振り出しに戻った、母のリハビリ!

  • 2019.12.11 Wednesday
  • 13:09

12月12日 木曜日 気温9度

 

 ハワイアン空港の飛行機のタイアが滑走路に降り立つ瞬間頭の後ろから野球のバッドで殴られて、ノックアウトの気持ちで羽田空港に着陸した私だった。

 

肌に突き刺さる様な寒さを感じて、母がショートスティー先から戻るのを待った。

母の難聴用に取り付けた音高いインターホンの音が脳をさすように高鳴り、ドアを開けると、母が車椅子に乗り車のバンの後ろから降りてきた母は、90歳になったかのように

歳をとって見えた。

私が母に【お母さん、歩けるでしょ。】と言って手を取ると母は、私の目を見て

不安そうにうなずき、車いすから危ない足取りで立ち上がっり、家の玄関に入った。

確かに、何時もの足取りより可なり弱弱しく歩いていた。

 

母は、お酒の飲み過ぎで2日間意識が戻らず2週間病院に入院したのであった。

 

 ハワイから帰国後1か月ほどたった11月初め頃に、母の昔の悪友が、母に遊びに来て、多量にお酒を買ってきてしまったのだ。

 

母のお金をそしてくすねて、それっきりだ。

 

私は、ハワイでその知らせをケアーマネージャーから聞いて、涙が出るほど、悲しくてオロマの山脈の夕日を見ながら、

ジョンに帰国を早急に考えてるが、ジョンの家族と

の日本旅行からハワイに戻りまだ1週間も経過してなかったので、病院に電話してから決めると伝えた。

 

時差が19時間あるので次の日に、母の医師と話すと、

【数字的には、検査結果はどこも悪くなく健康なんです。認知症のテストをしたのですが、初期の認知症の症状がありますが、どこも特に悪い所がないので、お酒の解毒処置をすれば、1週間で退院できるでしょう。

ただし、今後一人暮らしが難しいので、施設に入る事をお勧めします。】

 

お医者様も命に別状が無いと言う事だったので、従妹に入院手続きをお願いして、既に飛行機のチケット購入していたので日にちができず、帰国を予定とうりにした。

 

現実、ハワイは、11月第三週の木曜日がサンクスギビングでジョンのお母様も84歳なのでお手伝いや、

ジョンのお父様のアルツハイマー型認知症が日本旅行中悪化し、そして義理の母のバーティゴと言う眩暈の発作がそのストレスの為、出てきてしまい、

病院に付き添ったり、義理の両親のケアーで毎日忙しく過ごしていた。

(このアルツハイマー型認知症の症状は、次回のブログで書いていきます。通常の母の様な認知症と異なる症状です。)

サンクスギビングの日のお庭からのツインアイランド

その後、母は、ショートスティーをしたのだが直ぐに発熱を起こしたので、また入院してしまった。

尿道炎と肺炎で微熱がでていた。

草加私立病院での処置が悪く、尿道炎になったのだ。

この私立病院は、電話の対応もとても不親切で母の治療が点滴が外れて余り無いので、

個室でないと対応できないと言われた。これは、完全に治療費稼ぎの理由でしかない。

 

その乱暴な看護婦さんの治療不慮の為、草加市立病院は、責任を認めたくないのか、母の入院を拒否し、違う病院に入院しそして、1週間後に退院した。

武南病院に電話すると、今度は看護婦さんが丁寧に母は、既に微熱も治まり、お食事も召し上がっているので、1週間ほどで退院ですと

説明を受けた。

 

高齢者の日本の病院の受け入れは、可なり厳しく、薬代と治療代がかからない場合は、受け入れを拒否する。

父が間質性肺炎の発作呼吸不全になった時、救急車を呼んで病院の受け入れ先を探すのに1時間も救急車の中で

待たされた。私は、その時東京の赤坂に住んでいて、周辺には多くの病院が存在しいたのに、結局日赤病院の

救急が入院しないのであれば、診ると言われてやっとの医師の診断を受けたくらいだった。

この時、私の精神状態は、可なり不安定だった。救急車の中で父の生命の危機を感じて涙が滝の様に流れてきた。

そして、父が他界後も、救急車のサイレンの音を聞くと、STD(トラウマ)で心臓高鳴りと呼吸が早くなり、酸欠状態になっていた。心を安定させる香りを持ち歩かないと外出できなかった。

 

香り高い私のコレクションの一つカトレア、今では22種類のランの花々をハワイで栽培

この時から6年が経ち、私の心は楽園ハワイにナチュラルrな香りに癒され続けている。

 

 母と2人で話すと、施設では歩くと危ないから、歩かせて貰えずに辛かったと言って、家では、また

衰えてしまった足腰を鍛えたいから、歩きたいと言って、近くのクリニックまで、以前よりも弱弱しげだが

確かな足取りで頑張って歩いて、介護通知を市役所に提出してくださいとお願いしに2人で言った。

 

12月の冬の空は、低くそして冷たい。

 

母に、16日からハワイだから、また頑張ってリハビリしようと励ますと、

ニッコリ笑い。【頑張るわ。】と言った。

 

そうはいっても、母の食事の量も、以前の3分の1で食欲も、体力も可なり低下してしまった。

鶏がらを買ってきて、圧力鍋でニンニクや玉ねぎ、生姜を入れて鶏がらスープを作り、牡蠣のスープを作って

少しでも栄養がつくようにした。

 

そしてその日からまた毎日、ヘッドマッサージをアロマセラピーの脳活性オイルで5分ほどして、

背中と脚のにも、循環器系が活性されるオイルで優しくリンドドレナージュのマッサージをした。

落ち込んだ母の気持ちを高揚し、脳を活性するアロマセラピーカプセルのブレンドを1日4回飲んでもらった。

 

このカプセルのブレンドのおかげで、10月5日に母の、身体検査をした時には、

HDL、中性脂肪のコレステロール値も血糖値も尿酸も全て正常値にもどり、アロマセラピーのエッセンシャルオイルは、成長ホルモンや女性ホルモンを活性させて骨粗鬆症にも効果的!

母は、2年前に左禅話を骨折したのですが、このブレンドで骨密度も正常です。

そしてかかりつけの高木医師にも健康になりました。と褒められて、自信をつけていた母だったのに・・・・

 

11月11日にスゴロクの振り出しにコロコロコロンとそして、締めくくりは、歩かせてもらえなかった3週間で 

ガッガッガーンと投げ出されてしまったのだった。

 

私が、母に、【ハワイでまた2か月振り出しから始まりだね。】

 

と言うと、母は、意外にも、

 

【そうでもないわよ。まだ歩けるし、お酒も飲みたいと思わなくなったから!】

 

 

私は、母に

 

【それが一番良い。お酒のせいでこうなったからね。】

 

そして、病院の社会福祉の人に母の今後一人暮らしは、難しいと言われてしまい。

私自身が、母の今後一人暮らしが難しい事を知らせれた。

 

そこで、母の生まれ故郷の岩手県宮古の幾つかの施設を調べて、申込用紙を記入した。

電話で説明を受けた限り1年位は、待つとの事なので、申込用紙だけでも郵送しておけば直ぐにでも

ないので良いかと思い、母がまだ歩けるうちに入所した方が、入所も楽にできるので、良いかと考えた。

2014年に母が倒れた時も同じように考えて、母と2人で宮古に行ったが、母が自宅に戻りたい

と希望したので、頑張って一人暮らしが出来る様に母が頑張って、5年が過ぎた。

そして79歳を前に、常時飲み薬もない健康な状態になったはずだが、いたって一人暮らしの自信がなくなってしまった。

 

【田舎の施設に入っても良いかもね。】

 

と母は、言い出した。

 

私は、【まだ一杯だから、空きが出たらでは、施設に入ろうね。1年待ち位らしいから。】 と説明した。

 

私は、一人落ち込む心を癒すために、瞑想を心を安らげる香りの香水を作りした。

 

私の人生と、母の人生が一体にならない様に、大切な母だが、母の人生と私の人生は一体ではない事を

マントラの様に唱えて、自分の人生を自分らしく生きる為に香りと共にした。

 

父の介護の時に、介護生活にどっぷりと入り込み、自分と父が一体になるくらい頑張ってしまい。

うつ状態になってしまった自分がいた。

 

父が亡くなり、自分もこの世から亡くなりたいと何度となく心に感じてしまった自分がいた。

 

それではいけないと、心の声聞き、自分の幸せを見つける研究に没頭して、

【人間行動学のバイオロジー】を理解して、幸せになる為の香りと自分の一生涯の幸せを見つける方法を見つけたのだ。

そして、私は、今が53年間生きて生きて一番幸せだと心から感じている。

そんな自分の脚を引っ張る、昔の自分を打ち消すためにも、自分の幸せホルモンのブレンドの香水共に瞑想をした。

 

すると、3日もすると、母と私の人生が2つに分かれて、心の焦燥感が冬の寒さで落ちて行く落ち葉の様にすっかり

と落ちて行った。

 

アロマセラピーと瞑想は、自然体の自分に直ぐに気が付いてする事で自分を回帰してくれる。

 

ヒーリングは、気づきから始まる。

 

ゆっくりと心が落ち着き、そしてハワイカイルアに戻れば、また極上の楽園に心身がぴったりとはまって行く。

 

私の中学からの親友が、母の話をすると、50/80問題だ。

日本人の50代が抱える、人生の課題。

 

多くの人が、親の介護で自由を束縛されている。

親の介護は、やはり自分の自由が存在してないと、多大な後悔と心身の健康を失ってしまう。

 

親の介護にやりがいを見出しても、それは自分の人生ではなく、介護と言う親の人生に巻き込まれて行く人生になる。

 

そして、親が亡くなった時に、自分が腑抜けの様になり、鏡に映る自分の姿と親を重ねてしまう。

 

その後、幸せも求めて、10年前に手が届いていた幸せに手が届かなくなっている。

 

何時までも、若くなく今を生きるには、自分の人生を自分らしく生きて行かなくては、自分の精神が辛くなっていく。

 

高齢者社会の基本は、自分の人生を幸せに生きる事だ。

 

ハワイのシャングリラ美術館の天井で瞑想

新たな、2020年に向かい、自己のホルモンのバランスを香りを通じて整えて行く瞑想をしましょう。

 

そして自己のホルモンのバランスを整えるカプセルを飲用して、自分の自然体の行動パターンに回帰していきましょう。

 

ご希望の方は、info@argutha.com までお待ちしております。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

 

ハワイの新月(Muku)に咲く純白のランの香りと共に

  • 2019.10.02 Wednesday
  • 02:59

9月30日 月曜日 気温25度 お天気雨の朝、出発前のレインボー 

 

LADY OF THE NIGHT

母の2カ月間のハワイでのリハビリ3期目が9月の新月(ハワイ語でMUKU)の日に終了した。

 

昨晩は、新月(MUKU)だった。

大切に育てているオーキッド達の中でLADAY OF THE NIGHTの花がその夜咲いた。

純白の可憐な花びらが夜になると、ゆっくりと花びらを広げて開花し、魅惑的な香りを放つ。

夜にだけ香る為にその名を夜のレディーとつけられた魅惑的な蘭の香りだ。

 

その香りは、雨が時折降る、カイルアの新月の夜空を艶やかにした。

新月の新たな美しいエネルギーのサインの様に、開花した。

見た目は細長い優しく繊細の花弁で繊細な花だ。

ジョンと2人で、ニュームーンの夜のお花見を香りに包まれながら

明日日本発つ私は、

2人のお別れの夜の寂しい気持ちを和らげた。

 

2匹の黒猫のバクスターとメルメルが芝生の上で伸びをしているのを横に、

 

美しい夜を楽しんだ。

 

 

そして、大切な母のアロマセラピーのリハビリがどこまで効果があるか、

身体的に帰国後身体検査で確認するのを

期待しながら新月の夜、天然の香りに包まれながらまるで瞑想を永遠とする様に眠りについた。

 

母は、朝4時に目が覚めてしまい、私が出しておいた冬用の温かいパンツと

セーターを着てベッドに横になっていた。

私も5時には目が覚めて、うつろな気持ちで出発前に忘れ物をしないように

頭の中でスーツケースの中を確認していた。

ジョンが目を覚まし、朝のコーヒーを入れにキッチンに行く。

 

ジョンが入れるコーヒーは、本格的なカプチーノだ。

オーガニックのミルクをフォーミングして、23秒間だけエスプレッソのコーヒーを注ぎ

その辺のバリスタよりもパキパキ朝からコーヒーを入れてくれる。

 

そのコーヒーを飲みながら、キッチンの窓から見えるオロマの山脈にかかっている霧と

青空を見ながら、ほのぼのとした、幸せを感じる。

 

 母が、ジョンに

【長い間、お世話になりました。何時も親切にしてくれてありがとうございました。】

と言ったのを私が、ジョンに訳すと、ジョンが母に、

【気兼ねなく又12月来て、一緒に新年を迎えましょう。】

と言ったのを、私が、母に訳した。そして母は、

【それまで、生きていたら、またお世話になりますのでよろしくお願いいたします。】

と言った。

3人で笑って、その空気を楽しんだ。

5年前には、こんな会話すらできなかった母が、今回会話がポンポンと出来る様になった。

 

思考回路が開発される、ヘッドマッサージを根気よくした成果が出てきた。

 

こんなに頭の会話機能が回復した母の最大のストレスは、日本語が通じる相手が私位しかいないからだ。

 

H3のハイウェイを車で走らせて左手にパリ峠に霧が荘厳とかかり、時折

アフリカン中リップの花が咲く新緑のジャングルが雨でより深くなっていた。

峠を越すとお天気雨のスタジアムの上に大きな完璧なレインボーがかかっていた。

運転をしながら、ジョンに私は、嬉しいながらにストレスになる母の脳の活性化が

を愚痴にした。

【4-5年前は、母は何も出来ず、会話も進まなかったのに、今では会話ができるようになったが、耳が遠いいから、大声で話さないとならないのと、全てを大声で説明しなくてはならないから、大変だ。】

と言って、2人で笑った。

 

空港に着き、車から降り、ジョンにサヨナラのキスをすると、母が

【イーナ!私は、誰もキスしてくれない。】といった。相変わらずの母のジョーダンだった。

 

車いすを頼んであるので、チェックインすると、

機内にあっという間に乗り込むと、いきなり日本人が一杯なので

母は、スイッチが入り、隣の人や搭乗員の人々と会話を楽しんでいた。

 

そんな母は、私がPCを開いてブログを書いていると、

【私は、コンピューターも何もできない人になってしまった。】

と言うので、私が母に、

【コンピューターは、出来なくても生きてられるから、自分の身の回りのことを

自分で自立してやれるようにしましょう。】 

【本当に、そうね。】と言った。

 

母カイルアビーチパークで歩行練習

脳の前頭葉が開花されているの確実に感じて、ホッとしながら成田行のフライトは成田に着陸した。

車いすをお願いいしたのでスムースにリムジンバスまで行き、

自宅の草加駅で降りるとそこから母は、キャリオンの小さなローラ付きのスーツケースを引っ張って

タクシー乗り場まで歩いてくれた。

此処まで歩ける用になったのもハワイのリハビリの成果だと目に見える母の回復を確認して

胸をなでおろした。

 

その人に会ったプログラムでリトリートを1人様から行っております。

ハワイカイルアの素晴らしい環境の中で、心身を整えたい方は、是非ご予約下さい。

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LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

ハワイの美しい自然の中で自然体の自分に回帰する。

  • 2019.09.13 Friday
  • 12:28

9月12日 木曜日 晴れ時々鱗雲とシャワー 気温28度

 

 ラニカイツインアイランドからの日の出は、目に焼き付く美しさが何度見てもある。

今朝は、6時16分に日の出だった。

カリーナをカリーナの友達ラニカイループの近所に住むマックスをPoo Poo ストリートに迎えに行き、

カイルア高校に送りに行った脚で

ジョンのご両親マーサとエドにヨガのレッスンを教えに寄るのが日課になってきたハワイの楽園生活。

 

ほのぼのと毎日ハワイの美しい自然に囲まれて生活をしていると自分が本当に誰であり、そして自分が何故

この人生を歩いているかが、自然体で受け入れられる。

 

5年前まで東京の殺伐とした人混みの中で生活をしていた自分が遠い昔の様に感じながら

パームツリーの生えるカイルアの町を清々しい風に吹かれながらハンドルを握り青い空と鱗雲を見ながら昔の自分を思う。

 

日本にい居ると何故か個人的事より、グループ・組織の中の一人を尊重してしまう。

 

勿論人間は、社会的組織を構成する一番高度な頭脳を物動物であり、集団の中で生きる事に自分の価値を見つける。

 

先週末のFINALのUS OPENでも感動した。

ロシア出身のダニール メドデフ世界代4位になった。USオープンのマンシングル準優勝に23歳の若さで輝いた彼のセリフや

カナダ出身のウーマンシングルテニスの優勝者のビアンカアンドリースクは、何度若干19歳の素晴らしいゲームの戦いの状況判断の鋭さだった。新人類共言える、冷静かつ鋭い状況判断そしてその、崩れない芯の強さの神髄は、ただ一つ2人共

決勝戦の後のインタビューでただ一つ彼ら達が行った私の心に響いた言葉は、

 

 【最後まで、自分らしくゲームをし続けて、1球1球を返して行くしかない。】

 

ニューヨークのロングアイランドにある、アッシャーテニスコートで 1万4000人を収容するスタジアムで、

マジョリティーの観戦者達は、自分の応援団ではなく、テニス歴代のスターの観戦者達だった。

その状況の中で2人共堂々と自分のテニスを最期までし続け、インタビューで自分を良くやったと認めていた。

 

私の心は、予想をかけ離れたこの2人に感動の心が動いた。

 

日本の競技やスポーツ選手では、全く考えられない回答だ。

これは、日本で育った私にも言える。

人生1回しかないからこそ、1球1球(その瞬間、1秒1分たりとも逃さないで)自分らしく生きていくのだ。

 

これには、やはり自分を冷静に考える、観察して行く力が必要である。

人に言われたから、人に見られているから、親孝行もその一つ、自分の人生があってこそ

親の介護もできるのである。

 

自分の人生を精一杯生きて、自分らしく生きる事で、心から人の介護や優しさ、思いやりが存在する。

 

 

自分が自分らしく生きていないと、介護や優しさが心からできずに全てが負担になり、かつストレスになり、

気が付くと人生のどん底にいたりする。

 

肩の力を抜いて、長期の介護生活を楽しくするためにも、自分を自然体にして行く

生活習慣が必要なんだ。

 

それには、今のご時世、多くの介護方法を検索して一番自分に合っている方法を選択するのが一番だ。

 

カイルアの高齢者の施設の最上階からの景色

ジョンのご両親は、84歳と85歳でまだまだ元気だが、エド(義父)がここ数年アルツハイマー型認知症になり、

マーサ(義母)が心配してハワイのケアーハウスを見学したりして将来2人がどのようにして

生活して行くかを検索している。

 

ジョンと私は、親愛なるジョンのご両親である為、出来るだけサーポートして行く事を伝えた。

 

余り早くに、ケアーハウス等に入ると認知症が進んでしまった例や、

私の叔父は入居日に、心臓発作で亡くなってしまったり、カナダのホストファイミリーの叔父さんは

入居した年にやはり、心臓発作で亡くなってしまった。

高齢になると、小さなストレスが実は生きる糧になっていたりする。

 

自立した生活を自分でして行くと言いう責任感が、自分の人生を生き抜いていく一番の糧である。

 

誰かに寄生したり、人に頼ってい生きて終うと何処かで健康のバランスが崩れていく。

 

自然の流れの様に、自分の人生を精神的・感情的・身体的に自立して自己確立を達成する事で生き甲斐が生じて来る。

この自己の確立をしない限り、心身のバランスが崩れて健康でかつ幸せな人生が確立できないのである。

 

それは、テニスのボール1球1球を返す事しかない様に、一日を大切に自分らしくどうやって生きていくか

を自問しながら、毎日、ぶれない自分を生きていく事である。

集団の中で生活していると、この事故の確率が難しくなり、寄生したり、集団に依存し過ぎたりして

生きていく事になり、気が付くと不幸せな自分の人生になっている。

 

ハワイのラニカイビーチの朝日を見ると、自分の新たな人生が毎日昇ってくるよう

毎日を新鮮な気持ちで生きられる。

 

日本で人生100年と考える生き方が、追求される中

遠い100年を考えて生きるより、毎日1日1日を自分らしく、自分を大切にして生きていく。

 

自分を大切にするヒーリングブレンドを作り、朝この香りと、ラニカイビーチから登る朝日のエネルギー

と一緒に、真っ白い砂浜に座り瞑想する。

 

【 自分とは、誰なのか? 】

【 自分が一番心地よい場所は、どこなのか?】

【 自分が一番幸せな時間は、何時なのか?】

【 自分が、大切にしたい人は誰なのか? 】

 

アロマセラピーのセリフヒーリングブレンドの香りは、脳のリンビックシステムへと伝達されて

深い瞑想の領域へと導いてくれる。

 

この香りをご希望の方は、info@argutha.com

までご連絡下さい。

 

10月2日から16日までアロマセラピートリートメントのご予約を東京青山1丁目のレンタルサロン受けたまっております。

パーソナルブレンドや内服オイルなどのコンサルティングも行っております。遠方の方は、お電話やEメールでも可能です。

ご予約お問い合わせは、E メール (info@argutha.com ) までご連絡下さい。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

楽園ハワイから世界のアロマティックジャニーへの出発

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 07:43

5月21日 晴天 気温24度

 

 朝目が覚めると目の前に3層の重なる緑の木々に覆われた火山の後が波打屏風上に並んだ山並みのオロマオ山脈が窓からミッドパシフィックゴルフ場の5本のヤシの木の向こうに見えた。

今日は、朝から晴天だ。カイルアは、朝晩の雨が50%で降る日が続く。ベッドサイドのコアのチェストボードの上の時計を見ると、6時14分だった。

 今日は、午後3時20分のJFKニューヨークのフライトで久しぶりのアロマティックジャーニーに出発する日だった。幸せの渦の真ん中にいる私は、22年間毎回のアロマティックジャーニーの数日前は、楽しみで早く出発の日が来るの指折り数えている。今回は、53年の人生で初めて、2つの気持ちが重なり合った。それは、楽しみにしている自分と、家族と1か月以上離れなくてはならない悲しみとで心が二つ存在していた。

特に今回は、昨年ビザの習得上1年間アメリカを出れなかった分、2つのアロマティックジャーニーを合わせなた。

人生1度きりしかないので、私は、常に今を生きるを趣旨にして、自分の大切な時間を惜しみなく経験して行くと決めて生きていきたい。

 そんな私の心中を察して、ジョンは、『楽しんできてね。寂しいけど。去年いかれなかった分、倍の長さのアロマティックジャーニーだから、楽しんで勉強してきて。』と言ってくれた。

 

私は、気持ちを入れ替えて、沢山素晴らしいオイルに出会い、植物達のエッセンスの効能を学ぶ事に心をリセットして、専念する事にした。2つの気持ちを一つにしないと心にストレスが発症して、どこかでひずみが出てくる。常に一つの気持ちに心を合わせて行くのが、今を大切に生きる秘儀の一つでもある。

 

 今回は、東欧のブルガリアのローズを初め植物達とクロチアの植物達にご対面だ。植物の生息地を訪ねると、その植物がまるで話しかけてくるようにエネルギーを感じる。これは、長年アロマセラピーを学んできた研ぎ澄まされた、経験と感が物を言う体験だ。

 勿論、化学的に証明された効果効能も学ぶのも大切だ。アロマセラピーは、ヒーリングの秘儀で、全て使用する人とのハーモニーで効果効能が出てくる。

 数千ものブレンンドをブレンドして来て獲得した経験と技術だ。アユルベーダや中医学そして解剖学を学び、植物との融合された人間の生存力を引き出してくれる植物達のエネルギーを学びそして成分を学び、遺伝子を超えた秘儀ともいえる。この、植物のセカンドメタボリズムの生存するためのエッセンスを身体的・感情的・精神的レベルの調和を追求してブレンドして行く。 

ハワイの花プルメリアと月のハーモニー

 そう考えると、アロマティックジャーニーへの心が躍ってくる。

ジョンは、何故か朝から家中の掃除をしまくっている。私は、23種類の香り高い蘭達に水をあげながら、最後の最後まで1か月分の自分の為の朝晩内服用オイルやボディー・フェイス用のブレンドを作り上げ、鞄に詰めた。義理のお兄さんが、カカオ畑でトラクターの志田時期になって、運よくひどい怪我はなかったが、下敷きになったわき腹の打ち身の痛みが取れないので、義理のお兄さん用の痛み止め外用ブレンドオイルも作り、ジョンに渡してもらう様にお願いした。

なんだかんだとブレンドが終わると、出発の当日の朝にパッキングを終えた。

玄関を出たのが1時半前で、サングラス越しでも太陽の日差しが眩しかった。

ラニカイから空港まで、H3ハイウェイを飛ばして35分程でイノウエダニエルホノルル空港に到着した。火曜日の空港は、人気が少なく列にも並ばずに、荷物を預けてゲイトに向かった。ゲイトは、なんとハワイアン50便JFK行のゲイトは、国内線のターミナルからなんと国際線のターミナルの端の端C9だった。15分程歩いてやっとゲートに着くと、いきなりの人込みだった。JFK行は、満席だった。9時間20分のフライトの私の座席は、事前の予約の時点で、真ん中のど真ん中しか取れずじまいだったが、なんと窓側一席バゲージチェックインの時に空いていたのを発見!窓側24jエアバス330に乗り込みいざ、2019年の私のアロマティつくジャーニーが始まった。

 

NYの朝日がアロマティックジャーニーへエネルギーを充電するように輝いていた。

 

711日から29日まで青山1丁目のレンタルサロンにてアロマセラピートリートメントを受付中です。(レイキヒーリング・ニュウロマスキュラーマッサージ・指圧・スエディッシュ・筋膜マッサージ・ロミロミマッサージ・リフレクソロジー・アロマ鍼灸を取りいれた独自のマッサージ技法をクライアントに合ったブレンドを使用してトリートメントを行います。)

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LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

余命勧告をする事の大切さ

  • 2019.05.01 Wednesday
  • 13:23
5年ぶりに咲いたマダガスカルドラゴントリーの花は甘くバニラの様な香りは、ハワイのトロピカルな香り

5月1日 令和元年 水曜日 気温23度 雨時折スコールそして晴れ時々虹

 

朝からカイルアの空は、スコールがふりったり続けている。

時折太陽が眩しいくらいに差し込みながら降り続けるトロピカルウェザー特有の気ままな土砂降りの雨だ。

そして、突然太陽がでてきて虹がかかる。

ハワイの毎日の景色は、マジカルな日が続く。

 

余命宣告の大切さの神髄を少し、話したい気持ちでこのブログを書いています。

大切な親友を亡くし勇気をふるい書いてます。

余命宣告は、その人の性格や生きてきた長さや、余命宣告の正確さなどによって大切さの価値が異なる。

 

ただ、もしもあなたが、後半年の命だとしたら、または3年の命だとしたらその半年、3年をどのように生きて行くか?

知らせれない場合と知っていいる場合の生き方の違いだ。

 

戦時中、特攻隊の人が戦争に行く前に、大好きだった人と結婚をする。

これは、悔いが残らない為に、幸せになってから死ぬ典型的な例であり、武士道の生き方でもある。

戦争がない平和な日本人として・・・・・

いや国際人として、そして意識の高い人間として自分の健康状態を自己責任で判断して決断

していくのが今の生き方であると確信する。

 

現代の医学のレベルでは、この余命を正確に確定するのは、可なり難しいが、

その例が、イギリスの物理学者ステファン ホーキン博士だ。彼は、10代の頃に、後10年生きられれば良いと宣告されたにもかかわらず。結婚を2回、子供2人さずかり、そして76歳まで生き抜いた学者である。

 

病気の種類にかかわらず、自分の健康状態をしり、それに真っ向から立ち向かい、生き抜くことでこの事実が存在する。

病気を理解せずに、現実から逃避してしまい、人に頼ってしまうと、病気とは戦えない。

 

病気を理解し、その病気の症状に、真っ直ぐに直視して取り組むことで、ヒーリング(治癒)が存続する。

 

ヒーリングは、気づき(Awareness ) からが始まりである。

 

その私の1つの素晴らしい例が、15年前の乳がんが、肺に再発した50代後半の子供3人の現役の母、であり

キャリアウーマンのクライアントだ。

家族会議で、頑張って少しでも延命できるように取り組み、彼女も意欲的に家族ぐるみで協力し、

アロマセラピートリートメントを毎週受け、自宅でも使用した。勿論、病院でのケアーも取り入れた。

2年と6カ月の延命ができ、彼女らしく最期まで頑張り、家族に見守られて幸せな最期だった。

 

現実が見えてないと、人は心身の病に苦しむことが多々ある。

厳しいようだが、これが現実であり、真実だと言える。

自分の不調に一番気づくのは、自分であり、痛みも自分以外の人はわからい。

少しでも、不調がある場合は、検査をして的確な対応を探し出し、選択し、そして実行するのが一番大切である。

 

 

仕事が嫌で仕方がないが、やめらずに続け、そのストレスで病気になる。

私も30代の頃仕事が段々とストレスになり、嫌で嫌で辛かったら、卵巣嚢腫になり、放置していたら

腹部がパンパンになり、術後なんと私の嚢腫は、なんと1キロも成長していたのだ。

症状がでてから3年間放置してしまった結果だった。

幸いにも、アロマセラピーやヨガが好きで勉強していたので、病気を切っ掛けに15年働いていた会社を早期退職した。

初めは、定期的な給料が入らない事を心配して、再就職を考えたが、元々会社員に向いていない私の性格

を知って、再就職をするのを、面接が受かった知らせの前日に決めた。

心がすごく揺らいだが、一度自分で決めた決断を貫いて、アロマセラピストとヨガに専念した。

あっという間にそれから20年が過ぎたようだが、長い時間でもある。

そして、自分の幸せを追い続けていたら、ハワイのカイルアに到着していたのだ。

 

余命宣告をされたら、先ずは、真っ向から病気に立ち向かい。

そして、明日死んでも良いと思い、毎日自然体で好きな事を、思いっきりして過ごすのが一番だ。

そしたら、スティーブン ホーキンズ博士の様に、寿命と変わらない位、もしかしたら生きられるかもしれない。

 

人間の生命力の果てしない力は、今の医学では、今だ未知の世界だ。

 

余命宣告をされて、好きな事を好きなだけしたら、癌が完治していた例もある。

 

勿論、余命宣告されて心身のバランスが崩れてしまう弱い人もいるかも知れない。

そんな場合は、家族がまたは、本人を良く知る人々の間で相談して決めて行くのが一番だ。

 

私の大切な親友は、余命宣告をされずに逝ってしまった。

アメリカで教育を受け、外資系で働き、エクゼキュティブな役職に就いた、彼女の堅持力と強さをしる私は、無念である。

癌を再発した時点で、彼女は仕事を辞めたがっていた。

何故あの時もっと強くアドバイスできなかったのか?

それは、彼女が友人であり、彼女の旦那様に仕事を続けてくれと頼まれているから辞められないという言葉を

尊重してしまったからだ。

もしも、あの時彼女の余命を知っていれば、仕事を無理やりやめさせて、彼女の好きな事を

全てして、悔いなくして欲しかった。あの時の彼女には、その体力と知力全てが、存在していた。

親友の言葉を信じて、アロマセラピーのブレンドを作成してケアーを継続していた。

まさか、親友も知らされていなかったのだから、それが真実ではなかったとは、疑う余地もなかった。

 

今年に入り、初めて彼女の数値が書いてある検査表をみて驚いた。

それから、診断書の数値に沿ってブレンドを変えて、食事のガイドラインをして、瞑想を一緒にして、

奇跡的に1か月半後に腫瘍マーカーがぐっと落ちた。

がその時に彼女は、治ると思い込み、毎週化学療法までも行っていた。

それは、数年前に化学療法を一切選択せずに癌の診断後3か月で亡くなった友人がいたからでもある。

癌治療には、化学療法の引き際がある事は、医師も熟知している。

なのに、無謀にも毎週末の化学療法により、彼女の心臓機能は弱まり、夜から危篤状態になり明け方心拍停止してしまった。

 

可憐なコリアンダーの花。コリアンダーは、肝機能を高め抗がん剤で毒されていく肝臓を癒す素晴らしいオイルだ。

最期の彼女が4か前自分の死を感じていたのか、瞑想で暗闇から逃れられない恐怖で胸が一杯の時があったのは、事実だ。

私は、光を見つけて、暗闇から出てくるように、彼女に伝えた。

『そうだね。頑張ってみる。』と彼女は、私にいった。

私は、その時から、とても胸騒ぎがしていたが、実際その時には、手遅れだった。

それでも、彼女は、率先して深い瞑想をして、HOPE OF LIFEの香りで心が穏やかってあった事もたしだ。

ただ、家族に恵まれて、高齢になったご両親が毎日交代でケアーしてくれて、本当に感謝していると何度もいっていた。

そして彼女は、とても恵まれていると感謝の気持ちで一杯でもあった。

 

今を生きる。BE PRESENTで

彼女は、最期この世から旅立って行った。

そう思いたい。

切実に、最期安らかに眠るように彼女が旅立っていったと。

そう願いたい。そして祈りたい。切実に。

 

 

人間もしも余命がわかっていたら、なんだって出来る。という事を皆さんに伝えたかった。

 

 

 

私は、『今が一番幸せ』な人生を50歳を過ぎてから目標に人生半分以上生きたい。

多くの人の死を経験すれば、するほど切実に、感じ実践していきたい。

 

 皆さんも、是非、今日、悔いのない毎日を考えて決断し人生を楽しんで過ごして生きましょう。

 

この夏7月11日から29日までの間帰国いたします。

東京南青山のレンタルサロン(青山1丁目駅徒歩3分)にて

アロマセラピー&レイキヒーリングトリートメントのご予約を承っております。

アロマセラピーヒーリングは、多くの心身のバランスを整えて行きますので、是非この機会にご予約下さい。

ご予約は、Email info@argutha.com または、ショートメールでも大丈夫です。携帯090−6526-6334

でご予約下さい。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたに会えて

  • 2019.04.28 Sunday
  • 01:33

4月27日 気温24度 雨上がりの朝

 

 

 2日前に親愛なる友が旅立ちました。

 

夜12時から土砂降りの雨がカイルアは降り続き、その雨音と同じように私の涙が流れて止まらない。

胸が痛い程悲しい。

今朝目が覚めると、雨が上がり木々や蘭の花に大きな雨の雫が数珠玉のように連なっていた。

それは、まるで私の悲しみの涙のようだった。

 

家族に恵まれない私は、友達が私の人生の支えでいてくれていた。

そして、友達は私にとって、心の一番の宝でもあった。

 

彼女が亡くなった知らせは、カリーナを学校に迎えに行ってカイルアのディスリクパークで彼女が学校を終わるのを待っていた

車の中で、ラインを調べていて、京ちゃんと話してみようかとチャットを開けると、しなちゃんからのメッセージが

久しぶりに入っていて、メッセージを読むと。

『悲しいお知らせです。京ちゃんが今朝方亡くなりました。』

自分の目を疑い、何度もメッセージを繰り返し読んでる間にカリーナが車のドアを元気よく開けて私を見ると、

『What's wrong ? 』と聞いてくれたと単に涙が目から溢れてきた。

『親友が亡くなったの、ウエディングパーティーに2人の息子さんと来ていた。毎日一緒に瞑想していた。』

 

呼吸が苦しい位に涙が溢れていたが、家に運転して帰らなくてはならず、口から深く呼吸を吐いて気持ちを整えて

家までたどり着いた。

 

大切な親友がそれも前日まで毎日話していた親友が、目を覚めた次の日にこの世を旅立っていた。

 

2002年に彼女が初めて、大腸がんを発見したのが私のアロマセラピークラスで中医学とアロマセラピーのトピックの中で、

大腸の経絡が詰まっていると発生する症状の説明をしていた時だった。

彼女が、『全て彼女の症状にあてはまる。』と言ったので、私が勧めて直ぐに、 『病院で検査受けて』と言って、病院で検査を受けたら、直ぐに、

大腸がんの大腸癌が既に腹部のリンパに転移していた既に、その時点でステージ3であった。

癌摘出手術をして、飲用のアロマセラピーのカプセルブレンドを飲んで奇跡的にも、

癌から完治して、それからは、彼女が念願のアメリカシカゴの部署に抜擢されて息子達2人連れて住みだして

生き生きとより彼女らしく生きていた。その後、次第に上司からなどの仕事のストレスが高まった3年を過ぎた後辺りに、癌が再発した。

 

癌の再発

 

それでも、彼女は頑張って癌と仕事そして2人母そして妻の役目をこなし続け、彼女らしく頑張っていた。

 

話を聞いていると最大なるストレスは、やはり仕事であった。

 

仕事を辞めたくても、旦那様が賛成したいのと息子達を育てていく糧にならないといけないから辞められない。

ジレンマを抱えて、癌の治療と向き合っていた。

アメリカとの時差の為早朝5時からオンラインの会議やメールに対応しての癌治療だった。

若手の同僚には、膨大な仕事の量に弱音をはくと『癌の治療のために時間を費やしているから、仕事がはかどらないでは?』

と心ならない言葉言われてしまって、自分の病状を同僚には言わずに、より仕事に時間をかけて頑張っていた。

 

彼女がハワイの出張中、私の家に1泊だけ泊まってた日の次の日、夜の9時半から上司とミーティングをしていた。

 

2015年の6月からハワイに住んでいる私が、彼女を訪れると日本にいる時には、何時もラップトップを離さずに仕事の合間にアロマセラピーのトリートメントを受けていたのが再発後の2014年からずっと続いていた。

今年の2月の終わりに帰国して連絡を取り彼女の自宅を訪れると、げっそりと痩せて、

以前の彼女の見る影もなくなってしまっていた。

それでも、彼女は笑顔で何時も迎えてくれた。

浮腫がひどくて足首と膝が解らないくらい腫れて、歩けず、今年の2月私が帰国していた間、3日に一回程彼女に家に通い、ジュースをつくったり、免疫力強化用のスープをつくり、アロマセラピートリートメントをして浮腫も3回目には、可なり改善されていて歩ける用になり、病院の帰り新しい服を旦那様と一緒に行ったりして、少しずつ元気を取り戻していたようだった。

 

そして、会社の部署が自分一人の日本部門の部署で、仕事の引継ぎの事で頭が一杯だったようで、何時もその話をしていた。

 

私が、ハワイに戻り、病欠から求職に変えて、やっと落ち着いて話をする事ができて、

毎日人生の思い出話をしたり、少し元気になったら、家で1か月位休養して、毎日アロマセラピーで元気になろう。

そして、一緒にアロマティックジャーニーに世界旅行をしようと話しにもりあがっていた。

そして、時間を見つけては、一緒に日本にいた時に彼女の2月21日のバースデーにプレゼントした香水

『HOPE OF LIFE』の香りと一緒に瞑想をしていた。

時差の為、中々時間が合わずにいたが、合う時には、瞑想をしていた。

彼女は、瞑想をすると気持ちが安らぐと言って出来るだけ瞑想を一緒にした。

 

ただし・・・・

毎週末の化学療法で、癌細胞よりも彼女の身体の生命力が消滅していくようだった。

 

医者は、数字だけを見て腫瘍マーカーが落ちているから、このまま続行して毎週末の化学療法を継続した。

化学療法の副作用は、個人個人異なりその経過を医者は考慮せず全て数値で判断しているようだった。

 

私が、化学療法の副作用が強いようならお休した方が、良いのでは?

と提案すると、彼女は、『お医者さんが、検査の数字的は大丈夫だから、継続するって。』といっていた。

癌細胞を完全に消滅できないのが、目に見えている状態で何故、化学療法を推進したのかも疑問だ。

延命治療を優先するべきではなかったのか?

癌治療の医療には、多くの疑問が投げかけらる現代、この大きな課題を目の当たりした。

私の父の家系が、病院経営をしていた関係から、多くの医者たちの会話を聞いて通関している疑問は、

患者さん達を趣旨に考えている医者とそして自己の研究や実績を優先する医者がいると事だ。

 

癌と向き合うに合ったって、彼女のケースは、化学療法の副作用に賽の目されてしまったのだ。

化学療法の恐ろしさを目の当たりした。そして、彼女の命は、雨のしずくの様に消えてしまった。

 

53歳の誕生日を迎えて2人の息子の子育てもほぼ終えて、これから自分の人生を楽しむ時に

無念で仕方がない。

そして、悲しみの涙が止めどなく流れてくる。

 

今の心の安らぎは、ホワイトローズをブレンドした香水を作り(HEALING THE HEART )の香りと一緒に瞑想をする事。

そして、京ちゃんが天国で安らかに過ごしている事を祈りする事。

 

時は、走馬灯のように過ぎる。

時が止まった時にその大切さに気づく。

 

そして今は、日に日に、アルツハイマー型認知症のジョンのお父さんエドの表情が明るくなってきているので、

今朝は、エドの大好きな、オーガニックガーリックCO2オイルとブラックペッパー,ローズマリーバーベノンオイル入りの

クレソンのスープを作り、

脳活性オイル入りのジュースを配達にジョンのご両親の家に出前に行くために朝からキッチンで

お料理しながら、『少しでも元気な人を増やして行く事 』を、

そっと自分により強く心に約束した。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

   

 

 

 

パラダイスハワイの復活祭イースターパワー

  • 2019.04.23 Tuesday
  • 10:47

4月21日 日曜日 晴れ気温25度 

今日は、イースター復活祭の祝日。キリストが処刑された日は、グッドフライデーで金曜日も祝日で3連休の週末だ。

キリストが処刑された3日後に蘇った日をイースター、復活日でキリスト教徒の祝日。

グッドフライデーは通常採食で過ごすか、ファースティングをするのもキリスト教徒の習わしだ。

我が家は、無宗教であるが伝統を重んじて金曜日は、ジュノぺーゼのパスタを食べて過ごした。

 

イースターは、キリスト教でない人々命を大切にする伝統的お祝いする為に、バニー(ウサギ)を象徴し始めたのは、18世紀に一般的になったと考えれれています。

ウサギは大抵の場合、子沢山なので命の象徴として飾られ、その他卵も同様に命の象徴として飾られる。

ゲームとして卵をガーデンに隠したりして、子供達が卵探しをする催しも行われる。(BBC NEWSによ)

また、復活際のその他の起源は、イノシシによって殺されたタムズの死後、セミラミスによって設定された春の儀式にさかのぼります。伝統によると、彼の母親の涙の地下りよってタムズは地球上に現れた新しい植生の形で『復活』しました。

イースターバニーやエッグは、セラミスによって確立された慣習にさかのぼることができます。ウサギは稔性とその女神イシュタルと長い間深く関連していました。古代のバビロニア人は、天からゆーふラティス川に落ちた卵についての伝説を信じて、そこから女王アスタルト(別名イシュタルまたはセミラミス)は、孵化したのです。

 

つまり、キリスト教でも無くても、命の復活を象徴する祝日は、アメリカや西洋では珍重されて家族皆で集まり、

生きている事への感謝の心や、生命の復活を珍重する祝日になっているのです。

 

少し焼き過ぎてしまいブラウンエッグ

私は、義理の母マーサーと2人前日から、イースターエッグに似たメレンゲのクッキーを焼いたり、

自家製のシナモンバンズの生地を練ったりして、仕込みをして、その合間に義理のお父さんとマーサー3人で

カニオヘベイの見える米軍基地の敷地を散歩に行き、家族という大切な繋がりに感謝しながらイースターの準備

をしました。

 

 

イースターブランチの当日は、義理のお兄さんトムの家族とジョンの家族皆合計8人で食事をして、エドが

卵を庭に隠して、孫3人は、13歳のロキシーとカリーナ、15歳のオーエンはあっという間に12個の卵を見つけて、

卵の中のクオーターコインを手にして喜んび、

『グランパは、隠すのが下手だから直ぐ見つけたよ。』

と誇らしげに卵を手に一杯にして庭から帰ってきて、皆でブランチを楽しみました。

 

食事から帰ってくると、我が家のヤシの木に生え茂っているパッションフラワーが1つ可憐に咲いているのを見つけて

私は、イースターのパワースポットを感じて感動!

何故ならば、パッション!フラワーの語源は、14世紀ローマンカソリックの司祭は、木質の蔓が、花を咲かせる珍しい植物として捉え、花びらの上の輪の様な形状の雌蕊の周りに円形があり72本のフィラメントをあり、この数は、イエスキリストが身に着けていた、王冠の刺の数だと示唆され、また5つの花弁と5つの愕は、10人の使徒たちを表し、5つの雄蕊は、イエスの手の傷の数を象徴するとし、中央の雌蕊は、十字の形をしていてこれをイエスの手や足を打ち付けた釘を表し、また開花後1日だけ咲きこの開花の時間はイエスが、張り付けられて息を引き取る十字架で過ごした時間を表し、そして花びらが卵巣の上に閉じ込められるので、征服者は、これがイエスが墓に置かれて、『十字架の謎』または『隠された知恵』と象徴されて考えられ、パッションフラワーを神聖なイエスの花として珍重されていたのです。

 

そのパッションフラワーが、昨年の4月12日に発芽して、12か月と9日目にして初めてイースターの日に開花したので、私はこの3本のヤシの木に生え茂るパッションフラワーを我が家のパワースポットと感じ、感動!復活のエネルギーを創造した

3本のヤシの木に生え茂るパッションフラワーがイースターの朝に開花した!

 

 

蔓をよく見ると、蕾がいくつもなっているので!夏には、リリコイ(LILIKOI ハワイ語でパッションフルーツ)のジャムやジュース・お菓子を作るのが楽しみ!

パッションフルーツは、ビタミンC・A豊富で、フラボノイドも豊かで抗酸化作用・糖尿病にも効果的・免疫力強化・抗がん作用・LDLコレステロール低下・循環機能強化・心の鎮静効果で不眠症や心配性にも効果的な、スーパーフードです。私の開催しているアロマセラピープライベートリトリートにご参加の人にも是非このリリコイを楽しんで貰いたいの、ジュースを冷凍してジュースをご提供しますのでお楽しみに!

 

そして、翌日エドとマーサーの家でヨガのセッションを60分程して、マーサ―の目標である、

床から支え無に一人で立ち上がる事が出来たのです。

ヨガを初めて4回目のセッションで第一の目標を達成したマーサーにエドと私が拍手で迎えました。

サンフランシスコの義理の姉アナにも、電話で伝え!ジョンにはショートメールで伝えると家族1段になり喜びがあふれた日に

なりました。

 

マーサーは、『 70歳に戻れたようよ。』と私の手を取り喜んで!

 

パラダイスハワイのエネルギーは、どこまでも感動を届けてくれるのです。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

OHANA の心のハワイ愛で認知症に対応

  • 2019.04.11 Thursday
  • 08:53

4月10日晴れ 気温26度

 

 母のリハビリが終えて、ハワイに戻り気が付くとあっという間に月日が過ぎていた。

4月に入るといよいよ、常夏のハワイの香りがしてくる。

それは、甘くそしてトロピカルフラワー達の大合唱の様に、そこらかしこに色鮮やかな花々が咲きだす。

今年は、特にマンゴのライム色の花が満開。可憐なmangoの花は、香りは甘くさわやかな香りだ。

そして、夏には、マンゴが豊作になるなつになる。

そんな中、義理のお兄さん夫婦は、スギ花粉ではなくmango花粉でくしゃみが出てくる。流石にスギ花粉の様な

アレルギー症状には、ならない程度にくしゃみが時折出てくるようだ。

義理のお兄さんの家の周りは、ジャングルに囲まれている、カニオヘの奥地で、100本のカカオの木も栽培している

私の夢のガーデン?がある。タイミングが合えば、是非リトリートにご参加された人をご案内したい。

ガーデンの中央には、、壮大なシナモン木が守り神の様に立ちはだかり、ガーデンを見守っている。

うっそうと生えている木々たちは、野生の状態を保つように義理のお姉さんクリッシーが考えて栽培している。

クリッシーはニュージャージー州出身の、芸術家で繊細な感覚を持ち、ハワイの大自然をこよなく愛している。

義理のお兄さん、トムは、ジョンの3つ上のお兄さんで魚釣りが大好きで、ボートで時間を見つけて魚釣りにジョンや

友人と出て行く、ハワイの典型的なのんびりそして優しい義理のお兄さんだ。

そんな、2人は時間を見つけては、ガーデンの手入れをして、4年目にして私は初めてその地に足を踏み入れた。

トムが、『週末カカオの収穫をするから、良かったら来て。 』と誘ってくれたのだ。

私は、2つ返事で『是非、お願いします。』といって日曜の朝に行くと、鍵がかかっているゲートを開けてガーデンに

入れてくれた。カカオは、宝石のように貴重な実である為、盗まれないように慎重に栽培している。

中央に池があり、その周りにバナナやカカオ、カカオの幹に絡まるバニラオーキッド、ピンクレモンの木やオレンジの木そして大きなポメロ(ボンタン)の木が生え茂ってているガーデンは、エクアドルのアマゾンのジャングルに相当する位迫力があった。

ジャングルの中に、カカオの木が生えていて実が木の幹にくっつくように幾つもなっている。

その中のオレンジ色の濃いい物だけを手で丁寧にもぎって収穫する。

カカオの実は、直径30cmほどで固いからに入っている。中にクリーミーな白い実がぎっしり入っていて、

そのジュースは、甘酸っぱいライチージュースの様な味がする。

大きなナイフで、カカオの殻を割り、近所の人と共同で実をくりぬき、雑菌が入らないように手をしっかり洗い、

手に傷があると雑菌が入るので、手袋をして行うのが好ましい。

集まったカカオを、バナナの葉の裏側についている細菌を利用にして発酵させる為バナナの葉を裏返して

樽の様な木の箱に敷き詰めて、カカオの実を入れて発酵させると、

 30-50度の熱が発生して1-2週間でカカオニブスが出来上がる。

このカカオニブスは、マグネシウム、ポリフェノール、フェニエルチアミン、フラボノイド、亜鉛、鉄分 が

豊富で脳の活性する神経性分が豊富なスーパーフードだ。

抗酸化作用は、緑茶やワイン、ブルーべりーを抜いてダントツである。

もちろん、カカオのエッセンシャルオイルもあります!

チョコレートは、砂糖や乳成分を入れて美味しいが、砂糖は脳を酸化したり癌細胞の餌になったり、摂取過多は、

不健康へつながる。 ローフードのカカオニブスは、無糖で味気ないが、かんでいる間食が良く、苦みが癖になる味だ。

 

この一カ月色々な事が起こって忙しくて、盛りだくさんでブログを書く時間が無くなってしまったが、

このカカオニブスは、高齢になってきているジョンのご両親の救世主でもある。

84歳のジョンのお父さん、エドが、少しずつ認知症が始まってきてしまったのだ。

そこで、家族みんなで、お母さんマーサーの負担がなくなるように協力する事になった。

私は、腕まくりをして是非、お手伝いいたしますと言って、脳活性ジュースを作ったり、

お父さんと一緒にストレッチをしたりして、マーサ―と二人でエドと時間を過ごす時間が増えた。

エドに、このカカオニブスを朝のグラノラにかけて食べてもらったり、1日3回脳を活性するエッセンシャルオイルオイルを

ブレンドしたジュースを飲んでもらう事にした。

 

認知症の人が家族にいる時は、一人の人が負担するととても大変なので、交代でケアーをするのが

成功の元だ!エドトマーサー達には、3人の子供夫婦がいるので、皆で交代でケアーをしていく計画がはじまった。

 

マーサーは、ここ1-2年一人で頑張ってしまいストレスが高まり湿疹が出てきてしまっていたのだ。

今年の冬に、マーサ―とエドが風邪を同じ時期にひいてしまい。エドの症状が悪化し、マーサーがやっと家族の皆に

エドの症状を教えてくれて、皆でのケアーが始まった。

 

私は、フィジオセラピーとアンチエイジング栄養関係を担当して行く。

義理のお姉さんは、ファイナンシャルの細かいチェックをサンフランシスコからオンラインでマーサー二人で行い。

メンタルの部分は、ジョンが20年二人で行って来た弁護歴をおさらいして記憶力改善。

お兄さんは、カカオやシーフードを提供したり、食事に一緒に出掛けたりしてソーシャルな面で気を使っていく。

ハワイのOHANA(家族)は、素晴らしい協力形態で義理のお父さんエドをケアーして行く事になりました。

 

皆さんのご家族も是非、孤立せずに色々な手助けを借りて協力していく様にするだけで、介護のケアーのストレスが

低減しますので、積極的に考えてみてください。

 

ハワイから愛をこめて!

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

アーデン

  • 2019.02.10 Sunday
  • 17:28

2月10日 晴れ時々曇り 気温7度

 

 成田に到着して、到着ロビーで母と帰りのリムジンバスを待つ間、メールを受け取った。

メールを開けて読んだとたんに、『涙が止まらない。』

私の目から涙が止めどなく流れてくる。母が隣で驚いてどうしたのか聞てきた。

私は、震える声で母に『カナダのホストファミリーのお父さん、アーデンが亡くなったの。』

と言い、何度も追悼のアーデンのメールを読んでいたが、涙が溢れすぎて追悼のメールも読めなくなり、

ハンカチで涙を抑えるだけだった。

 

アーデンは、私にとって素晴らしい父親像を教えてくれた掛替えのない人だった。

8歳の時に父が私達を捨てて家を出て行き、父親の役目を捨てた父は、私にとって父の影は薄い。

17歳の時家族が嫌で、一人で生きるしかないと家を出てカナダのバンクーバー島の

カレッジに一人旅だったは、45年前だ。

そこで、沢山の心温まる人々に出会い。人生の素晴らしいさと、大自然の美しさを学び。

私の人生は蘇生された。

 

酷いアレルギーも4年間カナダ留学中に完治して、驚くほど心身の細胞が蘇った。

 

4年間の美しい思い出の中の一つは、アーデンとロバータが、夏にバンクーバー島の北にある孤島、

レフュージコーブのサマーハウスに私を連れて行ってくれた思い出だ。

空を見上げるとそこには、宝箱の宝石を散りばめたような星が輝き、

真っ青な海に一緒にボートでサーカイサーモンを釣って、ロバータが鮭缶を圧力なべで作ってくれた。

レフュージコーブは、電気も通っていない孤島で車も走っていない。

そんな島に3棟の小屋を建ててアーデン家族は夏を、魚を釣ったり、沢でハーブを摘んだりして過ごすのが

彼らの恒例の夏の過ごし方だった。

そして彼らは、日本から来た私を何時も、家族同様に心温かく迎えてくれた。

最期にカナダの彼らの家を訪ねた冬2017年

 

アーデンとローバータは、私にとってカナダのお父さんとお母さん的存在だった。

そして人生のロールモデルでもあり、平和な生き方を教えてくれた。

アーデンは、自分の両親をしらずに育ち、育ての親から育てられ幸せに育った。

その幸福の輪を伝える為に、彼らは自分の子供が2人いるのにもかかわらず3人目を養子で育てた。

そして私までも家に家族と同様受け入れてくれたのだ。

そんな生き方を自然に生きたアーデンが88歳のお誕生日の日2月2日に亡くなってしまったのである。

 

昨年私の51歳のハワイでのウェディングパティーにもわざわざカナダからロバータと一緒に出席してくれた。

昨年87歳とは思えない行動力そして気力があったアーデンはビックアイランドにもロバータと旅行を楽しんだのに。

 

人生は突然終わりが来るものなのだ。

そして、突然亡くなってしまうと、周りの悲しみは偉大なる生命の消失に驚き、悲しみは次第に深くそして辛さも深まる。

まだ、アーデンが亡くなった事の現実感がない。

その大きな心の空間に、悲しみは突然押し寄せる。

 

曇り空の空を眺めながら、買い物帰り道、大好きなリアナ ラ ハバスの歌を聴きながら突然歩きながら涙が出てとまらなかった。

 

そしてアーデントの思い出が頭を走馬灯のようによぎって行く。

 

『ホープオブライフ』の香りを手放すことができず。

この香りが私の心を慰めてくれるように

アーデンが亡くなった今、ローバータがアーデンを失った悲しみは計り知れない。

何もできないかもしれないが、彼女の傍にいてあげたい気持ちが高まり、

明日にでも海を渡って行き、肩を抱きしめたい。

其れができないのも辛い。

先ずは、カナダに5月に会いに行く事を心に決めた。

 

大切な人生は、生きている限り素晴らしい出会いがありそして別れがある。

 

一生の間に沢山の出会いと別れを繰り返しながら生きて行く喜びと悲しみの繰り返しである。

 

別れは、いくつになっても悲しい。

この心を癒すのは、美しい香りで悲しみを和らげそして時が過ぎて行く事だ。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性として歳を重ねる喜び

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 00:49

1月15日 晴れ

 

 人間それぞれの生き方があり、歳を重ねて行く女性はの生き方は、人それぞれ違う。

 

どんな家族の中で生きて来たのか?

どんな教育を受けて来たのか?

どんな土地に生まれて、生きて来たのか?

人の人生は、子供の頃は親の選択でその子の人生が選択されて生き、

成人したら自分の全ての選択で人生がそれぞれの方向へ進んで行く。

40歳を過ぎる頃には、自分の選択した結果が見えて来て、歳を重ねて行く焦燥感と喜びがどこからか沸き起こる。

若い頃に悩んでいた事が嘘のように悩まなくなり、幻想的な不安に操られて生きなくても良くなるこれは、

歳を重ねてきたご褒美であり喜びだ。

敢えてここでは、歳をとるという言葉を避けたい。

 

不安から逃れるために、ホロスコープや幻想的なスピリィチャルの世界にがんじがらめにならずに、

自然体で生きていかれるのも歳を重ねる喜びだ。

 

歳を重ね年数が50年もすると、自分の感覚がより研ぎ澄まされて、解放感がでてきて自然体で生きる自信が出てくる。

 

とは言うもの・・・・!?

人間多くの事を今だ悩み、考える。

 

『人間は考える葦である。』

 

ただ、歳を重ねると無駄に考え悩まなくなる。

 

歳を重ねる喜びは、社会的に考えても素晴らしい事なのに何故かこの感覚が非常識・非日常の世界の様に考えてしまう。 

姥捨て山の時代を変革していかなくてはならない。

これは、歳を重ねた女性が社会で家庭で活躍する事だ。

日本の女性の太古の歴史・文化改革だ。

 

日本は、1940年第二次世界大戦で敗戦国だ。

この負の思考が今だ根付いている年代が60年代までに生まれた人だ。

終戦または第二次世界大戦中に生まれた親に育てられ、終戦の貧困な生活から抜け出すためにがむしゃらに働き、

そして高度成長期にがむしゃらに良い生活をする為に働き続けてきた親に育てられた年代だ。

 

私達は、親が忙しく働いていた背中を見ながら育った年代。

そして戦後の自由を楽しんだ親達は、自由恋愛や不倫そしてバブルを生みだし、フルにバブル生きてきた人々。

そんな、物質世界・キャピタリズムの中で生き生きと生きていた親達。

結婚という言葉に、夢はあっても現実的には、結婚に対して希望は、かなり薄い世代だ。

 

17歳の夏、カナダに留学して、カナダの人々の自然を大切にして生きながら、物質世界ではない、

自由な自然体の選択をして、心豊かに生きる生き方をする生き方をカナダの人々から学び、新たな人生の扉を開けたようだったのに・・・・・・・いつの間にか、日本に帰国した自分は、日本の働きバチの巣の中で生きていた。

 

日本人の私は、ただただ毎日働く母の背中を見ながら育ち、それが当たり前の生き方として母を見て生きてきた。

そして、母子家庭の母に育ててもらった気持ちの感謝の心がいつもどこかにあり、

日本に帰り、親孝行を自分なりする為に23歳の夏から働き、

カナダで学んだ自然体ののんびり好きの自分のライフスタイルが段々遠のき、

46歳の夏まで日本で一生懸命に自分なりに働き続けた。

 

結婚しなかったのも、母に子供を作らない片羽の娘と言われ続けた。

30代の頃子供を作らなければ一人前の女性になれない

と悩んだ時期もあった。

自分の真実の心が、子供をつくらない人生を選択した。

ただこの選択は、全てが私の育った国と家族の多大な環境がそうさせたといっても過言ではない。

50代に入り、更年期を迎えて、この柵からやっと解放された喜びも歳を重ねる喜びそして解放感だ。

女性の魅力が、子孫繁栄の対象ではなくなり人間としての価値が重んじられるのが50を過ぎての女性の価値。

 

自然体の自分に回帰したのは、3度結婚した父、不倫をし続けた父の他界したのがきっかけだった。

私が、柵の中で生きてきた自分、私の不幸の源を創造した父の死が解放してくれた。

その父にも、今では感謝する気持ちが50歳になり歳を重ねる喜びである。

若い頃は、父が私達家族を無責任に不倫して置き去りにした怒りが胸の中にしこりとして固くなっていた。

 

幸せな家庭に育っていたら、今頃は幸せな家庭を築き、子供を育て自分が母として生きていたかもしれない

ふと、空想してみたりすることもある。

 

キャピタリズムと男尊女卑の世界を作り上げていた、父の死が、この柵から解放させてくれた。

 

そして、両親から解放され、今を幸せに自分らしく自然体に生きる為に瞑想した。

 

妄想の不安や固定観念に振り回されずに、自分で自分の環境を心地よく生きてく、自然体の自分を築く

 

瞑想した。

 

OUR HAPPINESS IS BUILT BY ATTITUDE AND INTENTION.

(私たちの幸せは、自己の姿勢と志向により築き上げられる。)

 

この姿勢と志向を作り上げてしまうのが、私達を築き上げる環境だ。

この環境を大人になったら、自分で築き上げるのが大切だ。

 

どんな人が、何を言おうと自分の幸せは、自分が感じて、自分の心の中にある。

100人いれば幸せの形は、100種類ある。

我が家からのブルーフルムーン

 

真実は、今の自分を生きる事だ。

真実を見つけるのは、歳を重ねる喜びだ。

( BE PRESENT ) 瞑想天然パフュームブレンドで1日10分夜今の自分を感じて瞑想をすると、次第に脈がゆっくりになり

地球と一体になって呼吸をし、脈を打ち、心臓の鼓動を感じて呼吸する。

其処に真実の自分がいる。

 

人生は、真実の自分を見つける為に生きている。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI 

info@argutha.com

 

 

 

 

 

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