楽園ハワイから世界のアロマティックジャニーへの出発

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 07:43

5月21日 晴天 気温24度

 

 朝目が覚めると目の前に3層の重なる緑の木々に覆われた火山の後が波打屏風上に並んだ山並みのオロマオ山脈が窓からミッドパシフィックゴルフ場の5本のヤシの木の向こうに見えた。

今日は、朝から晴天だ。カイルアは、朝晩の雨が50%で降る日が続く。ベッドサイドのコアのチェストボードの上の時計を見ると、6時14分だった。

 今日は、午後3時20分のJFKニューヨークのフライトで久しぶりのアロマティックジャーニーに出発する日だった。幸せの渦の真ん中にいる私は、22年間毎回のアロマティックジャーニーの数日前は、楽しみで早く出発の日が来るの指折り数えている。今回は、53年の人生で初めて、2つの気持ちが重なり合った。それは、楽しみにしている自分と、家族と1か月以上離れなくてはならない悲しみとで心が二つ存在していた。

特に今回は、昨年ビザの習得上1年間アメリカを出れなかった分、2つのアロマティックジャーニーを合わせなた。

人生1度きりしかないので、私は、常に今を生きるを趣旨にして、自分の大切な時間を惜しみなく経験して行くと決めて生きていきたい。

 そんな私の心中を察して、ジョンは、『楽しんできてね。寂しいけど。去年いかれなかった分、倍の長さのアロマティックジャーニーだから、楽しんで勉強してきて。』と言ってくれた。

 

私は、気持ちを入れ替えて、沢山素晴らしいオイルに出会い、植物達のエッセンスの効能を学ぶ事に心をリセットして、専念する事にした。2つの気持ちを一つにしないと心にストレスが発症して、どこかでひずみが出てくる。常に一つの気持ちに心を合わせて行くのが、今を大切に生きる秘儀の一つでもある。

 

 今回は、東欧のブルガリアのローズを初め植物達とクロチアの植物達にご対面だ。植物の生息地を訪ねると、その植物がまるで話しかけてくるようにエネルギーを感じる。これは、長年アロマセラピーを学んできた研ぎ澄まされた、経験と感が物を言う体験だ。

 勿論、化学的に証明された効果効能も学ぶのも大切だ。アロマセラピーは、ヒーリングの秘儀で、全て使用する人とのハーモニーで効果効能が出てくる。

 数千ものブレンンドをブレンドして来て獲得した経験と技術だ。アユルベーダや中医学そして解剖学を学び、植物との融合された人間の生存力を引き出してくれる植物達のエネルギーを学びそして成分を学び、遺伝子を超えた秘儀ともいえる。この、植物のセカンドメタボリズムの生存するためのエッセンスを身体的・感情的・精神的レベルの調和を追求してブレンドして行く。 

ハワイの花プルメリアと月のハーモニー

 そう考えると、アロマティックジャーニーへの心が躍ってくる。

ジョンは、何故か朝から家中の掃除をしまくっている。私は、23種類の香り高い蘭達に水をあげながら、最後の最後まで1か月分の自分の為の朝晩内服用オイルやボディー・フェイス用のブレンドを作り上げ、鞄に詰めた。義理のお兄さんが、カカオ畑でトラクターの志田時期になって、運よくひどい怪我はなかったが、下敷きになったわき腹の打ち身の痛みが取れないので、義理のお兄さん用の痛み止め外用ブレンドオイルも作り、ジョンに渡してもらう様にお願いした。

なんだかんだとブレンドが終わると、出発の当日の朝にパッキングを終えた。

玄関を出たのが1時半前で、サングラス越しでも太陽の日差しが眩しかった。

ラニカイから空港まで、H3ハイウェイを飛ばして35分程でイノウエダニエルホノルル空港に到着した。火曜日の空港は、人気が少なく列にも並ばずに、荷物を預けてゲイトに向かった。ゲイトは、なんとハワイアン50便JFK行のゲイトは、国内線のターミナルからなんと国際線のターミナルの端の端C9だった。15分程歩いてやっとゲートに着くと、いきなりの人込みだった。JFK行は、満席だった。9時間20分のフライトの私の座席は、事前の予約の時点で、真ん中のど真ん中しか取れずじまいだったが、なんと窓側一席バゲージチェックインの時に空いていたのを発見!窓側24jエアバス330に乗り込みいざ、2019年の私のアロマティつくジャーニーが始まった。

 

NYの朝日がアロマティックジャーニーへエネルギーを充電するように輝いていた。

 

711日から29日まで青山1丁目のレンタルサロンにてアロマセラピートリートメントを受付中です。(レイキヒーリング・ニュウロマスキュラーマッサージ・指圧・スエディッシュ・筋膜マッサージ・ロミロミマッサージ・リフレクソロジー・アロマ鍼灸を取りいれた独自のマッサージ技法をクライアントに合ったブレンドを使用してトリートメントを行います。)

素晴らしい世界のアロマティックプラントの香りと薬効をご提供していきますので、是非ごの機会にご予約下さい。

ご予約は、Eメールにてinfo@argutha.com

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

余命勧告をする事の大切さ

  • 2019.05.01 Wednesday
  • 13:23
5年ぶりに咲いたマダガスカルドラゴントリーの花は甘くバニラの様な香りは、ハワイのトロピカルな香り

5月1日 令和元年 水曜日 気温23度 雨時折スコールそして晴れ時々虹

 

朝からカイルアの空は、スコールがふりったり続けている。

時折太陽が眩しいくらいに差し込みながら降り続けるトロピカルウェザー特有の気ままな土砂降りの雨だ。

そして、突然太陽がでてきて虹がかかる。

ハワイの毎日の景色は、マジカルな日が続く。

 

余命宣告の大切さの神髄を少し、話したい気持ちでこのブログを書いています。

大切な親友を亡くし勇気をふるい書いてます。

余命宣告は、その人の性格や生きてきた長さや、余命宣告の正確さなどによって大切さの価値が異なる。

 

ただ、もしもあなたが、後半年の命だとしたら、または3年の命だとしたらその半年、3年をどのように生きて行くか?

知らせれない場合と知っていいる場合の生き方の違いだ。

 

戦時中、特攻隊の人が戦争に行く前に、大好きだった人と結婚をする。

これは、悔いが残らない為に、幸せになってから死ぬ典型的な例であり、武士道の生き方でもある。

戦争がない平和な日本人として・・・・・

いや国際人として、そして意識の高い人間として自分の健康状態を自己責任で判断して決断

していくのが今の生き方であると確信する。

 

現代の医学のレベルでは、この余命を正確に確定するのは、可なり難しいが、

その例が、イギリスの物理学者ステファン ホーキン博士だ。彼は、10代の頃に、後10年生きられれば良いと宣告されたにもかかわらず。結婚を2回、子供2人さずかり、そして76歳まで生き抜いた学者である。

 

病気の種類にかかわらず、自分の健康状態をしり、それに真っ向から立ち向かい、生き抜くことでこの事実が存在する。

病気を理解せずに、現実から逃避してしまい、人に頼ってしまうと、病気とは戦えない。

 

病気を理解し、その病気の症状に、真っ直ぐに直視して取り組むことで、ヒーリング(治癒)が存続する。

 

ヒーリングは、気づき(Awareness ) からが始まりである。

 

その私の1つの素晴らしい例が、15年前の乳がんが、肺に再発した50代後半の子供3人の現役の母、であり

キャリアウーマンのクライアントだ。

家族会議で、頑張って少しでも延命できるように取り組み、彼女も意欲的に家族ぐるみで協力し、

アロマセラピートリートメントを毎週受け、自宅でも使用した。勿論、病院でのケアーも取り入れた。

2年と6カ月の延命ができ、彼女らしく最期まで頑張り、家族に見守られて幸せな最期だった。

 

現実が見えてないと、人は心身の病に苦しむことが多々ある。

厳しいようだが、これが現実であり、真実だと言える。

自分の不調に一番気づくのは、自分であり、痛みも自分以外の人はわからい。

少しでも、不調がある場合は、検査をして的確な対応を探し出し、選択し、そして実行するのが一番大切である。

 

 

仕事が嫌で仕方がないが、やめらずに続け、そのストレスで病気になる。

私も30代の頃仕事が段々とストレスになり、嫌で嫌で辛かったら、卵巣嚢腫になり、放置していたら

腹部がパンパンになり、術後なんと私の嚢腫は、なんと1キロも成長していたのだ。

症状がでてから3年間放置してしまった結果だった。

幸いにも、アロマセラピーやヨガが好きで勉強していたので、病気を切っ掛けに15年働いていた会社を早期退職した。

初めは、定期的な給料が入らない事を心配して、再就職を考えたが、元々会社員に向いていない私の性格

を知って、再就職をするのを、面接が受かった知らせの前日に決めた。

心がすごく揺らいだが、一度自分で決めた決断を貫いて、アロマセラピストとヨガに専念した。

あっという間にそれから20年が過ぎたようだが、長い時間でもある。

そして、自分の幸せを追い続けていたら、ハワイのカイルアに到着していたのだ。

 

余命宣告をされたら、先ずは、真っ向から病気に立ち向かい。

そして、明日死んでも良いと思い、毎日自然体で好きな事を、思いっきりして過ごすのが一番だ。

そしたら、スティーブン ホーキンズ博士の様に、寿命と変わらない位、もしかしたら生きられるかもしれない。

 

人間の生命力の果てしない力は、今の医学では、今だ未知の世界だ。

 

余命宣告をされて、好きな事を好きなだけしたら、癌が完治していた例もある。

 

勿論、余命宣告されて心身のバランスが崩れてしまう弱い人もいるかも知れない。

そんな場合は、家族がまたは、本人を良く知る人々の間で相談して決めて行くのが一番だ。

 

私の大切な親友は、余命宣告をされずに逝ってしまった。

アメリカで教育を受け、外資系で働き、エクゼキュティブな役職に就いた、彼女の堅持力と強さをしる私は、無念である。

癌を再発した時点で、彼女は仕事を辞めたがっていた。

何故あの時もっと強くアドバイスできなかったのか?

それは、彼女が友人であり、彼女の旦那様に仕事を続けてくれと頼まれているから辞められないという言葉を

尊重してしまったからだ。

もしも、あの時彼女の余命を知っていれば、仕事を無理やりやめさせて、彼女の好きな事を

全てして、悔いなくして欲しかった。あの時の彼女には、その体力と知力全てが、存在していた。

親友の言葉を信じて、アロマセラピーのブレンドを作成してケアーを継続していた。

まさか、親友も知らされていなかったのだから、それが真実ではなかったとは、疑う余地もなかった。

 

今年に入り、初めて彼女の数値が書いてある検査表をみて驚いた。

それから、診断書の数値に沿ってブレンドを変えて、食事のガイドラインをして、瞑想を一緒にして、

奇跡的に1か月半後に腫瘍マーカーがぐっと落ちた。

がその時に彼女は、治ると思い込み、毎週化学療法までも行っていた。

それは、数年前に化学療法を一切選択せずに癌の診断後3か月で亡くなった友人がいたからでもある。

癌治療には、化学療法の引き際がある事は、医師も熟知している。

なのに、無謀にも毎週末の化学療法により、彼女の心臓機能は弱まり、夜から危篤状態になり明け方心拍停止してしまった。

 

可憐なコリアンダーの花。コリアンダーは、肝機能を高め抗がん剤で毒されていく肝臓を癒す素晴らしいオイルだ。

最期の彼女が4か前自分の死を感じていたのか、瞑想で暗闇から逃れられない恐怖で胸が一杯の時があったのは、事実だ。

私は、光を見つけて、暗闇から出てくるように、彼女に伝えた。

『そうだね。頑張ってみる。』と彼女は、私にいった。

私は、その時から、とても胸騒ぎがしていたが、実際その時には、手遅れだった。

それでも、彼女は、率先して深い瞑想をして、HOPE OF LIFEの香りで心が穏やかってあった事もたしだ。

ただ、家族に恵まれて、高齢になったご両親が毎日交代でケアーしてくれて、本当に感謝していると何度もいっていた。

そして彼女は、とても恵まれていると感謝の気持ちで一杯でもあった。

 

今を生きる。BE PRESENTで

彼女は、最期この世から旅立って行った。

そう思いたい。

切実に、最期安らかに眠るように彼女が旅立っていったと。

そう願いたい。そして祈りたい。切実に。

 

 

人間もしも余命がわかっていたら、なんだって出来る。という事を皆さんに伝えたかった。

 

 

 

私は、『今が一番幸せ』な人生を50歳を過ぎてから目標に人生半分以上生きたい。

多くの人の死を経験すれば、するほど切実に、感じ実践していきたい。

 

 皆さんも、是非、今日、悔いのない毎日を考えて決断し人生を楽しんで過ごして生きましょう。

 

この夏7月11日から29日までの間帰国いたします。

東京南青山のレンタルサロン(青山1丁目駅徒歩3分)にて

アロマセラピー&レイキヒーリングトリートメントのご予約を承っております。

アロマセラピーヒーリングは、多くの心身のバランスを整えて行きますので、是非この機会にご予約下さい。

ご予約は、Email info@argutha.com または、ショートメールでも大丈夫です。携帯090−6526-6334

でご予約下さい。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたに会えて

  • 2019.04.28 Sunday
  • 01:33

4月27日 気温24度 雨上がりの朝

 

 

 2日前に親愛なる友が旅立ちました。

 

夜12時から土砂降りの雨がカイルアは降り続き、その雨音と同じように私の涙が流れて止まらない。

胸が痛い程悲しい。

今朝目が覚めると、雨が上がり木々や蘭の花に大きな雨の雫が数珠玉のように連なっていた。

それは、まるで私の悲しみの涙のようだった。

 

家族に恵まれない私は、友達が私の人生の支えでいてくれていた。

そして、友達は私にとって、心の一番の宝でもあった。

 

彼女が亡くなった知らせは、カリーナを学校に迎えに行ってカイルアのディスリクパークで彼女が学校を終わるのを待っていた

車の中で、ラインを調べていて、京ちゃんと話してみようかとチャットを開けると、しなちゃんからのメッセージが

久しぶりに入っていて、メッセージを読むと。

『悲しいお知らせです。京ちゃんが今朝方亡くなりました。』

自分の目を疑い、何度もメッセージを繰り返し読んでる間にカリーナが車のドアを元気よく開けて私を見ると、

『What's wrong ? 』と聞いてくれたと単に涙が目から溢れてきた。

『親友が亡くなったの、ウエディングパーティーに2人の息子さんと来ていた。毎日一緒に瞑想していた。』

 

呼吸が苦しい位に涙が溢れていたが、家に運転して帰らなくてはならず、口から深く呼吸を吐いて気持ちを整えて

家までたどり着いた。

 

大切な親友がそれも前日まで毎日話していた親友が、目を覚めた次の日にこの世を旅立っていた。

 

2002年に彼女が初めて、大腸がんを発見したのが私のアロマセラピークラスで中医学とアロマセラピーのトピックの中で、

大腸の経絡が詰まっていると発生する症状の説明をしていた時だった。

彼女が、『全て彼女の症状にあてはまる。』と言ったので、私が勧めて直ぐに、 『病院で検査受けて』と言って、病院で検査を受けたら、直ぐに、

大腸がんの大腸癌が既に腹部のリンパに転移していた既に、その時点でステージ3であった。

癌摘出手術をして、飲用のアロマセラピーのカプセルブレンドを飲んで奇跡的にも、

癌から完治して、それからは、彼女が念願のアメリカシカゴの部署に抜擢されて息子達2人連れて住みだして

生き生きとより彼女らしく生きていた。その後、次第に上司からなどの仕事のストレスが高まった3年を過ぎた後辺りに、癌が再発した。

 

癌の再発

 

それでも、彼女は頑張って癌と仕事そして2人母そして妻の役目をこなし続け、彼女らしく頑張っていた。

 

話を聞いていると最大なるストレスは、やはり仕事であった。

 

仕事を辞めたくても、旦那様が賛成したいのと息子達を育てていく糧にならないといけないから辞められない。

ジレンマを抱えて、癌の治療と向き合っていた。

アメリカとの時差の為早朝5時からオンラインの会議やメールに対応しての癌治療だった。

若手の同僚には、膨大な仕事の量に弱音をはくと『癌の治療のために時間を費やしているから、仕事がはかどらないでは?』

と心ならない言葉言われてしまって、自分の病状を同僚には言わずに、より仕事に時間をかけて頑張っていた。

 

彼女がハワイの出張中、私の家に1泊だけ泊まってた日の次の日、夜の9時半から上司とミーティングをしていた。

 

2015年の6月からハワイに住んでいる私が、彼女を訪れると日本にいる時には、何時もラップトップを離さずに仕事の合間にアロマセラピーのトリートメントを受けていたのが再発後の2014年からずっと続いていた。

今年の2月の終わりに帰国して連絡を取り彼女の自宅を訪れると、げっそりと痩せて、

以前の彼女の見る影もなくなってしまっていた。

それでも、彼女は笑顔で何時も迎えてくれた。

浮腫がひどくて足首と膝が解らないくらい腫れて、歩けず、今年の2月私が帰国していた間、3日に一回程彼女に家に通い、ジュースをつくったり、免疫力強化用のスープをつくり、アロマセラピートリートメントをして浮腫も3回目には、可なり改善されていて歩ける用になり、病院の帰り新しい服を旦那様と一緒に行ったりして、少しずつ元気を取り戻していたようだった。

 

そして、会社の部署が自分一人の日本部門の部署で、仕事の引継ぎの事で頭が一杯だったようで、何時もその話をしていた。

 

私が、ハワイに戻り、病欠から求職に変えて、やっと落ち着いて話をする事ができて、

毎日人生の思い出話をしたり、少し元気になったら、家で1か月位休養して、毎日アロマセラピーで元気になろう。

そして、一緒にアロマティックジャーニーに世界旅行をしようと話しにもりあがっていた。

そして、時間を見つけては、一緒に日本にいた時に彼女の2月21日のバースデーにプレゼントした香水

『HOPE OF LIFE』の香りと一緒に瞑想をしていた。

時差の為、中々時間が合わずにいたが、合う時には、瞑想をしていた。

彼女は、瞑想をすると気持ちが安らぐと言って出来るだけ瞑想を一緒にした。

 

ただし・・・・

毎週末の化学療法で、癌細胞よりも彼女の身体の生命力が消滅していくようだった。

 

医者は、数字だけを見て腫瘍マーカーが落ちているから、このまま続行して毎週末の化学療法を継続した。

化学療法の副作用は、個人個人異なりその経過を医者は考慮せず全て数値で判断しているようだった。

 

私が、化学療法の副作用が強いようならお休した方が、良いのでは?

と提案すると、彼女は、『お医者さんが、検査の数字的は大丈夫だから、継続するって。』といっていた。

癌細胞を完全に消滅できないのが、目に見えている状態で何故、化学療法を推進したのかも疑問だ。

延命治療を優先するべきではなかったのか?

癌治療の医療には、多くの疑問が投げかけらる現代、この大きな課題を目の当たりした。

私の父の家系が、病院経営をしていた関係から、多くの医者たちの会話を聞いて通関している疑問は、

患者さん達を趣旨に考えている医者とそして自己の研究や実績を優先する医者がいると事だ。

 

癌と向き合うに合ったって、彼女のケースは、化学療法の副作用に賽の目されてしまったのだ。

化学療法の恐ろしさを目の当たりした。そして、彼女の命は、雨のしずくの様に消えてしまった。

 

53歳の誕生日を迎えて2人の息子の子育てもほぼ終えて、これから自分の人生を楽しむ時に

無念で仕方がない。

そして、悲しみの涙が止めどなく流れてくる。

 

今の心の安らぎは、ホワイトローズをブレンドした香水を作り(HEALING THE HEART )の香りと一緒に瞑想をする事。

そして、京ちゃんが天国で安らかに過ごしている事を祈りする事。

 

時は、走馬灯のように過ぎる。

時が止まった時にその大切さに気づく。

 

そして今は、日に日に、アルツハイマー型認知症のジョンのお父さんエドの表情が明るくなってきているので、

今朝は、エドの大好きな、オーガニックガーリックCO2オイルとブラックペッパー,ローズマリーバーベノンオイル入りの

クレソンのスープを作り、

脳活性オイル入りのジュースを配達にジョンのご両親の家に出前に行くために朝からキッチンで

お料理しながら、『少しでも元気な人を増やして行く事 』を、

そっと自分により強く心に約束した。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

   

 

 

 

パラダイスハワイの復活祭イースターパワー

  • 2019.04.23 Tuesday
  • 10:47

4月21日 日曜日 晴れ気温25度 

今日は、イースター復活祭の祝日。キリストが処刑された日は、グッドフライデーで金曜日も祝日で3連休の週末だ。

キリストが処刑された3日後に蘇った日をイースター、復活日でキリスト教徒の祝日。

グッドフライデーは通常採食で過ごすか、ファースティングをするのもキリスト教徒の習わしだ。

我が家は、無宗教であるが伝統を重んじて金曜日は、ジュノぺーゼのパスタを食べて過ごした。

 

イースターは、キリスト教でない人々命を大切にする伝統的お祝いする為に、バニー(ウサギ)を象徴し始めたのは、18世紀に一般的になったと考えれれています。

ウサギは大抵の場合、子沢山なので命の象徴として飾られ、その他卵も同様に命の象徴として飾られる。

ゲームとして卵をガーデンに隠したりして、子供達が卵探しをする催しも行われる。(BBC NEWSによ)

また、復活際のその他の起源は、イノシシによって殺されたタムズの死後、セミラミスによって設定された春の儀式にさかのぼります。伝統によると、彼の母親の涙の地下りよってタムズは地球上に現れた新しい植生の形で『復活』しました。

イースターバニーやエッグは、セラミスによって確立された慣習にさかのぼることができます。ウサギは稔性とその女神イシュタルと長い間深く関連していました。古代のバビロニア人は、天からゆーふラティス川に落ちた卵についての伝説を信じて、そこから女王アスタルト(別名イシュタルまたはセミラミス)は、孵化したのです。

 

つまり、キリスト教でも無くても、命の復活を象徴する祝日は、アメリカや西洋では珍重されて家族皆で集まり、

生きている事への感謝の心や、生命の復活を珍重する祝日になっているのです。

 

少し焼き過ぎてしまいブラウンエッグ

私は、義理の母マーサーと2人前日から、イースターエッグに似たメレンゲのクッキーを焼いたり、

自家製のシナモンバンズの生地を練ったりして、仕込みをして、その合間に義理のお父さんとマーサー3人で

カニオヘベイの見える米軍基地の敷地を散歩に行き、家族という大切な繋がりに感謝しながらイースターの準備

をしました。

 

 

イースターブランチの当日は、義理のお兄さんトムの家族とジョンの家族皆合計8人で食事をして、エドが

卵を庭に隠して、孫3人は、13歳のロキシーとカリーナ、15歳のオーエンはあっという間に12個の卵を見つけて、

卵の中のクオーターコインを手にして喜んび、

『グランパは、隠すのが下手だから直ぐ見つけたよ。』

と誇らしげに卵を手に一杯にして庭から帰ってきて、皆でブランチを楽しみました。

 

食事から帰ってくると、我が家のヤシの木に生え茂っているパッションフラワーが1つ可憐に咲いているのを見つけて

私は、イースターのパワースポットを感じて感動!

何故ならば、パッション!フラワーの語源は、14世紀ローマンカソリックの司祭は、木質の蔓が、花を咲かせる珍しい植物として捉え、花びらの上の輪の様な形状の雌蕊の周りに円形があり72本のフィラメントをあり、この数は、イエスキリストが身に着けていた、王冠の刺の数だと示唆され、また5つの花弁と5つの愕は、10人の使徒たちを表し、5つの雄蕊は、イエスの手の傷の数を象徴するとし、中央の雌蕊は、十字の形をしていてこれをイエスの手や足を打ち付けた釘を表し、また開花後1日だけ咲きこの開花の時間はイエスが、張り付けられて息を引き取る十字架で過ごした時間を表し、そして花びらが卵巣の上に閉じ込められるので、征服者は、これがイエスが墓に置かれて、『十字架の謎』または『隠された知恵』と象徴されて考えられ、パッションフラワーを神聖なイエスの花として珍重されていたのです。

 

そのパッションフラワーが、昨年の4月12日に発芽して、12か月と9日目にして初めてイースターの日に開花したので、私はこの3本のヤシの木に生え茂るパッションフラワーを我が家のパワースポットと感じ、感動!復活のエネルギーを創造した

3本のヤシの木に生え茂るパッションフラワーがイースターの朝に開花した!

 

 

蔓をよく見ると、蕾がいくつもなっているので!夏には、リリコイ(LILIKOI ハワイ語でパッションフルーツ)のジャムやジュース・お菓子を作るのが楽しみ!

パッションフルーツは、ビタミンC・A豊富で、フラボノイドも豊かで抗酸化作用・糖尿病にも効果的・免疫力強化・抗がん作用・LDLコレステロール低下・循環機能強化・心の鎮静効果で不眠症や心配性にも効果的な、スーパーフードです。私の開催しているアロマセラピープライベートリトリートにご参加の人にも是非このリリコイを楽しんで貰いたいの、ジュースを冷凍してジュースをご提供しますのでお楽しみに!

 

そして、翌日エドとマーサーの家でヨガのセッションを60分程して、マーサ―の目標である、

床から支え無に一人で立ち上がる事が出来たのです。

ヨガを初めて4回目のセッションで第一の目標を達成したマーサーにエドと私が拍手で迎えました。

サンフランシスコの義理の姉アナにも、電話で伝え!ジョンにはショートメールで伝えると家族1段になり喜びがあふれた日に

なりました。

 

マーサーは、『 70歳に戻れたようよ。』と私の手を取り喜んで!

 

パラダイスハワイのエネルギーは、どこまでも感動を届けてくれるのです。

 

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

OHANA の心のハワイ愛で認知症に対応

  • 2019.04.11 Thursday
  • 08:53

4月10日晴れ 気温26度

 

 母のリハビリが終えて、ハワイに戻り気が付くとあっという間に月日が過ぎていた。

4月に入るといよいよ、常夏のハワイの香りがしてくる。

それは、甘くそしてトロピカルフラワー達の大合唱の様に、そこらかしこに色鮮やかな花々が咲きだす。

今年は、特にマンゴのライム色の花が満開。可憐なmangoの花は、香りは甘くさわやかな香りだ。

そして、夏には、マンゴが豊作になるなつになる。

そんな中、義理のお兄さん夫婦は、スギ花粉ではなくmango花粉でくしゃみが出てくる。流石にスギ花粉の様な

アレルギー症状には、ならない程度にくしゃみが時折出てくるようだ。

義理のお兄さんの家の周りは、ジャングルに囲まれている、カニオヘの奥地で、100本のカカオの木も栽培している

私の夢のガーデン?がある。タイミングが合えば、是非リトリートにご参加された人をご案内したい。

ガーデンの中央には、、壮大なシナモン木が守り神の様に立ちはだかり、ガーデンを見守っている。

うっそうと生えている木々たちは、野生の状態を保つように義理のお姉さんクリッシーが考えて栽培している。

クリッシーはニュージャージー州出身の、芸術家で繊細な感覚を持ち、ハワイの大自然をこよなく愛している。

義理のお兄さん、トムは、ジョンの3つ上のお兄さんで魚釣りが大好きで、ボートで時間を見つけて魚釣りにジョンや

友人と出て行く、ハワイの典型的なのんびりそして優しい義理のお兄さんだ。

そんな、2人は時間を見つけては、ガーデンの手入れをして、4年目にして私は初めてその地に足を踏み入れた。

トムが、『週末カカオの収穫をするから、良かったら来て。 』と誘ってくれたのだ。

私は、2つ返事で『是非、お願いします。』といって日曜の朝に行くと、鍵がかかっているゲートを開けてガーデンに

入れてくれた。カカオは、宝石のように貴重な実である為、盗まれないように慎重に栽培している。

中央に池があり、その周りにバナナやカカオ、カカオの幹に絡まるバニラオーキッド、ピンクレモンの木やオレンジの木そして大きなポメロ(ボンタン)の木が生え茂ってているガーデンは、エクアドルのアマゾンのジャングルに相当する位迫力があった。

ジャングルの中に、カカオの木が生えていて実が木の幹にくっつくように幾つもなっている。

その中のオレンジ色の濃いい物だけを手で丁寧にもぎって収穫する。

カカオの実は、直径30cmほどで固いからに入っている。中にクリーミーな白い実がぎっしり入っていて、

そのジュースは、甘酸っぱいライチージュースの様な味がする。

大きなナイフで、カカオの殻を割り、近所の人と共同で実をくりぬき、雑菌が入らないように手をしっかり洗い、

手に傷があると雑菌が入るので、手袋をして行うのが好ましい。

集まったカカオを、バナナの葉の裏側についている細菌を利用にして発酵させる為バナナの葉を裏返して

樽の様な木の箱に敷き詰めて、カカオの実を入れて発酵させると、

 30-50度の熱が発生して1-2週間でカカオニブスが出来上がる。

このカカオニブスは、マグネシウム、ポリフェノール、フェニエルチアミン、フラボノイド、亜鉛、鉄分 が

豊富で脳の活性する神経性分が豊富なスーパーフードだ。

抗酸化作用は、緑茶やワイン、ブルーべりーを抜いてダントツである。

もちろん、カカオのエッセンシャルオイルもあります!

チョコレートは、砂糖や乳成分を入れて美味しいが、砂糖は脳を酸化したり癌細胞の餌になったり、摂取過多は、

不健康へつながる。 ローフードのカカオニブスは、無糖で味気ないが、かんでいる間食が良く、苦みが癖になる味だ。

 

この一カ月色々な事が起こって忙しくて、盛りだくさんでブログを書く時間が無くなってしまったが、

このカカオニブスは、高齢になってきているジョンのご両親の救世主でもある。

84歳のジョンのお父さん、エドが、少しずつ認知症が始まってきてしまったのだ。

そこで、家族みんなで、お母さんマーサーの負担がなくなるように協力する事になった。

私は、腕まくりをして是非、お手伝いいたしますと言って、脳活性ジュースを作ったり、

お父さんと一緒にストレッチをしたりして、マーサ―と二人でエドと時間を過ごす時間が増えた。

エドに、このカカオニブスを朝のグラノラにかけて食べてもらったり、1日3回脳を活性するエッセンシャルオイルオイルを

ブレンドしたジュースを飲んでもらう事にした。

 

認知症の人が家族にいる時は、一人の人が負担するととても大変なので、交代でケアーをするのが

成功の元だ!エドトマーサー達には、3人の子供夫婦がいるので、皆で交代でケアーをしていく計画がはじまった。

 

マーサーは、ここ1-2年一人で頑張ってしまいストレスが高まり湿疹が出てきてしまっていたのだ。

今年の冬に、マーサ―とエドが風邪を同じ時期にひいてしまい。エドの症状が悪化し、マーサーがやっと家族の皆に

エドの症状を教えてくれて、皆でのケアーが始まった。

 

私は、フィジオセラピーとアンチエイジング栄養関係を担当して行く。

義理のお姉さんは、ファイナンシャルの細かいチェックをサンフランシスコからオンラインでマーサー二人で行い。

メンタルの部分は、ジョンが20年二人で行って来た弁護歴をおさらいして記憶力改善。

お兄さんは、カカオやシーフードを提供したり、食事に一緒に出掛けたりしてソーシャルな面で気を使っていく。

ハワイのOHANA(家族)は、素晴らしい協力形態で義理のお父さんエドをケアーして行く事になりました。

 

皆さんのご家族も是非、孤立せずに色々な手助けを借りて協力していく様にするだけで、介護のケアーのストレスが

低減しますので、積極的に考えてみてください。

 

ハワイから愛をこめて!

LOVE&ALOHA,

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

アーデン

  • 2019.02.10 Sunday
  • 17:28

2月10日 晴れ時々曇り 気温7度

 

 成田に到着して、到着ロビーで母と帰りのリムジンバスを待つ間、メールを受け取った。

メールを開けて読んだとたんに、『涙が止まらない。』

私の目から涙が止めどなく流れてくる。母が隣で驚いてどうしたのか聞てきた。

私は、震える声で母に『カナダのホストファミリーのお父さん、アーデンが亡くなったの。』

と言い、何度も追悼のアーデンのメールを読んでいたが、涙が溢れすぎて追悼のメールも読めなくなり、

ハンカチで涙を抑えるだけだった。

 

アーデンは、私にとって素晴らしい父親像を教えてくれた掛替えのない人だった。

8歳の時に父が私達を捨てて家を出て行き、父親の役目を捨てた父は、私にとって父の影は薄い。

17歳の時家族が嫌で、一人で生きるしかないと家を出てカナダのバンクーバー島の

カレッジに一人旅だったは、45年前だ。

そこで、沢山の心温まる人々に出会い。人生の素晴らしいさと、大自然の美しさを学び。

私の人生は蘇生された。

 

酷いアレルギーも4年間カナダ留学中に完治して、驚くほど心身の細胞が蘇った。

 

4年間の美しい思い出の中の一つは、アーデンとロバータが、夏にバンクーバー島の北にある孤島、

レフュージコーブのサマーハウスに私を連れて行ってくれた思い出だ。

空を見上げるとそこには、宝箱の宝石を散りばめたような星が輝き、

真っ青な海に一緒にボートでサーカイサーモンを釣って、ロバータが鮭缶を圧力なべで作ってくれた。

レフュージコーブは、電気も通っていない孤島で車も走っていない。

そんな島に3棟の小屋を建ててアーデン家族は夏を、魚を釣ったり、沢でハーブを摘んだりして過ごすのが

彼らの恒例の夏の過ごし方だった。

そして彼らは、日本から来た私を何時も、家族同様に心温かく迎えてくれた。

最期にカナダの彼らの家を訪ねた冬2017年

 

アーデンとローバータは、私にとってカナダのお父さんとお母さん的存在だった。

そして人生のロールモデルでもあり、平和な生き方を教えてくれた。

アーデンは、自分の両親をしらずに育ち、育ての親から育てられ幸せに育った。

その幸福の輪を伝える為に、彼らは自分の子供が2人いるのにもかかわらず3人目を養子で育てた。

そして私までも家に家族と同様受け入れてくれたのだ。

そんな生き方を自然に生きたアーデンが88歳のお誕生日の日2月2日に亡くなってしまったのである。

 

昨年私の51歳のハワイでのウェディングパティーにもわざわざカナダからロバータと一緒に出席してくれた。

昨年87歳とは思えない行動力そして気力があったアーデンはビックアイランドにもロバータと旅行を楽しんだのに。

 

人生は突然終わりが来るものなのだ。

そして、突然亡くなってしまうと、周りの悲しみは偉大なる生命の消失に驚き、悲しみは次第に深くそして辛さも深まる。

まだ、アーデンが亡くなった事の現実感がない。

その大きな心の空間に、悲しみは突然押し寄せる。

 

曇り空の空を眺めながら、買い物帰り道、大好きなリアナ ラ ハバスの歌を聴きながら突然歩きながら涙が出てとまらなかった。

 

そしてアーデントの思い出が頭を走馬灯のようによぎって行く。

 

『ホープオブライフ』の香りを手放すことができず。

この香りが私の心を慰めてくれるように

アーデンが亡くなった今、ローバータがアーデンを失った悲しみは計り知れない。

何もできないかもしれないが、彼女の傍にいてあげたい気持ちが高まり、

明日にでも海を渡って行き、肩を抱きしめたい。

其れができないのも辛い。

先ずは、カナダに5月に会いに行く事を心に決めた。

 

大切な人生は、生きている限り素晴らしい出会いがありそして別れがある。

 

一生の間に沢山の出会いと別れを繰り返しながら生きて行く喜びと悲しみの繰り返しである。

 

別れは、いくつになっても悲しい。

この心を癒すのは、美しい香りで悲しみを和らげそして時が過ぎて行く事だ。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性として歳を重ねる喜び

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 00:49

1月15日 晴れ

 

 人間それぞれの生き方があり、歳を重ねて行く女性はの生き方は、人それぞれ違う。

 

どんな家族の中で生きて来たのか?

どんな教育を受けて来たのか?

どんな土地に生まれて、生きて来たのか?

人の人生は、子供の頃は親の選択でその子の人生が選択されて生き、

成人したら自分の全ての選択で人生がそれぞれの方向へ進んで行く。

40歳を過ぎる頃には、自分の選択した結果が見えて来て、歳を重ねて行く焦燥感と喜びがどこからか沸き起こる。

若い頃に悩んでいた事が嘘のように悩まなくなり、幻想的な不安に操られて生きなくても良くなるこれは、

歳を重ねてきたご褒美であり喜びだ。

敢えてここでは、歳をとるという言葉を避けたい。

 

不安から逃れるために、ホロスコープや幻想的なスピリィチャルの世界にがんじがらめにならずに、

自然体で生きていかれるのも歳を重ねる喜びだ。

 

歳を重ね年数が50年もすると、自分の感覚がより研ぎ澄まされて、解放感がでてきて自然体で生きる自信が出てくる。

 

とは言うもの・・・・!?

人間多くの事を今だ悩み、考える。

 

『人間は考える葦である。』

 

ただ、歳を重ねると無駄に考え悩まなくなる。

 

歳を重ねる喜びは、社会的に考えても素晴らしい事なのに何故かこの感覚が非常識・非日常の世界の様に考えてしまう。 

姥捨て山の時代を変革していかなくてはならない。

これは、歳を重ねた女性が社会で家庭で活躍する事だ。

日本の女性の太古の歴史・文化改革だ。

 

日本は、1940年第二次世界大戦で敗戦国だ。

この負の思考が今だ根付いている年代が60年代までに生まれた人だ。

終戦または第二次世界大戦中に生まれた親に育てられ、終戦の貧困な生活から抜け出すためにがむしゃらに働き、

そして高度成長期にがむしゃらに良い生活をする為に働き続けてきた親に育てられた年代だ。

 

私達は、親が忙しく働いていた背中を見ながら育った年代。

そして戦後の自由を楽しんだ親達は、自由恋愛や不倫そしてバブルを生みだし、フルにバブル生きてきた人々。

そんな、物質世界・キャピタリズムの中で生き生きと生きていた親達。

結婚という言葉に、夢はあっても現実的には、結婚に対して希望は、かなり薄い世代だ。

 

17歳の夏、カナダに留学して、カナダの人々の自然を大切にして生きながら、物質世界ではない、

自由な自然体の選択をして、心豊かに生きる生き方をする生き方をカナダの人々から学び、新たな人生の扉を開けたようだったのに・・・・・・・いつの間にか、日本に帰国した自分は、日本の働きバチの巣の中で生きていた。

 

日本人の私は、ただただ毎日働く母の背中を見ながら育ち、それが当たり前の生き方として母を見て生きてきた。

そして、母子家庭の母に育ててもらった気持ちの感謝の心がいつもどこかにあり、

日本に帰り、親孝行を自分なりする為に23歳の夏から働き、

カナダで学んだ自然体ののんびり好きの自分のライフスタイルが段々遠のき、

46歳の夏まで日本で一生懸命に自分なりに働き続けた。

 

結婚しなかったのも、母に子供を作らない片羽の娘と言われ続けた。

30代の頃子供を作らなければ一人前の女性になれない

と悩んだ時期もあった。

自分の真実の心が、子供をつくらない人生を選択した。

ただこの選択は、全てが私の育った国と家族の多大な環境がそうさせたといっても過言ではない。

50代に入り、更年期を迎えて、この柵からやっと解放された喜びも歳を重ねる喜びそして解放感だ。

女性の魅力が、子孫繁栄の対象ではなくなり人間としての価値が重んじられるのが50を過ぎての女性の価値。

 

自然体の自分に回帰したのは、3度結婚した父、不倫をし続けた父の他界したのがきっかけだった。

私が、柵の中で生きてきた自分、私の不幸の源を創造した父の死が解放してくれた。

その父にも、今では感謝する気持ちが50歳になり歳を重ねる喜びである。

若い頃は、父が私達家族を無責任に不倫して置き去りにした怒りが胸の中にしこりとして固くなっていた。

 

幸せな家庭に育っていたら、今頃は幸せな家庭を築き、子供を育て自分が母として生きていたかもしれない

ふと、空想してみたりすることもある。

 

キャピタリズムと男尊女卑の世界を作り上げていた、父の死が、この柵から解放させてくれた。

 

そして、両親から解放され、今を幸せに自分らしく自然体に生きる為に瞑想した。

 

妄想の不安や固定観念に振り回されずに、自分で自分の環境を心地よく生きてく、自然体の自分を築く

 

瞑想した。

 

OUR HAPPINESS IS BUILT BY ATTITUDE AND INTENTION.

(私たちの幸せは、自己の姿勢と志向により築き上げられる。)

 

この姿勢と志向を作り上げてしまうのが、私達を築き上げる環境だ。

この環境を大人になったら、自分で築き上げるのが大切だ。

 

どんな人が、何を言おうと自分の幸せは、自分が感じて、自分の心の中にある。

100人いれば幸せの形は、100種類ある。

我が家からのブルーフルムーン

 

真実は、今の自分を生きる事だ。

真実を見つけるのは、歳を重ねる喜びだ。

( BE PRESENT ) 瞑想天然パフュームブレンドで1日10分夜今の自分を感じて瞑想をすると、次第に脈がゆっくりになり

地球と一体になって呼吸をし、脈を打ち、心臓の鼓動を感じて呼吸する。

其処に真実の自分がいる。

 

人生は、真実の自分を見つける為に生きている。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI 

info@argutha.com

 

 

 

 

 

2019年年の始に思う事

  • 2019.01.11 Friday
  • 06:51

1月10日 晴れ 気温24度 カイルア

 

 新しい年が明けて皆が思う事は?

 

さて今年はどんな年に成るのか?

 

どんな年になったら良いのか?

 

という希望と不安が混合して年が明けて、あっという間に春になりそして、暑い夏が過ぎてホットして秋が来て、

あら?

あっと言う間に師走に近づき焦燥感にかられる。

何年も生きているのに何故か、歳を重ねる月日が長ければ長いほどこの感覚が高まる。

 

ハワイに住みだしてから、この気持ちに追われずにふと毎年過ごしている自分がいる。

1年を通じて過ごし易い気候の為か、毎日その気分に合わせて過ごしている。

ただただボーとして生きてしまわないように、年始にその年にやりたい事をノートに書いて置き、

忘れないように見える所に張っておく。(英語では、バケットリストとかいうのだが・・・・)

人生一回なので後悔しないように、生きるためには、これが一番の目標になるのだ!

毎年の目標に向かって、毎日のスケジュールを決めていると、気が付くと1年が充実して目標が達成されている。

 

達成できなければ次の歳に持ち越す価値があるか、考えてまたバケットリストを作ると良い。

 

私は、毎年プライベートとライフワークのアロマセラピーとバケットリストを作る。

毎年必ず、書くのが、

 『植物の恵みを感じながら生きて行き、自分の美しさを高めて行く。』 

これを詳しく書くと、皮膚につけるものまた体内に入れる(食する)物を天然成分に最大限する事である。

ファーストフードを食べてしまったり、化学調味料が入っている食事をすると長ーい目で見ると、やっぱり、人生の進む

速さが加速して、情緒不安定になる。これは、同様皮膚や髪の毛、爪も、体の一部なので同じである。

ハワイに住んでいるので日焼けは、アウトドアは太陽の光を避けられないので、アロマセラピーの日焼け止めを使うが、

やはり人口成分が沢山入っている日焼け止めには、かなわない。

そばかすやシミが気になっていた昔が信じられない位、そばかすが出てくるが、これは自分が気にするか気にしないかだし、

それより、50歳になると皮膚のしわや張りが大切になってくる。これは、やはりアロマセラピーの物が一番効果的だ。

体も段々ちりめんの様にしわ皺になり、おばあさんの皮膚に近づいてくる50代、私は、30代半ばの頃からずーと自分で作った

アロマセラピーの天然植物性の物を使用している。

50代になっても皮膚の張りは変わらないので、20年の実験結果がでている。

香りも、空港で働いていた時、何千人の人の匂いが行き交い苦しくて、人口の香水を毎日使っていた時、可なり

情緒不安定になり、皮膚もストレスで脂漏性湿疹になってしまい、心身ともにボロボロだった自分が嘘のように

今は、毎日天然の香りに囲まれて生きて20年、公私ともに、別れや介護生活、姉との対決などあったが、冷静に

乗り切り、負のエネルギーに任されずに生きてこれ、今では、52年生きていて

 

『今が一番幸せだ。』と毎日思える日々が続いている。

 

人生それぞれ幸せ度は、違うんだろうが、私は、家族に恵まれなかった人生がずーと、ずーと続いた。

両親が8歳の時に離婚、毎日ずーと姉の虐待を受けて生きていた10代、20代カナダに留学して素晴らしいホストファミリー

に出会い、家族の温かさを感じて『いつか自分もこんな家族に囲まれて生きたいなぁ』なんて思いきや

日本に帰国すると毎日せかせか働いてしまい、自分の家族に翻弄されて生きてきた30代、勿論それなりに自分の好きな事を

アロマセラピー、レイキ、ヨガに出会って世界中を旅しての植物に出会い、フランスやイギリス、カナダ、アメリカ、インドで勉強したのもこの時期だった。

40代は転換期だった。

 父の介護/他界を経て、長年続けてきたお店をしめてマンションを売って、自分の人生をリセット使用と決めたのだ。

大好きなアロマセラピーの活動も好きだけど、自分の人生をすり減らしてまで活動する程私にはパワーがない事を自覚して

自分のペースで活動する形を目標にする事にした。

偉大なる人は、多分このパワーが沢山あるのだ、50年生きてきて自覚がやっとできたのだ。

そして、海を渡ったハワイで自分の理想の家族に出会い、そして家族を守って行くほのぼのライフスタイルの毎日を過ごす自分が

一番生きやすいライフスタイルで生きて行く事を見つけた。

母の介護も期間限定で行い、母への思いのバランスもできた。

どうしても、シャカリキに働いてしまう日本! 

これは、きっと日本文化であるとも言える。だから日本人は、ハワイの文化のんびり、ほのぼのの風が吹く

 

ハワイに来るのが、人生の洗濯になるのだ。

 

ハワイの人は、皆のんびりせかせかしてないので、勿論サービスものんびり、皆がそれでも気にせずのんびりしてくる。

急いで人生を生きて終うと、人生があっという間に終わってしまう。

 

そこで、この素晴らしいハワイの空気をエネルギーを皆さんに伝える為に!

今年の私の目標は、ハワイオアフ島カイルアで極上のアロマセラピーリトリートを始める事です。

 

4月から受付をいたします。

 

プライベートリトリートです。

 

パーソナルスケジュールをハワイに来る前に決めて、その人にあったスケジュールで行い。

カイルアの邸宅に滞在して、海をみて目覚め!

 

朝ヨガ、

日中スピリィチャルスポットを訪れたり、

ビーチで瞑想、そして締めくくりはアロマセラピートリートメント

 

日帰りコースから4日間コースまであります。

1人から2人(親子小さなお子様なら4人まで可能・友人・カップルなど)までのご予約になります。

 

ご興味がある方は、メール(info@argutha.com) までご連絡下さい。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末の孤独感と焦燥感・・・生きている限り、希望がある。

  • 2018.12.27 Thursday
  • 01:52

 12月26日 水曜日 気温24度 晴れ

 

 カイルアの朝は雨で始まる。

目が覚めると雨が屋根に落ちる音がした。外はまだ空は真っ暗だ。

3階の寝室から1階のキッチンへ降りて行き、コーヒーを入れニュースを携帯でよんでいると、

その音を聞いてジョンが下りてきてコーヒーを入れた。

『昨晩からの腰痛で目が覚めたんだ。僕の夢の日本人の奥さんは毎日マッサージしてくれるんだけどな?』と言った。

『OK、3階の寝室ででは、貴方の夢の日本人の奥さんがマッサージするから.』と私が言った。

20分ほど彼の為の鎮痛マッサージオイルで背中、肩、腰をマッサージした後に

腰痛用のヨガのポーズを10分程してから、1階のキッチンに2人で降りて行き、

ジョンは率先してグラス1杯の水で鎮痛用のカプセルを飲むと、と母が起きてきた。

昨日は、義理の母家でクリスマスパティーを18人程集まってした時にワインを7杯ほど飲んで酔っ払ったまま母は

ベットに入ったので、お化粧もそのままだったので、母に『お化粧落としてねてないね。』と私が訪ねると。

母は、『 いいのよ。 』と面倒そうに答えた。几帳面だった母は、認知症後全てが面倒で日常の事が出来なくなっていた。

『一緒にでは、顔洗いましょう。』と私が誘うと、母は無言で2階の母が寝ている寝室の横の洗面に上がった。

母の顔を洗い、入れ歯を洗って居間のソファーベットに座ってもらいコーヒーを入れると。

ジョンが2杯目の『 コーヒーを僕もお願いします。 』

3人分のコーヒーを入れてから、母の認知症改善用オイルでヘッドマッサージをした。

ジョンが、私に僕のドリームワイフがマッサージとカプセルを作ってくれたから、起き上がるのも痛くて大変だったのが、

痛みなく動けるようになった。と言って仕事へ出かけて行った。

何気ない、毎日の朝だった。

外を見ると、雨が上がりそうな空に虹がかかっていた。

 

一昨日は、12月24日 クリスマスイブは、母の誕生日でもある。

その日は、家でジョンとカリーナ4人で母の78回目の誕生日を祝った。

何故か母は、誕生日パティーはしないでと言った。

義理の母マーサーは、母の事を思い誕生日パーティーを提案してくれたが、家で『お誕生日おめでとう』と言った。

慎んだ誕生日を迎えた母だった。母の誕生日の思い出は、クリスマスの思い出とかさなり、最後に父と母が一緒だった

母の誕生日は、私が8歳の時だった。母がローストチキン、クロワッサンをオーブンで焼き、父がクリスマスケーキを

銀座の父の大好きなケーキ屋さんで買ってきて家で母の誕生日を祝った心温まる思い出だった。

その後、両親が離婚して、家族そろって母の誕生日を祝う事はなかったが、

私が10歳の時、大切な母の誕生日を祝おうと子供ながらにお料理をして母をまっていると、

姉は、その私に嫉妬して大喧嘩になり、ブランディーグラスを姉が、私に投げつけてその破片に姉が自分の親指を切り、母がそこで帰ってきて、姉を病院に連れて行き3針縫った事件の思い出になった。

この頃から私の人生は、可なり悲しい人生だった。両親の喧嘩と姉からの虐待に毎日だったのだ。

そんな母が、私が17歳の夏にカナダに留学させたのは、私と姉が喧嘩ばかりしているから、お金は大変だったけど

離すした方が良いとおもったからだと説明してくれた。

ハワイの平等院の前にて
ハワイの平等院前にて

 私は、母に本当に感謝している。あの時私が留学していなかったら、今の自分はこの世にいないかもしれない。

17歳の私は、悲しさみのどん底にいた。と母に説明した。

 

人間の人生とは、諦めずに生きているとても素晴らしい事が起きてくる。

それは、『生きている限り希望がある。』・・・・スティーブンホーキンズ博士より

というその言葉そのものである。

20歳の頃ル―ギャリーの病気で10年の命と診断されても、物理学博士になり家庭を子供を3人育て2018年3月76歳で亡くなった。人間は、病気になっても、虐待にあっても、生きている限り、諦めない限り、希望が必ずあるのだ。

 

最近の母は、死にたいと言わなくなった。

クリスマスパティーで85歳の義理の父の友人ボブが

『僕は100歳まで生きるのが人生の目標だ。だから健康に気を使っているんだよ。』と母に言うと、

母はびっくりする事を言った。『私も、自分の母が104歳まで生きたから母を見習って100歳までは生きたいわ。』

 4年前いつも死にたい。長生きはしたくないと悲し事を私に訴えて母が、今100歳まで生きたいと言う事母が言ったのは、

素晴らしい事だ。

 

そして、2018年のクリスマスは、私にとってその希望の続きが拡大する年になった。

 

義理の母マーサーと姉ーアナが昨日のクリスマスパティーで私に素晴らしい世界の1つしかないプレゼントをくれた。

それは、マーサ―の義理の母ドロシーの形見の分けだった

マーサーとアナが、私に、ドロシーはジョンをとてもかわいがっていて、そのジョンが本当に愛する人をみどりと一緒になったのは、素晴らしい事で、私にこの指輪をして欲しいと言ってくれた。

今年家族の一員になったみどりにと、角が擦り切れてオリジナルの指輪の箱を開けると、そこにはスクエアカットのダイアの指輪が入っていた。祖父母ドロシーのお気に入りのダイアの指輪は、私の掛替えのない宝物の一つ。

バーク家の家族の一員の宝物。

ジョンに出会ってから、毎年の寂しかったクリスマスの思い出が、一変して、心温まる思い出に変わっていった。

 

 

生きている限り、諦めずに生きている限りそこには、希望がある。

 

この思いを込めて、私は、HOPE OF LIFEという香水を作成した。

温かくそして深い香り、地球と一体となって全世界の人々と一体になり、孤独感から解放される香りを作成した。

世界中の大陸の香油をブレンドして深く温かい香りにできあがり、この年末の焦燥感を自然に心で受け、

新たな信念への希望がでてくる香りになった。

【 HOPE OF LIFE 】

エクアドル産のパロサント:浄化

ブルガリア産のホワイトローズ:慈愛、無条件的愛

インド産のダバーナ:シバ(破壊の神)の化身

オーストラリア産のフラゴニア:家族愛

ネパール産のスパイクナード:慈愛・マリア様の最期の涙の香り

イタリア産のベルガモット:太陽の香り・高揚

マダガスカル産のイランイランコンプリート:自尊心を高める。

ギリシャ産のキャロットシード:怒りの解放

オマーンさんフランキンセンスCO2:全てのチャクラの整列

フランス産ワイルドアイランドラベンダー:浄化

など他26種類をブレンドしました。

 

 

この香りで毎朝、瞑想をして2019年の新たな素晴らしい年を迎えて生きたい。

 

*LIFE OF HOPEの香りをご希望の方は、info@argutha.com までお問い合わせください。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性としての価値は、母になる事?

  • 2018.11.17 Saturday
  • 05:50

11月18日 気温12度 晴天

 

 昨年12月に日本を発って、初めて成田に着き呼吸をすると外国の来た時の様な空気に感じた。

ハワイののんびりとした空気とは、かけ離れた空気だった。

そんな、気持ちの中日本のニュースを読んでると、こんな記事を目にした。

 『母の慈愛を』発言、小池知事は不快感 鳥取知事謝罪 

内容は、小池知事(66歳)が、ハローウィーンでメーテルに仮想し、メーテル(ギリシャ語で母を意味する)のに例えて、

平井知事が、『メーテルのように母の慈愛のここを持って、大都市と地方の折り合える案を考えていただければ』と語った。

小池知事は、子宮筋腫で子宮摘出全摘手術をしており、母としてといわれたが、彼女は母になれなかったので、傷心したのだ。

しかし彼女は、母になれなかった分、多くの女性に仕事も子育てもやってもらえるような環境づくりをしている。と説明した。

 現代の日本女性は、80%つまり10人に8人が子宮筋腫、卵巣嚢腫、子宮内膜症を発症しているのが現実だ。

これは、環境ホルモンと食品添加物の影響が多大にあると推測できる。

今日は、女性としての価値を言及してみたい。

人生50を過ぎると、更年期にはいりまたこの母として女性価値を考える事が多くなってきた。

 

初潮が始まった頃に、私の母が

 『女性として2人は子供をつくることが義務である。1人は旦那様の分そしてもう一人は自分の分。』と言っていた。

そして大学の頃に、人類がこのまま人口の増加していくと食糧危機になる。というニュースを読み。母の言っている事は、

戦後の話だ。と実感していた。

 

 8歳で父が家を捨て、母子家庭で育った私は・・・・

 

  『 結婚、子供、母=苦労 』 という思考が頭から離れなかった。

25歳を過ぎて、就職して、母が結婚の言葉を何度も耳が痛くなるくらいに、

  『子供は早く生まないと育てるの体力がなくなるわよ。』 言っていた。

そして、姉が40歳になった時できちゃった結婚をガーナ人とした。当時私は、38歳。

その時、姉が私に送ったメールが・・・・・死ぬほどつらかった。

その内容は、

  『 私は、家族を作り、生きて行く。

   でもあなたは、家族を作らず、たった一人で死んで逝く。』

  『 私は、子供を作り、生きて行く。

   でもあなたは、子供をつくらず、たった一人で死んで逝く。』

  『 私は、家族と沢山の思い出を作り、生きて行く。

   でもあなたは、家族と沢山の思い出をつくらずに、たった一人で、死んで逝く。』

と長々とつづった私への死(詩)であった。

 母にみせると、姉は妊娠していて気がたっているといって流した。

 この後、私は、辛すぎで姉と音信をたった。

 メールでコミニケーションをその頃、父にこのメールを送ると父は、一言

 『 人間誰でも、一人で死んでいくんだよ。』 

 可なり、納得してしまった。私がそこに居た。 そして享年76年父は、本当に3回も結婚したのに、3人目の奥さんに捨てられて一人で亡くなったです。(最後の介護は私がしましたが・・・・このお話は長くなるので後ほどいたします。)

その後、外資系の会社勤務とアロマティックカンパニーメリッサ設立とプライベートを充実して毎日を自分らしく生きてきた私。

 

そして、52歳の歳で最愛なる幸わせな結婚相手と結婚したのですが・・・・勿論!そろそろ更年期期突入なので子供は作れません。

旦那様には13歳の娘がいて、その娘とは、親友の様な楽しい関係、本当に幸せな私でした。

 

しかしそんな時に、なんと友人のいない旦那様の唯一の大学時代の親友がこの夏、ハワイに家族旅行で12年ぶりに 

子供を4人つれて訪れたのです。

その友人の奥さんが私に

『 Did you ever wanted to have a child ? 』

『あなた、全く子供をうまみたくなかったの?』

忘れていた私の女性として、母として子供を産まなくても幸せな人生を歩んでいたはずの私の心にアッパーパンチが飛んできたのです。そして、私は、なんと傷心していたのに即座に超特急の言葉で!

 『 NO I didn't .』

  『 全然 』

と答えたのです。そしてその言葉を言いながら、自分の強気に驚異していた。

 

女性として自分の子供を産まないとならない義務感が毎日、毎日押し寄せてきた。

そして50代の出産などグーグルってみたりしてしまった。

勿論、産む気はないのです。

そして、この傷心した辛さを流すように私は、『WOMAN』 という香水を作り瞑想し続けた。

自分の真実の価値観を高めて自己愛強める。

この香りは、地球が全てを包み込み、自然体の自分でいていいという事を伝えてくれる香りです。

現実を受け入れ一人の女性としての価値観と自尊心を高めてくれる香りにより、次第に傷心した心から解放されました。

 

そして、

カイルアからダニエルKイノウエ、ホノルル空港へジョンが送ってくれた車の中で、初めて自分の傷心した心を彼に伝えられました。彼の唯一の親友の奥さんだったので、言えずにいたのが…

自分の子供を産まず此処まで生きてきた私は、安易に子供を作れず、そして子供を欲しいと思った相手に適齢期に巡り合えず、

今私が最愛なる彼と出会い、彼の娘と彼をとても大切思っている。と伝えると、彼は、

『アマンの軽率な言葉で傷ついていてごめん。だけど彼女は、メキシコ人だから故意に君を傷付けようと思って行ったんじゃないからね。そうそう、それに僕と結婚したから、もれなく大きな赤ちゃんのカリーナ(13歳)が付いてくるから、カリーナを娘だと思っててくれたら嬉しいよ。』

 彼に傷心した事を伝えられて、またそこで今まで貯めていた心から解放されたのです。

 

女性は、母になる為に生まれてきた時代は、過去の事で、や現代の環境は自分でそれを責任もって選択し

 『自分らしく生きて行く事が大切!』 

小池知事の件も含めて、また女性一人一人が、男性一人一人が、そして社会がそれを認めて行く事が大切です。

子供を産まなくても、社会貢献して生きて行く事で、この地球の繁栄を維持して行く事は可能な時代です。

 

環境破壊の為、また家族に恵まれなかった為、人間のホルモンバランスが過去と異なり、母性が、女性ホルモンバランスが

過去の女性と異なる現代女性の社会的地位を確保していくのが大切!

小池知事をはじめ、その幕は上がっているのは、確実です。

 

P.S 『WOMAN』の香水にご興味がある方が、是非Eメールにてご連絡下さい。

info@argutha.com

 

LOVE&ALOHA

 

MIDORI 

 

 

 

 

 

 

 

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