の部屋に来て、一言『 どうしたの?』と聞いて、私が、『昨晩の焼き魚に能った。味が変だったから。』焼き魚はしっかり焼いてあったが、何故か味がまずかったと説明すると、『オー シット 』とつぶやき、せっかくプライベートツアーに予約したのにと言う顔色で、私を見たが、余りにも私が具合悪くしているので、心配して何かあった時に滞在していたアパートの持ち主に連絡してくれた。』その後、3時間おきに3滴ずつオレガノオイルを既存のカプセルに足して私は、部屋で何も食べずに、お水と丁度持ってきた梅干を少し食べて、部屋で横になっていた。午後5時過ぎ丁度魚を食べた11時間後にやっと発熱と頭痛が収まり、体に力が出てきたので外に出て早く良くなるために、オートミールを買いに外にでた。スピルトのお城のすぐ近くのアパートだったので少し観光を使用という気持ちがあったが、1日何も食べずかつ食中毒だったので、体に力が入らず近くのお店でオートミールを買うのがやっとだった。オートミールを作り、オイルを再度夜7時位に飲みその20分後にひと肌程度の温かい緩めオートミール少し食べるとやっと体に少し力が入りだした。ハワイのジョンにも、グーグルハングアウトのビデオトークで話すと、安心してくれた。オレガノは、長旅には、欠かさず持って行かなくては、ならない教訓は、3か月のインドのヨガ修行の時に学んでいたので、本当に救世主だった。梅干は、戦時中東南アジアで医者として勤務していた叔父が、梅干のおかげで、腸チフスから治癒した話を聞いていたので、梅干も長期の旅行には必ず私は、持って行く。薬よりも梅干が何よりだ。と胃腸科の専門医の叔父が行っていた。そして、梅干の塩分が体内のPHのバランス整え、お水と飲むことにより、脱水症状を回復する。オレガノは、天然の抗生物質なのでオレガノと梅干は、無敵の私の旅の友だ。
病み上がりの私は、その後採食主義に戻した。(ヨガの修行中10年間ビーガンだった。ハワイに移住後オーガニックのお肉と小魚を食べる様になった。)後、以前にフランスで、サラミにあたった経験もあり、お肉と魚を食べない様にした。という訳で、私は到着後、夕食は、野菜スープを軽く食べて空港の近くのホテルで体を休めた。
次の日、目を覚まし窓の外を見ると、コートダジュールの真っ青な青空が広がり、太陽が気持ちよく照っていた。気温は23度だった。そして、クロアチアでハードスケジュールだったので、フランスのホテルは、本当に部屋が狭く、スーツケースを開けられないので、部屋ではゆっくりリラックスできないのが常だ。
私達は、お昼までゆっくりと半日、ホテルのカフェブランチで本場のカフェオレを飲みながら、南仏のアロマティックジャーニーの経路計画を確認した。
そして、空港までシャトルバスで戻り、エリザベスと2人でレンタカーをした。勿論GPS付きのレンタカーにし、そしてオイルの買い付けの為特大のスーツケースを抱える私達は、レンタカーのカウンターで車をアップグレードし、少し贅沢だったが、ボルボのSUVにししいざ!南仏のアロマティックジャーニーを開始した。
その日私達は、フランスのスピード強ドライバー達に負けないくらいハイウェイを飛ばし、ニースから北西に車を時速140キロで走らせ、グラースやカンヌを通り過ぎる事約3時間で、ルールマラン村の端っこの築100年以上のビンヤードとオリーブ農園を経営しているB&Bにチェックインした。部屋に入ると、アンティークのオリーブ色のキングサイズのベッドが壁を挟んである部屋で、エリザベスと私は、大満足!ホテルでは、味わえない広さだった。長旅の為、私達は、B&Bのオーナーと近辺の観光の見どころなどを訪ねながら、私達の片言のフランス語とオーナーの片言の英語でコミニをした。ヨーロッパの宿は、ほとんど階段なので、オイルとハイドロゾルが詰まっている私達の重たいスーツケースを部屋に運び入れるのは、一仕事だった大変だ。
次の日は、天起用法によると生憎の雨毛様の様なので、アロマセラピーのミュージアムを訪れた。そこには、中世の時代貴族たちの為に蒸留されたエッセンシャルオイルの蒸留器や研究室そしてナチュラルパフュームのブレンド用のオイルが陳列されているアンティークデスクなど、夢の様な世界が広げられていた。唯一そこで陳列されていたサンプルのオイル達は、可なり古いのか酸化が始まっていて嗅ぐと臭かった。外に出ると小雨の中、アロマティックガーデンがあり、ラベンダーの開花には、まだ少し早く蕾のままで、ローズせんてぃフォーリアは、5月が開花の時期なので残念ながら見どころを逃していた。唯一咲いていたのが、クラリーセージだっうた。薄ピンク色と薄い紫が可憐に1メートル程に成長した九ラリーセージの茎と葉の間にピラミッド型に咲いていた。 そして、アンジェリカやジャスミングランドフォーリアなどが元気よく茂っていた。雨の中、オリーブ畑やリンゴ、チェリー畑の中を駆け抜けて、私達は近く城下町のカフェで昼食をとった。
南仏のランチは、ゆっくりサーブされる為、1時間半程予定しておくのが良い。私は、セットメニューのチーズ盛り沢山のボリュームサラダとカプチーノを食べた。城下町で、オーガニックバルサミコ酢の専門店に入るとラベンダーやバジル、ジンジャーそしてクミンなどを煎じている珍しいお店に入った。試食もできて、大満足重たいスーツケースに、お土産様に1本ラベンダーが煎じられているバルサミコ酢を買ってしまった。
その日は、早めにB&Bにもどり、南仏のビオ赤ワインとまたまたチーズと少し雨で冷えた体に、5種類のビーンズスープを食べて眠った。
プロバンス地方の北、ドローム地方に次の日は車を走らせて辺り一面蕾のラベンダー畑を見ながら、険し山道をエリザベスは、慣れたハンドル裁きで、パナマの警察官から学んだアグレッシブ(可なりの強引な)なハンドル裁きで車を走らせた。
GPSに次のB&BのアドレスをいれてB&Bの目的地が出てこないので、町の名前をいれてとりあえず車を走らせると、南仏のグランドキャニオンの町でランチを取り、車を走らせると事3時間、新緑深い山道に車が飲み込まれていく様に車を走らせた。
風が少しずつ冷たく感じライムストーンの山肌より、針葉樹の黒松やモミの木が生い茂る山中のスパニッシュブルームの黄色が目に鮮やかに入ってくる道になって行った。ドローム地方は、オーガニック栽培が殆どで、バタフライガーデンなどがあり、大自然のアルプスの真っただ中にある地方にローム川が流れていて、現地のマーケットは色とりどりの季節の野菜や果物そして南仏のバスケットが手御頃な価格で買える。全て現金なので、沢山現金が必要な、南仏の旅は、毎回痛切に感じる。フランス人は、カードの手数料を嫌うので、殆ど現金での支払いが主流になる。
寄り道をしながら、のんびりとした気持ちで車を走らせていたら、いつの間にか夕方7時になっていた、6月の南仏の日没は9時当たりなので気が付くと真夜中になってしまうので、エリザベスと私は、日が沈む前にB&Bにつけるように急カーブの続く山道をドライブした。何とか目的地のバーナブィ村に着くとそこは、本当に本当に小さな村でメイン道り以外は、畑と森だった。そして、到着の時間を連絡していたので、一人のロシア系の体格の良いバーバラが私達をまだかまだかと待っていてくれた。
バーバラのB&Bは、坂道に沿って建てられた伝統的なフランスの一軒家を改装した可愛いお部屋だった。私は、大きなバスタブがあったのが一番気に入り予約をした。専用の駐車場というより空き地に車を止めて、50m程小さなバイクに台車が付いた荷物を運ぶ専用バイクに、なんとバーバラは、私達のスーツケースを軽々載せて、エリザベスが彼女の横に乗り、私は、歩いてその後を追った。ついた場所は、洞穴の様なお部屋に、素敵なキッチンとアンティーク調のクイーンサイズのベッドとソファーや机が素敵に並べられたしっくりと来るお部屋だった。私は、ツインで予約したというというと、バーバラは、大丈夫直ぐ持ってくるからといって。彼女は、またまた軽々と私達のスーツケースを部屋に運び入れた。エリザベスと私は、彼女の力持ちに驚き、エリザベスは、きっとリタイアしたロシアのKGVだ。と2人で大笑いした。10分ほどするとバーバラは、またまた軽々と折り畳みのシングルベッドを持ってきて、あっという間にベッドリネンをセットして、明日のブレックファーストは、外のガーデンで食べてね。と言って何時が良いか、確認してくれた。私達は、8時にお願いしますというと、OKと言った。エリザベスが、このB&Bは、1人で経営しているのかと尋ねると、彼女は、『勿論、そうよ。』とにっこりと笑って部屋を出て行った。石造りの素敵な部屋の欠点は、WIFIの電波が殆ど届かず、残念所だった。私は、ブログを書く事をほぼ諦めて、明日の元気の為に、夜用の私の心のヒーリングブレンド用パーソナルブレンドのカプセルを1つ、グラス一杯の水で飲むと瞼が緩み眠りについた。夜になると、ふと4月26日に息を引き取った大切な親友を思い涙が止まらない時があるので、このカプセルで心を落ち着かせる。
明け方、5時には目が覚めてしまう私は、早起きをして肌寒いドローム地方の朝唯一持ってきた長袖のチェックのシャツを着て外に出てWIFIの電波をたどりながら、ジョンに滅セージを送った。フランスに入るとブルガリアから私は、万が一の為グーグルマップのペアリングをジョンとして、私の位置をジョンに確認してもらっていたが、一応1日1回は、生きている事を知らせたかった。気が付くと、WIFIの電波は、バーバラの家の玄関前が一番強くすぐ横に美しいバラが丁度満開に咲き誇っているバラガーデンだった。ドローム地方は標高が高いので丁度バラの開花の時期だった。私は、肌寒い中美しいアルプスとローズの写真をとり、ジョンに『ボンジュール マイラブ 』とメッセージを送ると!『わー!ビューティフル』と送り返してきた。
フランスのアルプスの山々に囲まれて、フレンチローズに囲まれて私は、カフェオレを飲みフランスのペティットデジャネ(朝食)を楽しんだ。
この次は、次のブログに続きます。
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5月31日から6月9日までクロアチアダルメシアン地方のアロマティックジャーニー
セントジョーンズワートの香りと共に心地よい睡眠をとり心地よく目を覚めた。窓の外を見ると真っ青の青空が微笑んでいた。今日は、待ちに待った野生のヘリクリッサムイタリカム蒸留だった。アンテは、通常開花後少し種を付ける頃に蒸留するのだが、私達の為に特別蕾のヘリクリッサムイタリカムを蒸留してくれる。
車で1時間ほど山に入り、ローマン帝国が作った紀元前の石瓶の道を進むとそこには、道なき道が存在し10キロ程車を飛ばしながら、アンテが『ローマンがたどった道には、必ずハーブ達が生息するんだ。』と言いながらチェコ共和国のスコバの車を飛ばしながら、気温24度の心地よい乾いた風に髪を靡かせながら微笑みながら話してくれた。
たどり着いたメドウには、辺り一面数キロにも渡る草原とオリーブの木が無造作に飢えられている草原に、色鮮やかな黄色のセントジョーンズワートとまだ蕾のヘリクリッサムイタリカムが生い茂り、その間を紫のセージや白や淡いピンクのクローバーが生い茂っていた。
ヘリクリッサムイタリカムは、茎がとても乾いていて固いので採集にある程度の力が必要になる。葉はとても乾燥していて、やわらかい短い毛がベルベットの様に密集して地面に近い所に細長く短い葉がついている。葉をこすると香りがふわっと嗅覚を刺激して来て心が安らぐ。茎は、とても乾燥していてなわの様に強い。素手ではとても刈り取れない為、鍬の刃にギザギザが入ったもので刈り取る。黄色い蕾は、固くやはり乾燥している。開花すると山吹色の濃い花が咲き、細かい3みり程の花弁が密集していて、やはり触るとふかふかとしていてベルベットの様にやさしい。この乾燥している気質と柔らかなベルベットの表面が、ヘリクリッサムイタリカムの効果効能を示唆している。ベルベットは優しさそして鎮痛作用・鎮静作用を象徴し、毒素をスポンジの様に吸収してくれる。ヘリクリッサムイタリカムは、薬剤で疲れた(化学療法など)肝臓機能を優しく解毒し蘇生させる効果効能がある。また、リュウマチなどから痛みの緩和、怪我などの痛みの緩和効果がある。
義理の母マーサの膝の痛み寛容の軟膏に使用したところ、いつも階段を上がり降りするのが辛かったのが難なく階段を上り下りできるようになったくらいパワフルだ。この軟膏は、素晴らしい即効性がと持続性があり、ジョンの肩の関節痛も朝晩2回使用するだけで、何時もの痛みが半減した。神経の痛みにや関節痛に効果を発揮する。素晴らしい効果のあるのが、ヘリクリッサムイタリカムだ。 また内服するカプセルを使用すると化学療法で疲れ切った肝臓を癒し、肝機能の正常化し免疫力を高める効果も素晴らしい。そしてスキンケアーは、抗酸化作用が高いので皮膚の若返り効果がある。
ヘリクリッサムイタリカムの別名は、インモーテル(永遠の命・不死身)というフランス語があり、日本語でも永遠花という名がつけられている事に納得する。
この大切なハーブを、存続させるために、採集する時に、必ず来期の栽培の為に必ず根を残して茎の根元から一株ずつ手稲に採集する。この作業には、可なりの労力が必要になる。セントジョーンズワートの時の様に軽々には、採集できない。額に汗をかきながら、採取する事5時間半後66キロ程採集したが、ほぼ90%ほどアンテが手際よく採集してくれた。
ボスニア産のヘリクリッサムイタリカムは、この手間を省く為に、ジプシー達が根こそぎ採集する為に、3年前ヘリクリッサムイタリカムの採集が不可能になった。2年後にやっと新たに採集が可能になったが、恐らく同じことを繰り返す。この為、ヘリクリッサムイタリカムの価格が変動してしまう。
エッセンシャルオイル蒸留をする際必ずエコロジカルに作業をしないと自然にダメージを与えてしまう結果になる。アンテは、必ず20%完全に存続させ。必ず根は、100%残す採集方法をとっているので6月と11月年に2回の開花の時期がり、2種類のヘリクリッサムイタリカムの開花する。
蒸留所に着くと、余分な雑草を取り除き、蒸留器に入れる。可なりかさばるので、一束ずつ丁寧に入れるたびに、専用の靴を履き、足で踏み込んで行き空気を抜いて行きながらきっちりと入れて行かないと嵩がある為に全ての収穫を詰められない。蒸留器の蓋をして、螺子をしめて上記の圧を少しずつ入れると、1-2分するとヘリクリッサムイタリカムから香りのメッセージが心に届く。それは、優しくそしてハチミツの様な甘い香りのヘリクリッサムイタリカムの香りが嗅覚を自然に刺激・鎮静して行く、とても私の心に安心感を与え甘く優しい気持ちになった。6分35秒ほどするとエッセンシャルオイルが混合された液体が蒸留器の口から放出されだし20分程でオイルが抽出されてきた。
ハイドロゾルは、凄い勢いで分離された後別口から出てくる。私達は、興奮した。そして持っていたハンカチを無限に出てくるハイドロゾルに浸して、顔や髪の毛に充てると気持ちが穏やかになって行った。全ての私の脳の奥に存在していた家族への父への姉への今までの怒りが優しくハチミツの甘さで包まれて全てを自然に受け入れられる様に感じられた。香りのマジックが繰り広げられる。
通常一般的に販売されているのヘリクリッサムイタリカムのエッセンシャルオイルの蒸留時間は45分程で余り効能成分が薄く、勿論効果も薄い、クリニカルアロマセラピーで使用されているヘリクリッサムイタリカムは、3時間から4時間蒸留する為しっかりと植物からの薬効成分を抽出して蒸留過程が行われる。
私達は、蒸留が終わるのを待つ間、ヘリクリッサムイタリカムの甘くそして優しいハチミツの香りに包まれてランチを作った。ソラマメとズッキーニと赤玉葱、パプリカをオリーブオイルで炒めて、トマトとニンニクをいれて煮込んで、ローカルのパン屋で焼かれたパンと一緒に食べた。シンプルだがとても胃に優しい食事だった。何よりもヘリクリッサムイタリカムの香りが贅沢なおかずのようだった。
5分程でオイルとハイドロゾルが流れ出て来て、ハイドロゾルを初めの1時間程で摘出し待つ事3時間半で約66ミリ程のエッセンシャルオイルが産出された。香りは、通常のヘリクリッサムイタリカムの香りより柔らかなグリーンノートからフローラルに変わり、甘いハチミツの香りと濃厚なバターの香りで終わる。素晴らしいブーケの在るヘリクリッサムイタリカムの香りは、今まで私が香っていたヘリクリッサムイタリカムの香りを超越し野生の植物の優しさと強さを感じた。野生のアロマティックプラントのエネルギーは果てしない強さがある。それは、数千年にも渡る戦いに勝ち抜いた、無敵のクロアチアの兵士のスピリットの様だ。
そして、ビーキーパーのアンテのハチミツの味もヘリクリッサムイタリカムの香りがし素晴らしい濃厚な味がする。
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5月31日から6月9日までクロアチアダルメシアン地方のアロマティックジャーニー
ブルガリアソフィア空港からムューヘン経由でクロアチアスピリット空港に到着した。
空気はまるでブルガリアと異なり、アドリア海からの風が吹き温かく肩の力が抜けて心が軽くなった。
今日からクロアチアのダルメシアン地方の野生のハーブ達を散策し、蒸留する旅が始まった。
到着した日は、気温22度程で肌寒い日だった。次の日も雨になり、ブルガリアでの旅の疲れをとる為に1日エリザベスとのんびりとボディチェの町でゆっくり過ごした。アドリア海の海の色の透明さが、人々の純粋さを表しているようにボディチェの町はまったりとした田舎町だ。夕方シバニックの町でゲームオブスローンの大ファンのエリザベスが映画のシーンを思い出しながら感動したながら中世のクロアチアの城跡を歩いた。私は、中世の僧侶が作った中央に噴水を置き長方形を4つに分けてローズやハーブを色鮮やかに飢えているガーデンに心惹かれて、ハワイに自分のガーデンを作る参考にする為に沢山写真をとった。
6月2日明け方朝目を覚めると、青空と日差しが眩しい位に目に差し込んできた。窓を開けると朝から温かい空気が入ってきていきなり春から夏になっていた。毎年地球温暖化で暑い日が長く続くようになってきているという。7月と8月には、気温は37度以上になる日が2週間程続くように近年なってきたそうだ。夏は3か月ほど雨が降らないダルメシアン地方の植物の生命力は強いそれは、ダルメシアン地方の人々の生命力の強さを示唆するように我慢強くそして粘り強い生命力だ。
空気はとても乾燥している。この乾燥した気候がアロマティックプラントに、芳香成分を植物の生存するために、蜂達を呼び起こし、子孫繁栄を存続する為または、病気から自己を守るために発生させる要因の一つだ。ビーキーパーだったアンテが、アロマティックプラントに興味を示したのも蜂達がアロマティックプラントを追いかけて移動して行くのに惹かれて、ダルメシア地方の人々が伝統的に行われているエッセンシャルオイルの蒸留を始めたそうだ。
クロアチアの歴史は長い、紀元前6000年数百の部落がそれぞれの神を祭り、おきてを作り平和に暮らしていた。紀元前ギリシャ人達が侵略し、紀元後はローマン帝国・オスマン帝国。、中世にはナポレンを率いるフランスが侵略、多く戦いを経験し侵略をされてきクロアチアは、近代に置いても、戦いの連続だった。
近年の歴史は、大一次世界大戦中にセルビア王国が発表した。戦後のバルカン地域おけるかとして南スラブ人よる連邦国家の創設という提案に同意し、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の成立を支持した。この王国は1929年にユーゴスラビア王国と名称を変更するが、当初からこの王国においては、セルビア人とクロアチア人の民族対立が内戦問題として存在した。ユーゴスラビアは旧セルビア王国を頂いていて、一般的にクロアチア人には首都の所在するベオグラードを中心として政治権力をセルビア人が独占しているという不満があった。1939年妥協策としてクロアチア人に一定の自治権を認めたクロアチア自治州が設立されたが、クロアチア側からの批判は、大きかった。一方で、国外でのテロ活動を展開していた、アンテ パヴェリッチが主導するウスタシャは、公然とクロアチア独立を揚げた。1941年にナチス・ドイツがユーゴスラビアに侵攻した際に、ウスタシャはこれに協力して、クロアチア独立国家を成立させた。一方でユーゴスラビア王国に忠誠を誓うセルビア人将校を中心とした反ウスタシャ組織、チェトニックが組織され抵抗運動を開始した。さらにナチス・ドイツがソビエト連邦へと進行した1941年6月以降ユーゴスラビア共産党はパルチザン組織を結成し、ウスタシャやチェトニックと共に内戦を繰り広げた。この内戦では『民族浄化』と呼ばれる戦略的な多民族敗訴が行われ、無差別虐殺、収容所での虐殺、レイプ、住民の追い出しなどの手段によって、大量の難民が生み出された。第二次世界大戦中の出来事は、後クロアチア独立をめぐる内戦情勢の中で再度取り上げられ、歴史修正主義的な紛争が繰り広げられると同時に、1991年から始まった旧ユーゴスラビア(セルビア、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア、ヘルツェコビナ6つの共和国)共和国の内戦の一つであるクロアチア紛争(91年から95年)でセルビア人による、クロアチア人のジェノサイド(民族大量虐殺・無差別虐殺の数は2600人及ぶ)が行われ1999年にセルビアをクロアチアの内戦が勃発し、30万人以上の人々が難民として国を捨てた。(2001年のデータクロアチア人89.63%・セルビア人12.2%から4.54%に減少)
人々が家を捨て空き地は40年以上だれも足を踏み入れないてない野生の地となった。
アンテは、残された無数の民家に生え生息している野生のハーブを採集して、水蒸気蒸留を2年前から始めた。空き地には、屋根が口落ちたストーンハウスが他紙並び、その家の間に広がる数百エーカーの大地にオリーブの木やイチジクの木生えている草原に、ハーブ達が自由に生息している。特にローマンの遺跡の後に沿ってハーブ達は生息している。
クロアチア人の兵士の強さは、世界を誇る強さがある。
それは、スポーツ界でも知れ渡る、私も観戦した、一昨年のサッカーのクロアチアのチームがそのクロアチア人の底力を見せたのも心に残る。小さな国から偉大なサッカー選手が生み出されその選手たちのフェアープレーと粘り強さ巧みな技術は、世界を感動させた。
その魂数千年にも渡るこの土地での生存力が遺伝子に組み込まれているのだ。また武士道にも似た、奥行き深い思いやりの心も歴史深いクロアチア人にはある。
昔懐かしい日本人の心温かい御もてなしの心を思い出させるように、クロアチアの人々の微笑は、温く私達を現地のハーブやフルーツを贅沢に使った薬洋酒やエルダーフラワーのハチミツ付けの冷たい飲み物・プロシュートなどで迎えてくれた。
アンテが、私達をボディチェから30分程車を走らせて、シスタチッタの町に連れて行ってくれると、そこには、セントジョーンズワート、セージオフィシャナリス、イタリアンエバーラスティング(ヘリクリッサムイタリカム)・ラベンダーインターミディエット(ラベンダーとラバンジンを交配した新種)・コーマンマートル・マススティックが無造作に鬱蒼と茂っている草原があった。
私達は、黄色い可憐な花を咲かせた野生のセントジョーンズワート(Hypericum perforatum)を大きな麻の布上に、刈り、手で丁寧に採集していった。太陽の下で、朝日を浴びながら、旬のチェリーを食べ、蜂がぶんぶん飛ぶ中、5時間ほど朝から採取して66キロ程採集した。アンテが手慣れた作業でほぼ80%を採集した。草原の中点在するセントジョーンズワートだけを採集するのは、可なりの労働力だったが、セントジョンズワートの優しい香りが心を癒してくれているようで、疲労感をあまり感じずに楽しみながら採集をした。
そしていよいよ、蒸留だ。雑草や虫を丁寧にのぞき選定している間に、蒸留器に薪で火を入れてスチームで殺菌すると辺りが、スチームサウナとなり皮膚が蘇るようだった。殺菌した後、セントジョーンズワートを蒸留器入れて、丁寧に蓋をして螺子でしっかりと止める。そして、火を入れ蒸気の圧力を調節する。7分35秒後にオイルが少しずつ流れてきた。香りは、透明で優しいグリーンノートの後に甘いハチミツの様なフローラルノートになり、心は優しくハチミツで包み込まれるように安心する。蒸留は、3時間程行い。 10ミリ程の産出量だった。セントジョーンズワートのエッセンシャルオイルの希少さがここで実感する5時間程採取写しその後3時間の蒸留の結果10mlのエッセンシャルオイルが摘出されただけだったが、その効能の素晴らしさは、果てしない。この貴重なオイルである事は間違いない。蒸留している間、セントジョーンズワートの香りが大脳辺縁系に到達して、聡明感を与えた。視力が回復したように辺り一面がはっきりと見えているように頭が爽快になった。エッセンシャルオイルを蒸留しながら、オイルの効能を体感して行く素晴らしいケーススタディーだ。
セントジョーンズワートのハイドロゾルは、オイルが採集され始めてから10程置いた後、1−2時間程採集する。ハイドロゾルはこの間30リットル以上摘出し、効果効能は、消炎作用・鎮痛作用・殺マイクローブ効果が高くそしてスキンケアーに最適だ。肌をしっとりとさせる効果は素晴らしいものがある。
明日は、少し季節が早いが、インモーテルの蒸留を体験する!
私の、この植物達の恩恵を使用して、アロマセラピーへの素晴らしい成果を期待して、その晩ベットにはいり素晴らしい夢をみた。
LOVE&ALOHA from Croatia !!
Midori
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ブルガリアローズのアロマティックジャーニーに出発した私は、22年間ブルガリアローズを使い続けてきて、
ローズバレーにたどり着ける事に胸躍らせた。
ニューヨークからフランクフルト経由ブルガリアのソフィア空港に着くのに、ハワイからニューヨークで2泊して20年来のアロマセラピーの友人達とランチをして楽しみながら、バルカン諸国のブルガリアに旅立った。ブルガリアのソフィア空港に降り立つとそこは、現代の華やかショッピングモールの様な空港ではなく、50年前の空港のシンプルなつくりで私が、成田空港で働きだした時を思い出さ、タイムスリップしたようだった。
町並みは、近代的な高層ビルが数件並ぶ地域以外は、100年程まえまた、オールドタウンに行くと17世紀の街並みが並び石畳は2000年前のローマン時代の石畳を歩くと、古代ローマン人が後ろから歩いてくるのではないかと思う位の荘厳なエネルギーが流れていた。
バルカン諸国は、西はローマ帝国そして東は、オスマン帝国に挟まれ多くの戦いを繰り返し独立してきた国々が存在する。人類が集落を初めて最古の都市ともいわれている7000年も前から人々が住んでいる地域だ。人々は、ブルガリア人の祖先は未だかつて、どこから来たのかは定かではない。町並みは、近年のイタリアやスペイン支配の影響が残る。
ブルガリア共和国はよーろxtパの強制国家であり、バルカン半島に位置し北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャトルコと隣接し、東は黒海に面している。キリスト教82%・イスラム教12% ローマンカトリック0.ユダヤ教・ロシアオーソドックスなど多くの異なる協会が点在する、宗教の混沌とした風が吹き人々は、多く全てを受け入れて生き抜いてきた。
18世紀の荘厳なブルガリア帝国からロシア支配、ユーゴスラビアの共産国から1991年に独立革命を起こし50年間の共産国家から共和国として政府が、確立され、2007年にEU加盟国となった。
スーパーなどに入ると、価格はユーロとブルガリアレブの両方で提示されていて、物価
物価は、物によるが日本の3−5分の1の価格で共産国の匂いが辺り一面に感じられるシンプルかつ清潔なイメージがある。治安も安全な方で、一人で道を歩いていても危険を感じない。人々は、スラブ系のブルガリア人が80%を占めているので、黒髪で茶色の瞳そして凹凸がる。女性の美しさは、かつてのオリンピック金メダリスト体操選手コマネチを思い出させる人々がそこら中に歩いている。
ソフィアから2時間ほど、イスタンブール方面に車を走らせていくと、バルカン山脈を越えて行くとそこには、辺り一面160キロ平方メートルも渡る、豊かな土壌そして温暖な気候のローズバレーが広がる。海抜350メートルから200メートルの盆地である。辺り一面ローズの香りと今でも使われている馬糞の匂いが交互に嗅覚を刺激してくる。何方も天然の香りだ。朝晩は16-18度で日中は28度ほどまで上がり暑いくらいだ。
ローズは、ローズダマスクス(ピンクローズ)とローズアルバ(ホワイトローズ)がメインになる。ローズオットーエッセンシャルオイルは、リクイッドゴールドと呼ばれるほど高価なものである。14世紀にシリアのダマスクローズが輸入されて17世紀にはブルガリアローズの高品質な香りが世界中で名声高いローズオットーオイルになった。液体ゴールドと呼ばれる一つの理由が3-4.5トンのローズから1キロのローズが産出される。4000ヘクタールのローズ畑で1万2千人の人々が毎年フルタイムで働いている。5月から9月にかけてローズ産業にかからる労働人数はなんと4万人にもなる。毎年2.5-3トンのローズオイルが産出されている。その中でもオーガニックのオイルは限られてくる。
近年において、香水産業の盛んな活動により、ローズオットーへの需要が供給に追い付かず、幾つかのローズファームは品種改良されたローズアルドュガという産出量が30%高いローズを栽培するファームも増えて来て、純粋なオーガニックローズオットーやアルバを購入するのは困難になってきている。ローズバレーには、50以上の蒸留会社が存在し、ルーマニアやアルバニアから流れて着いたジプシー達がローズを摘む主な労働力なり、1キロ日本円で約200円程で買われて一日50-60キロ1人の人が摘む。明け方5時からお昼辺りまで積まれて、その日に咲いたフレッシュな物だけを摘む。花弁よりも花粉のある中央部分に芳香成分が含有されているので、花粉の部分に指をあてて起用に次から次と摘んでいく。
私も1時間ほどローズアルバを摘んでみたが、3キロを摘むのがやっとだった。刺があるので、園芸用の手袋は必需品になる。オーガニックローズは、オーガニック用の蒸留器を使用して蒸留される。可なりの規模で行われているのがブルガリアローズの現状だ、50年にわたる共産国の足跡の為幾つかのローズ会社は、生存の危機に襲われたが、ローズ産業グループを作り、お互いが助け合いながらブルガリアローズ産業の存続を保っている。
ブルガリア人のおもてなしは、ふかふかのパンにハチミツと黒糖をトレーに乗せて迎える。
食べ物は、主に豚肉(ソーセージや煮物)ときゅうりとトマトなどシンプルであるが、日本人の胃には、毎日食べていると胃が重たくなってくる。魚は、サーディーンやニシンを焼いた物が多いが新鮮さには欠ける、次回来るときは醤油と白米をもってきたい程だった。果物は豊富でイチゴや桑の実、イチジク、ザクロ、チェリー―がどこにでも栽培されていて、とても新鮮な物をいつでも食べられるのが唯一の救いであった。旅行の最期の方になると、ほぼサラダとフルーツで過ごした。
ローズダマスクスオイルは水蒸気蒸留が主な蒸留方法で、アブソリュートとコンクリートは、余り産出されない。ローズアルバは、産出量が少ないので価格はローズダマスクスよりも効果な物になる。そして、近年のハイドロゾル(ローズウォーター)の研究が盛んになった為なのか、ローズハイドロゾルは、ローズオイルの副産物ではなく、ハイドロゾル用に蒸留をする。ローズハイドロゾルに限っては、銅の蒸留器でする事で成分が濃縮されるのか、温度の保温力なのか、とても甘いローズの香りになる。ステンレスの蒸留器で蒸留されると香りは、薄くローズ香りの深みがでない。そして伝統的な蒸留会社は、歴史が長いので銅の蒸留器を使用している。何故ならば、ブルガリアは、銅や鉄の産出量が高い国の一つだからだ。ブルガリアは、ミネラル豊富は湧き水の水源地は600以上ある。豊富な水と資源豊かな大地がある為多くの国がブルガリアを支配し続けた。ブルガリア人が幾度となく耐え抜いた末に、近年50年間の共産国から革命を起こし、1991年からブルガリアが世界に開きだし、2007年にEU加盟国となった。現在のブルガリアは、活気にみちていてブルガリア帝国の気品とスラブ族の団結力で素晴らしい発展が期待される。ブルガリアローズは、ブルガリア人の力強い情熱とそして何千年も続いた戦い抜いた悲しみを癒す素晴らしく透き通った香りが心を癒してくれる。ハートチャクラに素晴らしい愛を与えてくれる。
300以上の方向性分が嗅覚から大脳辺縁系へと伝わり女性ホルモンのバランス調整し、女性性を高め、美白効果など多くの効果効能を発揮する。
またローズアルバは特に無条件的愛を人類に与え、地球上に存在する全ての悲しみを癒してれる素晴らしいエネルギーをもってこの地球上に生息する香りだ。
7月12日から29日までブルガリア産ダマスクローズを使用したヒーリングアロマセラピートリートメントを東京青山伊丁目のレンタルサロンにてご予約受けた割っております。
また、来年5月中旬にブルガリアローズアロマセラピーリトリートツアーを計画中ですのでご興味がある方はご連絡下さい。
オーガニックローズオットー(ダマスクローズ)そしてローズアルバ(ホワイトローズ)
エッセンシャルオイルそしてハイドロゾルをご購入ご希望の方は、是非この機会にご連絡下さい。
ブルガリア産(税込価格8%)
ローズオットー 2ml(21089円) 4ml(37,960円)10ml(101,288円)
30ml(227,764円)
ローズアルバ 2ml(25,307円)
ローズハイドロゾル 120ml(5245円)
ホワイトローズ120ml (5400円)
ご注文・ご予約は、Email にて受け付けております。
日本からのご発送が7月12日から29日まで可能になります。
ご連絡お待ちしております。
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朝目が覚めると目の前に3層の重なる緑の木々に覆われた火山の後が波打屏風上に並んだ山並みのオロマオ山脈が窓からミッドパシフィックゴルフ場の5本のヤシの木の向こうに見えた。
今日は、朝から晴天だ。カイルアは、朝晩の雨が50%で降る日が続く。ベッドサイドのコアのチェストボードの上の時計を見ると、6時14分だった。
今日は、午後3時20分のJFKニューヨークのフライトで久しぶりのアロマティックジャーニーに出発する日だった。幸せの渦の真ん中にいる私は、22年間毎回のアロマティックジャーニーの数日前は、楽しみで早く出発の日が来るの指折り数えている。今回は、53年の人生で初めて、2つの気持ちが重なり合った。それは、楽しみにしている自分と、家族と1か月以上離れなくてはならない悲しみとで心が二つ存在していた。
特に今回は、昨年ビザの習得上1年間アメリカを出れなかった分、2つのアロマティックジャーニーを合わせなた。
人生1度きりしかないので、私は、常に今を生きるを趣旨にして、自分の大切な時間を惜しみなく経験して行くと決めて生きていきたい。
そんな私の心中を察して、ジョンは、『楽しんできてね。寂しいけど。去年いかれなかった分、倍の長さのアロマティックジャーニーだから、楽しんで勉強してきて。』と言ってくれた。
私は、気持ちを入れ替えて、沢山素晴らしいオイルに出会い、植物達のエッセンスの効能を学ぶ事に心をリセットして、専念する事にした。2つの気持ちを一つにしないと心にストレスが発症して、どこかでひずみが出てくる。常に一つの気持ちに心を合わせて行くのが、今を大切に生きる秘儀の一つでもある。
今回は、東欧のブルガリアのローズを初め植物達とクロチアの植物達にご対面だ。植物の生息地を訪ねると、その植物がまるで話しかけてくるようにエネルギーを感じる。これは、長年アロマセラピーを学んできた研ぎ澄まされた、経験と感が物を言う体験だ。
勿論、化学的に証明された効果効能も学ぶのも大切だ。アロマセラピーは、ヒーリングの秘儀で、全て使用する人とのハーモニーで効果効能が出てくる。
数千ものブレンンドをブレンドして来て獲得した経験と技術だ。アユルベーダや中医学そして解剖学を学び、植物との融合された人間の生存力を引き出してくれる植物達のエネルギーを学びそして成分を学び、遺伝子を超えた秘儀ともいえる。この、植物のセカンドメタボリズムの生存するためのエッセンスを身体的・感情的・精神的レベルの調和を追求してブレンドして行く。
そう考えると、アロマティックジャーニーへの心が躍ってくる。
ジョンは、何故か朝から家中の掃除をしまくっている。私は、23種類の香り高い蘭達に水をあげながら、最後の最後まで1か月分の自分の為の朝晩内服用オイルやボディー・フェイス用のブレンドを作り上げ、鞄に詰めた。義理のお兄さんが、カカオ畑でトラクターの志田時期になって、運よくひどい怪我はなかったが、下敷きになったわき腹の打ち身の痛みが取れないので、義理のお兄さん用の痛み止め外用ブレンドオイルも作り、ジョンに渡してもらう様にお願いした。
なんだかんだとブレンドが終わると、出発の当日の朝にパッキングを終えた。
玄関を出たのが1時半前で、サングラス越しでも太陽の日差しが眩しかった。
ラニカイから空港まで、H3ハイウェイを飛ばして35分程でイノウエダニエルホノルル空港に到着した。火曜日の空港は、人気が少なく列にも並ばずに、荷物を預けてゲイトに向かった。ゲイトは、なんとハワイアン50便JFK行のゲイトは、国内線のターミナルからなんと国際線のターミナルの端の端C9だった。15分程歩いてやっとゲートに着くと、いきなりの人込みだった。JFK行は、満席だった。9時間20分のフライトの私の座席は、事前の予約の時点で、真ん中のど真ん中しか取れずじまいだったが、なんと窓側一席バゲージチェックインの時に空いていたのを発見!窓側24jエアバス330に乗り込みいざ、2019年の私のアロマティつくジャーニーが始まった。
7月11日から29日まで青山1丁目のレンタルサロンにてアロマセラピートリートメントを受付中です。(レイキヒーリング・ニュウロマスキュラーマッサージ・指圧・スエディッシュ・筋膜マッサージ・ロミロミマッサージ・リフレクソロジー・アロマ鍼灸を取りいれた独自のマッサージ技法をクライアントに合ったブレンドを使用してトリートメントを行います。)
素晴らしい世界のアロマティックプラントの香りと薬効をご提供していきますので、是非ごの機会にご予約下さい。
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5月1日 令和元年 水曜日 気温23度 雨時折スコールそして晴れ時々虹
朝からカイルアの空は、スコールがふりったり続けている。
時折太陽が眩しいくらいに差し込みながら降り続けるトロピカルウェザー特有の気ままな土砂降りの雨だ。
そして、突然太陽がでてきて虹がかかる。
ハワイの毎日の景色は、マジカルな日が続く。
余命宣告の大切さの神髄を少し、話したい気持ちでこのブログを書いています。
大切な親友を亡くし勇気をふるい書いてます。
余命宣告は、その人の性格や生きてきた長さや、余命宣告の正確さなどによって大切さの価値が異なる。
ただ、もしもあなたが、後半年の命だとしたら、または3年の命だとしたらその半年、3年をどのように生きて行くか?
知らせれない場合と知っていいる場合の生き方の違いだ。
戦時中、特攻隊の人が戦争に行く前に、大好きだった人と結婚をする。
これは、悔いが残らない為に、幸せになってから死ぬ典型的な例であり、武士道の生き方でもある。
戦争がない平和な日本人として・・・・・
いや国際人として、そして意識の高い人間として自分の健康状態を自己責任で判断して決断
していくのが今の生き方であると確信する。
現代の医学のレベルでは、この余命を正確に確定するのは、可なり難しいが、
その例が、イギリスの物理学者ステファン ホーキン博士だ。彼は、10代の頃に、後10年生きられれば良いと宣告されたにもかかわらず。結婚を2回、子供2人さずかり、そして76歳まで生き抜いた学者である。
病気の種類にかかわらず、自分の健康状態をしり、それに真っ向から立ち向かい、生き抜くことでこの事実が存在する。
病気を理解せずに、現実から逃避してしまい、人に頼ってしまうと、病気とは戦えない。
病気を理解し、その病気の症状に、真っ直ぐに直視して取り組むことで、ヒーリング(治癒)が存続する。
ヒーリングは、気づき(Awareness ) からが始まりである。
その私の1つの素晴らしい例が、15年前の乳がんが、肺に再発した50代後半の子供3人の現役の母、であり
キャリアウーマンのクライアントだ。
家族会議で、頑張って少しでも延命できるように取り組み、彼女も意欲的に家族ぐるみで協力し、
アロマセラピートリートメントを毎週受け、自宅でも使用した。勿論、病院でのケアーも取り入れた。
2年と6カ月の延命ができ、彼女らしく最期まで頑張り、家族に見守られて幸せな最期だった。
現実が見えてないと、人は心身の病に苦しむことが多々ある。
厳しいようだが、これが現実であり、真実だと言える。
自分の不調に一番気づくのは、自分であり、痛みも自分以外の人はわからい。
少しでも、不調がある場合は、検査をして的確な対応を探し出し、選択し、そして実行するのが一番大切である。
仕事が嫌で仕方がないが、やめらずに続け、そのストレスで病気になる。
私も30代の頃仕事が段々とストレスになり、嫌で嫌で辛かったら、卵巣嚢腫になり、放置していたら
腹部がパンパンになり、術後なんと私の嚢腫は、なんと1キロも成長していたのだ。
症状がでてから3年間放置してしまった結果だった。
幸いにも、アロマセラピーやヨガが好きで勉強していたので、病気を切っ掛けに15年働いていた会社を早期退職した。
初めは、定期的な給料が入らない事を心配して、再就職を考えたが、元々会社員に向いていない私の性格
を知って、再就職をするのを、面接が受かった知らせの前日に決めた。
心がすごく揺らいだが、一度自分で決めた決断を貫いて、アロマセラピストとヨガに専念した。
あっという間にそれから20年が過ぎたようだが、長い時間でもある。
そして、自分の幸せを追い続けていたら、ハワイのカイルアに到着していたのだ。
余命宣告をされたら、先ずは、真っ向から病気に立ち向かい。
そして、明日死んでも良いと思い、毎日自然体で好きな事を、思いっきりして過ごすのが一番だ。
そしたら、スティーブン ホーキンズ博士の様に、寿命と変わらない位、もしかしたら生きられるかもしれない。
人間の生命力の果てしない力は、今の医学では、今だ未知の世界だ。
余命宣告をされて、好きな事を好きなだけしたら、癌が完治していた例もある。
勿論、余命宣告されて心身のバランスが崩れてしまう弱い人もいるかも知れない。
そんな場合は、家族がまたは、本人を良く知る人々の間で相談して決めて行くのが一番だ。
私の大切な親友は、余命宣告をされずに逝ってしまった。
アメリカで教育を受け、外資系で働き、エクゼキュティブな役職に就いた、彼女の堅持力と強さをしる私は、無念である。
癌を再発した時点で、彼女は仕事を辞めたがっていた。
何故あの時もっと強くアドバイスできなかったのか?
それは、彼女が友人であり、彼女の旦那様に仕事を続けてくれと頼まれているから辞められないという言葉を
尊重してしまったからだ。
もしも、あの時彼女の余命を知っていれば、仕事を無理やりやめさせて、彼女の好きな事を
全てして、悔いなくして欲しかった。あの時の彼女には、その体力と知力全てが、存在していた。
親友の言葉を信じて、アロマセラピーのブレンドを作成してケアーを継続していた。
まさか、親友も知らされていなかったのだから、それが真実ではなかったとは、疑う余地もなかった。
今年に入り、初めて彼女の数値が書いてある検査表をみて驚いた。
それから、診断書の数値に沿ってブレンドを変えて、食事のガイドラインをして、瞑想を一緒にして、
奇跡的に1か月半後に腫瘍マーカーがぐっと落ちた。
がその時に彼女は、治ると思い込み、毎週化学療法までも行っていた。
それは、数年前に化学療法を一切選択せずに癌の診断後3か月で亡くなった友人がいたからでもある。
癌治療には、化学療法の引き際がある事は、医師も熟知している。
なのに、無謀にも毎週末の化学療法により、彼女の心臓機能は弱まり、夜から危篤状態になり明け方心拍停止してしまった。
最期の彼女が4か前自分の死を感じていたのか、瞑想で暗闇から逃れられない恐怖で胸が一杯の時があったのは、事実だ。
私は、光を見つけて、暗闇から出てくるように、彼女に伝えた。
『そうだね。頑張ってみる。』と彼女は、私にいった。
私は、その時から、とても胸騒ぎがしていたが、実際その時には、手遅れだった。
それでも、彼女は、率先して深い瞑想をして、HOPE OF LIFEの香りで心が穏やかってあった事もたしだ。
ただ、家族に恵まれて、高齢になったご両親が毎日交代でケアーしてくれて、本当に感謝していると何度もいっていた。
そして彼女は、とても恵まれていると感謝の気持ちで一杯でもあった。
今を生きる。BE PRESENTで
彼女は、最期この世から旅立って行った。
そう思いたい。
切実に、最期安らかに眠るように彼女が旅立っていったと。
そう願いたい。そして祈りたい。切実に。
人間もしも余命がわかっていたら、なんだって出来る。という事を皆さんに伝えたかった。
私は、『今が一番幸せ』な人生を50歳を過ぎてから目標に人生半分以上生きたい。
多くの人の死を経験すれば、するほど切実に、感じ実践していきたい。
皆さんも、是非、今日、悔いのない毎日を考えて決断し人生を楽しんで過ごして生きましょう。
この夏7月11日から29日までの間帰国いたします。
東京南青山のレンタルサロン(青山1丁目駅徒歩3分)にて
アロマセラピー&レイキヒーリングトリートメントのご予約を承っております。
アロマセラピーヒーリングは、多くの心身のバランスを整えて行きますので、是非この機会にご予約下さい。
ご予約は、Email info@argutha.com または、ショートメールでも大丈夫です。携帯090−6526-6334
でご予約下さい。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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2日前に親愛なる友が旅立ちました。
夜12時から土砂降りの雨がカイルアは降り続き、その雨音と同じように私の涙が流れて止まらない。
胸が痛い程悲しい。
今朝目が覚めると、雨が上がり木々や蘭の花に大きな雨の雫が数珠玉のように連なっていた。
それは、まるで私の悲しみの涙のようだった。
家族に恵まれない私は、友達が私の人生の支えでいてくれていた。
そして、友達は私にとって、心の一番の宝でもあった。
彼女が亡くなった知らせは、カリーナを学校に迎えに行ってカイルアのディスリクパークで彼女が学校を終わるのを待っていた
車の中で、ラインを調べていて、京ちゃんと話してみようかとチャットを開けると、しなちゃんからのメッセージが
久しぶりに入っていて、メッセージを読むと。
『悲しいお知らせです。京ちゃんが今朝方亡くなりました。』
自分の目を疑い、何度もメッセージを繰り返し読んでる間にカリーナが車のドアを元気よく開けて私を見ると、
『What's wrong ? 』と聞いてくれたと単に涙が目から溢れてきた。
『親友が亡くなったの、ウエディングパーティーに2人の息子さんと来ていた。毎日一緒に瞑想していた。』
呼吸が苦しい位に涙が溢れていたが、家に運転して帰らなくてはならず、口から深く呼吸を吐いて気持ちを整えて
家までたどり着いた。
大切な親友がそれも前日まで毎日話していた親友が、目を覚めた次の日にこの世を旅立っていた。
2002年に彼女が初めて、大腸がんを発見したのが私のアロマセラピークラスで中医学とアロマセラピーのトピックの中で、
大腸の経絡が詰まっていると発生する症状の説明をしていた時だった。
彼女が、『全て彼女の症状にあてはまる。』と言ったので、私が勧めて直ぐに、 『病院で検査受けて』と言って、病院で検査を受けたら、直ぐに、
大腸がんの大腸癌が既に腹部のリンパに転移していた既に、その時点でステージ3であった。
癌摘出手術をして、飲用のアロマセラピーのカプセルブレンドを飲んで奇跡的にも、
癌から完治して、それからは、彼女が念願のアメリカシカゴの部署に抜擢されて息子達2人連れて住みだして
生き生きとより彼女らしく生きていた。その後、次第に上司からなどの仕事のストレスが高まった3年を過ぎた後辺りに、癌が再発した。
癌の再発
それでも、彼女は頑張って癌と仕事そして2人母そして妻の役目をこなし続け、彼女らしく頑張っていた。
話を聞いていると最大なるストレスは、やはり仕事であった。
仕事を辞めたくても、旦那様が賛成したいのと息子達を育てていく糧にならないといけないから辞められない。
ジレンマを抱えて、癌の治療と向き合っていた。
アメリカとの時差の為早朝5時からオンラインの会議やメールに対応しての癌治療だった。
若手の同僚には、膨大な仕事の量に弱音をはくと『癌の治療のために時間を費やしているから、仕事がはかどらないでは?』
と心ならない言葉言われてしまって、自分の病状を同僚には言わずに、より仕事に時間をかけて頑張っていた。
彼女がハワイの出張中、私の家に1泊だけ泊まってた日の次の日、夜の9時半から上司とミーティングをしていた。
2015年の6月からハワイに住んでいる私が、彼女を訪れると日本にいる時には、何時もラップトップを離さずに仕事の合間にアロマセラピーのトリートメントを受けていたのが再発後の2014年からずっと続いていた。
今年の2月の終わりに帰国して連絡を取り彼女の自宅を訪れると、げっそりと痩せて、
以前の彼女の見る影もなくなってしまっていた。
それでも、彼女は笑顔で何時も迎えてくれた。
浮腫がひどくて足首と膝が解らないくらい腫れて、歩けず、今年の2月私が帰国していた間、3日に一回程彼女に家に通い、ジュースをつくったり、免疫力強化用のスープをつくり、アロマセラピートリートメントをして浮腫も3回目には、可なり改善されていて歩ける用になり、病院の帰り新しい服を旦那様と一緒に行ったりして、少しずつ元気を取り戻していたようだった。
そして、会社の部署が自分一人の日本部門の部署で、仕事の引継ぎの事で頭が一杯だったようで、何時もその話をしていた。
私が、ハワイに戻り、病欠から求職に変えて、やっと落ち着いて話をする事ができて、
毎日人生の思い出話をしたり、少し元気になったら、家で1か月位休養して、毎日アロマセラピーで元気になろう。
そして、一緒にアロマティックジャーニーに世界旅行をしようと話しにもりあがっていた。
そして、時間を見つけては、一緒に日本にいた時に彼女の2月21日のバースデーにプレゼントした香水
『HOPE OF LIFE』の香りと一緒に瞑想をしていた。
時差の為、中々時間が合わずにいたが、合う時には、瞑想をしていた。
彼女は、瞑想をすると気持ちが安らぐと言って出来るだけ瞑想を一緒にした。
ただし・・・・
毎週末の化学療法で、癌細胞よりも彼女の身体の生命力が消滅していくようだった。
医者は、数字だけを見て腫瘍マーカーが落ちているから、このまま続行して毎週末の化学療法を継続した。
化学療法の副作用は、個人個人異なりその経過を医者は考慮せず全て数値で判断しているようだった。
私が、化学療法の副作用が強いようならお休した方が、良いのでは?
と提案すると、彼女は、『お医者さんが、検査の数字的は大丈夫だから、継続するって。』といっていた。
癌細胞を完全に消滅できないのが、目に見えている状態で何故、化学療法を推進したのかも疑問だ。
延命治療を優先するべきではなかったのか?
癌治療の医療には、多くの疑問が投げかけらる現代、この大きな課題を目の当たりした。
私の父の家系が、病院経営をしていた関係から、多くの医者たちの会話を聞いて通関している疑問は、
患者さん達を趣旨に考えている医者とそして自己の研究や実績を優先する医者がいると事だ。
癌と向き合うに合ったって、彼女のケースは、化学療法の副作用に賽の目されてしまったのだ。
化学療法の恐ろしさを目の当たりした。そして、彼女の命は、雨のしずくの様に消えてしまった。
53歳の誕生日を迎えて2人の息子の子育てもほぼ終えて、これから自分の人生を楽しむ時に
無念で仕方がない。
そして、悲しみの涙が止めどなく流れてくる。
今の心の安らぎは、ホワイトローズをブレンドした香水を作り(HEALING THE HEART )の香りと一緒に瞑想をする事。
そして、京ちゃんが天国で安らかに過ごしている事を祈りする事。
時は、走馬灯のように過ぎる。
時が止まった時にその大切さに気づく。
そして今は、日に日に、アルツハイマー型認知症のジョンのお父さんエドの表情が明るくなってきているので、
今朝は、エドの大好きな、オーガニックガーリックCO2オイルとブラックペッパー,ローズマリーバーベノンオイル入りの
クレソンのスープを作り、
脳活性オイル入りのジュースを配達にジョンのご両親の家に出前に行くために朝からキッチンで
お料理しながら、『少しでも元気な人を増やして行く事 』を、
そっと自分により強く心に約束した。
LOVE&ALOHA,
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今日は、イースター復活祭の祝日。キリストが処刑された日は、グッドフライデーで金曜日も祝日で3連休の週末だ。
キリストが処刑された3日後に蘇った日をイースター、復活日でキリスト教徒の祝日。
グッドフライデーは通常採食で過ごすか、ファースティングをするのもキリスト教徒の習わしだ。
我が家は、無宗教であるが伝統を重んじて金曜日は、ジュノぺーゼのパスタを食べて過ごした。
イースターは、キリスト教でない人々命を大切にする伝統的お祝いする為に、バニー(ウサギ)を象徴し始めたのは、18世紀に一般的になったと考えれれています。
ウサギは大抵の場合、子沢山なので命の象徴として飾られ、その他卵も同様に命の象徴として飾られる。
ゲームとして卵をガーデンに隠したりして、子供達が卵探しをする催しも行われる。(BBC NEWSによ)
また、復活際のその他の起源は、イノシシによって殺されたタムズの死後、セミラミスによって設定された春の儀式にさかのぼります。伝統によると、彼の母親の涙の地下りよってタムズは地球上に現れた新しい植生の形で『復活』しました。
イースターバニーやエッグは、セラミスによって確立された慣習にさかのぼることができます。ウサギは稔性とその女神イシュタルと長い間深く関連していました。古代のバビロニア人は、天からゆーふラティス川に落ちた卵についての伝説を信じて、そこから女王アスタルト(別名イシュタルまたはセミラミス)は、孵化したのです。
つまり、キリスト教でも無くても、命の復活を象徴する祝日は、アメリカや西洋では珍重されて家族皆で集まり、
生きている事への感謝の心や、生命の復活を珍重する祝日になっているのです。
私は、義理の母マーサーと2人前日から、イースターエッグに似たメレンゲのクッキーを焼いたり、
自家製のシナモンバンズの生地を練ったりして、仕込みをして、その合間に義理のお父さんとマーサー3人で
カニオヘベイの見える米軍基地の敷地を散歩に行き、家族という大切な繋がりに感謝しながらイースターの準備
をしました。
イースターブランチの当日は、義理のお兄さんトムの家族とジョンの家族皆合計8人で食事をして、エドが
卵を庭に隠して、孫3人は、13歳のロキシーとカリーナ、15歳のオーエンはあっという間に12個の卵を見つけて、
卵の中のクオーターコインを手にして喜んび、
『グランパは、隠すのが下手だから直ぐ見つけたよ。』
と誇らしげに卵を手に一杯にして庭から帰ってきて、皆でブランチを楽しみました。
食事から帰ってくると、我が家のヤシの木に生え茂っているパッションフラワーが1つ可憐に咲いているのを見つけて
私は、イースターのパワースポットを感じて感動!
何故ならば、パッション!フラワーの語源は、14世紀ローマンカソリックの司祭は、木質の蔓が、花を咲かせる珍しい植物として捉え、花びらの上の輪の様な形状の雌蕊の周りに円形があり72本のフィラメントをあり、この数は、イエスキリストが身に着けていた、王冠の刺の数だと示唆され、また5つの花弁と5つの愕は、10人の使徒たちを表し、5つの雄蕊は、イエスの手の傷の数を象徴するとし、中央の雌蕊は、十字の形をしていてこれをイエスの手や足を打ち付けた釘を表し、また開花後1日だけ咲きこの開花の時間はイエスが、張り付けられて息を引き取る十字架で過ごした時間を表し、そして花びらが卵巣の上に閉じ込められるので、征服者は、これがイエスが墓に置かれて、『十字架の謎』または『隠された知恵』と象徴されて考えられ、パッションフラワーを神聖なイエスの花として珍重されていたのです。
そのパッションフラワーが、昨年の4月12日に発芽して、12か月と9日目にして初めてイースターの日に開花したので、私はこの3本のヤシの木に生え茂るパッションフラワーを我が家のパワースポットと感じ、感動!復活のエネルギーを創造した
3本のヤシの木に生え茂るパッションフラワーがイースターの朝に開花した!
蔓をよく見ると、蕾がいくつもなっているので!夏には、リリコイ(LILIKOI ハワイ語でパッションフルーツ)のジャムやジュース・お菓子を作るのが楽しみ!
パッションフルーツは、ビタミンC・A豊富で、フラボノイドも豊かで抗酸化作用・糖尿病にも効果的・免疫力強化・抗がん作用・LDLコレステロール低下・循環機能強化・心の鎮静効果で不眠症や心配性にも効果的な、スーパーフードです。私の開催しているアロマセラピープライベートリトリートにご参加の人にも是非このリリコイを楽しんで貰いたいの、ジュースを冷凍してジュースをご提供しますのでお楽しみに!
そして、翌日エドとマーサーの家でヨガのセッションを60分程して、マーサ―の目標である、
床から支え無に一人で立ち上がる事が出来たのです。
ヨガを初めて4回目のセッションで第一の目標を達成したマーサーにエドと私が拍手で迎えました。
サンフランシスコの義理の姉アナにも、電話で伝え!ジョンにはショートメールで伝えると家族1段になり喜びがあふれた日に
なりました。
マーサーは、『 70歳に戻れたようよ。』と私の手を取り喜んで!
パラダイスハワイのエネルギーは、どこまでも感動を届けてくれるのです。
LOVE&ALOHA,
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母のリハビリが終えて、ハワイに戻り気が付くとあっという間に月日が過ぎていた。
4月に入るといよいよ、常夏のハワイの香りがしてくる。
それは、甘くそしてトロピカルフラワー達の大合唱の様に、そこらかしこに色鮮やかな花々が咲きだす。
今年は、特にマンゴのライム色の花が満開。可憐なmangoの花は、香りは甘くさわやかな香りだ。
そして、夏には、マンゴが豊作になるなつになる。
そんな中、義理のお兄さん夫婦は、スギ花粉ではなくmango花粉でくしゃみが出てくる。流石にスギ花粉の様な
アレルギー症状には、ならない程度にくしゃみが時折出てくるようだ。
義理のお兄さんの家の周りは、ジャングルに囲まれている、カニオヘの奥地で、100本のカカオの木も栽培している
私の夢のガーデン?がある。タイミングが合えば、是非リトリートにご参加された人をご案内したい。
ガーデンの中央には、、壮大なシナモン木が守り神の様に立ちはだかり、ガーデンを見守っている。
うっそうと生えている木々たちは、野生の状態を保つように義理のお姉さんクリッシーが考えて栽培している。
クリッシーはニュージャージー州出身の、芸術家で繊細な感覚を持ち、ハワイの大自然をこよなく愛している。
義理のお兄さん、トムは、ジョンの3つ上のお兄さんで魚釣りが大好きで、ボートで時間を見つけて魚釣りにジョンや
友人と出て行く、ハワイの典型的なのんびりそして優しい義理のお兄さんだ。
そんな、2人は時間を見つけては、ガーデンの手入れをして、4年目にして私は初めてその地に足を踏み入れた。
トムが、『週末カカオの収穫をするから、良かったら来て。 』と誘ってくれたのだ。
私は、2つ返事で『是非、お願いします。』といって日曜の朝に行くと、鍵がかかっているゲートを開けてガーデンに
入れてくれた。カカオは、宝石のように貴重な実である為、盗まれないように慎重に栽培している。
中央に池があり、その周りにバナナやカカオ、カカオの幹に絡まるバニラオーキッド、ピンクレモンの木やオレンジの木そして大きなポメロ(ボンタン)の木が生え茂ってているガーデンは、エクアドルのアマゾンのジャングルに相当する位迫力があった。
ジャングルの中に、カカオの木が生えていて実が木の幹にくっつくように幾つもなっている。
その中のオレンジ色の濃いい物だけを手で丁寧にもぎって収穫する。
カカオの実は、直径30cmほどで固いからに入っている。中にクリーミーな白い実がぎっしり入っていて、
そのジュースは、甘酸っぱいライチージュースの様な味がする。
大きなナイフで、カカオの殻を割り、近所の人と共同で実をくりぬき、雑菌が入らないように手をしっかり洗い、
手に傷があると雑菌が入るので、手袋をして行うのが好ましい。
集まったカカオを、バナナの葉の裏側についている細菌を利用にして発酵させる為バナナの葉を裏返して
樽の様な木の箱に敷き詰めて、カカオの実を入れて発酵させると、
30-50度の熱が発生して1-2週間でカカオニブスが出来上がる。
このカカオニブスは、マグネシウム、ポリフェノール、フェニエルチアミン、フラボノイド、亜鉛、鉄分 が
豊富で脳の活性する神経性分が豊富なスーパーフードだ。
抗酸化作用は、緑茶やワイン、ブルーべりーを抜いてダントツである。
もちろん、カカオのエッセンシャルオイルもあります!
チョコレートは、砂糖や乳成分を入れて美味しいが、砂糖は脳を酸化したり癌細胞の餌になったり、摂取過多は、
不健康へつながる。 ローフードのカカオニブスは、無糖で味気ないが、かんでいる間食が良く、苦みが癖になる味だ。
この一カ月色々な事が起こって忙しくて、盛りだくさんでブログを書く時間が無くなってしまったが、
このカカオニブスは、高齢になってきているジョンのご両親の救世主でもある。
84歳のジョンのお父さん、エドが、少しずつ認知症が始まってきてしまったのだ。
そこで、家族みんなで、お母さんマーサーの負担がなくなるように協力する事になった。
私は、腕まくりをして是非、お手伝いいたしますと言って、脳活性ジュースを作ったり、
お父さんと一緒にストレッチをしたりして、マーサ―と二人でエドと時間を過ごす時間が増えた。
エドに、このカカオニブスを朝のグラノラにかけて食べてもらったり、1日3回脳を活性するエッセンシャルオイルオイルを
ブレンドしたジュースを飲んでもらう事にした。
認知症の人が家族にいる時は、一人の人が負担するととても大変なので、交代でケアーをするのが
成功の元だ!エドトマーサー達には、3人の子供夫婦がいるので、皆で交代でケアーをしていく計画がはじまった。
マーサーは、ここ1-2年一人で頑張ってしまいストレスが高まり湿疹が出てきてしまっていたのだ。
今年の冬に、マーサ―とエドが風邪を同じ時期にひいてしまい。エドの症状が悪化し、マーサーがやっと家族の皆に
エドの症状を教えてくれて、皆でのケアーが始まった。
私は、フィジオセラピーとアンチエイジング栄養関係を担当して行く。
義理のお姉さんは、ファイナンシャルの細かいチェックをサンフランシスコからオンラインでマーサー二人で行い。
メンタルの部分は、ジョンが20年二人で行って来た弁護歴をおさらいして記憶力改善。
お兄さんは、カカオやシーフードを提供したり、食事に一緒に出掛けたりしてソーシャルな面で気を使っていく。
ハワイのOHANA(家族)は、素晴らしい協力形態で義理のお父さんエドをケアーして行く事になりました。
皆さんのご家族も是非、孤立せずに色々な手助けを借りて協力していく様にするだけで、介護のケアーのストレスが
低減しますので、積極的に考えてみてください。
ハワイから愛をこめて!
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朝焼けと共に楽園ハワイに着陸した途端に肩からすーと力が抜けるようにホッとする自分がいた。
6時間と2分の飛行時間は、長いようであっという間だった。
出発のぎりぎりまでオイルのブレンドをしていた私は、意外に疲れていた事に気が付き機内食もそこそこに、ぐっすりと寝ていた。目が覚めたのは着陸38分前、機内食も食べずに寝ていた。
飛行時間を感じずに過ごす最高のフライトだった。
着陸後、何時も私は、グリーンカードで入国なのに、必ず尋問付きの通関がまっている。
34年前姉の大学の卒業旅行に召使兼、通訳兼、ツアコン兼・運転手として付き添った時にマウイ島で交通事故を起こしたからだ。
その卒業旅行は、夏休みの2か月を姉と一緒に過ごすという試練の旅行であった。
父が提案し私は、そのリクエストに応えて旅券全てをカナダから私が19歳の時に手配した。
日程は、香港→ロサンジェルス→バンクーバー→バンフ→ニューヨーク→バンクーバー→ハワイ→バンクーバー島で私はそのまま学校に行き姉は帰国と言う姉の卒業旅行で合った。
姉が切れると常に虐待を受けていた私は、ハワイでは心身共に疲労困憊であったが、
朝一番の飛行機でオアフ島からマウイ島に行き、レンタカーをして従妹の隆君からお勧めのカーナパリビーチに向かう時に、
姉は、朝が苦手で助手席で寝ていて、私が地図を見ながら運転をしていた時、道に迷い地図を見ていたためにブレーキを踏み切れていなかったインターセクションでSUVとぶつかった。
一番安いトヨタの小型車のフロントがペッちゃんこになった。
接触した人が好いい人でSUVに傷がないけど、レンタカーだから警察を呼んでくれた。
姉が、ショックで呼吸こんなになり、救急車を呼んでくれて救急車で病院に運ばれ全て検査したが、骨どころかどこも悪くなくて、最期に、記念に金髪の救急車の救助係の人と写真を撮りたいから、私に頼んでくれと言われて、姉は、写真を撮り満足げだった。
私の両肩をハンドルにぶつけて打ち身ができて居たのが一番ひどかったくらいの事故だった。
この時に、何故か警察で指紋をとられていたようで、この記録の為に2001年911事件以降アメリカの通関と時に
小さな尋問室に入れられて待たされるのだった。
姉に呪われている様な、事件であった。
これが、ハワイに入る時のストレスに感じるが、グリーンカードが手元にある限り入国は可能なので、
少し肩の荷が軽い感じ尋問を受けた。
そして、『ミスバーク』と移民局官が私を呼んだ名前の響きに、
『イエス』と答える自分に喜びを感じていた。
ミスバークと呼ばれる旅に、400年の呪いが溶けて地球の雫となって消えて行くようだった。
『亀岡』の名前で呼ばれない自分に、長年の家族の柵から解放感を感じていた。
今回の移民局官は、少し細かく尋問をしてきたが、ミスバークと呼んでくれたので、嬉しい自分を楽しみながら
真剣に尋問答え、入国審査をおわると、
なんと私が最後に出てきたみたいで、バゲージのカーソルには、誰一人いなく私の黒いスーツケースが2つ置かれていた。
ジョンが、ホノルル空港まで迎えに来てくれて、彼の温かくて広い胸の中に包まれるとホッとした。
一人暮らしが長い私には、まだまだ新鮮な心地よさだった。
ハイウェイ4号線を車を走らせて行くと、広大なハワイアンの聖地でもある火山で創造された波打つよな表面の山脈にジャングルの緑の濃い木々の中に時折、オレンジ色のアフリカンチューリップの木にオレンジ色の花咲き乱れ、朝きりの中に幻想的に山々が迫るハイウェイを通り抜ける。それは、まるで映画の中にいる様な景色が目の前に繰り広げられる。
トンネルを抜けると、ハイウェイの下には、平野が広がりその先に、エメラルドグリーンとサファイアの青が重なる海と白い砂のビーチに沿って見えてくる。
朝方雨が多いいオアフ島カイルアでは、7時半には、雨が上がり青空が雲の合間から見えてた。
『 あー家に着いた。』とジョンが言うと、首の後ろの力が抜けて心が軽く温かくなった。
ジョンが、仕事に出かけて私は、私の子供の様に大切にしている22種類の香り深いオーキッド達を観察して、18日間の成長を楽しんだ。
パラパラとまた雨が空から落ちてきて、雲の合間の青い空を見ると目の前のオロマオ山脈に大きな虹の架け橋がかかっていた。
私は、心のかで虹に向かって、『ありがとう。そして只今』といっている自分に幸せを感じていた。
この虹を香りで表現出来たら美しい香りになるだろうと思い、アロマセラピーの部屋に入り、ナチュラルパフュームの
レインボーのブレンドを作成した。
この香りを聴くと、雨上がりの清々しい気持ちとそして虹かける願いが叶う香りである。
私にとって、香りはアートでもある。天然の香りの数千もの成分が重なり合い、美しい天然の香りを創造する。
その香りの微粒子が鼻腔を通り、嗅球から大脳辺縁系へと伝わりそこでマジックが起こる。香りの微粒子が脳へ
伝達されると、人それぞれの化学反応を起こし、想像もつかない素晴らしいマジックが起こって行く。
自然と自分なり考えと行動がとれる様に、香りを聴けば聴くほど、驚くほど自然な自分を発見していく。
私が今楽園ハワイに愛の溢れる家族に囲まれて生活しているのも、自分に必要な香りを聴き続けて
20年の結果の賜物だ。
幸せは、突然訪れるのではなく日々の行いの積み重ねで、一歩ずつ虹の架け橋を渡り、気が付く自分が幸せの渦の中にいるのだ。
是非アロマティックジャーニーを皆さんもして幸せの渦の中に入ってみませんか?
その第一歩が、幸せの架け橋の香りの『レインボー』の香りです。
LOVE&ALOHA
MIDORI
info@argutha.com
( ナチュラルパフューム『レインボー』をご希望の方はEmailでご連絡ください。』
果てしない夢をかなえてくれる。
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今日は、めっきり春らしい天気の日だ。
水仙が母の家の軒先で満開開花してたので切り花にして家の居間に飾ると・・・母は、香りが嗅げなかったのが母に
『花の香りが春を思わせるね。』といって水仙の花を渡すと
母が水仙の花の香りを嗅ぐ、花のブーケの香りが嗅げなかった母が、『ほんのりと香がするのね。』
といって香りを感知しているようだった。
アロマセラピーの脳の感覚機能の活性効果で香りも少しずつ感じられるようになった母。
母自信が香りを嗅いで、春の兆しを喜んでいるようだった。
近所の病院で2か月のハワイでのアロマセラピーリハビリ成果を確認するために血液検査にいった。
ハワイでは、母の好物のアヒのお刺身や天然サーモン・カウアイ島のエビを上げたり、カフクのガーリックシュリンプをたべたり、
チャイナタウンで飲茶を1か月続けて毎週末食べにいったり、美味しい物を沢山食べた。
お酒は、パティーとの時に制限付きでワインを5⁻6杯飲んで、お酒だけ制限して可なり食べ物は自由に食べていた。
毎日のフレッシュコールドプレスジュースと水分補給・そしてアロマセラピーの経口カプセル(一日4回)を継続しただけだった。
人生1回きりなので、楽しんで美味しい物を無添加・天然を意識して食べた。
体重は、毎日の1時間ほどの散歩とアロマセラピー―カプセル(代謝促進 プサンシンCO2配合)が効いた様で
それでも3キロ落ちて御腹周りがすっきりしてきた位だった。
平成29年は、アロマセラピー経口投与を1年したので、その時の数値が一番良いが、
平成30年は、私がビザをハワイで修得期間中約1年母は一人で頑張ったのだか、ウィスキー角瓶半分を飲むと飲んでいたので、
ガンマ(r-GPT)がなんと 200(50以下が正常値)まであがり、中性脂肪が189(149以下が正常値)まで上がってしまい。
尿酸は、29年には4・5の正常値までさがっていたのにこれも8.9(7以下が正常値)と可なりの高い数値で、肝硬変にむかって
超特急で直進してしまっていた。
これが、2か月の間のアロマセラピー経口投与の効果で、
ガンマが 120まで下がり、中性脂肪も126(正常値以内)まで下がっり、尿酸は7まで下がった。
勿論まだまだ高めだが、二カ月の短期間でこの成果を数値で確認できた。
お薬を一切飲まずに、手料理・無添加・天然素材とフレッシュジュースだけを意識した食とアロマセラピー経口投与を1日4回(1ml×4)で肝機能を此処まで回復する事が出来たのは、何よりだった。
高齢の78歳の母の内臓機能でもここまで回復力があるのは、素晴らしい成果だった。
そして、あんなに嫌がっていたアロマセラピー経口投与を今では、母自身が率先して健康の為に飲む気持ちで一杯になっていた。
私に、『貴方がハワイに行ったらこれ飲めないの?』といったので
私は、『大丈夫、7月に変えるまで作り置きして冷蔵庫に入れておくから、自分で飲んで下さい。後デイサービスの
人に渡しとくからディサービスでも飲んでね。』
と可なり意欲的なのもとても嬉しがった。
母の体内のセラトニンとドーパミンのホルモンのバランスがこれも、経口アロマセラピーの効果で、正常化してきて、意識もしっかり前向きになってきている母をみて、なんとも嬉しく感じながら
素晴らしい結果を前にして、月曜日にハワイの我が家に帰るのを指折り数える私だった。
人生何歳になっても根気強く頑張っていれば素晴らしいアロマセラピーの効果を母は実体験してくれた。
やりがいがあり、感謝感激である。
土曜に姉の娘が母に逢いに来てくれて、母の目覚ましい回復に喜んでくれた。
草加駅前に3人でご飯を食べに行って、
夏の3人でのハワイ旅行を計画に話が弾んだ。
話をしているの彼女の夢は、留学して英語を勉強したいとの事、そこで私が、ハワイの我が家に住んで留学
する事を勧め、それには、頑張って英語を勉強しておいて、と言うと彼女は、嬉しいそうにうなずいていた。
姪が生まれて直ぐ、姉は育児放棄で何時も外に夜遊びに行って、毎晩帰らす、ほぼ7歳まで母が育てた姪だった。
母は、孫を凄く溺愛していたのだが、姉は再婚相手の所に家の自分が住んでいた母の2階の部屋もぐちゃぐちゃの状態で、
突然居なくなった。これは、私も同じ経験を持ち、20代の頃姉と一緒に母の持っていた都内のマンションに住んでいた時に
突然ボーイフレンドの所にスーツケース1個で出て行き、ごちゃごちゃのごみの山の姉の部屋は、数か月そのままの状態で、1本の電話があり、どうしたらよいか聞くと
一言、『あんたが、捨てといて 』といわれて、当時会社勤務で毎日激務の私が1か月かけて整理し、
出来るだけ廃棄した経験がある。
その後、30年経て母に同じことをしたのだ。
当時母は73歳で頭をぶつけて、一過性虚血で寝たきり状態だったので、勿論かたずけたのは、私であった。
姪の夏のハワイ楽園生活は、そんな姉が、大きな厚い壁であった。
姉は、コントロール心・嫉妬心・自己中心型の負のエネルギーの固い意志の塊の様な人なので、
一緒に行くの大丈夫かと心配していたが、14歳の姪はハワイに大好きなおばちゃんと皆で行きたいの思いで一杯で
『大丈夫。』
と一言。私にいったが・・・・・
不安な思いが心で一杯になりながら、その日彼女の後姿を草加駅で見送ると、案の定その晩、
姉からのメールで、『ハワイには、行かないし行かせません。』と長々と文句のメールが来てた。
切ない気持ちで一杯で、現実を目の当たりした。
姪は、姉に内緒で母に逢いたいばかりに遊びに横須賀から3時間かけて、来てくれて、そして将来の留学の希望を夢見ていたのに
それを伸ばせない親の決断は、全て子供を自分のコントロールの配下に置き、自分の所有物の様に支配下に置き、個人の意見を消滅させてしまう親である。
これは、残念ながら母にも同じ様な性格があり、やっぱり親子だった。
『親なんだから、親のいく事を聞くのは、当たり前。』
『育てているんだから、親のいう事を当たり前。 』
あー!溜息!
子供でも、所有物では無く一個人として、その子の意見を尊重する育て方が、素晴らしい子供の未来のある育て方だと私は、自分の経験上考える。
私は、カナダの留学経験を経て、素晴らしいカナダのホストファミリーに何時も、
『後悔しないように人生1回だから自分を大切にして生きてくのよ。』と言われて、私は個人の意見を尊重する事を学んだ。
私、一人家族の中で浮いていて、母と姉とも別格で自由意志で自由を尊重する分、相手の意見を尊重するのが、モットーだ。
一個人が決めた事を尊重し、その人が納得いく人生を歩いて行くと、失敗しても成功しても全て自己責任であり、そこから生む事もあり、くじける事もあるが、自分で決めた事だから後悔もせず、人任せでない、自分の人生を強く生きて行く事を学ぶ。
全てが自分が、納得が行く人生を、歩む事が出来る様になる。
勿論も責任感もでてくる!
人の意見に流されて自分の人生を投げやりに生きてしまうと、後悔ばかりで心が重くなり次第に、人生は重い試練の塊になり、人頼りの、人生を生きて行くのだ。そして、残るのは、恨みや妬みだけのネガティブな人生だ。
その点ハワイの我が家は、私にぴったり、あまり自由意志過ぎて日本人の私は、戸惑いを感じる位だ。
カリーナは、ジョンに、『 you are not always right .』という。(お父さんが何時も正しくないから。)
13歳の時に言って来たくらいだ。
ジョンは、それに対して、『 TRUE 』 と一言。( それは、真実だね。)
母は、アロマセラピーで元気になりつつある喜びと、夢を打ち消された、姪への切ない心痛い思い出一杯の私は、
春の風吹く2月の終わりに、水仙の香りを楽しみながら、癒されながら、この切ない思いは、今は、残念ながら何もできない。
彼女が成人するのを待つだけだった。
でも心に固めておくのも精神的に辛いので、この気持ちを解放するブレンドを作って、瞑想した。
TURE FREEDOM (ナチュラルパフューム)
香りは、日本の春の風が自由にハワイまで飛んでいく軽やかな香りにできあがりました。
心が軽くなり、何時かかなわない夢がかなう思いでいられる香り。春の希望の香りで心赴くまま自由に生きる事を
瞑想して、実践していく事を香りが導いていきます。
LOVE&ALOHA
MIDORI
*True freedom のパフュームをご希望する方は、Emailにてご連絡下さい。
info@argutha.com
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成田に到着して、到着ロビーで母と帰りのリムジンバスを待つ間、メールを受け取った。
メールを開けて読んだとたんに、『涙が止まらない。』
私の目から涙が止めどなく流れてくる。母が隣で驚いてどうしたのか聞てきた。
私は、震える声で母に『カナダのホストファミリーのお父さん、アーデンが亡くなったの。』
と言い、何度も追悼のアーデンのメールを読んでいたが、涙が溢れすぎて追悼のメールも読めなくなり、
ハンカチで涙を抑えるだけだった。
アーデンは、私にとって素晴らしい父親像を教えてくれた掛替えのない人だった。
8歳の時に父が私達を捨てて家を出て行き、父親の役目を捨てた父は、私にとって父の影は薄い。
17歳の時家族が嫌で、一人で生きるしかないと家を出てカナダのバンクーバー島の
カレッジに一人旅だったは、45年前だ。
そこで、沢山の心温まる人々に出会い。人生の素晴らしいさと、大自然の美しさを学び。
私の人生は蘇生された。
酷いアレルギーも4年間カナダ留学中に完治して、驚くほど心身の細胞が蘇った。
4年間の美しい思い出の中の一つは、アーデンとロバータが、夏にバンクーバー島の北にある孤島、
レフュージコーブのサマーハウスに私を連れて行ってくれた思い出だ。
空を見上げるとそこには、宝箱の宝石を散りばめたような星が輝き、
真っ青な海に一緒にボートでサーカイサーモンを釣って、ロバータが鮭缶を圧力なべで作ってくれた。
レフュージコーブは、電気も通っていない孤島で車も走っていない。
そんな島に3棟の小屋を建ててアーデン家族は夏を、魚を釣ったり、沢でハーブを摘んだりして過ごすのが
彼らの恒例の夏の過ごし方だった。
そして彼らは、日本から来た私を何時も、家族同様に心温かく迎えてくれた。
アーデンとローバータは、私にとってカナダのお父さんとお母さん的存在だった。
そして人生のロールモデルでもあり、平和な生き方を教えてくれた。
アーデンは、自分の両親をしらずに育ち、育ての親から育てられ幸せに育った。
その幸福の輪を伝える為に、彼らは自分の子供が2人いるのにもかかわらず3人目を養子で育てた。
そして私までも家に家族と同様受け入れてくれたのだ。
そんな生き方を自然に生きたアーデンが88歳のお誕生日の日2月2日に亡くなってしまったのである。
昨年私の51歳のハワイでのウェディングパティーにもわざわざカナダからロバータと一緒に出席してくれた。
昨年87歳とは思えない行動力そして気力があったアーデンはビックアイランドにもロバータと旅行を楽しんだのに。
人生は突然終わりが来るものなのだ。
そして、突然亡くなってしまうと、周りの悲しみは偉大なる生命の消失に驚き、悲しみは次第に深くそして辛さも深まる。
まだ、アーデンが亡くなった事の現実感がない。
その大きな心の空間に、悲しみは突然押し寄せる。
曇り空の空を眺めながら、買い物帰り道、大好きなリアナ ラ ハバスの歌を聴きながら突然歩きながら涙が出てとまらなかった。
そしてアーデントの思い出が頭を走馬灯のようによぎって行く。
『ホープオブライフ』の香りを手放すことができず。
この香りが私の心を慰めてくれるように
アーデンが亡くなった今、ローバータがアーデンを失った悲しみは計り知れない。
何もできないかもしれないが、彼女の傍にいてあげたい気持ちが高まり、
明日にでも海を渡って行き、肩を抱きしめたい。
其れができないのも辛い。
先ずは、カナダに5月に会いに行く事を心に決めた。
大切な人生は、生きている限り素晴らしい出会いがありそして別れがある。
一生の間に沢山の出会いと別れを繰り返しながら生きて行く喜びと悲しみの繰り返しである。
別れは、いくつになっても悲しい。
この心を癒すのは、美しい香りで悲しみを和らげそして時が過ぎて行く事だ。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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いよいよ母のハワイでの認知症改善アロマセラピーリハビリが、明日で終わりになます。
素晴らしい成果の末に終わりに近づいていてほっと心をなでおろしている所です。
母と娘は何時まで経っても、母と娘の関係なのでそんな中リハビリを指導していくのは、感情的に
落ち着て行かないとスムーズに進みません。
家族から離れたい一心で17歳の夏に家を出て、留学して以来、母には感謝して日々生活しているのですが、
中々の心の葛藤の中の2か月集中アロマセラピーリハビリは、要介護3から1辺りになりました。
そんな心中、脳の75%は遺伝するとバイオロジー的に証明されているのは皆さんご存知のとうりで、
親が認知症になり自分が認知症にならない為に何をしなくてはならないか?
ジョンの娘カリーナ13歳に、私の母の認知症の状態を見て、私に鋭く明言をした。
『みどりが、認知症になったら、バンクーバー空港に置き去りにするからね。』
つまり、認知症にならないように頑張れ!という助言をもらった。
勿論認知症にならない心がけは、日々しているが、両親とは17歳から全く違うライフスタイルで生活している私は、
体質も今では、全て改善されている100%健康体です。
認知症にならない為には、身体的に3点の要因を改善して行かなければならないのです。
? 高血圧
? 高血糖
? 高コレステロール
これらの3点は、アロマセラピーの経口投与カプセルで改善して行く事が可能です。
(気がかりな方は、是非メールにてご連絡・ご注文下さい。info@argutha.com )
そして一番のチャレンジが、ライフスタイルです。
認知症にならない為に6点のライフスタイルが多くの文献から抜粋してあげてみました。
? 愛するパートナーとのライフタイム生活( 夫・恋人・家族・ペットなど )
? 社交的な生活。( 友人との交流や家族との交流 )
? 好きな事・楽しい事を日々する生活。
( 美しい音楽を聴く。美しい香りを嗅ぐ。おいしい天然食を楽しむ。美しい景色を楽しむ。)
? 軽度な運土を毎日45-60分する。( ヨガや散歩など。)
? ストレスを解消する為にマッサージや瞑想を日々の生活に取り入れる。
(アロマセラピートリートメント・呼吸法)
? 前向きな思考での生活。
(人生なるようになるので、毎日できる事をして日々楽しんで生活する。)
この6点を全てクリアしている私のハワイ楽園生活ですが、油断は禁物ですが、先ずは一安心。
人生を楽しみながらハワイで楽園生活は、美しい景色とのんびりとしたライフスタイルと風習がハワイ人気の秘訣です。
此処で、ハワイのロカールな生活を楽しめるアロマセラピーリトリートを皆さんに4月からご提供いたします。
ブログを読んで下さっている方にいち早く、プライベートリトリートになりますのでお早めにご予約下さい。
(3月1日から受け付けます。)
ハワイカイルア(オアフ島)でプライベートアロマセラピーリトリート
癒しのカイルアを楽しむリトリート
日常の生活のストレスから解放される為にプライベートなハワイの楽園生活を楽しむリトリート
旅を通して、ヒーリングを求めている方におすすめです。
青い空・青い海・そして贅沢なプライベートな時をハワイがあなたを待っている。
一人でハワイに来て、集団の煩雑された社会から解放されにハワイに来ませんか?
ハワイのライフスタイルをヘルシー&ハッピーに楽しむリトリートをご提供します。
カイルアの閑静な住宅地のオバマ大統領がバケーションで来るカイルアの小さな町に滞在してハワイにまるで住んでいるようにリラックスできる、
一軒屋に滞在しハワイのライフスタイルを楽しみながら贅沢な時を過ごす。
アロマセラピスト&ヨガインストラクターとして22年間東京をベースに活動、エアラインのコンシェルジュで15年間働いて来た経歴のアロマセラピスト(Mrs.Midori Burke)が気取らないおもてなしと健康になる秘儀をご提供するリトリートは、貴方だけのプライベートリトリート。
朝ヨガやビーチサイドを散歩・ハワイを気ままにドライブしたり、美味しいローカルの食材を楽しんだり、大自然の中でパーソナルブレンドで瞑想・全身アロマセラピートリートメントでリラックスしたり、お好きなプランをたのしめます。
ご予約は、一人から、またご両親、ご友人、お子様、旦那様やパートナーとご一緒にもご予約できます。
滞在場所には、南国の雰囲気を万逸のハワイアンキルトのキングサイズベットのベットルームが1階と2階に2部屋にあり、バスルームがここの部屋に設置され。2階のベットルームからは、カイルアのツインアイランドそしてモコレアロックの景色を楽しみながら目覚められます。1階には、小さなキッチンと冷蔵庫・電子レンジが設置されており、リビングルームがございます。
プールが屋外にあるプールで気ままにスイミングを楽しめ、プールサイドで夜空や青空を眺めながらヤシの木を見ながらハンモックに揺られてリラックス、マリンスポーツを楽しみたい方には、目の前の海にサーフボードやカヤックでハドリングができる素晴らしいプライベート空間を楽しめます。
朝カイルアビーチパークで気持ちよくヨガや散歩をして始まり、日中はのんびりお部屋でリラックスまた、ハワイの歴史的な場所を訪れ、夕方は、本格的なアロマセラピートリートメントでデトックス・リラックス・エネルギーを充電して過ごすリトリートをご提供してまいります。
滞在中また体験したい事やまたご希望がございましたらお気軽にお申し出ください、ご希望に沿ったリトリートにプログラムいたします。また日本からのフライトのお手続きがご希望の方はご連絡下さい。?日帰りコースまたご滞在のホテルにて。
ご滞在のホテルまでお迎えに参ります。またはご滞在先のホテルで行えます。
30分ほどコンサルティングを行い、心身のバランスを整えるパーソナルブレンドをその場でブレンドいたします。トリートメントは、ロミロミマッサージ・筋膜マッサージ・リンパドレナージュ・スエディッシュ・リフレクソロジー・クラニアルサークレット・レイキを取り入れて行います。 (約90分)
初回カウンセリング付き USD300ドル 2回目からUSD210ドル(送迎料金80ドル)子供料金(7−11歳以下25%オフ、乳児―7歳以下50%オフ)
?1泊2日コース
カイルアのビーチを見ながら邸宅に滞在し楽園の中で行うリトリート、送迎サービス付き、
チェックイン3pm (アーリーチェックインは追加ご料金60ドル)
4時半 全身アロマセラピートリートメント 90分
朝 8時半 パーソナルヨガ30分から90分からご希望で時間を決められます。
ラニカイビーチやカイルアビーチのお散歩を楽しみながら行います。
ウルポヘイアウの観光;古代ハワイのテンプル広大な敷地に並ぶ岩壁とトロピカル植物茂神聖なパワースポットです。
ご料金:1人:USD 695ドル (宿泊費・コールドプレスジュース・アロマセラピートリートメント・ヨガ・送迎付き)子供料金(7−11歳以下25%オフ、乳児―7歳以下50%オフ)
?2泊3日コース
チェックイン3pm(アーリーチェックイン 追加ご料金60ドル)
4時半から全身アロマセラピートリートメント 90分
1日目
朝8時半からパーソナルヨガ 30-90分ご希望で時間と内容を決められます。
お昼からご希望でカイルアの観光・ラニカイビーチ・カイルアタウン・ウルポヘイワ(古代ハワイアンテンプル)への散策・植物園見学
4時半からアロマセラピーヒーリングコース 90分
2日目
朝 カイルアビーチパークでヨガ
12時チェックアウト
送迎付き
価格一人:1490ドル(2日間宿泊費・コールドプレスジュース2日分 アロマセラピートリートメント2回・ヨガ2回・オーガニックアメニティーキット2日分・ワイメアフォール観光・送迎付き)
子供料金(7−11歳以下25%オフ、乳児―7歳以下50%オフ)
?4泊5日コース
3時チェックイン
4時半から全身アロマセラピートリートメント
1日目
朝8時半からヨガ カイルアビーチパークで気持ちよく雨の日は滞在先にて行います。
ワイメアフォール観光・ノースショア観光
午後4時半から全身アロマセラピートリートメント
2日目
朝ヨガ
ダイアモンドヘッドのパワースポットをおとずれ、マカプー・潮吹き岩などを訪れます。
午後4時半 全身アロマセラピートリートメント
3日目
朝ヨガ
ワイケレアウトレット・アラモアナショッピングセンター・ワイキキでお土産などご購入される場合は免税店を訪れます。
午後4時半 全身アロマセラピートリートメント
4日目
朝ヨガ
カイルアの古代ハワイのテンプルウルポヘイアウ観光・ボタニカルガーデンでトロピカル植物園見学
午後4時半 全身アロマセラピートリートメント
5日目
朝カイルア公園にてヨガ・ビーチの散歩
チェックアウトお昼12時
価格1人USD 2995ドル
(4泊の宿泊費用・ヘルシーコールドプレスジュース 内服用カプセル4日間分・パーソナルアメニティーキット4日間分・アロマセラピートリートメント4回・ヨガ4レッスン・観光費用・送迎費用)
子供料金(7−11歳以下25%オフ、乳児―7歳以下50%オフ)
*ご希望でシルバーカーのご用意もございます。(無料)
*観光スポットを変更する事もできますので事前にお電話やメールでパーソナルプランを組み立てる事も可能です。
*お食事のご用意が、ご希望の場合は、ご予約の時にご連絡下さい。体質別または、食べたい物を健康的に調理してご案内いたします。例)グルテンフリー・ホールフード・ビーガン・ベジタリアン・糖尿病・高血圧・ジュースファースティングなど。15年程料理研究を重ねたMIDORI BURKEが材料を厳選してクッキングしたものをご提供いたします。
*料金に含まれて無い物、航空券・お食事代 海外保険料。
*お支払い方法は、りそな銀行振り込み(為替レートの変動により価格の変動がございます。)またはクレジットカード(マスター・ビザカード)
www://argutha.com
携帯090-6526-6334 HAWAII 808-491-7600
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1月21日 晴れ 気温24度
家の外から見ようと芝にでてブラッドウルフフルムーンの月食を探したが、月が登東側はピルボックスのある山の為
フルムーンが見れない。
ラニカイビーチにジョンと二人で家から歩いて見に行くと、月食を見に歩いている人達に行きかいながらハワイでの初フルムーン月食を見るのに胸が高鳴った。
ビーチサンダルをラニカイビーチに降りる階段の上に脱ぎ捨てて、脚早くビーチに降りて行くと波が足を濡らした。
海の水が冷たくて気持ちよく感じたが、ハワイ育ちのジョンは、『コールド』と言って飛び跳ねた。
ツインアイランドの丁度上の方を見ると、オレンジ色の満月が千古花火最後の大きな玉の様に空にぶら下がっていた。
オレンジ色の丸玉にうっすらと逆三日月のように黒い影が神秘的に陰ってる。
『 月食だ。』
52年生きていて、初月食体験。胸が一杯になった。
宇宙の影をこの目で体験している。
子供たちが、砂遊びに夢中になり、親達は偉大なる自然現象を楽しんで空を見ている。
『なんだか、夜の海で泳ぎたくなった。』とジョンに言うと、『GO FOR IT』と言って肩を押してくれた。
コットンのセーターを脱いで、ヨガウェアーのまま海に足から膝まで入ると、ひんやりとした水が波のさざ波で胸まで来た。
ザブンと身体を海に投げ入れると、海が全てを受け入れてくれるように身体全体を包み込んだ。
身体を波に任せて浮かせて、夜空を見るとオレンジ色のブラッドフルムーンが幻想的に空に浮かんでいる。
その瞬間全てが解き放されるように自由になったようだった。
30代の頃多くのリトリートに参加して、自分の不幸な家族からの柵から解放されるために、コンプレックスから解放される為に
自分を解放・ヒーリングしてきた。その旅に、バラの花の花びらが一枚づつ開くように心の固いものがほぐれて行った。
そして生き続けて行く、力と勇気を付けて行った。
ラニカイビーチのサンライズやオロマオ山脈に沈む夕日や幾つもの虹・そして月光全ての大自然の癒しのエッセンスが
今目の前にある事に地球への感謝の気持ちで一杯になった。
そして、ブラッドウルフフルムーンの月光の下で明け方に全ての過去を解放して新しい年への希望に向かって瞑想をした。
78歳の母の認知症の検査結果がケアーマネージャーの牧さんから連絡がきた。
なんと要介護3だった。
確かに、ハワイに来る前の母の介護度は、1人ではトイレ以外は何もできず。
車椅子がないと移動できなかった。
12月11日から今1か月と10日が達、目を見張るほど介護の必要性が低減している。
2・2キロの朝の散歩もシルバカーに座りながらゆっくり90分かけて歩いていたのが、今ではお休みなく45分でトイレにも
よらずに歩けるようになった。
洋服も自分で全て着替えられるようになった。
車に乗るのも自分で乗り、シートベルトも自分で閉められるようになり、思いやりもでてきて
『あんまり、お願いばかりしているとみどりに悪いから、自分でやるわ。』という余裕も出てきた。
前は、『やってもらうのが一番。』と『一人で気楽に生活できる日本に早く帰してよ。』威張っていたのだが、
可なりの人格もいつもの母になってきた。
そして、ヨガの練習にも参加できるようになり、やる気が段々と高まってきた。
元の要介護1までに戻ってきて、本当に助かった。
母が、『脚をマッサージしてくれてるから、脚のしびれが取れて歩きやすくなってきたわ。』
母は、一過性虚血脳血栓をしてから、脚と足がしびれていて、触るだけでも触られるのが辛くて怒っていたのが、今では感覚が戻ってきて、リフレクソロジーの圧を賭けてマッサージすると『気持ちが良い。』といって喜んでくれている。
膝の痛みも緩和されてきて、素晴らしい成果だ。
ジョンも、『お母さん、凄く元気になってよかった。』 と喜んでくれた。
ネガティブな事は、認知症の病気の母が言っていると割り切って聞き流し、
ポジティブな母の言葉に感謝して、残りの20日間ほどのリトリートに気合いを入れて、
パワフルな力強い香りと幻想の世界へ導いてくれるブラッドウルフフルムーンパフュームと一緒に瞑想をして、ハッピーハワイアンライフをビジュアライズしていく今朝の私だった。
LOVE&AOHA、
MIDORI
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人間それぞれの生き方があり、歳を重ねて行く女性はの生き方は、人それぞれ違う。
どんな家族の中で生きて来たのか?
どんな教育を受けて来たのか?
どんな土地に生まれて、生きて来たのか?
人の人生は、子供の頃は親の選択でその子の人生が選択されて生き、
成人したら自分の全ての選択で人生がそれぞれの方向へ進んで行く。
40歳を過ぎる頃には、自分の選択した結果が見えて来て、歳を重ねて行く焦燥感と喜びがどこからか沸き起こる。
若い頃に悩んでいた事が嘘のように悩まなくなり、幻想的な不安に操られて生きなくても良くなるこれは、
歳を重ねてきたご褒美であり喜びだ。
敢えてここでは、歳をとるという言葉を避けたい。
不安から逃れるために、ホロスコープや幻想的なスピリィチャルの世界にがんじがらめにならずに、
自然体で生きていかれるのも歳を重ねる喜びだ。
歳を重ね年数が50年もすると、自分の感覚がより研ぎ澄まされて、解放感がでてきて自然体で生きる自信が出てくる。
とは言うもの・・・・!?
人間多くの事を今だ悩み、考える。
『人間は考える葦である。』
ただ、歳を重ねると無駄に考え悩まなくなる。
歳を重ねる喜びは、社会的に考えても素晴らしい事なのに何故かこの感覚が非常識・非日常の世界の様に考えてしまう。
姥捨て山の時代を変革していかなくてはならない。
これは、歳を重ねた女性が社会で家庭で活躍する事だ。
日本の女性の太古の歴史・文化改革だ。
日本は、1940年第二次世界大戦で敗戦国だ。
この負の思考が今だ根付いている年代が60年代までに生まれた人だ。
終戦または第二次世界大戦中に生まれた親に育てられ、終戦の貧困な生活から抜け出すためにがむしゃらに働き、
そして高度成長期にがむしゃらに良い生活をする為に働き続けてきた親に育てられた年代だ。
私達は、親が忙しく働いていた背中を見ながら育った年代。
そして戦後の自由を楽しんだ親達は、自由恋愛や不倫そしてバブルを生みだし、フルにバブル生きてきた人々。
そんな、物質世界・キャピタリズムの中で生き生きと生きていた親達。
結婚という言葉に、夢はあっても現実的には、結婚に対して希望は、かなり薄い世代だ。
17歳の夏、カナダに留学して、カナダの人々の自然を大切にして生きながら、物質世界ではない、
自由な自然体の選択をして、心豊かに生きる生き方をする生き方をカナダの人々から学び、新たな人生の扉を開けたようだったのに・・・・・・・いつの間にか、日本に帰国した自分は、日本の働きバチの巣の中で生きていた。
日本人の私は、ただただ毎日働く母の背中を見ながら育ち、それが当たり前の生き方として母を見て生きてきた。
そして、母子家庭の母に育ててもらった気持ちの感謝の心がいつもどこかにあり、
日本に帰り、親孝行を自分なりする為に23歳の夏から働き、
カナダで学んだ自然体ののんびり好きの自分のライフスタイルが段々遠のき、
46歳の夏まで日本で一生懸命に自分なりに働き続けた。
結婚しなかったのも、母に子供を作らない片羽の娘と言われ続けた。
30代の頃子供を作らなければ一人前の女性になれない
と悩んだ時期もあった。
自分の真実の心が、子供をつくらない人生を選択した。
ただこの選択は、全てが私の育った国と家族の多大な環境がそうさせたといっても過言ではない。
50代に入り、更年期を迎えて、この柵からやっと解放された喜びも歳を重ねる喜びそして解放感だ。
女性の魅力が、子孫繁栄の対象ではなくなり人間としての価値が重んじられるのが50を過ぎての女性の価値。
自然体の自分に回帰したのは、3度結婚した父、不倫をし続けた父の他界したのがきっかけだった。
私が、柵の中で生きてきた自分、私の不幸の源を創造した父の死が解放してくれた。
その父にも、今では感謝する気持ちが50歳になり歳を重ねる喜びである。
若い頃は、父が私達家族を無責任に不倫して置き去りにした怒りが胸の中にしこりとして固くなっていた。
幸せな家庭に育っていたら、今頃は幸せな家庭を築き、子供を育て自分が母として生きていたかもしれない
ふと、空想してみたりすることもある。
キャピタリズムと男尊女卑の世界を作り上げていた、父の死が、この柵から解放させてくれた。
そして、両親から解放され、今を幸せに自分らしく自然体に生きる為に瞑想した。
妄想の不安や固定観念に振り回されずに、自分で自分の環境を心地よく生きてく、自然体の自分を築く
瞑想した。
OUR HAPPINESS IS BUILT BY ATTITUDE AND INTENTION.
(私たちの幸せは、自己の姿勢と志向により築き上げられる。)
この姿勢と志向を作り上げてしまうのが、私達を築き上げる環境だ。
この環境を大人になったら、自分で築き上げるのが大切だ。
どんな人が、何を言おうと自分の幸せは、自分が感じて、自分の心の中にある。
100人いれば幸せの形は、100種類ある。
真実は、今の自分を生きる事だ。
真実を見つけるのは、歳を重ねる喜びだ。
( BE PRESENT ) 瞑想天然パフュームブレンドで1日10分夜今の自分を感じて瞑想をすると、次第に脈がゆっくりになり
地球と一体になって呼吸をし、脈を打ち、心臓の鼓動を感じて呼吸する。
其処に真実の自分がいる。
人生は、真実の自分を見つける為に生きている。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
info@argutha.com
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新しい年が明けて皆が思う事は?
さて今年はどんな年に成るのか?
どんな年になったら良いのか?
という希望と不安が混合して年が明けて、あっという間に春になりそして、暑い夏が過ぎてホットして秋が来て、
あら?
あっと言う間に師走に近づき焦燥感にかられる。
何年も生きているのに何故か、歳を重ねる月日が長ければ長いほどこの感覚が高まる。
ハワイに住みだしてから、この気持ちに追われずにふと毎年過ごしている自分がいる。
1年を通じて過ごし易い気候の為か、毎日その気分に合わせて過ごしている。
ただただボーとして生きてしまわないように、年始にその年にやりたい事をノートに書いて置き、
忘れないように見える所に張っておく。(英語では、バケットリストとかいうのだが・・・・)
人生一回なので後悔しないように、生きるためには、これが一番の目標になるのだ!
毎年の目標に向かって、毎日のスケジュールを決めていると、気が付くと1年が充実して目標が達成されている。
達成できなければ次の歳に持ち越す価値があるか、考えてまたバケットリストを作ると良い。
私は、毎年プライベートとライフワークのアロマセラピーとバケットリストを作る。
毎年必ず、書くのが、
『植物の恵みを感じながら生きて行き、自分の美しさを高めて行く。』
これを詳しく書くと、皮膚につけるものまた体内に入れる(食する)物を天然成分に最大限する事である。
ファーストフードを食べてしまったり、化学調味料が入っている食事をすると長ーい目で見ると、やっぱり、人生の進む
速さが加速して、情緒不安定になる。これは、同様皮膚や髪の毛、爪も、体の一部なので同じである。
ハワイに住んでいるので日焼けは、アウトドアは太陽の光を避けられないので、アロマセラピーの日焼け止めを使うが、
やはり人口成分が沢山入っている日焼け止めには、かなわない。
そばかすやシミが気になっていた昔が信じられない位、そばかすが出てくるが、これは自分が気にするか気にしないかだし、
それより、50歳になると皮膚のしわや張りが大切になってくる。これは、やはりアロマセラピーの物が一番効果的だ。
体も段々ちりめんの様にしわ皺になり、おばあさんの皮膚に近づいてくる50代、私は、30代半ばの頃からずーと自分で作った
アロマセラピーの天然植物性の物を使用している。
50代になっても皮膚の張りは変わらないので、20年の実験結果がでている。
香りも、空港で働いていた時、何千人の人の匂いが行き交い苦しくて、人口の香水を毎日使っていた時、可なり
情緒不安定になり、皮膚もストレスで脂漏性湿疹になってしまい、心身ともにボロボロだった自分が嘘のように
今は、毎日天然の香りに囲まれて生きて20年、公私ともに、別れや介護生活、姉との対決などあったが、冷静に
乗り切り、負のエネルギーに任されずに生きてこれ、今では、52年生きていて
『今が一番幸せだ。』と毎日思える日々が続いている。
人生それぞれ幸せ度は、違うんだろうが、私は、家族に恵まれなかった人生がずーと、ずーと続いた。
両親が8歳の時に離婚、毎日ずーと姉の虐待を受けて生きていた10代、20代カナダに留学して素晴らしいホストファミリー
に出会い、家族の温かさを感じて『いつか自分もこんな家族に囲まれて生きたいなぁ』なんて思いきや
日本に帰国すると毎日せかせか働いてしまい、自分の家族に翻弄されて生きてきた30代、勿論それなりに自分の好きな事を
アロマセラピー、レイキ、ヨガに出会って世界中を旅しての植物に出会い、フランスやイギリス、カナダ、アメリカ、インドで勉強したのもこの時期だった。
40代は転換期だった。
父の介護/他界を経て、長年続けてきたお店をしめてマンションを売って、自分の人生をリセット使用と決めたのだ。
大好きなアロマセラピーの活動も好きだけど、自分の人生をすり減らしてまで活動する程私にはパワーがない事を自覚して
自分のペースで活動する形を目標にする事にした。
偉大なる人は、多分このパワーが沢山あるのだ、50年生きてきて自覚がやっとできたのだ。
そして、海を渡ったハワイで自分の理想の家族に出会い、そして家族を守って行くほのぼのライフスタイルの毎日を過ごす自分が
一番生きやすいライフスタイルで生きて行く事を見つけた。
母の介護も期間限定で行い、母への思いのバランスもできた。
どうしても、シャカリキに働いてしまう日本!
これは、きっと日本文化であるとも言える。だから日本人は、ハワイの文化のんびり、ほのぼのの風が吹く
ハワイに来るのが、人生の洗濯になるのだ。
ハワイの人は、皆のんびりせかせかしてないので、勿論サービスものんびり、皆がそれでも気にせずのんびりしてくる。
急いで人生を生きて終うと、人生があっという間に終わってしまう。
そこで、この素晴らしいハワイの空気をエネルギーを皆さんに伝える為に!
今年の私の目標は、ハワイオアフ島カイルアで極上のアロマセラピーリトリートを始める事です。
4月から受付をいたします。
プライベートリトリートです。
パーソナルスケジュールをハワイに来る前に決めて、その人にあったスケジュールで行い。
カイルアの邸宅に滞在して、海をみて目覚め!
朝ヨガ、
日中スピリィチャルスポットを訪れたり、
ビーチで瞑想、そして締めくくりはアロマセラピートリートメント
日帰りコースから4日間コースまであります。
1人から2人(親子小さなお子様なら4人まで可能・友人・カップルなど)までのご予約になります。
ご興味がある方は、メール(info@argutha.com) までご連絡下さい。
LOVE&ALOHA、
MIDORI
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