アーデン

  • 2019.02.10 Sunday
  • 17:28

2月10日 晴れ時々曇り 気温7度

 

 成田に到着して、到着ロビーで母と帰りのリムジンバスを待つ間、メールを受け取った。

メールを開けて読んだとたんに、『涙が止まらない。』

私の目から涙が止めどなく流れてくる。母が隣で驚いてどうしたのか聞てきた。

私は、震える声で母に『カナダのホストファミリーのお父さん、アーデンが亡くなったの。』

と言い、何度も追悼のアーデンのメールを読んでいたが、涙が溢れすぎて追悼のメールも読めなくなり、

ハンカチで涙を抑えるだけだった。

 

アーデンは、私にとって素晴らしい父親像を教えてくれた掛替えのない人だった。

8歳の時に父が私達を捨てて家を出て行き、父親の役目を捨てた父は、私にとって父の影は薄い。

17歳の時家族が嫌で、一人で生きるしかないと家を出てカナダのバンクーバー島の

カレッジに一人旅だったは、45年前だ。

そこで、沢山の心温まる人々に出会い。人生の素晴らしいさと、大自然の美しさを学び。

私の人生は蘇生された。

 

酷いアレルギーも4年間カナダ留学中に完治して、驚くほど心身の細胞が蘇った。

 

4年間の美しい思い出の中の一つは、アーデンとロバータが、夏にバンクーバー島の北にある孤島、

レフュージコーブのサマーハウスに私を連れて行ってくれた思い出だ。

空を見上げるとそこには、宝箱の宝石を散りばめたような星が輝き、

真っ青な海に一緒にボートでサーカイサーモンを釣って、ロバータが鮭缶を圧力なべで作ってくれた。

レフュージコーブは、電気も通っていない孤島で車も走っていない。

そんな島に3棟の小屋を建ててアーデン家族は夏を、魚を釣ったり、沢でハーブを摘んだりして過ごすのが

彼らの恒例の夏の過ごし方だった。

そして彼らは、日本から来た私を何時も、家族同様に心温かく迎えてくれた。

最期にカナダの彼らの家を訪ねた冬2017年

 

アーデンとローバータは、私にとってカナダのお父さんとお母さん的存在だった。

そして人生のロールモデルでもあり、平和な生き方を教えてくれた。

アーデンは、自分の両親をしらずに育ち、育ての親から育てられ幸せに育った。

その幸福の輪を伝える為に、彼らは自分の子供が2人いるのにもかかわらず3人目を養子で育てた。

そして私までも家に家族と同様受け入れてくれたのだ。

そんな生き方を自然に生きたアーデンが88歳のお誕生日の日2月2日に亡くなってしまったのである。

 

昨年私の51歳のハワイでのウェディングパティーにもわざわざカナダからロバータと一緒に出席してくれた。

昨年87歳とは思えない行動力そして気力があったアーデンはビックアイランドにもロバータと旅行を楽しんだのに。

 

人生は突然終わりが来るものなのだ。

そして、突然亡くなってしまうと、周りの悲しみは偉大なる生命の消失に驚き、悲しみは次第に深くそして辛さも深まる。

まだ、アーデンが亡くなった事の現実感がない。

その大きな心の空間に、悲しみは突然押し寄せる。

 

曇り空の空を眺めながら、買い物帰り道、大好きなリアナ ラ ハバスの歌を聴きながら突然歩きながら涙が出てとまらなかった。

 

そしてアーデントの思い出が頭を走馬灯のようによぎって行く。

 

『ホープオブライフ』の香りを手放すことができず。

この香りが私の心を慰めてくれるように

アーデンが亡くなった今、ローバータがアーデンを失った悲しみは計り知れない。

何もできないかもしれないが、彼女の傍にいてあげたい気持ちが高まり、

明日にでも海を渡って行き、肩を抱きしめたい。

其れができないのも辛い。

先ずは、カナダに5月に会いに行く事を心に決めた。

 

大切な人生は、生きている限り素晴らしい出会いがありそして別れがある。

 

一生の間に沢山の出会いと別れを繰り返しながら生きて行く喜びと悲しみの繰り返しである。

 

別れは、いくつになっても悲しい。

この心を癒すのは、美しい香りで悲しみを和らげそして時が過ぎて行く事だ。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性として歳を重ねる喜び

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 00:49

1月15日 晴れ

 

 人間それぞれの生き方があり、歳を重ねて行く女性はの生き方は、人それぞれ違う。

 

どんな家族の中で生きて来たのか?

どんな教育を受けて来たのか?

どんな土地に生まれて、生きて来たのか?

人の人生は、子供の頃は親の選択でその子の人生が選択されて生き、

成人したら自分の全ての選択で人生がそれぞれの方向へ進んで行く。

40歳を過ぎる頃には、自分の選択した結果が見えて来て、歳を重ねて行く焦燥感と喜びがどこからか沸き起こる。

若い頃に悩んでいた事が嘘のように悩まなくなり、幻想的な不安に操られて生きなくても良くなるこれは、

歳を重ねてきたご褒美であり喜びだ。

敢えてここでは、歳をとるという言葉を避けたい。

 

不安から逃れるために、ホロスコープや幻想的なスピリィチャルの世界にがんじがらめにならずに、

自然体で生きていかれるのも歳を重ねる喜びだ。

 

歳を重ね年数が50年もすると、自分の感覚がより研ぎ澄まされて、解放感がでてきて自然体で生きる自信が出てくる。

 

とは言うもの・・・・!?

人間多くの事を今だ悩み、考える。

 

『人間は考える葦である。』

 

ただ、歳を重ねると無駄に考え悩まなくなる。

 

歳を重ねる喜びは、社会的に考えても素晴らしい事なのに何故かこの感覚が非常識・非日常の世界の様に考えてしまう。 

姥捨て山の時代を変革していかなくてはならない。

これは、歳を重ねた女性が社会で家庭で活躍する事だ。

日本の女性の太古の歴史・文化改革だ。

 

日本は、1940年第二次世界大戦で敗戦国だ。

この負の思考が今だ根付いている年代が60年代までに生まれた人だ。

終戦または第二次世界大戦中に生まれた親に育てられ、終戦の貧困な生活から抜け出すためにがむしゃらに働き、

そして高度成長期にがむしゃらに良い生活をする為に働き続けてきた親に育てられた年代だ。

 

私達は、親が忙しく働いていた背中を見ながら育った年代。

そして戦後の自由を楽しんだ親達は、自由恋愛や不倫そしてバブルを生みだし、フルにバブル生きてきた人々。

そんな、物質世界・キャピタリズムの中で生き生きと生きていた親達。

結婚という言葉に、夢はあっても現実的には、結婚に対して希望は、かなり薄い世代だ。

 

17歳の夏、カナダに留学して、カナダの人々の自然を大切にして生きながら、物質世界ではない、

自由な自然体の選択をして、心豊かに生きる生き方をする生き方をカナダの人々から学び、新たな人生の扉を開けたようだったのに・・・・・・・いつの間にか、日本に帰国した自分は、日本の働きバチの巣の中で生きていた。

 

日本人の私は、ただただ毎日働く母の背中を見ながら育ち、それが当たり前の生き方として母を見て生きてきた。

そして、母子家庭の母に育ててもらった気持ちの感謝の心がいつもどこかにあり、

日本に帰り、親孝行を自分なりする為に23歳の夏から働き、

カナダで学んだ自然体ののんびり好きの自分のライフスタイルが段々遠のき、

46歳の夏まで日本で一生懸命に自分なりに働き続けた。

 

結婚しなかったのも、母に子供を作らない片羽の娘と言われ続けた。

30代の頃子供を作らなければ一人前の女性になれない

と悩んだ時期もあった。

自分の真実の心が、子供をつくらない人生を選択した。

ただこの選択は、全てが私の育った国と家族の多大な環境がそうさせたといっても過言ではない。

50代に入り、更年期を迎えて、この柵からやっと解放された喜びも歳を重ねる喜びそして解放感だ。

女性の魅力が、子孫繁栄の対象ではなくなり人間としての価値が重んじられるのが50を過ぎての女性の価値。

 

自然体の自分に回帰したのは、3度結婚した父、不倫をし続けた父の他界したのがきっかけだった。

私が、柵の中で生きてきた自分、私の不幸の源を創造した父の死が解放してくれた。

その父にも、今では感謝する気持ちが50歳になり歳を重ねる喜びである。

若い頃は、父が私達家族を無責任に不倫して置き去りにした怒りが胸の中にしこりとして固くなっていた。

 

幸せな家庭に育っていたら、今頃は幸せな家庭を築き、子供を育て自分が母として生きていたかもしれない

ふと、空想してみたりすることもある。

 

キャピタリズムと男尊女卑の世界を作り上げていた、父の死が、この柵から解放させてくれた。

 

そして、両親から解放され、今を幸せに自分らしく自然体に生きる為に瞑想した。

 

妄想の不安や固定観念に振り回されずに、自分で自分の環境を心地よく生きてく、自然体の自分を築く

 

瞑想した。

 

OUR HAPPINESS IS BUILT BY ATTITUDE AND INTENTION.

(私たちの幸せは、自己の姿勢と志向により築き上げられる。)

 

この姿勢と志向を作り上げてしまうのが、私達を築き上げる環境だ。

この環境を大人になったら、自分で築き上げるのが大切だ。

 

どんな人が、何を言おうと自分の幸せは、自分が感じて、自分の心の中にある。

100人いれば幸せの形は、100種類ある。

我が家からのブルーフルムーン

 

真実は、今の自分を生きる事だ。

真実を見つけるのは、歳を重ねる喜びだ。

( BE PRESENT ) 瞑想天然パフュームブレンドで1日10分夜今の自分を感じて瞑想をすると、次第に脈がゆっくりになり

地球と一体になって呼吸をし、脈を打ち、心臓の鼓動を感じて呼吸する。

其処に真実の自分がいる。

 

人生は、真実の自分を見つける為に生きている。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI 

info@argutha.com

 

 

 

 

 

2019年年の始に思う事

  • 2019.01.11 Friday
  • 06:51

1月10日 晴れ 気温24度 カイルア

 

 新しい年が明けて皆が思う事は?

 

さて今年はどんな年に成るのか?

 

どんな年になったら良いのか?

 

という希望と不安が混合して年が明けて、あっという間に春になりそして、暑い夏が過ぎてホットして秋が来て、

あら?

あっと言う間に師走に近づき焦燥感にかられる。

何年も生きているのに何故か、歳を重ねる月日が長ければ長いほどこの感覚が高まる。

 

ハワイに住みだしてから、この気持ちに追われずにふと毎年過ごしている自分がいる。

1年を通じて過ごし易い気候の為か、毎日その気分に合わせて過ごしている。

ただただボーとして生きてしまわないように、年始にその年にやりたい事をノートに書いて置き、

忘れないように見える所に張っておく。(英語では、バケットリストとかいうのだが・・・・)

人生一回なので後悔しないように、生きるためには、これが一番の目標になるのだ!

毎年の目標に向かって、毎日のスケジュールを決めていると、気が付くと1年が充実して目標が達成されている。

 

達成できなければ次の歳に持ち越す価値があるか、考えてまたバケットリストを作ると良い。

 

私は、毎年プライベートとライフワークのアロマセラピーとバケットリストを作る。

毎年必ず、書くのが、

 『植物の恵みを感じながら生きて行き、自分の美しさを高めて行く。』 

これを詳しく書くと、皮膚につけるものまた体内に入れる(食する)物を天然成分に最大限する事である。

ファーストフードを食べてしまったり、化学調味料が入っている食事をすると長ーい目で見ると、やっぱり、人生の進む

速さが加速して、情緒不安定になる。これは、同様皮膚や髪の毛、爪も、体の一部なので同じである。

ハワイに住んでいるので日焼けは、アウトドアは太陽の光を避けられないので、アロマセラピーの日焼け止めを使うが、

やはり人口成分が沢山入っている日焼け止めには、かなわない。

そばかすやシミが気になっていた昔が信じられない位、そばかすが出てくるが、これは自分が気にするか気にしないかだし、

それより、50歳になると皮膚のしわや張りが大切になってくる。これは、やはりアロマセラピーの物が一番効果的だ。

体も段々ちりめんの様にしわ皺になり、おばあさんの皮膚に近づいてくる50代、私は、30代半ばの頃からずーと自分で作った

アロマセラピーの天然植物性の物を使用している。

50代になっても皮膚の張りは変わらないので、20年の実験結果がでている。

香りも、空港で働いていた時、何千人の人の匂いが行き交い苦しくて、人口の香水を毎日使っていた時、可なり

情緒不安定になり、皮膚もストレスで脂漏性湿疹になってしまい、心身ともにボロボロだった自分が嘘のように

今は、毎日天然の香りに囲まれて生きて20年、公私ともに、別れや介護生活、姉との対決などあったが、冷静に

乗り切り、負のエネルギーに任されずに生きてこれ、今では、52年生きていて

 

『今が一番幸せだ。』と毎日思える日々が続いている。

 

人生それぞれ幸せ度は、違うんだろうが、私は、家族に恵まれなかった人生がずーと、ずーと続いた。

両親が8歳の時に離婚、毎日ずーと姉の虐待を受けて生きていた10代、20代カナダに留学して素晴らしいホストファミリー

に出会い、家族の温かさを感じて『いつか自分もこんな家族に囲まれて生きたいなぁ』なんて思いきや

日本に帰国すると毎日せかせか働いてしまい、自分の家族に翻弄されて生きてきた30代、勿論それなりに自分の好きな事を

アロマセラピー、レイキ、ヨガに出会って世界中を旅しての植物に出会い、フランスやイギリス、カナダ、アメリカ、インドで勉強したのもこの時期だった。

40代は転換期だった。

 父の介護/他界を経て、長年続けてきたお店をしめてマンションを売って、自分の人生をリセット使用と決めたのだ。

大好きなアロマセラピーの活動も好きだけど、自分の人生をすり減らしてまで活動する程私にはパワーがない事を自覚して

自分のペースで活動する形を目標にする事にした。

偉大なる人は、多分このパワーが沢山あるのだ、50年生きてきて自覚がやっとできたのだ。

そして、海を渡ったハワイで自分の理想の家族に出会い、そして家族を守って行くほのぼのライフスタイルの毎日を過ごす自分が

一番生きやすいライフスタイルで生きて行く事を見つけた。

母の介護も期間限定で行い、母への思いのバランスもできた。

どうしても、シャカリキに働いてしまう日本! 

これは、きっと日本文化であるとも言える。だから日本人は、ハワイの文化のんびり、ほのぼのの風が吹く

 

ハワイに来るのが、人生の洗濯になるのだ。

 

ハワイの人は、皆のんびりせかせかしてないので、勿論サービスものんびり、皆がそれでも気にせずのんびりしてくる。

急いで人生を生きて終うと、人生があっという間に終わってしまう。

 

そこで、この素晴らしいハワイの空気をエネルギーを皆さんに伝える為に!

今年の私の目標は、ハワイオアフ島カイルアで極上のアロマセラピーリトリートを始める事です。

 

4月から受付をいたします。

 

プライベートリトリートです。

 

パーソナルスケジュールをハワイに来る前に決めて、その人にあったスケジュールで行い。

カイルアの邸宅に滞在して、海をみて目覚め!

 

朝ヨガ、

日中スピリィチャルスポットを訪れたり、

ビーチで瞑想、そして締めくくりはアロマセラピートリートメント

 

日帰りコースから4日間コースまであります。

1人から2人(親子小さなお子様なら4人まで可能・友人・カップルなど)までのご予約になります。

 

ご興味がある方は、メール(info@argutha.com) までご連絡下さい。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末の孤独感と焦燥感・・・生きている限り、希望がある。

  • 2018.12.27 Thursday
  • 01:52

 12月26日 水曜日 気温24度 晴れ

 

 カイルアの朝は雨で始まる。

目が覚めると雨が屋根に落ちる音がした。外はまだ空は真っ暗だ。

3階の寝室から1階のキッチンへ降りて行き、コーヒーを入れニュースを携帯でよんでいると、

その音を聞いてジョンが下りてきてコーヒーを入れた。

『昨晩からの腰痛で目が覚めたんだ。僕の夢の日本人の奥さんは毎日マッサージしてくれるんだけどな?』と言った。

『OK、3階の寝室ででは、貴方の夢の日本人の奥さんがマッサージするから.』と私が言った。

20分ほど彼の為の鎮痛マッサージオイルで背中、肩、腰をマッサージした後に

腰痛用のヨガのポーズを10分程してから、1階のキッチンに2人で降りて行き、

ジョンは率先してグラス1杯の水で鎮痛用のカプセルを飲むと、と母が起きてきた。

昨日は、義理の母家でクリスマスパティーを18人程集まってした時にワインを7杯ほど飲んで酔っ払ったまま母は

ベットに入ったので、お化粧もそのままだったので、母に『お化粧落としてねてないね。』と私が訪ねると。

母は、『 いいのよ。 』と面倒そうに答えた。几帳面だった母は、認知症後全てが面倒で日常の事が出来なくなっていた。

『一緒にでは、顔洗いましょう。』と私が誘うと、母は無言で2階の母が寝ている寝室の横の洗面に上がった。

母の顔を洗い、入れ歯を洗って居間のソファーベットに座ってもらいコーヒーを入れると。

ジョンが2杯目の『 コーヒーを僕もお願いします。 』

3人分のコーヒーを入れてから、母の認知症改善用オイルでヘッドマッサージをした。

ジョンが、私に僕のドリームワイフがマッサージとカプセルを作ってくれたから、起き上がるのも痛くて大変だったのが、

痛みなく動けるようになった。と言って仕事へ出かけて行った。

何気ない、毎日の朝だった。

外を見ると、雨が上がりそうな空に虹がかかっていた。

 

一昨日は、12月24日 クリスマスイブは、母の誕生日でもある。

その日は、家でジョンとカリーナ4人で母の78回目の誕生日を祝った。

何故か母は、誕生日パティーはしないでと言った。

義理の母マーサーは、母の事を思い誕生日パーティーを提案してくれたが、家で『お誕生日おめでとう』と言った。

慎んだ誕生日を迎えた母だった。母の誕生日の思い出は、クリスマスの思い出とかさなり、最後に父と母が一緒だった

母の誕生日は、私が8歳の時だった。母がローストチキン、クロワッサンをオーブンで焼き、父がクリスマスケーキを

銀座の父の大好きなケーキ屋さんで買ってきて家で母の誕生日を祝った心温まる思い出だった。

その後、両親が離婚して、家族そろって母の誕生日を祝う事はなかったが、

私が10歳の時、大切な母の誕生日を祝おうと子供ながらにお料理をして母をまっていると、

姉は、その私に嫉妬して大喧嘩になり、ブランディーグラスを姉が、私に投げつけてその破片に姉が自分の親指を切り、母がそこで帰ってきて、姉を病院に連れて行き3針縫った事件の思い出になった。

この頃から私の人生は、可なり悲しい人生だった。両親の喧嘩と姉からの虐待に毎日だったのだ。

そんな母が、私が17歳の夏にカナダに留学させたのは、私と姉が喧嘩ばかりしているから、お金は大変だったけど

離すした方が良いとおもったからだと説明してくれた。

ハワイの平等院の前にて
ハワイの平等院前にて

 私は、母に本当に感謝している。あの時私が留学していなかったら、今の自分はこの世にいないかもしれない。

17歳の私は、悲しさみのどん底にいた。と母に説明した。

 

人間の人生とは、諦めずに生きているとても素晴らしい事が起きてくる。

それは、『生きている限り希望がある。』・・・・スティーブンホーキンズ博士より

というその言葉そのものである。

20歳の頃ル―ギャリーの病気で10年の命と診断されても、物理学博士になり家庭を子供を3人育て2018年3月76歳で亡くなった。人間は、病気になっても、虐待にあっても、生きている限り、諦めない限り、希望が必ずあるのだ。

 

最近の母は、死にたいと言わなくなった。

クリスマスパティーで85歳の義理の父の友人ボブが

『僕は100歳まで生きるのが人生の目標だ。だから健康に気を使っているんだよ。』と母に言うと、

母はびっくりする事を言った。『私も、自分の母が104歳まで生きたから母を見習って100歳までは生きたいわ。』

 4年前いつも死にたい。長生きはしたくないと悲し事を私に訴えて母が、今100歳まで生きたいと言う事母が言ったのは、

素晴らしい事だ。

 

そして、2018年のクリスマスは、私にとってその希望の続きが拡大する年になった。

 

義理の母マーサーと姉ーアナが昨日のクリスマスパティーで私に素晴らしい世界の1つしかないプレゼントをくれた。

それは、マーサ―の義理の母ドロシーの形見の分けだった

マーサーとアナが、私に、ドロシーはジョンをとてもかわいがっていて、そのジョンが本当に愛する人をみどりと一緒になったのは、素晴らしい事で、私にこの指輪をして欲しいと言ってくれた。

今年家族の一員になったみどりにと、角が擦り切れてオリジナルの指輪の箱を開けると、そこにはスクエアカットのダイアの指輪が入っていた。祖父母ドロシーのお気に入りのダイアの指輪は、私の掛替えのない宝物の一つ。

バーク家の家族の一員の宝物。

ジョンに出会ってから、毎年の寂しかったクリスマスの思い出が、一変して、心温まる思い出に変わっていった。

 

 

生きている限り、諦めずに生きている限りそこには、希望がある。

 

この思いを込めて、私は、HOPE OF LIFEという香水を作成した。

温かくそして深い香り、地球と一体となって全世界の人々と一体になり、孤独感から解放される香りを作成した。

世界中の大陸の香油をブレンドして深く温かい香りにできあがり、この年末の焦燥感を自然に心で受け、

新たな信念への希望がでてくる香りになった。

【 HOPE OF LIFE 】

エクアドル産のパロサント:浄化

ブルガリア産のホワイトローズ:慈愛、無条件的愛

インド産のダバーナ:シバ(破壊の神)の化身

オーストラリア産のフラゴニア:家族愛

ネパール産のスパイクナード:慈愛・マリア様の最期の涙の香り

イタリア産のベルガモット:太陽の香り・高揚

マダガスカル産のイランイランコンプリート:自尊心を高める。

ギリシャ産のキャロットシード:怒りの解放

オマーンさんフランキンセンスCO2:全てのチャクラの整列

フランス産ワイルドアイランドラベンダー:浄化

など他26種類をブレンドしました。

 

 

この香りで毎朝、瞑想をして2019年の新たな素晴らしい年を迎えて生きたい。

 

*LIFE OF HOPEの香りをご希望の方は、info@argutha.com までお問い合わせください。

 

LOVE&ALOHA、

MIDORI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性としての価値は、母になる事?

  • 2018.11.17 Saturday
  • 05:50

11月18日 気温12度 晴天

 

 昨年12月に日本を発って、初めて成田に着き呼吸をすると外国の来た時の様な空気に感じた。

ハワイののんびりとした空気とは、かけ離れた空気だった。

そんな、気持ちの中日本のニュースを読んでると、こんな記事を目にした。

 『母の慈愛を』発言、小池知事は不快感 鳥取知事謝罪 

内容は、小池知事(66歳)が、ハローウィーンでメーテルに仮想し、メーテル(ギリシャ語で母を意味する)のに例えて、

平井知事が、『メーテルのように母の慈愛のここを持って、大都市と地方の折り合える案を考えていただければ』と語った。

小池知事は、子宮筋腫で子宮摘出全摘手術をしており、母としてといわれたが、彼女は母になれなかったので、傷心したのだ。

しかし彼女は、母になれなかった分、多くの女性に仕事も子育てもやってもらえるような環境づくりをしている。と説明した。

 現代の日本女性は、80%つまり10人に8人が子宮筋腫、卵巣嚢腫、子宮内膜症を発症しているのが現実だ。

これは、環境ホルモンと食品添加物の影響が多大にあると推測できる。

今日は、女性としての価値を言及してみたい。

人生50を過ぎると、更年期にはいりまたこの母として女性価値を考える事が多くなってきた。

 

初潮が始まった頃に、私の母が

 『女性として2人は子供をつくることが義務である。1人は旦那様の分そしてもう一人は自分の分。』と言っていた。

そして大学の頃に、人類がこのまま人口の増加していくと食糧危機になる。というニュースを読み。母の言っている事は、

戦後の話だ。と実感していた。

 

 8歳で父が家を捨て、母子家庭で育った私は・・・・

 

  『 結婚、子供、母=苦労 』 という思考が頭から離れなかった。

25歳を過ぎて、就職して、母が結婚の言葉を何度も耳が痛くなるくらいに、

  『子供は早く生まないと育てるの体力がなくなるわよ。』 言っていた。

そして、姉が40歳になった時できちゃった結婚をガーナ人とした。当時私は、38歳。

その時、姉が私に送ったメールが・・・・・死ぬほどつらかった。

その内容は、

  『 私は、家族を作り、生きて行く。

   でもあなたは、家族を作らず、たった一人で死んで逝く。』

  『 私は、子供を作り、生きて行く。

   でもあなたは、子供をつくらず、たった一人で死んで逝く。』

  『 私は、家族と沢山の思い出を作り、生きて行く。

   でもあなたは、家族と沢山の思い出をつくらずに、たった一人で、死んで逝く。』

と長々とつづった私への死(詩)であった。

 母にみせると、姉は妊娠していて気がたっているといって流した。

 この後、私は、辛すぎで姉と音信をたった。

 メールでコミニケーションをその頃、父にこのメールを送ると父は、一言

 『 人間誰でも、一人で死んでいくんだよ。』 

 可なり、納得してしまった。私がそこに居た。 そして享年76年父は、本当に3回も結婚したのに、3人目の奥さんに捨てられて一人で亡くなったです。(最後の介護は私がしましたが・・・・このお話は長くなるので後ほどいたします。)

その後、外資系の会社勤務とアロマティックカンパニーメリッサ設立とプライベートを充実して毎日を自分らしく生きてきた私。

 

そして、52歳の歳で最愛なる幸わせな結婚相手と結婚したのですが・・・・勿論!そろそろ更年期期突入なので子供は作れません。

旦那様には13歳の娘がいて、その娘とは、親友の様な楽しい関係、本当に幸せな私でした。

 

しかしそんな時に、なんと友人のいない旦那様の唯一の大学時代の親友がこの夏、ハワイに家族旅行で12年ぶりに 

子供を4人つれて訪れたのです。

その友人の奥さんが私に

『 Did you ever wanted to have a child ? 』

『あなた、全く子供をうまみたくなかったの?』

忘れていた私の女性として、母として子供を産まなくても幸せな人生を歩んでいたはずの私の心にアッパーパンチが飛んできたのです。そして、私は、なんと傷心していたのに即座に超特急の言葉で!

 『 NO I didn't .』

  『 全然 』

と答えたのです。そしてその言葉を言いながら、自分の強気に驚異していた。

 

女性として自分の子供を産まないとならない義務感が毎日、毎日押し寄せてきた。

そして50代の出産などグーグルってみたりしてしまった。

勿論、産む気はないのです。

そして、この傷心した辛さを流すように私は、『WOMAN』 という香水を作り瞑想し続けた。

自分の真実の価値観を高めて自己愛強める。

この香りは、地球が全てを包み込み、自然体の自分でいていいという事を伝えてくれる香りです。

現実を受け入れ一人の女性としての価値観と自尊心を高めてくれる香りにより、次第に傷心した心から解放されました。

 

そして、

カイルアからダニエルKイノウエ、ホノルル空港へジョンが送ってくれた車の中で、初めて自分の傷心した心を彼に伝えられました。彼の唯一の親友の奥さんだったので、言えずにいたのが…

自分の子供を産まず此処まで生きてきた私は、安易に子供を作れず、そして子供を欲しいと思った相手に適齢期に巡り合えず、

今私が最愛なる彼と出会い、彼の娘と彼をとても大切思っている。と伝えると、彼は、

『アマンの軽率な言葉で傷ついていてごめん。だけど彼女は、メキシコ人だから故意に君を傷付けようと思って行ったんじゃないからね。そうそう、それに僕と結婚したから、もれなく大きな赤ちゃんのカリーナ(13歳)が付いてくるから、カリーナを娘だと思っててくれたら嬉しいよ。』

 彼に傷心した事を伝えられて、またそこで今まで貯めていた心から解放されたのです。

 

女性は、母になる為に生まれてきた時代は、過去の事で、や現代の環境は自分でそれを責任もって選択し

 『自分らしく生きて行く事が大切!』 

小池知事の件も含めて、また女性一人一人が、男性一人一人が、そして社会がそれを認めて行く事が大切です。

子供を産まなくても、社会貢献して生きて行く事で、この地球の繁栄を維持して行く事は可能な時代です。

 

環境破壊の為、また家族に恵まれなかった為、人間のホルモンバランスが過去と異なり、母性が、女性ホルモンバランスが

過去の女性と異なる現代女性の社会的地位を確保していくのが大切!

小池知事をはじめ、その幕は上がっているのは、確実です。

 

P.S 『WOMAN』の香水にご興味がある方が、是非Eメールにてご連絡下さい。

info@argutha.com

 

LOVE&ALOHA

 

MIDORI 

 

 

 

 

 

 

 

生きる喜びとは?51歳新たな人生(再婚)

  • 2017.12.20 Wednesday
  • 06:36

 

2017年12月20日(水)気温5度 

 先週分厚い封筒とパスポートに郵便でアメリカ大使館からビザが送られてきました。とても長い間待ちましたが、待ったかいがあり、うれしさに満ち溢れる感情の自分が存在し、ハワイに戻る日を楽しみにしている自分がいる。その気持ちは、まるで8歳の少女がクリマスの夜、サンタクロースが家に来るのを待ちきれずに眠れない気持ちに似ている。またこれは、私の人間行動学の研究結果の凄い達成感でもある。

 ジョンに私が、23歳の時に、650人の中の5人に選ばれて外資系の航空会社に就職した時より嬉しいと伝えて、2人で爆笑して、その後にいやいやそれより凄い確率かも?何故ならば、私が人間行動学のバイオロジーを研究後、3か月間、137人をオンラインの中で見て、探した貴方がその1人だから、もっと倍率高いよね!と説明すると、彼は、僕はこれは、天から贈りもだね、僕はいつも幸運に守られているから!これからは、君は安心してね。僕達の永遠の夢の世界を気づきあげて行こうね!と言って喜びを2人で分かち合った。彼は、そして、クリスマスの朝にホノルル空港に迎えに行くからね。と笑顔で一杯で話した。クリスマスイブが、母の77歳の誕生日なので、お祝いをしてから私は、ハワイに飛び立つ計画を起てた。

しかし永遠とは、言葉の綾であり、現実には存在せず、空想または、意識的な事である。意識これも今現代の化学で研究がされている事であるが、感覚的には、この意識が、魂であり永遠であるのであるかとも考えられる。普遍の意識は、永遠であり、その人が永遠という意識を持つ事でその意識は永遠であると私は、考える。つまり、彼の意識の中で永遠の夢の世界を創造して行く事で、私は永遠にその意識の中に存在し、二人の夢の世界は2人意識の中で永遠と存在して行くのである。それを証明する為に人間達は、書物を書き、絵を書き、音楽を作曲し、権力者は、タージマハールやピラミッドを建立したのだ。

私は、永遠の香りを調合する。ただし自然界の香りは、はかなく直ぐにそのバイブレーションは、自然と消滅する原理がる。この香りのバイブレーションは、私たちの生命体に重なり合い、反響しあって行き、そして私たちの生命体のバイブレーションを高めて行くのである。つまり、私は、私の意識の中で永遠の香りを調合する。

 

 彼の言葉と意識が私の胸に響きそしてそのバイブレーション(波動)が、 23歳の時には響かなくても、今の自分51歳の心には200倍にもなり反響し私のバイブレーションが200%になって行くのを感じる。これが、意識が高まり、波動が高まって事を自分の心で感じる事である。つまり、2人の意識が永遠に反響しあう事で永遠は存在するのである。と私は、考える。

 

 2人の合言葉は、【2人で健康で幸せに年を重ねて、面倒を見合っていこう。】である。

20代の時にこんな言葉は、実感が沸かないが、51歳では、心が天にも昇る感覚で受け入れる。そしてまた、心にありがた合言葉である自分がいる。これからは、元気であるかもしれないが、歳をとっていくのを年々感じながら60代、70代、80代、そして90代目標100歳にして生きて行くのが、人間の寿命になるからです。医学と環境が整ってきた時代に生きる私達は、これからは、人生は100年になるでしょう。さてでは、その100年どのように生きるかが、その人の生き方そして幸福度になって行くでしょう。これは、自分が生きたいように健康に生きるのが、未来の課題になって行く事でしょう。体のどこかに痛みや病気が存在しながら生きると辛さが重なり、生きる事が試練になってきます。今後人間は、人口増加の課題からバイオロジー的に子孫繁栄を目標にして生きる事より、如何に自分らしく健康に幸福にそして意味の在る人生を生きてい行くことができるかの研究がされて行く事になるでしょう。

 

 此処に来て、ふと【生命は期限があるから価値があると感じる。】痛切に感じている自分が存在している事を発見した。何故ならば、無限に生きる生命体がいるとそこには、生命の貴重な価値が薄れてしまうのである。天然の生命体には、必ず生がありそして死が存在するのであるのが、原理である。

 

 人が永遠に生きる夢は、かなわないから価値があるのである。

 生きる事の大切さは、死がいつか訪れるから存在するのである。

 

そこで、やはりヨガ的な哲学、【今を生きる。 BE PRESENT 】になり、幼い頃母が、私が母に掃除やごみ捨てを強いられると、【後でやる。】というと【後ででなくて、今やりなさい。】が正しい痛切な格言に繋がる。ふと、心中で自分が苦笑いをしている。 

 天然のバイブレーションの高い香りを嗅ぐ、すると生命体の細胞が反響する。その後生命力は高まり、その意識が高まって行く、しかし天然の香りは、直ぐに揮発して自然と同化して行く。そして、自分も自然と同化するのである。これは、科学的にも証明されている。ミトコンドリアの細胞の生命体のプラスとマイナスの波動そして原子と分子の左と右に発生する光の波動、オプティカルバイブレーションである。生物は、これらのバイブレーションを高めるために、自然の理に叶った生き方をする事で生命力が高まって行くのである。この痛切に混乱している情報社会と都会の中で生きている私達の課題は、正しいバイブレーションにリセットしながら意識して今を生きて行く事が健康の鍵である。

 

12月の香りは、

 

普遍の意識の波動をたかめる香水! 10mlホホバオイル

 

使用方法:夜瞑想をするときに、手首・首元・サードアイ・クラウンチャクラにつけて深く鼻から深呼吸をして瞑想をする。

朝目が覚めてみた夢を書き留めて、夢からのメッセージを確認する。

 

パロサント 2

ローズオットー3

ネロリ2

サンダルウッド1

ブッダウッド1

ベチバ 1

ペティグレンワイルドフォーレスト4

シスタス1

ミルラ1

カーネーション(アウブソリュート)3

リンデンCO2 2

ブラッドオレンジ2

ローレル2

ジェラニウムバーボン4

オクテアキノックス1

アルパインラベンダー4

など

 

info@argutha.com

あてに宜しければ香水をご注文下さい。

 

メリークリスマス よいホリデーを皆さおすぎしできる事をお祈りしております。

 

LOVE&ALOHA

MIDORI 

 

 

 

 

 

HAPPY MOTHER'S DAY と言える事に感謝!

  • 2017.05.14 Sunday
  • 15:33

5月15日 日曜日 曇り 気温21度 

 昨日からの雨も上がり、どんよりとした空の母の日。今日は母がデイサービスの日の為私は、母の日を一日前に祝う事にした。

とはいっても、外で2人でランチでもしようと考えただけだった。

土砂降りの雨の日、母に電車に乗って3つ駅目の新越谷駅の駅ビルでランチをしようと母を誘った。

新越谷駅には、駅ビルが入り駅内で雨にぬれずに食べらる、お茶屋さんが出している母の好物のマグロ定食があるお店があるのでそこで、食べようと考えた。

耳が難聴で心配性の母に朝からこれを伝えると2時間前から用意して30分以上前に家を出てしまう為、母には私が仕事を終えたら用意して行こうと提案したが、案の定母は、1時間前から着替えて準備万端だった。

 寝たきりだった頃を考えると嬉しい事には間違いないのだが、やはりなんだか待たせてると思うと今度は私が息苦しい感じになる。

朝から、リフレッシュしてやる気とイライラを解放できるようにディフューザーで部屋中を森林浴の香りにパインやスプルースの香りで深呼吸しなくては、辛すぎる私がいた。

 雨の日のシルバカー使用は、大変なので杖を持って行く事にした。

最近では、天気が良いと母に習慣にしてもらおうと愛犬の老犬ももちゃんの散歩をNHKのひよっこを見てから、行ってもらっているのだが今日は、大雨でそれもできない。モモちゃんの皮膚病(ラベンダーハイドロゾルを吹きかけてブラッシング)と白内障(フランキンセンスのハイドロゾルを使用して目を洗っている。)もアロマセラピーでかなり改善されてきていて、私がハワイに帰る前に完全に感知してもらおうと毎朝モモちゃんもアロマセラピーでリラックスしてから母と散歩に行って体力強化だ。

 11時半を過ぎた頃、母にご飯食べに行こうか?と言って大きな音のテレビの前で寝ている母に、大声で聞こえるように聞くと、母は、ゆっくり言って聞こえない。といつものように聞き返す。人間は、不思議と大声を出すと怒っているように怒鳴ってしまうのが、悲しい。しかしここは、忍耐と自分に言い聞かせてもう一度大声でテレビを消してから母に呼びかけた。話しかけるのとは程遠いい大声なので、学校の体躯の時間の校庭の端から友人に声をかけるように呼びのようにした。

 母は、そしてテレビの前の設置された、介護用ベットから起き上がり、玄関へとゆっくりと歩いて行く。寝たきりだったためか足がやせてしまい合う靴がなく、最近は、いろいろ履いてみているがぶかぶかの物ばかりである。唯一アンクルブーツが脱げないようで、母は冬用のアンクルブーツをはいて、杖を突いて雨の日傘を差しながら久しぶりのお出かけである。最後に雨の日に出かけたのは、4年前母の長年の友人のお葬式の為に出かけた。肝臓癌で苦しまずに亡くなられた母の友人。母はとても落ち込みその前の年には、御三味線と小唄の先生もなくなり、次から次へとお葬式が続いた。母は、そして生きる事への不安と悲しみの中お酒へとうずもれて行ったのであった。私も、もう若くないので不安に一緒になっていた自分を回想してみた。

 しかし、生物というものは生きる力が強い事を植物の生息を見てもわかる。どのような環境にも順応して細胞は生きて行くのだ。母の細胞組織もそんな中、生きてい行く生存の力の火は消えることなく、消沈していた火から今では、新たな息吹が春の若葉のように脳の細胞も再生されているように、日に日に元気を取り戻しているのが、何よりも楽しみである。

 そんな、母を支えながら電車に丁度昼頃に雨脚も強まる中のると、母は小学生の子供のように久しぶりに電車に乗ってる自分に感動していた。パスモが入っている場所を何度も確認して鞄のポケットを開けて最終的には、母のお気に入りのヒョウ柄のジャケットのポケットに入れた。

 駅に着くなり、外出先で一番心配なトイレに母は行きたくなり、おむつもしていないので、トイレを探してみると2階の駅ビルのエレベーターから矢印の通り、歩いて行くとゴム製のメッシュの運動靴が目に入ってきた。3年間ほぼ寝たきりだった為に母に足が小さくなって外反母趾もあるからこの様な靴が良いんでは?と私が言うと、母、先ずはトイレに行ってからと言わんばかりに、杖を突きながらトイレの矢印を辿りながら、ビルの端の角にあった。

 母がトイレに行っている間に、私は他の靴を探したが、初めに見た靴が一番履きやすそうだった。トイレから出てくると母に、実は今日は母の日の為のランチだと説明し、先見つけた靴もいつも合わない靴で散歩もなんだから履いてみて、合うようならプレゼントすると説明すると、母は『そうなのね。』と嬉しそうに微笑み、母の日のプレゼントを快く理解して靴屋に足を運んだ。土曜の午後で新越谷の駅ビルは混んでない所がなんだか新鮮だった。東京ではありえないのでなんとなくゆったりとした気持ちになり、人もいそいでないので高齢母と安心して行動ができる。

 人気のない靴屋さんでリラックスしながら母に靴屋さんにメッシュの靴を履いてもらうととても気に入り、夏用に薄い青と白のメッシュの靴が良いと言い、母の日のプレゼントして購入して母は嬉しそうに、店員さんに母の日のプレゼントで買っていただきました。と説明している。あっという間に12時半を過ぎていた。お茶屋さんのカフェに行くと雨の日のカフェは、流石にお昼時なので混んでいた。

 母は天ぷら付きのマグロ定食を頼んだ。久しぶりの外食だった。お酒でおなかがいっぱいで、ほとんど食事をとらなかった母は、最近なんとか一人分食べられるようになり食欲も出てきた。大きなエビの天ぷらとしめじ・しし唐・鳥の天ぷらとマグロのお刺身の定食は流石に食べきれず。私と一緒に分けて食べた。夜ごはんには、カフェの向かいの揚げ物屋さんのアジフライが目にはいり、竜田揚げとアジフライを1枚買った。母に駅ビルだからエスカレーターで改札のある階まで行かれるからと説明して手を取りエスカレーターに乗り、母にのぼりのエスカレーターへとガイドして行く。全てが母は、わからない小学生のように私の後をついて歩く。

 母には、なるべく脳を活動的にするように色々と話しかけ説明して母の意見を聞くようにしている。最近では、多くの事を忘れないようにメモに書いてそして、私に確認する前にそのメモを見るようにと提案してみているが、これが可なり彼女には難しいようである。施設に入ると全て、介護の人が着替えや何から何までしてくれるので初め、私と一緒に住みだしたときには、着替えをさせてくれなど要求してきたが、しっかりと母に一人暮らしを長くしたいのであれば、できる事は全て自分でしていくようにと説明した。

 どうしてもできない事だけ私がします。と説明すると母は一人暮らしを人生の最期までしていきたいと決心してなんでも自分でするようになってきて、心をなでおろしている。そんな母は、パスモがヒョウ柄の右ポケットに入っているのも忘れずに改札を通過してエスカレーターでホームまで上がった。学芸大学駅の下りのエスカレーターが両方の階段にはついてないので、エレベーターのある所までホームの中間まで上がり、電車に乗ると母は電車で移動するのが楽しい子供のように外を見ながら次に降りるんだねと言って、しっかりと自分が住んでいる駅が次だと理解していた。記憶は、訓練で少しづつ回復するのだ。勿論、認知力は低下してしまうのだが、母なりに気億のつかさどっている海馬を使って活性化しているのだった。駅に着くと、エレベーターで一緒になった喪服を着ていた老夫婦に、母は結婚式ですか?と聞くといいえ、お葬式です。と残念そうに答えた。母と大雨中、何年振りかに履いた私は、赤い長靴を見ながら水たまりに長靴が入りながら、母を見守り家まで歩き、母に蔵おばあさんまで100歳まで生きられるよ。禁煙も禁酒もできたんだから、頑張って人間として立派に生きてください。生きたくても戦争とかで死んでしまう人もいるんだから、大切な一回きりの人生をね。というと母はにこにこ微笑みながら、本当にそうだね。自分でもお酒とたばこをやめられた事にびっくりしてるわ。と言いながら杖を突いて小雨になった雨の中を二人で歩いて帰宅した。

 

5月の森林浴ブレンドでストレス解消!

4ml 

ブラックスプルース12滴

パインスコッチ22滴

ライム22滴

ベルガモット 25滴

ローズマリー12滴

フラゴニア12滴

クンジア24滴

 

LOVE&ALOHA

MIDORI

e-mail:info@argutha.com

Homepage: argutha.com

 

 

 

 

 

 

 

 

花粉症と認知症の相関性 

  • 2017.02.16 Thursday
  • 08:23

2月16日晴れ時々曇り気温5度

 

 2017年あっという間に新年が明けて、春節も過ぎたこの季節、日本では花粉が飛ぶ季節になる。

 

 花粉症は日本の国民病ともいわれるぐらい人口1億27,094,745人中の2万500万人が杉花粉症であり、全ての種類の花粉症は2000万人とも推定されている。

1964年に栃木県日光地方におけるスギ花粉症という文献が公式な花粉症とされている。

 花粉症の薬は、通常抗ヒスタミン薬である、ヒスタミンには、血管拡張、血管透過性亢進作用などがあり、これらの作用により、アレルギー症状である、くしゃみ、鼻水などが発生する。風邪のアレルギー症状も同一の機序による。この作用を伴う、ヒスタミン受容体H1受容体と叔母れ抗ヒスタミン薬はこの受容体の作用を抑制する事で、アレルギー薬はこの授与態の作用を抑制する事で、アレルギー症状を抑える。したがってアレルギーそのものや風邪そのものを治す薬ではない。抗ヒスタミン薬は、中枢神経、特に視床下部に作用して眠気を引き起こす、即ち鎮静作用があると考えられている。(ウィキペディア)

 抗ヒスタミン薬は、20世紀半ばから販売されている。この薬は、簡単に薬局で購入できる。風邪薬やアレルギーの薬、抗めまい薬、蕁麻疹・水虫などのかゆみどめなどの塗薬、乗り物酔い止め薬、鎮静薬・麻酔薬などに多くの薬品に使用されている。薬の開発と共に私たちは、無意識のうちに多くの化学薬品を体内に吸収している。そして、その副作用が10年20年後の自分に出てい来る。

 認知症の人口の増加と花粉症の増加は、相関性があるといるのではないかと、疑問に考えているのは、私だけではないのである。

日本の政府は、外交と経済の発展に過度に集中しているのではないか?人間の生活の幸せ度を高める事になぜ世界GDP3位である大国日本国は力をいれる事がこんなにも難しいのであろうか?それは、故に戦後、戦争に負けた国を建国してきた世代、焼け野原だった首都を50年間経済成長にのみ力を入れて、国民の幸福=経済の豊さそして平和な国どいう論理から来ている。それは、それで素晴らしい事である。今そして戦後70年、これからは、日本に住む人々の幸福な人生を成型する事に集中していく時代が来ている。

 アメリカやイギリスは、戦争に勝った国である為、その這い上がる努力が必要ない国余裕のある資源豊かな国である。その為日本の15−25年先を言っている国でもある。特に前大統領オバマ大統領は、脳神経や医療、認知症の研究に国費を費やした。その結果、1990年ど高齢者(65歳以上)の25%が認知症である統計率が今では、世界平均(WHO)の5%にまで低下している。カナダは2%、世界でも最も幸福度の高い国ノルウェーでは1%ほどである。(2012年)日本は、2016年の統計では、26%で高齢者の4人1人が認知症であると比率が、増加する一方である。日本では、ケアーサービスの向上に力を入れる一方、認知症に要因に対応する事がほとんどないのでは、ないかと疑問に考えているのは、私だけではないのではないか?

 ウィキペディアに掲載されている、精神安定剤や睡眠導入剤が認知症の原因の1つになるという事を知っている人は少なく、気軽に睡眠導入剤や精神安定剤を常用している。同様に、脳に働きかける薬抗ヒスタミン薬や鎮痛剤も同じである。統計学では、60%の認知症の患者は、これらの薬を常用している比率が高いのである。

 そこで、将来の自分の健康に向けて皆さんには是非自然療法をお勧めします。

エッセンシャルオイルには、天然の抗アレルギー成分・かゆみ止めなどが含有されています。同時に身体のバランスをと整える素晴らしい自然治癒力を高める成分です。

 マスクにつけてもよいし、ひどいアレルギーの人は、アレルギーの始まる3−4か月前からカプセルでブレンドされたオイルを天然のビーポーレンに混合して1日2−3回飲用するだけです。

 一人一人、コンサルティングをして何が原因でアレルギーになっているのかを確認して、ブレンドをしていきます。

一般的なアロマセラピーではなく、独自のそして最新の検証例を含めたアロマトコロジー(飲用などを含めてその人の全体を体質を見てブレンドしていきます。)

 大きな視野で、自分の将来は、地球の将来につながると考えるとやはり根本的な体質改善が一番必要である事に気づきませんか?

私の母(76歳)は、今高血圧の薬も尿酸の薬もお医者様の検査結果により飲まずに認知症の薬のみ飲んでいるところまでアロマトコジーにより3年後に回復いたしました。

 ハワイのジョン君も極度の緊張とストレスからの週末にでるアレルギーがほぼでなくなるまで改善しています。

家族や友人が健康になっていく、幸せを感じながら人生の幸福を感じて生きているのが幸せである。

 

パーソナルコンサルティング・ブレンドお問い合わせは、info@argutha.com までお待ちしております。

 

LOVE&ALOHA

MIDORI 

 

 

 

 

負けないで!大切な命!いじめ・虐待に対抗する私

  • 2017.01.02 Monday
  • 14:10

2017年1月2日 晴れ気温14度

 

 今年のお正月は、3年ぶりに母と過ごしている。

3年前に母が一過性虚血脳血栓で倒れてそして要介護1になり初めて初詣に草加神社に出かけた。

草加神社まで1駅自宅からあり、自宅から1.5キロほどの場所で以前の母なら30分もかからずに歩けたのだが、今の母は45分かけてシルバーカーと私の腕に支えられながら頑張って歩いて行った。

 今年母76歳そして26歳の時に母が生んだ第2子の私は、50歳であった。母は毎日元気だけが取得とも言えるくらい元気だった分焦りとそして老いる事への現実を目の前にしている自分がいた。人生は1度そして長いようで1年1年があっという間に過ぎて行くのである。人生を100年と考えてみても半分生きた私の人生は、辛い時そして幸せを感じていた時何方が長かったかと今記憶を回想していく。昭和41年7月21日気温31.2度の暑い日の夕方私は、東京の父の家族が運営する病院のある亀有で生まれた。母は26歳で、父は31歳であった。この日から、2歳上の姉は、私の存在を厭い両親からの愛と注目を浴びるために私との競争そして私への憎しみが始まった。母が父と結婚している間は、まだ父が家にいた為に姉は、父の注意と父の家族から長女としての注目と愛を受けて私への憎しみそして虐めは軽度の物であった。ただしその度合いは子供としては、可なりの度を越していた。今考えると日本人の戦国時代の遺伝子が残っているのではないかと考えられるほど緻密でかつ卑劣な方法であった。

 私の誕生と共に、姉は生まれたばかりの私へ嫉妬し、それな幼児のころから潜在的な知能の高さが解る方法で、右手を数か月動かさずに当時5歳の姉は、乳児のように親に全てを委ね私への両親からのケアーをそらしたのだ。そんな姉が、公園でどうしてもブランコに乗りたくなり右手を使って上手に漕いでいる姿を母が発見。姉の計画は、そこで崩れた。ここまで考えると子供の考える事のようだが、これを切っ掛けに姉の計画は、私直接的に働きかける虐めへとエスカレートしていくのであった。幾つかの記憶を私が回想すると、4歳の時お風呂に一緒に入ると姉に突き倒されて額を切り、頭から出血した。それ以外にも、私はいじめに疲れ果て5歳半の時に体に力が入らない原因不明の無力症になった。そしてその後も姉の虐めは、精神的に身体的に継続して姉の知能が発達するのと両親の離婚から父からの愛を失ったと同時にいじめの方法は、卑劣で巧妙な物になり母に知られないような方法考えだしていたのである。今思い返してもその方法は、私の胸を裂くほど苦しくて辛い日々であった。母と姉私の3人で生活をしていた頃母は1人で私たち2人を私立の女学校に通わせるためにお休みなく働き続けていた。夜帰宅するのが毎日であった。私は、家に居ると姉の虐めに会うために友人の家や塾や部活動に時間を費やしていたが、夜になるとやはり家に帰宅しなくてはならなかった。姉は、お使いに出すのがだが嫌がると私を真冬の中下着とTシャツ1枚にして外に出した。当時13歳だった私は、下着では外に歩いて友人の家に行かれず踊り場でしゃがんで母の帰りを泣きながら待つ日が何日も続いた。姉は、通常母の帰宅する時間の10分前に私を中に入れて、母に言いつけるともっとひどい事をするからと私を脅して、母に私が泣きつくのを防いだが、ある日母がいつもの時間よりも早く帰宅した時私が、泣きながら踊り場にいるのを見つけた。私は、母に見つかると姉が仕返しをもっとするから姉を叱らずにいてほしいと言ったが、母は勿論姉を叱った。その次の日、私は、姉の竹刀で殴られ続けた。またある時は、包丁で追いかけられたり、首を跡がつくほど絞められたり、また精神的には、『一睡でも眠ったら顔をから熱湯をかけるから寝るんじゃない。』と脅されたりして、私は精神的にそして身体的にボロボロになっり、金縛りになりながら眠る日々が続いた。14歳の時私は、生理が来たと同時にホルモンバランスが不安定にになり、苦しくて苦しくて、この苦しくて辛い世界に生まれてきた自分を人生から消してしまいたくなり、自殺を考えた。

 この世から自分が消えてしまったら、この苦しい人生から解放されると14歳の時真剣に考えた自分を回想している今でも涙が出てくる。そんな時、小さい時に、母が私にタンポポの花を見て、小さい時から音楽や絵画に才能を発揮していた姉と違い、記憶力も悪く動きも遅かった私に、『みどりには、このたんぽぽのように踏まれて次の日に起き上がって生きてい行く力があるよ。だからタンポポのように頑張って行きなさい。』と言ってくれた言葉を思い返し、姉に大切な人生を台無しにされて人生を終わらせてはいけないと考えた。それから、私は、勉強に専念した。勉強をしている姉は、私を虐めたので家に帰ると姉に虐められるので遠くの水道橋の塾を選んで通ったりした。そして18歳の時、両親を説得してカナダに留学した私の人生は、180度幸福への道を歩んだのだ。留学する前の日にも、姉は、留学中に何らかの緊急事態の為に私は、近所のカフェでバイトをして15万円貯金をした。その通帳を姉は見つけると、私のビザのついたパスポートを手にハサミを取り、通帳を渡さないと私のパスポートを切り刻むと脅して、私は泣く泣く通帳と判子を渡したのだった。当時姉は20歳だった。現実に考えてもこの行為は、虐めを超えて犯罪になる行為であるのは一目瞭然である。家族である以上仕方なく私は通帳を渡したのだった。

 今50歳になり、生きる尊さを考えて、この姉に負けずに生き抜いた自分は、立派だったと感じ考えらる自分がいる。自分の生きる生き方を考えても生きていて良かったと大きな声で言い切れる自分がいる。

 その後何度となく姉からの虐めにあってきたが、23歳の時カナダから帰国してからは、虐めでくよくよしていた自分から生まれ変わり、春日差しを気持ちよく浴びて咲いているタンポポのように生きている自分がいた。帰国後は15年外資系の会社で働きその後、この私の辛い経験から、私は人を癒す仕事をしていきたいとも考えられるようになり、それを成人してから自分で実践できアロマセラピストして活動もしてきた。

虐めで自殺をする子供立ちをのニュースを見ると心がとても痛いし、その子供たちの気持ちも本当に理解できる。ただ人生は、自分で生きるために存在して、小さいな心中にも一生懸命生きているとそこには、喜びがありそして生きる価値を感じる事ができる。消して生きるという事を諦めていけないのである。日本の文化で切腹が美しく尊い生き方として終止符を打つ事がたたられているが、人生死んでしまっては、何も始まらず。生きたくても病気で死んでいく人や事故で亡くなる人もいる。この世界で自分で事故の人生を断つ事は、言葉では表せない辛く悲しい結末である。虐められたら、全ての環境を一変するのが一番であると私は、考えた。

 昨年、11月19日午後6時半から姉と3年ぶりに再会して母の介護を協力する事を決議する話し合いに挑んだ。姉が狂気に立つ恐怖で私は、第3者を交えて話し合いをした。そして姉は、自己を固視して母が通帳とパスポートを返して欲しいというと、私が母のアパートの名義を昨年2年間母の保険料と税金、生活費を負担し続けていた末考え付いた。母の収入源を私の名義に変更する以外には無く、母も同意して手続きをしたのも関わらず、姉はこれを訂正しない限り、返さないの一点張りになり夜中まで姉は怒鳴り続けた。姉は、『もう私たちは、家族ではない。それでも良いの?』と母に言うと、母は自分の通帳とパスポートを返却しない姉に向かって『貴方は、一人でも生きてい行かれるわよ。ハリー(姉の前夫)を捨てて2回も結婚できる強い女よ。』と玄関越しで言われた姉は、図星ををつかれてそのまま何も言わずに玄関の扉を閉めて出て行った。実際にこの姉の行為も通帳の中身を見ると24万5千円マイナスになっていてたので、横領行為で犯罪である。家族だから訴えていないだが、今後このようなことが発生したら、公的な処置を真剣に考えないといけない現実である。多くの高齢者が騙されているのが現実である。私の人生は、虐めそして介護生活現代のトレンドに完全に乗っているのだ。

 この話し合いの後母が私に言った言葉を私は、忘れられない、それは、『あなたが18歳の時留学させたのは金銭的には大変だったけど、あの時みどりが留学してなかったら、貴方は死んでたね。』私は絶句して気が付いた。当時18歳の私は、姉から離れるのは日本から離れるしかないと考えたのだった。そして実際に3年前にも同様の方法を私はとったのだった。幸せな人生を生きるために日本を離れたのだった。しかし今回は、18歳の私ではなく、42年後の私であり、これ以上姉に振り回される人生を歩む事はないと考えた手段だった。人間の心理・性格は幼い頃の環境で決定する。私の幼児期は、辛くて悲しさの凝縮された日々だった。

 そして今その2つを辛さと悲しさそして決して美しくはないが、悲しみの感情の津波の連続で乗り切っている自分の50年の人生、生きている意味を今見つけている。虐められている人、家族に恵まれずに必死で介護生活をしている人それは決して楽な道では無い道です。しかし生きる意味はそれなりにあるのです。

フェイスブックはSNSで楽しそうな写真では、図り切れない辛いページがあります。でも生きる意味があるのは、人それぞれ素晴らしい価値があるのです。

 それは、人間としての権利であり義務であり生きる事を直視する責任でもある。自分の生命がこの地球上にある限り、生きていく尊さを考えて決断をして行動をする事で生きる価値を見出していくのです。諦めずに自分なりに生きていくことに価値があるのです。するとそこに、小さな幸福な人生が存在している事に喜びを感じる事でしょう。

 

 年明け早々辛い私の人生のお話ですが、改めて新年を迎える私の人生51年目を自分らしく生きる事を心に強く誓いこのブログを書き収めます。また、このブログを読んで下さった方がたのご感想お待ちしております。このお話をするには、51年の月日をかけての告白です。話すだけでも心の癒しになると寂聴さんが言っていた事を思います。私は、香りに助けられてここまで来れました。そして過去を引きずらない為にも今ここで辛い自分から解放されます。LETTING GO OF MY PAST!

 

LETTING GO BLEND 過去の自分から解放されるNEW YEAR BLEND

10ml香水

ローズオットー4

ローレル4

オレンジブロッサム2

ブッダウッド5

リンデンブロッサム9

ダバナ2

ベルガモット12

セージラバンドュフォリア1

 

LOVE&ALOHA

MIDORI

 

 

 

クリスマスと師走前の孤独と孤立を感じないブレンド No More Loniness & Isolation

  • 2015.12.08 Tuesday
  • 12:32
 12月7日 月曜日 晴れ時々曇り 気温27度

 クリスマスが近くなると母の誕生日を思い出す。
母はクリスマスイブに生まれた聖なる人のキリストの亡くなった日に生まれた人で彼女はクリスマスイブに多くの友人を集めて自分のお店でお誕生日パティーを兼ねて大きなパーティーをしていた。
 そんなクリスマスの私の思い出は、余り家族的ではないものばかりで寂しい思い出ばかりである。母の為に、クリスマスイブお料理を作って家で待っていてもいつもよぱらって真夜中に帰宅する彼女がいるだけで、待ちくたびれてしまった姉と私は他愛もない事で2人でイブに大喧嘩をした事もあった。
  そんな私が家を出る計画が成立したカナダに留学をした時には、ホストファミリーの家族に囲まれて心温まるクリスマスを毎年迎え心温まる経験をクリスマスホストファミリーの人々と迎える経験をした。。
 そんな母がお店を閉めてから定年後、友人が次々と亡くなり寂しい誕生日を何年も迎えそして父が亡くなり、母が倒れて2年目のクリスマスは、私は自分の家族から解放され孤独と孤立から解放されハワイで家族団欒のクリスマスを迎えようとしている。
 悲しい事に家族環境にに恵まれない私は、その環境から離れると本当に幸せになる。
以前は、その幸せを否定していた自分が何処かにいたのだが、今ではそれが本当の幸せであることを心の底から感じている。
人間は、家族や環境に恵まれない時には、新しい世界へと旅立つ力という知恵がある。今のシリアの難民とは比較はできないが、自分の心の中では、難民ののごとく私は、日本を離れてハワイの地に生きつき、本当の幸せを毎日ほのぼのと青い海と空トレードウィンドと暖かい家族と愛に囲まれる日々をほのぼのと感じている。
 カナダから帰国して何度となく母や姉とそして父と幸せに仲良く生活をする計画を立てたが、その計画はすべて無駄になってしまった。
 日本は、実際に孤独な老人が多いいのは、人間が何故か家族という絆を大切にしすぎだからかもしれない。家族以外の人々が
仲良く生活する事を考えればより大きな形で孤独と孤立から解放されるのではないかと考えられる。
アメリカの素晴らしい事は、家族以外の人でもクリスマスや新年を楽しく過ごす事を尊重している。それは、核家族を経験して
その賛否両論を理解した末の人間の幸せの形を受け入れているからかもしれない。
孤独と孤立から解放するためには、今後全世界の人々が長生きするにあたってこの家族以外の人々、気の合う人たちと生活をする形を受け入れる事が大切であると思う。勿論それでも、一人暮らしを選択する私の母のような孤立した人は、別かもしれない。
私は、今自分の人生を半分以上過ぎる所で、やっと本当の自分の幸せを世界の楽園ハワイのカイルアで見つけたのだ。
『幸せは、突然やってくる。』と良く言うが、私の場合は長年人生を充分に生きてきてやっと自分だけの幸せを感じている2015年最後の月12月クリスマス、師走そして真実の幸せを迎えている。
 人間行動学のバイオロジーに出会っていなかったら実際今の幸せはなかったに等しい、神様や女神そして妖精達にお願い事をして
幸せになれるように多くの努力をしてきたが、実際には幸せは感情的になりすぎたり、何かにすがって見つかるものではなく自分で研究し努力し考えて見つけていくものである。もしもカナダで勉強していた時にこの人間行動学を学んでいたら今頃私は、もう少し違った人生を歩んでいたに違いない。過ぎてしまった事は、今さら考えても仕方がないのでせっかく学んだヨガの哲学にのっとり!『BE PRESENT』(今を生きる)をモットウにして生きていこう。
 まずは、今が一番大切で、今何かつらい事があったらそのつらい原因を取り除く努力をし、そしてその結果が何であれ、つらい自分にならないように同じ事を繰り返さないようにその行動と決断をしなくてはならない。
 私の場合、家族から離れた4年間のカナダが本当の自分の人生が始まった時で、日本に帰国後再び家族に揉まれてつらい人生を23年間過ごして今再び家族と日本を離れて、幸せな人生孤独と孤立感からかけ離れた愛多き幸せな人生を歩んでいる。

恐らくこれは孤独と孤立を家族の試練から体験してみないと深く感じられないのかも知れないと考える自分がいる。ただもし私の友人に同じような経験を進めるかというと、余りお勧めする体験ではない。それは、戦争を体験した人々が次の世代の人々に言い伝えるきもちにもきもちにも似ている 。かくかぞく核家族そして家庭崩壊時代に育った私にとって、家族や血の繋がり以外に深い感情と気持ちの繋がりを見付けていくことが世に大切である事をこれからの世代の日本の人々に伝えてたい。それには、やはり社会的な 決まりを恥れて大きな視野で人間関係を拡大する必要がある。既にその世代を超えている北米では、家族も大切にしそして気の合う仲間も大切にする行事が広まっている。血縁だけではなく、養子縁組やゲイマリッジの一般化などもその1つである。
 ジョンの家族も3人目の子供を養子にしている。カナダのホストファミリーも同様に3人目を養子にしている。この二家族に共通して言えることは、3人目の子供が老後近所に住んでいつも必要なときに手を貸している。まったく血縁がなくても長年一緒に生活した家族である証拠以外何物でもない。今この核家族と家庭崩壊に育てられた子供達は、新たな盛大として段階を経て家族や仲間を大切にし意識して社会を構成していくのだ。彼の娘やその友人たちを見ていても、自分の親が離婚しているのが普通になり家に両親以外の人が住んでいる事を自然に受け入れている。離婚する事が幸せの次のページになり、それを自然に受け入れられる環境を今後作ることでより愛のある社会が構成されていくのである。結婚も離婚も好きなものが好きなだけする事を受け入れる社会にならないと、この長寿の時代、孤独と孤立の人生を過ごす人々が増大する。人間らしい生き方の大切な一つは、気の合った人々と時間を自然に過ごす事であると人生半分を生きてきた私は、痛切感じる。さて人間行動学の論理の上では、その気の合う人=自分と似ているホルモンンバランスに人なのである。そのホルモンのバランスを研究実験は、世界的に行われているのが現状である。
 アロマセラピーにおいても、人間のホルモンのバランスを整えるニュロトランスミッターであるとイギリスやアメリカで認証されつつある。その人工的なホルモンは、発がん性があったり成分が強すぎるので長期的に摂取すると人間の自然なホルモンバランスをとる自然治癒力を阻害してしまい、精神的・感情的な不調和が発生する。天然の成分は、多くの成分が自然のバランスの状態で存在しているので、経験豊かなアロマセラピストによりブレンドされたブレンドを使用する事によりそのバランスが自然なリズムで調節され強壮されていくのである。今後この論理を理解していくことにより多くの感情的症状が改善されていく事が可能になる事であろう。
但し、自然の原理には、現代人の求めている即効性が劣るのとオイルの生産力が追い付かないため価格と効果が見合わないのが欠点である。そこで、やはり即効性を求める現代人には、人工的な薬を使用する結果になる。
 自然派の私は、やはり自然な方法を選択するが、勿論人工的な方法を100%否定する事はない。ただ長期的にはどの化学者の人々も人工的な薬を接種する事を進める人はいない。
 最終的には、自己の健康管理はやはり大人になったら自己責任になる事である。苦しいのは一番自分であり、すべての病気には原因と結果が存在しているのでその原因を1つでも自己責任で減らしていける選択を毎日積み重ねていった結果の健康な自分が存在するのである。
 
   孤独感は孤立した生活の結果から発生する。

悲しい事だが私の両親も、結果的には孤立しそして今その結果自分の孤独な人生の最後を過ごしている。それは誰の責任でもなく、全て自分の責任で要因を作り結果が発生したのである。
 今戦後から70年全ての人々が自由に生きる環境をほぼ自由に選択できる時代。さてあなたは、残りの人生を孤立から孤独へと歩むのか、それとも、孤独とは反対の『愛』を分かち合い大切な人々と繋がりを深めていく人生を歩むのか、諦めずに今から計画を立て行動をとる事をお勧めします。

Merry Christmas Diffuser blend 12ml
愛を感じる人生を歩む選択へと導いてくれる香り

オレンジ 3ml
タンジェリン2ml
シナモン0.5ml
ジンジャールート0.5ml
オレンジブロッサムアブソリュート1ml
ファーバルサム2ml
ローズマリー1.5ml
フラゴニア2ml
バニラ1ml

使用方法:1日30分お部屋にディフィューズしてリラックスして音楽などを聞き自分を見つめてみましょう。
その後思いついた人へメールや電話をしてみましょう。

LOVE&LIGHT,
MIDORI
info@argutha.com
www://argutha.com







 

 





 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM